元日の震災からの復旧作業が続く石川県能登半島が21、22日、線状降水帯の発生による記録的大雨に見舞われ、奥能登の各地で大規模な河川氾濫、土砂崩れ、住宅浸水が発生した。震災から約9カ月、荒廃した被災地で必死になって、壊れた家や事業所を修理し、あるいは避難所からやっと仮設住宅に入居して生活再建に踏み出した矢先、ふたたび苦しみのどん底にたたき落とされる惨事となった。震災からの復旧が遅れ、崩れた崖や護岸も応急処置段階にとどまる一方、人々に対する公助を打ち切り「自立」を促してきた最中の被災であり、あらゆる点で複合的な災害といえる。なによりも震災を生き延び、歯を食いしばって地元の再建に望みを繋いできた人々にさらなる苦痛と絶望をもたらしており、国や行政による大胆な財政措置に加え、被災者への手厚い保護と支援が急務となっている。
能登半島を襲った大雨は、20日夕方の降り始めから23日夕方までの降水量が輪島市で508㍉、珠洲市で398・5㍉となり、両地点での総雨量はいずれも9月の月降水量の平均値の2倍をこえた。崖崩れや道路崩落によって輪島市、珠洲市、能登町の115の集落が孤立し、1088人が避難を強いられた。24日時点でも56カ所で集落の孤立が続いており、約3500戸で停電、約5000戸で断水となっている。25日までの死者は11人。現在も行方不明者の捜索が続いている。
さらに輪島市、珠洲市では、9つの地域で仮設住宅が床上浸水し、人々は再び住まいを失った。室内に水とともに土砂が流れ込み、避難所でも水や電気、食料が途絶した。
輪島市の男性(70歳)は、5月末に仮設住宅に入居して妻と娘の3人で暮らしてきたが、21日の大雨で付近を流れる河原田川が氾濫し、男性一家を含めて300人以上が暮らす仮設住宅一帯が完全に水没したという。
電話で状況を聞くと、「浸水の高さは床上80㌢。私も胸まで泥水に浸かり、家族3人が家の中を泳ぐようにして家の外に出た。寝る場所もないのでその晩は車中泊。震災後に仮設に入る前まで身を寄せていた妻の実家も今回の豪雨で土石流と一緒に流れてきた大木が直撃して住めなくなったため、今は被害が少なかった弟の家に間借りしている。それでも停電中なので、また震災直後と同じランタン生活だ。夫婦2人ならとっくに心が折れて気力を失うところだが、幸い娘が残って私たちを支えてくれるから、少し頑張ろうという気持ちになっている。ようやく落ち着いた生活が始まったばかりなのに…もうやけくそ笑いするしかないですよ」と話す。
元日の震災で自宅は全壊。5カ月間の避難生活を経て、仮設住宅に入るさい公的支援で買い揃えた冷蔵庫、エアコン、炊飯ジャー、電子レンジ、洗濯機、テレビなどの家電製品や家財道具はすべて水没した。部屋は壁まで泥に浸かったが、絶望感とたたかいながら家族で掃除しているという。
さらに、停電の復旧まで1週間から10日かかると伝達されており、冷蔵庫が使えないので食事もレトルト食品やカップラーメンで凌ぐほかない。震災後に営業を再開していた輪島市内の飲食店もふたたび休業に追い込まれ、営業中のスーパーも冠水。残った店に人が殺到したため、買い出しに行っても弁当やパンなどの食料品は手に入らない。住居を失った人々が水も電気も使えない避難所に身を寄せて夜露を凌いでいるという。
「これまで行政は“仮設住宅に入ったら2年後までに自立してくれ”といってきた。だが、家財も貯金もなくなった人たちがどうやってここから生きていくか。一人暮らしの年寄りも多く、水没した仮設住宅の泥かきや掃除も自力では不可能だ。“あとは自力で”といわれたら、みな県外に出て行くだろうし、命を失う人も出る。なんとかして公の力で片付けて、最低でも仮設住宅での暮らしが再開できるようにしてもらわなければ、私たちは生きる道を完全に閉ざされてしまう。落ち着いた生活ができるまで、これからまた何カ月かかるのか考えただけで気が遠くなるが、こういうときにこそ公の誠意を見せてもらいたい」と切実な思いを口にした。
この仮設住宅は、洪水の浸水想定区域に含まれていたという。住民たちは「入居するさいに“川が氾濫したら浸水するのではないか?”と聞くと、県の担当者は“前例がないから大丈夫”といっていた。市内にまとまった土地がないことはわかるが、浸水想定区域に仮設住宅を建てたのだから住民の“自己責任”ではないはずだ」と話す。そのうえ震災から時が経つとともに国も県も「支援の時期は終わり。今後は自立を」という姿勢を見せてきたため住民たちの警戒心は高い。
今後について「改めて別の場所に仮設住宅を整備する」という方針や「水没した仮設住宅をクリーニングして使う」という話も飛び交うなど情報が錯綜しており、被災者の不安を増幅させている。
輪島市は25日、今回の豪雨災害で「みずからの資力では住宅を確保することが困難な方」を対象に、仮設住宅への入居申請の受付を開始したが、住宅の被害度調査を経て罹災証明書の交付を受けなければならず、申請できるのは原則として「半壊以上」と認定された世帯のみ。被災時の居住地が仮設住宅であった場合は申し込みができないことになっている。
首相訪米し初動遅れ 水や食料も届かぬ現地
震災後から珠洲市や輪島市などで救援物資や炊き出しのボランティアをしてきた男性は、一時的に県外の実家に戻っていたが、能登豪雨災害の報を受け、パンや飲料水などを大量に購入し、被災者に届けたという。
「輪島市内に入る道路も土砂崩れで寸断されていたが、翌日に開通した。家や仮設住宅まで泥水に浸かり、寝る場所もない人たちが小学校や道の駅など、とりあえず屋根のあるところに身を寄せている。それでも水が出ず、炊事もできない。県がようやく800食の弁当を注文したが、配布されるのは24日からだ。遅すぎるし、数も足りない」と現場の窮状を語る。
豪雨災害発生時、土日で役所が閉じていたこともあって初動が遅れ、避難所に指定されていた公共施設も浸水して使えず、停電・断水のうえに、大量のヘドロが建物内に流れ込んでいるため衛生環境が悪く、容易に炊き出しもおこなえない。水が出なければ泥を流したり、手を洗うこともできない。現在は道路や建物内に堆積した汚泥が乾燥して固まり、風で砂埃が舞い上がるためマスクが必須なのだという。
「震災で無事だった家も泥に浸かったり、土砂に埋まり、震災後に貯金や義援金をはたいて揃えた家財道具も豪雨災害で失った。みんなショックで言葉もない。9カ月前の震災直後に逆戻りどころか、マイナスの状況だ。これを放置したらみんな心が折れてしまい、助かる命も助からない。高齢者は生きる気力を奪われるし、子どもたちからも笑顔が消えている。“頑張れ”といっても、頑張るための資金はどこにあるのか? みんな貯金もすべて底をついているのだ。民間ボランティアが呼びかけてお金をかき集めて救援物資を供給しているのに、なぜ国民から強制的にお金を集めている国がもっと早く手を差し伸べないのか」と憤りを口にした。
自衛隊も現場入りしているものの不明者の捜索・救助、幹線道路の啓開作業が主な任務であり、現状では炊き出しなどの生活支援はおこなわれていない。水や食料などの救援物資の供給、土砂で埋まった住居や生活道路の泥撤去などの仕事は、被災者自身もしくはNPO・NGO、ボランティア頼みという状況だ。だが、豪雨災害の復旧作業のために県を通じて派遣されたボランティアは1日40人余り。圧倒的に数が足りない。現地では震災後から県外から集まって復旧作業に従事してきた有志のボランティアたちが、過酷な状況下、限られた人数で土砂の撤去や清掃作業に汗を流している。
男性は「能登では震災の復旧業者も宿泊場所がなく、民家を借り上げて宿舎にしていた。その民家さえも水害の被害を受けており、このままではみんな引き上げてしまうのではないかと心配している。今この瞬間にどれだけ手を差し伸べるかで、能登の人たちの運命が決まってしまう。時間との勝負だ。政府や政治家たちは今、総裁選の票集めをしている場合ではないし、首相も米国に行っている場合ではない。おとなしかった能登の人たちからも怒りの声が上がり始めている。このままでは能登の人たちは国を恨むと思う」と話した。
輪島市内では数十もの集落で1000人近くが孤立し、現地からは23日になっても「水や食料などの物資が届かない」とSOSが続いていたが、総裁選まっただ中の自民党政府は閣僚会議も官房長官会見も開いていない。もうじき任期が終わる岸田首相は豪雨災害が起きた21日から米国に外遊に出ており、「石川観光のPR」と称して米国の旅行業者と輪島塗の杯で日本酒を飲むセレモニーをおこなう様子を発信。首相代理である林官房長官は「必要とあらば予備費を活用して万全を期す」というものの初動から動きは鈍い。食料や救援物資のプッシュ型支援すらおこなわれていない。
復旧遅れが被害増幅 口先だけの「安全保障」か
珠洲市でも市役所がある市街地で河川が氾濫して多くの家や店舗が浸水したほか、半島北部に点在する集落では河川氾濫や土砂崩れが発生し、道路が寸断されて住民たちが孤立した。
珠洲市内に住む男性は「ようやく仮設住宅に入ったのにまた震災直後に逆戻りだ。やっと仮設住宅への入居が決まり、引っ越しの日に浸水してしまったという人たちもいる。この地域では、震災ガレキの撤去が手つかずのまま放置され、用水路が半分埋まっていたので、降雨量に対して排水が追いつかず、あっという間に道路が川のようになった。断水して、仮設の浄化槽も壊れているのでトイレも風呂も使えなくなり、市が工事用の仮設トイレを一つ置いていった。応急処置した水道管が破損したためか、水道が出る地域でも計画断水も予定されているが、住民には事前予告もない。市政もパンクしているのだ」と話した。
「自衛隊の風呂支援も終了し、支援が先細りしているなかでの被災だった。知人の事業所でも地震で建物が無事だったので県の“なりわい補助金”で機械を修理したのに、今回の豪雨で浸水して打ちひしがれている。国や県市は、震災での教訓をどれだけ生かしているのだろうか。こんなときに“国が復興を後押しするから心配するな”“予算を付けるから安心しろ”と一言いうだけでどれだけ励まされるか。それなのに総裁選では支援策の一つも話題に上がらず、あいかわらず“中国の脅威がどうのこうの”といっている。国民のことなど何も見ていないんじゃないか」と失望感を滲ませた。
避難所への炊き出し支援をおこなっている男性住民は、「孤立した大谷地区や三崎地区などの沿岸集落は壊滅的で、一般車両では道路の通行も難しくたどり着くこともできない」と状況を語った。
地震で壊れた家屋や道路が放置されていたため、それらが豪雨で押し流され、道路や橋が崩落。避難所では水や電気が使えず、ガス釜などの機材もなく、そもそもヘドロの臭いが充満して炊事ができる状態ではない。そのため市内で衛生環境が比較的整った場所で調理したものを避難所に運んでいるという。
「孤立集落では店も壊滅し、残ったドラッグストアでも食料品は売り切れ。食べることを諦めたら終わりなので、調理師免許を持つ仲間たちで全国に支援を呼びかけて集まった食料品を避難所に運んでいる。震災直後も初動の遅れが問題になったが、今回も同じことがくり返されている」と指摘した。
また、給水タンクに水が溜まらず、風呂やトイレが使えない地域もあり、自衛隊の給水所まで水を取りに行くことができない高齢者も多くおり、「このままでは二次的な人的災害が起きる」と語られている。
石川県の馳知事は「ボランティアを大量投入する」とアナウンスし、民間ボランティアの志願を呼びかけているが、そのために必要なインフラや宿泊施設が整っているとはいえず、金沢から往復4時間のピストンではロスが大きく、限界があることは以前から指摘されていることだ。
国としては、自衛隊による民有地の土砂・流木などのかき出し、不要家財の運び出し、処分まで大規模におこなうことをはじめ、ボランティアに対しても交通費等を支給し、業者や復旧作業員を緊急雇用するなど、公的な財政措置を講じて人的資源を投入することが急務となっている。もはや一地方自治体だけで手に負えるものでないことは明白であり、国が責任をもって被災者の生活基盤を整備し、国民の危機に対して「先進国」たる国力を発揮することが求められている。このような未曾有の惨状を尻目に補正予算も組まず、首相は米国に卒業旅行、閣僚らは総裁選での票集めに興じ、我が身の心配ばかりしている政府の存在意味が問われている。