いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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横行する国や企業の恫喝訴訟 被害者面し住民を犯罪者に 下関安岡洋上風力でも

 下関市の安岡沖に洋上風力発電15基の建設を計画する前田建設工業(本社・東京都千代田区)が、風力発電建設に反対する地元住民や漁業者を次次とスラップ(恫喝)訴訟にかけて市民の怒りを呼んでいる。環境ビジネスによる利潤追求を目的に、東京からやってきた大企業が、まるで被害者面をして法廷に住民たちを引きずり出し、環境調査の阻止行動を「威力業務妨害」「器物破損」だとして、刑事告訴や1000万円をこえる賠償をともなった民事訴訟を起こしているからである。地域住民の暮らしや生業の場である海を守ろうとする地元の人人が、いつの間にか犯罪者のように仕立て上げられ、とても支払えないような法外な金銭を要求され、企業側が恫喝を武器に反対運動を鎮圧していく。「法律」をかたってヤクザのような真似をするものだから、「東京の大企業はこんなことばかりやっているのだろうか?」と驚かれている。アメリカばりの訴訟社会の到来が叫ばれて久しいが、全国的にはどうなっているのか、近年の事例を見てみた。
 
 安岡沖風力の地裁判断に注目

 権力者や企業など組織的な力のある者が、立場の弱い一般市民やジャーナリストに対して、自分たちの都合の悪いことを黙らせること、力ずくでねじ伏せていくためにおこす訴訟をスラップ(恫喝)訴訟という。スラップをしかける側からすれば、その事実がどうであろうと関係なく、民事訴訟を起こした時点で成果があり、相手を金銭的、時間的、精神的、体力的に消耗させるというものだ。決して最近始まったことではないが、2000年代に入ってからとくに大企業や国などが自分たちの行為を「妨害する」ものすべてを手当たり次第に訴訟という手法で恫喝し、横暴を働く流れが跋扈(ばっこ)している。
 この数年間、全国で起きているいくつかの事例をあげてみると、2012年、元経産相の甘利明(現・TPP担当相)が、福島原発事故問題をめぐる放送でテレビ東京とその記者を提訴している。これは、福島原発事故をめぐって原発建設を推進してきた自民党政府の責任について、自民党関係者に質問を投げかけたもの。津波対策について問われた甘利氏が、「地震は想定していたが、これまで津波の想定はしたことがなかった」と取材に対してのべた。そこで取材陣が原発事故が起きる数年前に、野党が原発施設に津波の想定がないことを指摘していた資料を見せたところ、甘利氏は取材を拒否し取材は中断となった。それがテレビではそのまま放映された。甘利氏の怒りは、報道のねつ造や歪曲などではなく、自分がとった行動をありのまま放送されたということに対するものだ。2012年8月におこなわれた東京地裁の場でも甘利明が「あんなものを放送されたら私の政治生命は終わりだ」とのべたことが明らかにされており、記者に対し損害賠償1000万円と謝罪放送を求めている。
 30年以上にわたって原発建設阻止がたたかわれている山口県熊毛郡上関町では、2009年建設工事着工を強行しようとする国に対して、上関や周辺地域の人人が体を張った抗議行動を建設予定地の田ノ浦でおこなった。中国電力は、祝島島民2人とシーカヤック隊2人の計4人に対し、損害賠償4800万円を請求する民事訴訟を起こした。これは、同年11月に建設予定地である田ノ浦で「工事」を強行しようとしたことに大勢の人人が抗議し、その行動によって工事が進められなかったとし、工事が中断した11日間に生じた「損害」として損害賠償4800万円を請求。しかし、4800万円の根拠が明らかになっていないばかりか、公判が進むなかで損害賠償は3900万円に減額されるなど、極めていい加減なものだった。目的が損害回復ではなく恫喝であったことを暴露している。
 そもそも中電が着工できないのは、住民の抗議行動が理由ではなく、祝島の漁業権放棄の同意が得られていないことにある。そうした裏事情を隠して「着工」騒ぎを演じたのは、公有水面埋立許可から何年も経過するのに何ら手つかずであり、何もしなければ許可がとり消されるという中電側の事情があった。それで着工するかのように見せかけ、ついでに抗議した人人を訴訟にかけて恫喝を加えたのだった。上関原発の予定地は、祝島の漁業権が消滅していない現状では埋め立てなどできない。仮に埋め立てたなら、漁業権侵害で多額の損害賠償を求められるのは中電だ。それがわかっているから手をつけられなかったものが、「住民の抗議行動」によって困難なのだと話をすり替え、しかも猿芝居に動員した作業員の日当や経費まで住民に吹っかけるというデタラメである。
 現在辺野古新基地建設に反対する世論が圧倒する沖縄では、2007年に大きな県民の行動となったヘリパッド建設阻止のなかで、予定地である東村・高江の住民を国が訴えるという前代未聞の暴挙が起こった。
 2007年、米軍オスプレイ専用のヘリパッドを東村・高江に建設する計画が浮上し、住民の反対におかまいなく国は建設工事を強行しようとした。これに対し、住民の体を張った座り込みが連日おこなわれ、大規模な実力行動が全国的な注目を集めた。これに対し2008年、防衛局は子どもを含む住民15人に通行妨害禁止などを求めた仮処分を那覇地裁名護支部に申し立て、2009年12月に一審・那覇地裁判決はこのなかの2人が「両手を高く上げた」ことが「妨害行為」にあたるとして、2人に対して通行妨害禁止を命令。2013年6月の二審・福岡高裁那覇支部もこれを支持。住民側は、抗議行動は基地のない平和な地域で暮らすための正当な行為であることを主張し、この判決は、「表現の自由を保障する憲法違反」であるとして上告した。
 しかし2014年6月、最高裁はこの上告を「憲法違反にはあたらない」と棄却し、「妨害禁止」を命じた判決が確定した。

 悪党が自己防衛で訴訟

 その他にも出版社やフリーライター、ジャーナリストに対する恫喝訴訟は頻繁に起きている。
 2011年6月、ユニクロを展開するファーストリテイリングが、文藝春秋に掲載されたブラック体質に迫る記事や発行物を「名誉毀損」にあたるとして、発行差し止めと回収、謝罪広告掲載と2億2000万円もの損害賠償を求めて東京地裁に提訴したが、2014年12月9日に敗訴が確定している。これは、2010年と2011年に出された記事や出版物のなかで、ユニクロの長時間にわたるサービス残業などの実態とその事実を知りながら黙認している会社について批判したものだった。東京地裁では掲載された内容の信憑性も高いことが確認されたうえでユニクロ側の全面敗訴となった。
 さらに、「オリコン事件」といわれているのが、オリコンチャートと芸能プロダクション・ジャニーズの「蜜月関係」について掲載した雑誌のコメントについて、「名誉毀損」にあたるとオリコンが5000万円の損害賠償を求めたもの。しかも被告は出版社ではなく一人のジャーナリストだった。これについては東京高裁でオリコンが請求放棄を申し出て、ジャーナリストも反訴を放棄したが、オリコン側がこの請求が理由なき訴訟であったことを認めるものとなった。結局、掲載した雑誌出版社が全責任を負うことが確定している。
 また、消費者金融大手・武富士は、同社と警察組織との癒着を掲載した月刊誌の一記者に対して億単位の損害賠償を請求するなど、各方面で出版社やフリーライターに対して恫喝訴訟をくり返したことで知られる。しかしその複数で敗訴が確定している。その他、ワタミなどもブラックぶりを暴露した関係者を提訴している。悪党が自己防衛のために反射的に訴訟を起こすのも特徴で、そうでもしなければ事実と認めることを意味し、正しいか正しくないかなど関係がない。そのことによって社会に対してはみずからの正当性を叫び、相手に対しては弁護士費用など金銭的にも精神的にも追い詰めて嫌気がさすように追い込んでいく。

 弱い者守らぬ民事裁判

 そんな大企業の真似事をして、敗訴した企業もいる。長野県伊那市において大規模太陽光発電所の建設をめぐってくり広げられてきた訴訟の判決が先月出た。同県伊那市内の地元建設会社が建設に反対する地元住民に対して6000万円の損害賠償を求めた民事訴訟だったが、あまりに乱暴なスラップ訴訟だったため企業側が逆に敗訴した。
 同社は予定していた発電施設の縮小を余儀なくされたとして、反対集会で発言した男性1人に対し6000万円の損害賠償請求を求めていた。同社が主張する、「男性による誹謗中傷」とは、説明会の場で「なにかあったときに直接被害を被るのは私たち住民だ。それをどう考えるか」との発言のようで、それを口実に6000万円の損害賠償を請求していた。男性は、これは反対意見を抑えるための恫喝訴訟だと反訴し、住民も「支援する会」をつくり男性を支援した。判決では同社の主張について「住民が反対意見や質問をのべることは当然であり違法性はない」とし、「男性は工事への妨害もしておらず、言動に不当性があるとは考えにくい。個人に多額の損害賠償を求めており、被害回復が目的の提訴とは考えにくい」と批判したうえで、逆に男性が同社に求めた慰謝料200万円のうち50万円の支払いを命じた。
 裁判所がこのような判決を出すことは珍しく、判決が喜ばれる一方で、多くが恫喝を目的としながらまるで正当性があるかのような装いでやられるのも特徴で、日本にはスラップ訴訟を防ぐ方法がないことも明らかとなっている。提訴する側が被告を自由に選べること、提訴の段階でその内容についての精査がなく正当性のまったくない訴訟が進行していくことなど、日本の民事裁判が弱い立場にある者を守るようにできていない構造も浮き彫りになっている。
 安岡沖風力の例を見るまでもなく、権力や財力のある者がまことしやかな理由を並べて「法律」を弄び、局部の瑕疵(かし)を突っついて法外な損害賠償を吹っかけ、反抗する者や抵抗勢力を叩きつぶしていく手法が横行するようになった。「法律」はまさに支配の道具として駆使されている。安倍晋三に至っては権力を持っている者が「法律」の解釈を変更するのも好き放題といった調子で「法の支配」を説くから笑えない。
 なお、首相のお膝元でくり広げられている安岡沖洋上風力を巡るスラップ訴訟の場合、住民は機材を返却しただけであって、そもそも「1000万円の損害」そのものが意味不明である。機材の損壊をその場で皆で確認したわけでもなく、後から何者かが破壊して「壊れた!」「弁償せよ!」と主張している可能性すら拭えない。しかも、前田建設工業は風況調査のための機材内部にICレコーダーを取り付け、住民たちの会話を録音するなど、はじめから裁判に引きずり出して嵌(は)めるつもりだったことは歴然としている。警察なら“おとり捜査”は違法であるが、はじめから裁判にかける意図を持った者が裁判にかけ、1000万円という高額な損害賠償を求めているのである。状況証拠も含めて誰がどうやって壊したのか立証するのは困難と見られているが、こうした狙いすました恫喝訴訟について、地裁下関支部がどう判断を下すのか重大な関心が寄せられている。

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