(2024年11月11日付掲載)
秋田県は2025年から県産米の7割以上を占める「あきたこまち」の種子生産をやめ、「あきたこまちR」に全量転換することを決定・発表している。「あきたこまちR」とは、カドミウムを吸収しないよう重イオンビーム放射線を使用し遺伝子を破壊してつくられた「コシヒカリ環1号」との交配種で、カドミウムの低吸収性を持つ。国や県は「味はあきたこまちと同等」「突然変異が生じる仕組みは(自然界と)同じ」「カドミウム低減対策は必要」などとして推進する姿勢だが、遺伝子の改変とかかわった食品としての安全性の問題、流通のさいの表示問題、生産者・消費者の権利などさまざまな問題が指摘されており、これまでも多くの生産者団体や消費者団体が緊急要請に加え、集会や署名名活動をおこなっている【本紙既報】。なお、現在は秋田県だけであるが、低カドミウム米は今後全国で展開されていく計画で、どの地域も他人事ではない。今回、あきたこまちRの全面切替問題について、秋田県立大学名誉教授の谷口吉光氏に依頼し、この問題について寄稿してもらった。
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2023年3月、秋田県は2025年までにこれまでのあきたこまちの種子生産をやめ、土の中のカドミウムをほとんど吸収しないあきたこまちR(以下、こまちR)に全面切替すると発表しました。
今後、秋田県の農家は県庁が供給するこまちRの種子を作付けするしかなくなり、あきたこまちを作付けする場合には、自家採種もしくは県外の業者から買わなければならなくなります。
秋田県が方針を発表して以来、秋田県民、消費者、有機農業者、専門家の方々がこまちRの問題を訴えてきました。こまちRは食べて安全なのか。どういった問題を含んでいるのか。私は遺伝子組み換えやゲノム編集の専門家ではありませんが、以下のような理由から、こまちRの全面切替は大変問題の多い政策で、撤回すべきだと思っています。
1.「あきたこまちRはあきたこまちと同じように安全だ」という県の説明には無理がある。
秋田県のホームページには、こまちRの安全性について、次のように書かれています。
4 放射線育種により育成された「コシヒカリ環1号」の安全性について
放射線育種された品種のお米は、生育中の水稲や収穫後のお米に直接放射線を照射しているものではなく、育種の最初の段階で、一度だけ放射線を照射して突然変異を起こさせたものです。その後、農業上有用な性質を持った個体を何世代も選抜しているので、新しい品種として登録されるまでには、何年も経過しております。したがって、お米に放射線が残っていることはなく、もちろん自ら放射線を出すものでもありません。自然界でも宇宙線や大気、大地などからの自然放射線で突然変異が発生しています。放射線育種は、このような自然放射線による影響と同じ種類の効果を放射線の照射によって短期間で得る手法で、お米だけでなく野菜や果樹など様々な品目の育種でも使われています。
コシヒカリ環1号も、この技術で育種された品種であり、従来の手法で開発されたお米と同様に安全なものです。(引用おわり)
この説明には、少なくとも二つの問題があります。
第一に、こまちRの安全性で問題になっているのは、放射線が残っているかどうかではなく、放射線育種によって遺伝子が変えられてしまった(形質改変された)ことの危険性だからです。ところが、県は遺伝子の形質改変の危険性については説明していません。これは議論をすり替えたといわれても仕方がありません。(放射線育種の安全性については、こまちRに使われた重イオンビーム照射はガンマ線照射より遺伝子を傷つける力が格段に強いという指摘があります)。
第二の問題は、食の安全に対する消費者の不安をまったく理解していない点です。食の安全・不安についてはさまざまな立場の違いがあります。重イオンビームを放射されて形質改変されたこまちRを安全だと思う人もいれば、病気やアレルギーや環境などを考えて、こまちRを食べたくないと思う人もたくさんいます。こまちR導入に当たっては、遺伝子改変に不安を感じている人がいることを尊重するべきです。ところが県の説明は「従来の手法で開発されたお米と同様に安全なものです」と決めつけた一文だけです。まるで「この説明で納得しない人は相手にしない」と決めつけているように感じますし、とても県民の不安に寄り添う姿勢とはいえないでしょう。私には、科学を振りかざして「安全性を押しつけている」としか思えません。
どんな技術にも100%確実はありません。農薬や食品添加物の歴史を見ると、国が「安全だ」と言って導入したあとで「やはり危険でした」として禁止するという事例がたくさんありました。多くの県民はこうした歴史を知っています。だから、県が「こまちRは安全です」といっても、「そんなことを言ったって、あとで危険でしたというのではないか」と思っています。
農業県秋田の県庁が、食の安全性に対してこのような鈍感な感性しか持ち合わせていないのかと思うと、情けない気持ちで一杯です。
2.生産者や消費者が「あきたこまち」を選ぶ権利を保障すべきである。
「こまちR全面切替」という秋田県の方針は、生産者がこれまでのあきたこまちを作付けしたいと思っても、消費者がこれまでのあきたこまちを食べたいと思っても、秋田県は種子を提供しないという意味です。
結果的に、生産者はこれまでのあきたこまちを作付ける権利、消費者はあきたこまちを食べる権利を奪われることになります。県は「自家採取は認める」と説明していますが、自家採取を続ければあきたこまちの形質を維持するのは難しいといわれています。なぜこんな乱暴なことをするのでしょうか。こまちRをどうしても導入したいのであれば、全面切替ではなく、これまでのあきたこまちの種子生産も継続する部分切替で十分ではないでしょうか。そうすれば、生産者や消費者の権利は守られます。なぜ部分切替ではダメなのでしょうか。
部分切替を行う場合には、こまちRの米は、これまでのあきたこまちとはしっかり区分管理して流通させ、販売される時には「あきたこまちR」としっかり表記するべきです。きちんと表記しなければ、こまちRに不安を感じる消費者の選ぶ権利は保証されません。県はこまちRの安全性に自信を持っているようですから、カドミウム対策に有効なお米として堂々と販売したらいいと思います。
3.他のカドミウム米対策と比べて、こまちRがなぜ優れているのかを明らかにするべき。
こまちR全面切替の理由として、県は「カドミウム対策に有効だからだ」と説明していますが、次の3点の理由で、この説明には説得力がありません。
第一に、カドミウム汚染水田が県内の農地の数%だとすると、「なぜ数%の水田のために秋田県全体をこまちRに切り替えなければならないのか」という素朴な疑問が生まれます。残り97%の水田を作付けしている生産者からすれば、「なぜ自分たちまでこまちRを作付けしなければならないのか」と感じるでしょう。3%の水田だけにこまちRを作付けして、それを区分管理して販売すれば済むのではないでしょうか。
第二に、カドミウム汚染土壌に対する対策は、こまちR以外にもあるだろうという点です。「カドミウム汚染農地の米作付けを止める」というのはひとつの選択肢でしょう。こまちRの問題を指摘している印鑰智哉さんは「カドミウム汚染対策を鉱山会社や国の責任で進めるべきだ」と訴えていますが、実現は難しくても、汚染者負担の原則から考えて筋は通っています。こうした他の対策ではなく、こまちRでなければならないかを県は説明すべきです。
第三に、全国に目を向けると、国は国内で栽培されている主要な米の品種をすべて放射線育種米に転換しようとしていると聞きました。これはこれでとんでもない計画だと思います。もし国が本当にそんな計画を進めているなら、こまちR全面切替は秋田県だけの問題ではないことになります。なぜ、国はそんなことをしようとしているのかきちんと説明すべきですし、秋田県はなぜ全国に先駆けて放射線育種米に全面切替しようとするのかという疑問に答えるべきです。
4.こまちR全面切替には生産者にも大きなリスクがある。
もう一つ重要な問題は、こまちRを消費者は食べてくれるのかということです。このことは生産者のリスクに関係します。こまちRに全面切り替えるという以上、県はこまちRが確実に売れるというデータを示すべきです。たとえば、大規模な消費者アンケートを実施して、「大部分の消費者がこまちRを食べたいと思っている」という結果を示すべきです。そうしたデータなしに、どうして生産者にこまちRの作付けを説得できるのでしょうか。
全国で秋田県だけが重イオンビーム照射線育種米に切り替えるということにより、お米が売れ残るリスクがあると考えられますが、補償はどう考えているのでしょうか。
またこまちRは、マンガン吸収能力が低下していることから、低マンガンの水田において出穂期の高温で大幅な減収となるリスクが指摘されています。このことを問うと農水省は、「マンガン肥料を施用することで回避することができます」と回答したのですが、その場合、費用は誰が負担するのでしょうか。この減収リスクにも誰も答えていません。
さらに食味の問題があります。これまで県や国はこまちRと従来のあきたこまちの味は同等だとしてきました。ところが、大潟村では実際に生産者が試食したところ食べた全員が「味が違う」と感じたといいます。どのお米も全国で多様な炊き方をされていますので、炊飯米で「味が違う」と感じる消費者が出てくる可能性はおおいにあります。
味が変われば選ばれなくなる可能性もあるのですが、県や国は「味は変わらない」というだけでこの食味リスクに対しても誠実に向きあっていません。
秋田県の決定によって生産者がリスクを負わなければならなくなりますし、これは死活問題です。これらの原因は農研機構が開発し、農水省が推進した「コシヒカリ環1号」にあると考えられますが、どのように責任をとるつもりでしょうか。こうした生産者のリスクについては9月の院内集会において農水省に質問しましたが、リスクについては「生産者の自己責任で、農水省は補償するつもりはない」との回答でした。
消費者がこまちRを食べない(買わない)なら、生産者は栽培しないでしょう。2年後、売れないこまちRの種籾が山のように積まれ、農家は自家採取するか、県外で生産されたあきたこまちの種を購入して栽培するという漫画のような光景が目に浮かびます。このような事態にならないという根拠を県は示すべきです。
5.こまちR全面切替はあきたこまちのブランドを失墜させる可能性がある。
私の個人的意見を言えば、ほとんどの人はこまちRを食べないと思います。なぜなら、いくらカドミ対策だと言っても、いくら安全だと言っても、「今までおいしく食べてきたあきたこまちがあるのに、なぜこまちRを食べなければならないのか」という疑問に答えられないからです。逆にいえば、これまでのあきたこまちを食べている全国の人たちはあきたこまちをおいしくていい米だと思っているのです。それなのに県は「こまちRはあきたこまちと同じように安全だ」という一言で、あきたこまちを見捨てようとしています。これまで私は「こまちRに全面切替する県には優しさがない」「愛がない」という意見を何度か聞きましたが、それは当然だと思います。「あきたこまちを大事に育てて全国屈指のブランド米にしたのは秋田県なのに、なぜ県はあきたこまちを見捨てるのか」という消費者の素朴な声に県はどう答えるのでしょうか。
いうまでもなく、あきたこまちは長年かけて築き上げた全国屈指のブランド米です。しかし、こまちR全面切替は、県が公式にあきたこまちを見捨てたことを意味します。この農業県秋田のイメージを失墜させ、秋田のお米の販売に計り知れない悪影響を与えると思います。
なぜそんなリスクを冒しても、こまちR全面切替に固執するのか。カドミ対策というのであれば、得るものに対して失うものがあまりにも大きな「賭け」のように私には思えます。
6.以上の理由で、こまちR全面切替に反対します。
以上の理由から、私はこまちR全面切替に反対します。県は次のような選択をとるべきだと思います。
第一の選択肢は、「こまちR全面切替を撤回する」ことです。すでにこの論争は全国の関係者が注目しています。全面切替に執着して、議論が長引けば長引くほど、あきたこまちや農業県秋田のブランドの傷が大きくなるでしょう。これ以上傷が大きくなることを避けて、潔く撤回するのが賢明だと思います。
第二に、どうしても全面切替にこだわるなら、三つの条件をつけたいと思います。
一つめは、4で述べたように大規模な消費者アンケートを実施して、消費者がこまちRを食べてくれるというデータを示すことです。
二つめは県民誰でも参加できる公開討論会を開催して、この問題の是非を議論してもらうことです。(討論会のパネラーに推進派だけを選ぶことがないようにして下さい)。
三つめに、こまちR全面切替に関する県民アンケートを実施して、県民の多数がこまちRを支持するというデータを示すことです。県があくまでも全面切替をするというのであれば、この条件をクリアしたうえで検討を続けたらいいと思います。
最後に、私が秋田県立大学の教員であるので県の政策を批判して大丈夫なのかとよく聞かれます。私は、むしろこの政策は県がまったく間違っていると思っています。だから止めなければなりません。私が秋田県立大の教員だからこそ止めなければならないと思っています。
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たにぐち・よしみつ 1956年東京生まれ。上智大学大学院修了。博士(農学)。秋田県立農業短期大学を経て、2006年から秋田県立大学生物資源科学部生物環境科学科教授。2020年から日本有機農業学会会長。NPO法人民間稲作研究所理事。専門分野は環境社会学、有機農業研究、食と農の社会学。著書に『有機農業はこうして広がった』(コモンズ)、共著に『有機給食スタートブック』(農文協)など。