福岡大学で6日、平和を愛する福岡大学人の会が主催する大学の未来を考える講演討論会が開催され、名古屋大学名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授の池内了氏が「軍と学の接近と学問の自由~その歴史と今~」と題して講演をおこなった。その内容を紹介する。
今回は軍と学が急接近し、大学がそれに本格的に巻き込まれていく情勢にあるなかで私たちがどうとらえていくべきかを考えたい。これは大学に課せられた非常に大きな問題だ。私たち自身が大学とはどういうものであるのか、大学の研究者がどうあるべきか考えるなかで、市民に批判をあおぐというのが非常に大切だと思う。
軍と学の接近については、私も去年の四月頃まではあまり考えずにすんだ。しかし去年の四月ぐらいからデュアルユースという言葉がどんどん使われるようになり、防衛省からの競争的資金制度という概算要求が出るなど、いろんな動きが出てきたので、去年の4月から軍学共同に反対するアピール署名というのを立ち上げた。
歴史を調べてみると日本という国は特異な国だ。それが「普通の国」に変わりつつある。つまり日本国憲法で戦争の放棄を宣言した国であったのが、どんどん戦争ができる「普通の国」になりつつある。
日本は第2次世界大戦後、学と軍というのは一線を画していた。軍というものは初めはなく、1950年に警察予備隊というのができてから保安隊になり、そして自衛隊になった。自衛隊は自衛のためで軍ではないという人もいるが、首相が「我が軍が」というような時代だ。今の自衛隊あるいは防衛省は、軍として位置づけていると私は思っている。
昨年くらいから、直接軍と学、防衛省と大学という関係が、大学の現場に軍事研究という形で入ってくるようになった。それがどんどん時代とともに変わってきたということを話したい。
50年の学術会議決議 戦争目的の研究を拒否
1949年に日本学術会議が発足した。日本学術会議は声明で「わが国の科学者がとりきたった態度について反省し、今後は科学が文化国家ないしは平和国家の基礎である」という非常に格調高い宣言を出した。実はこのときから「科学者がとりきたった態度について反省し」という言葉に噛みついた人もかなりいた。なぜかというと「国家が戦争を始めた以上、国民である科学者がこれに協力するのは当然のことであり、なにが悪いのか」という。これと同一の心情は今でもある。国のいったことには従うべきだというふうに考える人は当然いる。
こういう議論もあったので、1950年に日本学術会議第六回の総会で「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明」という非常にはっきりとした決意の表明をした。つまり学術の世界では戦争に協力する、あるいは戦争を目的とするそういった研究はおこなわないと決めた。それはやはり平和憲法を日本はつくったのだから、学術の世界も平和主義でいこうとしたのだ。
しかし、とくに自然科学の科学者たちは研究費の問題が必ずついてまわる。その研究費の問題と軍事研究の問題がだんだん結びついていく。一九五一年に日本学術会議が科学者にアンケートをとっている。「過去数十年において学問の自由が最も実現されていたのはどの時期であったか?」。そのときに一番多い回答が「太平洋戦争中であった」という回答であった。学問の自由があったのが太平洋戦争中であったという。
これは何を意味するのか。客観的には科学動員がおこなわれ国策に従った軍事研究をやらされたはずなのに、学問の自由が実現されていたと答えている。おそらく、研究費が非常に潤沢であったというのが、一つの要因であると思われる。「研究費の量=学問の自由」ということで統治されていた。この問題は現在も共通する。
日本の学界はこのように軍事研究をしないことを決めていったわけだが、実際はアメリカ軍から資金提供を受けていた。これは1967年に朝日新聞がすっぱぬいたのだが、1959年から67年の間にアメリカ軍極東研究開発局からいろんな大学、民間研究機関が研究資金をうけていた。その中に日本物理学会というのがある。
1966年に日本物理学会の半導体国際会議というのがあった。その国際会議の資金援助として米軍からお金をもらっていた。この問題は物理学会の中からも批判が出ていた。このとき、67年の日本学術会議第49回総会で「戦争目的のための科学研究を行わない」という2度目の声明を出した。日本物理学会も臨時総会(決議3)で「軍とは一切関係を持たない」と決議した。東大も「大河内総長発言」で「軍事研究は一切これを行なわない方針であるのみならず、外国をも含め軍関係者から研究援助を受けないことは本学の一貫した考え方である」とした。
日本学術会議の総会、日本物理学会の臨時総会、東大の評議会とみんな同じ時期に同じことが問題になった。日本学術会議でも非常に問題になり、このとき非常に苦況に立たされた。「日本学術会議は戦争のための研究をしないといっているのに、軍から金をもらっているではないか」と。そのなかで「科学の発展のために寄与するのだからいいではないか」という議論があった。そこには米軍からの援助の場合は研究費というよりはむしろ渡航費、国際会議の費用の援助を受けていたこともある。
東大は1950年に南原総長が軍事研究をやらないと明言している。それから1959年に茅誠司総長の時代にも総長談話で同じことをいっている。茅誠司さんがいったのは1959年で、ちょうど糸川さんがロケットを開発していた。そのロケット開発がミサイルに転用できるのではないか、それをどうするのかが問題になり「軍事研究のための研究ではない。それはやらない」といった。
67年にやはり同じ問題がおこる。このときに大河内発言で、「科学の両義性」のことが出てくる。「研究者の学問的良心と部局の良心によって決められる」と、科学に両義性があるということは認めるということだ。今のデュアルユースだ。
両義性とはつまり戦争に対する利用と平和、民生に対する利用、同じ一つの科学・技術であっても両面に使える。これが両義性。この区別はなかなかつきにくい。境界が立てにくい。それを、その議論は研究者の学問的良心と部局の良心によって決められるとした。これはまず個人がどう考えるか。それから「部局の」ということは、大学が、評議会なり教授会が教員集団としてどう考えるか。そこの良心が問われているということだった。このことも現在、非常に重要な問題になっている。
95年の委員会決議後 米軍資金の研究広がる
研究者は研究費が欲しいというのがずっとある。日本物理学会では67年に「軍とは一切関係を持たない」、つまり軍事研究をしないということを決議したが、1995年になって委員会総会で「学会が拒否するのは明白な軍事研究である」という言葉に置き換えた。「軍事研究といえども基礎研究とつながっており、境界を定めることができない」というものだ。
例えば核兵器の開発などそういう明白なものはやらないが、その中間の灰色の部分は白とか黒とかはいえないのだから、それをどうするかは各各に任せてしまうという。だから本当に明白な軍事研究以外は可能であるとして、軍関係者が学会に参加することなどを認めてきた。これは国際的慣行である。物理学会は自衛官や防衛省の人間を学会に派遣できなかったが、それを一部であればかまわないと広げた。
2010年に連邦政府調達実績ベースというものが出る。アメリカ軍横田基地を介しての大学などへの契約が200件以上あった。そのなかには東工大が5万㌦、理研が6万㌦というふうに米軍からお金をかなりもらうようになった。これは現在も続いている。15年12月に共同通信が朝日新聞の記事を土台にして名前が上がっている大学に全部アンケートをした。2000年以降少なくとも12大学・研究機関で総計2億円以上もらっている。東工大が87万㌦、横浜国大1832万円、理研40万㌦などだ。
米軍資金は今なお続いており、現在は迂回援助という格好をとっている。つまり、陸軍は国際技術センターパシフィック(ITC―PAC)、海軍は海軍研究局(ONRグローバル東京)、空軍はアジア宇宙航空研究開発事務所(AOARD)というように。そのONRから別の民間団体にお金を出して、民間団体がコンテストを開く。
去年、ONR協賛の無人ボート競争というのがあった。これは無人機協会という民間団体がやっているのだが、そのスポンサーはONR(海軍)で各大学に800万円で船を開発させ、船のドローンをつくろうとしている。それからDARPA(国防高等研究計画局)が主催するロボットコンテスト。国防高等研究計画局というのは1958年に発足し、軍の傘下にあり、3000億円くらい使っている機関だ。このように迂回援助、コンテストを通じて軍が関与してくる。
DARPAというのは、アメリカで第2次世界大戦後につくられた新たなる軍事研究のための部局である。民間の研究をウォッチする。これをDARPA方式という。軍事研究に転用できそうなものがあるとその研究者に交渉し、交渉が成立するとアメリカの軍事開発に乗せられていく。あるいはアメリカ軍から研究費が出る。日本でもいろんなロボット研究で誘いがあったという。
それとDARPA自身が競争的資金を出して募集することもある。DARPAで始まったもので例えばGPS衛星がある。GPS衛星は今やカーナビゲーションに当たり前のように使われているが、GPS衛星の本来の役割は人工衛星や船、軍隊の位置を明確に確定するためで、各衛星から電波を発している。その電波を受けて、いろんな衛星からの電波の時間差をとって自分がどの位置にいるのかを決める。そのための人工衛星だが、電波はどこでも走りまわっているからそれを車のために使うようになり、今や民間にこれだけ広がっている。このようにDARPAはいろんな軍事開発のためにお金を使ったり、研究費用をすすめている。この方式を日本でも採用しようとしている。
そこではまず米軍を認知させ、米軍の存在、拒否感を払拭する。そして優秀な科学者をとり込むための人脈づくりに力を入れる。さらに技術革新を利用する。まさに民間で使われているものを軍事研究に適用する。そして今では、初期研究開発に非常に金がかかるようになったので、開発費をまかなうために日本とアメリカ軍との共同という格好を採用する。そのための糸口として米軍資金を使っていく。
米軍資金というのは、使い道が自由であってレポートの提出だけでいい。それで自由に研究費、渡航旅費、招請旅費、国際会議経費などに使える。そういう小回りのきく資金は日本にはあまりないので、研究者はそれを望んでいる。だから知らない間にDARPA、米軍の協力者になっていく。例えばノーベル賞をもらった白川さんは全然米軍の金とは知らないで大学に一年間留学した。そのお金は米軍から出ているということを後で知って、彼は非常に恐ろしい感じがしたといっていた。そんなに自由に使える金をもらってしまうと何もいえなくなる。まさにそれが米軍の狙いだ。
軍と学の接近すすむ 防衛省との「技術交流」
そして、実は日本でもすでに組織として軍と学の接近は進んでいた。これは去年わかったことだが、防衛省との技術交流というのがある。防衛省は2004年から技術研究本部と大学、あるいは研究機関の技術交流というのを開始している。技術交流というものの中身は予算項目を見てもないので、予算のやりとりはない。たぶん情報交換ではないかと思うが、年年数が増えている。契約は五年で、情報公開は期間に縛られず双方の合意が必要とされているが、いろんな大学がこれに参加している。
研究機関ではロケットを運用しているJAXA(宇宙航空研究開発機構)、海の研究をしているJAMSTEC(海洋開発研究機構)、そして理研が上がっている。2015年には新規・継続分を含めると18件、14機関(7大学)との技術交流がされている。防衛省が装備品を開発するためにいろいろ研究機関と協力しあっているということではないか。
技術交流で具体的に進んでいるのは、2014年度に防衛省の予算としてJAXAとの協力という項目があり、「赤外線センサー」に4800万円が計上されている。技術交流はたんにノウハウの情報交換であったのが、具体的にそれを開発するようになり、防衛省が開発したい技術としてお金を提供している。2015年になるとJAXAの赤外線センサーの予算は48億円に増えている。赤外線センサーが何に使われるかというと、人工衛星に乗せると夜でも撮影ができる。もう一つは赤外線は高温の熱線であるからその熱線をとらえる。アメリカで開発されているのは装備警戒衛星に赤外線を乗せてミサイル発射の場所を特定する。
まさに防衛省もそのために使おうとしている。日本ではまだ装備警戒衛星を実際につくるということにはなっていないが、研究は進められている。技術開発を通じて具体的なものが見つかると、防衛省としては予算化して装備開発に使っていく。この防衛省予算に名前があがっているもう一つのものとしてNICT(情報通信研究機構)がある。これは、サイバーテロのようなものだ。
私は次に名前が挙がるのは海洋開発研究機構ではないかと思っている。ここで海の底を調べる無人の潜水艇をつくりたいと考えている。軍としては無人の潜水艦とかそういうものに使える。これも技術交流で一緒にやっている。
研究成果の発表の項を見るとこのようになっている。「甲(防衛省)及び乙(研究機関)に係わる個別附随書に基づく研究協力の成果を外部に発表しようとする場合には、発表の内容、時期等について、他の当事者の書面による事前の承諾を得るものとする」。そして、この協定書は防衛省が決めた書式で書かれている。防衛省が自分たちのマイペースでやろうというものだ。
この文言に引っかかったのであろう、千葉工大との協定書には「正当な理由なくその承諾を拒んではならないものとする」とされている。千葉工大は防衛省が急に公開を拒否したりしては困ると思ったのだろう。しかしそれが守られるかはわからない。そして協定書には「その有効期間は協議の上、個別に定めるものとする。ただし、甲及び乙の協議の上、この期間を延長し、又は短縮することができるものとする」。よくよく読めば簡単に自由に発表できるというものではない。公開は自由ではないということだ。
具体的な軍と学の共同が始まりつつある。先ほどの技術交流は組織同士だが、今度は各研究者を軍事研究に引きずり込もうとしている。その出発点は、前前からいわれているデュアルユースの問題だ。2013年12月に安倍首相が「2014年防衛大綱」「国家安全保障戦略」、この二つを閣議決定した。このなかに書かれているのが「大学や研究機関との連携の充実により防衛にも応用可能な民生技術(デュアルユース技術)の積極的な活用に努める」という文書だ。このデュアルユースという言葉が具体的にかつ、こういう政治の舞台で出てきたのは初めてのことだ。両義性という言葉で科学研究の現場ではいわれてきたが、政治の言葉で使われたのはこれが最初ではないか。それ以来、デュアルユースの積極的な活用というのがいわれるようになった。
緻密な防衛省の戦略 民生技術を軍事に利用
それに呼応する格好でいろんな事柄が始まっている。2014年4月に防衛省は「技術管理班」というのをつくった。大学・研究機関との共同研究を扱う専門部署の設置だ。それが2015年10月に防衛装備庁という格好で一元化した。技術管理班、技術研究本部。防衛装備庁として非常に大きな部局をつくって、そのなかの非常に重要な部門として大学・研究機関との共同研究の拠点として位置づけている。
2014年5月には防衛省がC2次期輸送機問題でドアが勝手に開いてしまうという不具合が起きて、それを東大の航空宇宙工学の先生に来てもらって問題を究明しようとした。それに対して、その先生が東大当局に挑戦したいと申し入れしたが、東大はこれを拒否した。東大は歴代の総長が軍事研究はやらないと発言し、今のところそれを守ってきた。
これを防衛省がけしからんといい、このときくらいから国立大学が国の金で運営されているはずなのに、なぜ国の要請を断るのか、なぜ国のいうことを聞けないのかということがいわれ始めた。この先生はオブザーバーとして個人参加した。東大としては軍事研究をやらないとしているけれども、個個の教員を完全に縛ることはできない。こういうふうにして東大も少しずつ崩れつつある。
それから2014年5月にImPACT(革新的研究開発推進プログラム)が創設された。これは総合科学技術・イノベーション会議というところが5年間で500億円のお金を出して、日本の国の産業力を高めて、非常にハイリスクであるが将来性のある研究開発をおこなう。募集要項の初めの部分に「DARPAを参考にする」と書いてある。要するにDARPA方式で、ここで開発されたものを軍事に応用できるものは応用するということだ。今一四人のプログラム・マネージャーが決まってタフ・ロボティックス、ユビキタス・パワーレーザー(何にでも使えるパワーレーザー)や無充電IT機器などいろんな項目がある。
筑波大学の山海先生という方がロボットスーツを発明された。そのスーツを着ると体が非常に強くなる。体が弱い人には非常に役に立つ服だ。当然これにDARPAが目を付けた。山海さんは自分の研究は軍事研究には使ってほしくない、軍事研究は拒否するとした。
しかし、だから応用しないのかというと、山海先生は起業しているからそれを企業が買って開発して軍に転用することもある。迂回する。山海先生が自分は軍事研究はやらないといったことは非常に大切なことだと思う。しかしImPACTにも山海先生は選ばれている。
DARPAを参考にするといっているからこれからどうなるのか複雑ではある。いろんな格好で国を挙げての軍事研究が進められている。
福島原発事故を受けて、DARPAは2012年からロボットコンテストを開始した。その名目は災害用ロボットを開発するということだ。原発の中に入って放射能のなかで動かせるロボットを開発しようというものだが、当然それは軍事目的に転用される。
その第1回のロボコンで東大発のベンチャーSCHAFTが優勝した。情報理工学研究科の人たちがこのロボコンに出そうとしたが、東大当局がこれは軍からの金でやられるものだから、軍事研究だからだめだといった。だからSCHAFTという会社をつくって応募した。東大でもぎくしゃくしたことが起こっている。2014年からは経産省が仲介して日本から五チームが参加した。一見平和利用としていろいろな機械をつくっている。そこに軍から金を出す。あるいはできたものを軍が採用するというシステムがつくられる。先ほどの無人ボート国際大会もその一つだ。
防衛省の戦略といっても防衛省自身はなかなか緻密に考えており押さえておく必要がある。大学側は無防備で、簡単に乗せられていくのではないかとも思う。
先進技術推進センターのホームページで、5つのマネージメント手法を教えている。1つは「先生(大学の研究者)のモチベーション」がどこにあるかをまず把握しなさいということだ。研究成果が社会貢献することに意欲がわくのか、「国の安心安全、愛国主義」なのか、それとも自分の研究発表にものすごい価値観をおいているのかとか、研究者の主要な関心を探って、まずその先生の希望や願望を把握し、そのうえで「ギブ&テイク」をおこなう。
各研究者の研究成果をテイクし、ギブは研究成果の可能な限りの共同または単独での発表を認める。もう1つは、成果の民生転用の努力を約束する。要するに「可能な限り成果を公表することは認めなさい。秘密研究をすぐにやってはいけない」ということだ。先生たちは軍事利用よりも民生利用を希望しているから、民生利用もできるんですよと約束しなさいというものだ。このようにかなり低姿勢だが非常に危ないと僕はいいたい。
3番目に、先生に制約事項の説明をせよと書いてある。それは予算を融通してはいけないということ。研究資金は役務契約の対価としてある。支払いは成果物納入後で前金なしで一括とする。このように、非常に細かい支払い方を書いている。それはなぜか。研究者の二枚舌を防ぐためだ。第2次世界大戦のときに日本の研究者の多くは、軍事研究をするといって実際にはやめたということがあった。そのような研究費の流用を防ぐためにちゃんと説明しなさいというものだ。4番目に、大学の管理・連携部門へ当方の事情を説明せよとある。大学所定の実施規定を適要せず、防衛省の協定書に従い契約して防衛省ペースで研究を進めよということだ。あとは企業との橋渡しをせよというものがある。
大学との共同研究 潤沢な金で研究者縛る
これだけマネージメントで、詳しくかつ具体的に教えている。その後、防衛生産・技術基盤の維持・強化のための諸施策で2013年12月に閣議決定した「国家安全保障戦略」。これにのっとった「防衛生産と技術基盤の維持・強化」が防衛技術シンポジウムで話題になった。ここに具体的に大学との共同研究が書かれている。
1、開発ビジョンの策定、2、民生先進技術も含めた技術調査能力の向上。3番目に「大学や研究機関との連携を強化する」ということを防衛省の戦略として明らかにしている。これを書こうとしたときに文科省は反対したが、防衛省の官僚が押し切ったという。連携強化で「デュアルユースを積極的に活用」していくものだ。四つ目がデュアルユース技術を含む研究開発プログラムとの連携・活用。ImPACTなどに注視し、デュアルユース技術の研究開発を活用する。五つ目に防衛用途として将来有望な先進的研究に関するファンディングをあげている。この提案に従って防衛省に対する資金制度ができあがった。防衛省は段取りを追って、軍学協同を積極的にかつ組織的に進めようとしている。
「安全保障技術研究推進制度」が2015年から始まった。昨年の予算は3億円で2016年の予算は6億円といわれている。このやり方はまず防衛省からのテーマを提示する。28件の研究テーマがある。具体的には昆虫サイズ小型飛行体についていえば、なにに使うのかというと生物兵器を仕込んだり、化学兵器を仕込んだりできる。それから水中移動体もある。これは海の中の研究と潜水艦の位置を探ったりする。
このようにいろんなテーマを示したうえで、各テーマについて、研究者側から提案をして、そこから委託する。そして委託研究を防衛省所属のプログラム・オフィサーが管理する。一つの研究テーマに一人のプログラム・オフィサーが必ずつくというものだ。だからずっと管理されている。普通の意味の競争的資金は、基本的にはお金の使い方や成果の発表は自由だが、それがない。委託、受託、管理で研究者を縛っている。
「制度の趣旨」のところで、非常に低姿勢に「成果の公開を原則としており、将来の装備品に適用できる可能性のある基礎技術」とある。装備品をつくることが目的ではなくて基礎技術の研究を奨励するといっている。実はこの書類の後の方を見るとそうではないことがわかる。例えば得られた成果について外部への公開が可能だと書かれているが「研究成果報告書を防衛省に提出する前に成果を公開する場合には、公開して差し支えないことをお互いに確認することとする」とある。防衛省が確認しないと成果は公表できない。また、「将来の装備品に適用できる可能性のある基礎技術」とあるが、募集テーマのところに3点ある。そこには例えば未来技術を応用した装備の開発と書いている。書類などは本当に丁寧に読まないといけない。
審査結果は応募総数が109件で、採択が9件。10倍以上の競争率だ。非常に高い。大学が58件出して4件通った。ここに東工大、豊橋技術科学大学、東京電機大学、神奈川工大が入っている。東工大はいくらでも金が欲しい。豊橋技術科学大学の学長は日本学術会議の会長。なんとなく意図はわかるだろう。
公的研究機関として出したのは22件で通ったのは3件。JAXA、JAMSTEC、理研だが、この3件とも技術交流ですでに防衛省と研究、アイディアの交換をしている。企業が29件出して2件。例としてマッハ5まで出るサイクルエンジンの開発があるが、マッハ5なんて民間では絶対に使えない。基礎研究といいながら防衛装備に適用できるというのが前提だ。
安保技術研究制度 応募しない大学増える
応募しなかった大学は、従来から軍事研究をしないと宣言していた東大、早稲田、立命が文章で出している。京都大学と秋田大学は、安全保障輸出管理というのがあり、紛争当事国からの留学生を受け入れたりするときの厳密な審査があるが、そこに「軍事研究をしない」ということが書かれている。「安全保障技術管理のために」規範として書かれている。
今回の制度が契機となって、新潟大学と琉球大学が軍事研究をしないことを申し合わせている。また信州大学は審査委員会を新設して拒否した。広島大学は副学長が軍事研究拒否を確言した。東北大学は軍事・国防につながる研究をしないと回答した。その他、内部規定と学内審査・教授会の論議をもって応募せずとした(帯畜大、電通大、山梨大、滋賀大、九州大、神戸大、関学)。
一方応募した大学では、内部委員会で審査した結果応募したという。産総研、東工大、東京農工大、大阪市大、鹿児島大がそうだ。理由はわからないが、たぶん「兵器、軍事技術研究はしないが、今回の制度はそれに当たらない」といういい方だ。千葉工大や愛知工大、関西大などは応募した。一切制限がないのが東京都市大と岡山大。内部委員会で審査した結果、自衛のためであれば許されるという解釈でやっている。どんな戦争でも自国の防衛のために戦争を始める。みんな後ろめたいことからいい訳として使われている。やはり日本は戦後、戦争をしないといってきたことがあると思う。東京電機大学では、採択決定後、教員が呼びかけて教授会で議論をしたりしている。
「国公立試験研究機関の研究者アンケート」で、36%が軍事研究に賛成している。逆に言えば64%が軍事研究に反対ということだ。賛成の理由としては、デュアルユースとして「軍事研究は技術の発展に寄与する」というように軍事研究はプラスになるといったり、「最先端技術の応用先の一つが軍事である」「初期投資を軍事が持つのは必要」「将来、民生に転用すれば国民生活に役立つ」「民生技術の底上げにつながる」などだ。だから両義性・デュアルユースの議論というのは、どうしても避けて通ることはできない。
科学者の社会的責任 誰の為何の為の研究か
民生利用と軍事利用、基礎研究と軍事研究、防衛目的と攻撃目的、それらの境目について、よくいわれるのはデュアルユースとからむが、「戦争(軍事研究)は発明の母である」ということだ。「必要は発明の母」というのはいうが、「戦争は発明の母である」という人もいる。戦争で役立ったものが国民にも役立っているではないかというわけだ。これをどう考えるか。
軍事研究の魅力と空しさという面では、魅力としては研究費が潤沢であり「愛国心」が満足させられる、科学・技術が発展するといわれる。空しさでは、秘密研究で自由な発表ができない。今はまだ出発点であるから成果の公開ということをいっているが、いずれ秘密研究になるのは明らかだ。防衛と攻撃はセットであるから、いくら防衛研究であろうと秘密研究になっていくのは当然のことだ。秘密研究となれば、科学者としての自己主張ができない。人格的に貧弱になる。科学者として誇りを失うからだ。
研究者版「経済的徴兵制」というものがある。今国立大では予算が非常に逼迫している。研究費が1年で20万円とかになると、研究費をとるためにはなんでもしてやろうとなる。研究費のためなら軍事応用でも構わないとなって、軍事研究に繋がっていく。研究費の困窮につけ込んで軍事研究に誘い込む。これを研究者版「経済的徴兵制」といっている。
本当にそれで生き残るといえるのだろうか。生き残ったとしても秘密研究になって何のために生き残ったのかとなる。それから研究費を得られなければどんどんエスカレートし、もっと巧妙なものを考えようと、軍事開発に巻き込まれていく。
社会的責任として科学の成果がどう使われるのかということを、科学者として私たちは考えるべきだ。誰のための何のための科学であるのかを常に問い直す。私たちは研究者として社会から委託をされている。私たちがおこなっている科学や技術が人のためになるかどうかだ。軍や国など特定の集団のものになるのは、多くの人人に対する裏切りであると思う。
軍からお金をもらって生き残るといっても、今ですら競争率は10倍で、今後これが100倍になる可能性もある。研究費をもらえるのは本当にわずかだ。そして生き残るためにどんどん攻撃的な技術を開発する科学者になる。本当にそれは生き残っているといえるのか。お金がなくても集団的に研究するとか、他に道はあるはずだ。
軍と学の接近がもたらすものとして、軍事研究が大学に入り込んできたときに大学の自治が侵される。大学の自治が効かない秘密研究が大学のなかに堂堂と入ってくることになる。それから学問の自由が脅かされる。秘密研究であることによって成果の秘匿が求められる。そこに自由はない。下手すると大学関係者が機密漏洩罪で捕まることもある。特定秘密保護法とセットで使われると大学の教官でも捕まる人も出るかもしれず、研究現場が萎縮する。
大学構内に軍事研究の誰も入れないような施設ができるかもしれない。そういうことが当たり前になったときに、学生にどのような影響を与えるのか。学生に対する教育的影響というのは非常に深刻だ。軍事研究を当たり前のように考える学生がどんどん育っていくことになる。それにより科学への人人の信頼が失われる。平和宣言などによって大学人の気概を示していく必要がある。
最後に、朝永振一郎の言葉「科学者の任務は法則の発見に終わるものではなく、それの善悪両面の影響の評価と、その結論を人々に知らせ、それをどう使うかの決定を行なうとき、判断の誤りをなからしめるところまで及ばねばならぬことになる(平和時代を創造するために)」と、ガンジーの言葉「人格なき学問、人間性が欠けた学術にどんな意味があろうか」というのがある。これが問いかけられている。学問の有りようを考えなければならない。