大量生産大量消費の産物
「飽食の時代」といわれ、世の中には食べ物があふれている。国産の農産物に加えて商社が輸入してきた食料品がスーパーやコンビニなどの流通に乗って全国津津浦浦の店舗に届けられ、毎日大量の消費を満たしている。ところがあまりにもあふれすぎて、大量生産・大量消費のはずが大量廃棄につながっている。一方で毎日の食事も満足にできない貧困家庭が増え、「おにぎり食べたい…」と餓死していく事件も起きているなかで、日本国内では年間1700万㌧もの食品廃棄物が排出されている。魚のアラなどを含めると2801万㌧にもなる。そのうち、まだ食べられるのに捨てられている「食品ロス」は642万㌧にもなるという。「捨てるくらいなら生命をつなぐために役立てれば良いのに」と感じている人も少なくない。「食品ロス」の実態はどうなっているのか、下関市内で取材した。
飽食の時代と貧困蔓延の矛盾 コンビニでは毎月100万円分廃棄
身近な所で「食品ロス」の代表格といえるのがコンビニだ。乱出店とも相まって、いつでもどこにでもあり、お腹が空けば足を運び、喉が渇けば足を運び、気付いたら毎日通っているほど常習性が身についている人も多い。
下関市内のあるコンビニでは、毎月100万円分の廃棄が出ているという。1日にすると3万~4万円。弁当の値段が一つ500円と考えた場合、1日に60~80個もの弁当を廃棄していることになる。店の関係者は「月に80万円の廃棄が理想だ。これでも多すぎると思うかもしれないが、これ以上廃棄を少なくしようと思うと仕入れが少なくなって、売り場がガラガラになる。品揃えが悪い店という印象が付くとお客さんが来なくなるため、これ以上売れないとわかっていても仕入れないといけない。もったいないが、そうしないと生き残っていけない。コンビニの仕事をしていると、食べ物を食べ物と思わなくなってくる。最初はもったいないと感じていた廃棄もだんだんと作業的なものになってくる。各地でNPOを通じて廃棄を貧困層に回す活動も始まっているが、とにかくもったいない」と話していた。
別のコンビニでも毎日2万~3万円分の廃棄が出ていると関係者は明かしていた。1カ月にすると約60万円、多いときで100万円に上る。オーナーは「廃棄はない方がいいが、品数が少ない店という印象がつくとお客さんは離れていく。コンビニ経営で生き残っていくには廃棄を出さないわけにいかない。必要悪という感じだ」と同じように口にしていた。
別のコンビニの関係者は、「コンビニの仕事をしていると、普段家庭では絶対に捨てないような、まだ食べられる食品をどんどん捨てていくから感覚がおかしくなる」と話した。そのコンビニでは店舗でコメを炊いて、その場で弁当に詰めるのを売りにしているが、コメも炊きあがって数時間経てば捨てなければならない決まりがある。「まだ食べられるのに…と思うが、臭いがついてしまって一度評判が悪くなるとお客さんが離れてしまう。家だったら冷凍して保存しておくが、そんなことをしているときりがない。廃棄が出るのがもったいなくてもう少し仕入れを少なくしようと思っても、本部のマネージャーからは“もっと仕入れて下さい。仕入れないとお客さんは来ない”と発破をかけられる」と語った。
コンビニやスーパーでは毎年、クリスマスケーキ、おせち、恵方巻きなど行事にあわせてさまざまな商品が販売されている。最近では「26万円の廃棄」「恵方巻きの廃棄84個」など、売れ残った恵方巻きの大量廃棄がネットで話題になっていたが、できるだけ廃棄を少なくするために各店舗で事前予約をとり、おおよその売れる個数を計算して、それに当日販売の分を上乗せして発注しているという。
コンビニ各店舗は想像以上に大量の廃棄物を出している。その金額は決して小さいものではない。しかも廃棄分はオーナーが金を払って本部から仕入れたものであり、さらに廃棄にかかる月に1万5000円~1万8000円ほどの経費もオーナー負担となっている。本部の腹は痛まない仕組みだ。毎月50~100万円もの商品を廃棄しなければならないオーナーたちの気持ちも複雑なものがある。自分で買いとって、自分で捨てなければならない絶対的なルールがあるからだ。
セブンイレブンの場合、表示されている消費期限の2時間前には商品がレジを通らなくなる仕組みになっており、店員が消費期限が近くなった商品は棚から下ろし、次次にバックヤードに運んでいく。消費期限が近くなった商品を値下げして売ることも許されない。制限時間がくれば、まだ食べられる物であっても売り場から撤去しなければならない。「もったいない…」とは思いつつ、ゴミとして処理しなければならない仕組みになっている。他のコンビニも似たようなもので、バックヤード行きになったものを段ボールに詰め、ゴミ収集業者が裏から運び出していくようになっている。
食べられる物がゴミに 関係者の共通の悩み
スーパーではできるだけ売りさばくために、賞味期限が近くなったものなどは半額などにして売るため、コンビニに比べると廃棄が少ない。関係者の男性は「タダに近い値段でも売った方が廃棄にかかる経費も削減できる」と話す。それでも市内のあるスーパーでは毎日、肉屋で45のゴミ袋に2~3袋の肉が捨てられ、惣菜屋でもだいたい2袋分の廃棄が出ているという。
ゴミ収集業者の男性は、毎日さまざまな業者の所にゴミの収集に行くが、一番食品廃棄が多いのがコンビニだと語る。売上の多い所ほど廃棄の量も多く、あるコンビニでは、多いときに1日100㌔~200㌔くらいの弁当やおにぎり、サンドイッチなどの廃棄が出ているという。「普段は1日に1回の回収だが、夏場などは追いつかずに朝と夕方の2回回収に行くこともある。弁当などは段ボールに重ねて入れられていて、まだ食べられるのに…と思いながらもパッカー車にどんどん放り込んでいる。コンビニの店員ももったいない…といつもいっている。少ない所でも最低で1日に50㌔~60㌔はある」と話した。
ファミリーレストランでも、1日に約100㌔前後、ディスカウントスーパーでも平均100㌔前後、多いときで200㌔近くの廃棄が出ており、ある商業施設では毎日150㌔~200㌔の廃棄物が出ているという。それらを回収して焼却施設の奥山工場へ運ぶ。奥山工場には、毎日約350㌧ものゴミが市内中から運び込まれている。
「貧困によって食べる物にも困る人がいる一方で、毎日大量のまだ食べられる食品が捨てられているというのは本当におかしい。コンビニのオーナーも売れないとわかっていても本部に商品を押しつけられているような状態だ。都会の方では本部が廃棄を引きとっているところもあるようだが、下関は食品リサイクルに関しては遅れている。ペットボトルやプラスチックゴミのリサイクルはされているが、本当はそんな物より食べ物の廃棄の方が何倍も多い。なんとかならないのかとゴミ業者もみんなが話している」と語っていた。
誰もが「もったいない…」と思いながら、食べ物がゴミとして捨てられる。世界的には飢餓人口が問題になり、また国内でもおにぎり一つが食べられずに餓死する者がいたり、夕食を4玉100円のうどんで済ませる子どもがいるというのに、全国では毎日何万個ものおにぎりや弁当、サンドイッチや総菜が一直線にゴミ焼却場へと吸い込まれていく。お腹を空かせた者の口には入らず、制限時間を過ぎてカネにならなければ燃やされていく。しかも厳密に見てみると、腐っているわけでも何でもない。食品衛生の厳しい基準から見て、生産工程から数えた一定の時間を過ぎているか否かというだけである。
廃棄カツの横流しで注目された壱番屋では、2014年~15年にかけて58万3000枚のカツを廃棄していた実態が明らかになったが、1工場につき年間約30万枚、1日当り約1000枚のまだ食べられるカツを製造段階で廃棄していた。横流しの問題はあるにしても、そのカツを口にして食中毒になった人はいなかった。食品廃棄物についてはゴミか否かを厳密に見たとき、往往にしてゴミとはいえないようなケースも多分に含まれている。諸外国に比べて日本の食品衛生基準が厳しく、賞味期限が短いことから起きている矛盾だ。
貧困が社会的な問題としてとりあげられるなかで、近年ではフードバンクのとりくみも広がっている。品質には問題ないものの、包装不備などで売れなくなった食品をNGO・NPOなどを通じて生活困窮者などに寄付するというものだ。下関でも来月からフードバンクを立ち上げる動きが始まっている。現在、フードバンク山口が農家からもらったコメや野菜、卵などを児童養護施設などに届けている。関係者の女性は「毎日のように大量の食品が廃棄されている一方で、食べる物にも困っている家庭がある。そんな家庭の子どもたちを少しでも救いたい」と語っていた。
「子どもの貧困」問題は深刻で、厚生労働省の調査によると最低限度の生活を保てないとされる統計上の境界「貧困線」(親1人子1人の場合は173万円、月額約14万円)以下で暮らす子どもの割合は16・3%に達し、6人に1人が貧困状態にある(2012年)。下関には約1万9000人の小中学生がいるが、そのうち約3000人が貧困状態にあるといわれている。「今は昔のようにボロの服を着ているわけでもないし、貧困家庭というのが表に出てこない。それでも1日の食事が給食だけという子どももいる。企業と連携して、そんな子どもたちに食品を届けられるようなシステムをつくりたい。将来的には子ども食堂などもできるといい」と関係者は話していた。
大量生産・大量廃棄の歪んだ構造を改めること、食べ物が人間の生命をつなぐ役割を持っている以上、必要とされる量が必要分ほど社会に供給され、大切に消費していく構造が求められている。現状では、「食べ物を粗末にするな」「バチが当たる」と教えてきた先人たちから見て激怒するような状況が広がっている。食料は商品というだけにとどまらない。人間の生命を維持するために必要不可欠なものとして扱うことが求められている。