地方自治の原則は、かつて天皇を主権者とする中央集権国家のもとで、民主主義を否定して犯罪的な戦争をひき起こしたという反省に立って、戦後、憲法で主権在民を明記し、その重要な内容として定められたものであった。県知事は、官選の地方長官であったところから、選挙で選ばれるようになり、地方議会の権限も大きくされた。戦後五七年たった現在では、県知事や市町村長、議員連中などのなかでは、「どこの国のいつの話か」という状態になっている。
この下関を見ても、市長や市会議員が市民の意見を聞き、市民のために働いているという信頼はほとんどなくなった。江島市長のごときは、自分の利権に励むと同時に、市民経済の振興とか市民の福祉や医療、教育などの予算を、よその市長と比べてもひどく切り捨てることで、国によく見られて自分の出世をはかることがいちばんというのが市民の評価として定着しつつある。見かけは横文字を使うハイカラ風であるが、中身は時代遅れの官選長官意識というわけである。
そしていま、市町村の合併問題が住民に説明されている。下関市と豊浦郡四町の合併とか、柳井市と上関町など一市四町の合併などの話がもちあがっている。多くの町村が大きいところに吸収合併されてなくなるというもので、地方の住民にとっては重大問題である。しかし県の方はたいへんせかせていて、二〇〇五年三月に合併に伴う特例債がなくなり、それまでに合併しなければ町としては国からの交付税が少なくなってやれなくなる、といって尻をたたいている。まさかと思う間に自衛隊がインド洋に派遣されたが、またもまさかと思う間に自分の町がなくなっていたということになりかねないのである。
きわめてはっきりしているのは、合併など、町村の住民はまったく要求していないが、国の方が一方的にやれといっていることである。国全体の予算の七割は地方で支出するものであるが、国民の税金の七割は国税でまきあげるという仕かけの税制をして、地方はなにをやるにも国から金で縛られる仕かけとなってきた。今回の合併も国の方から予算でしめつけて、上意下達で強引にしかもあまり人が知らぬ間に、コソドロのようにやろうというのが特徴である。
主権在民といい、地方自治といい、やられることはインチキばかりであったが、いまや町村などはなくして形の上からも地方自治をなくそうというのである。漁協合併や農協合併も先行しているが、どこも下の声が届かなくなったというのが共通した結果である。この大がかりな合併問題は、地方の農漁業や漁業、中小企業を切り捨て、独立した国として成り立たなぬようにすることとともに大資本ばかりが国際的な取引で生きのびていくことと対応しており、もう一方では周辺事態法や有事法制をはかって、上からの命令ひとつで全国を総動員するために便利な戦時国家をつくる狙いと切り離してみることはできない。
市町村合併という地方自治破壊、すなわち民主主義の問題は、平和の問題、独立の問題と深く関連している。ここで地方の市町村民が、ものもいえない統制下におかれて、かつての戦争にかり出されていった痛ましい体験を思い起こして、国の主権者としての声を上げ、力を結集することが重要になっている。そのなかで地方自治体に働く職員・労働者が「国民の公僕」として、地方の人民の側の根本的利益を代表して、地方自治を破壊する支配権力とたたかうことが求められている。