佐賀空港への陸上自衛隊オスプレイ配備計画にともなう佐賀駐屯地建設工事をめぐって、地元の漁師ら地権者が国を相手どって工事差し止めを求めて申し立てをおこなった仮処分の決定が21日に下され、佐賀地方裁判所(三井教匡裁判長)は債権者らが土地の所有権(共有持分権)を取得していることの疎明がされていないとして、工事差し止めを認めないという不当判決を下した。地権者ら債権者団は、この判決は到底認めることができないと即時抗告をおこなう姿勢を示している。佐賀駐屯地建設工事をめぐっては、現在本裁判も始まっているが、対中国戦争を視野に入れ九州・南西諸島の軍備大増強が進むなかで、佐賀駐屯地建設反対を訴えるこの裁判は、日本の軍事化を阻止するものとして全国的な注目を集めるものとなっている。
21日午後2時、地権者らとともに裁判所に詰めかけた市民らは弁護団が掲げた「不当決定」の文字を前に「不当判決を許さない!」「諦めないぞ!」と怒りの声を上げた。
この不当判決に対して、佐賀空港自衛隊駐屯地建設工事差止仮処分債権者団と同弁護士会、オスプレイ裁判支援市民の会は即座に声明を発し、「持分証券の発行を受け、30年以上にわたり、所有者として取り扱われてきた債権者団にとって、到底受け入れることのできない判断である」「佐賀空港の建設に当たって、1990(平成2)年3月30日、佐賀県と南川副漁業協同組合などの近隣漁協との間で締結された公害防止協定の覚書付属資料において、明確に自衛隊による軍事利用を拒否する意思表示がされている。本決定は、このような漁業者らの思いを踏みにじるもので、断固として受け入れることはできない」として、「直ちに本決定に対する即時抗告を申し立てるとともに、現在、佐賀地方裁判所で審理中の本案訴訟でも引き続き勝訴を目指して、戦い抜くことをあらためて決意するものである」との姿勢を示した。
債権者団でノリ養殖漁師の古賀初次氏は「私の今の気持ちは、残念無念の一言だ。歯がゆくてたまらない。私たちにはあの土地の所有権があり、二反ずつの土地を持っている。その土地を売らないといっているにもかかわらず、国が不法に埋立をおこなっている。それを認める裁判所というのは国の回し者としかいえない。有明海の裁判でもしかり、沖縄の裁判でもしかり、司法というものが国からいわれるがままになっている。何のための裁判所なのか。司法は司法らしく三権分立で判断を下すべきではなかったのか。納得いかない」と憤りをのべた。
そして「駐屯地が建設されれば、有明海は死んでしまう。環境というのは漁師にとって一番大切なものだ。佐賀空港建設時に県と漁協が結んだ公害防止協定は、自衛隊との共用を認めないというものだけでなく、有明海を守っていくためのものでもあった。それを簡単に見直してしまった組合に対する怒りもあるが、私たちは有明海を守っていかなければならない。これからも私たちはたたかうつもりだ」と決意を語り、支援者たちから応援の声が上がった。
駐屯地建設予定地 漁業者の所有権認めず
この裁判は、駐屯地建設予定地の所有権(共有持分権)を有する債権者らが、その所有権及び人格権(平和的生存権)に基づく妨害排除、妨害予防請求として昨年8月29日に佐賀地方裁判所に建設工事差止仮処分命令の申し立てをおこなったものだ。
佐賀地方裁判所は「昭和63年売買により南川副漁協の個々の漁業者が本件各土地を含む国造搦(こくぞうがらみ)60㌶の土地の共有持分権を取得したことは疎明されておらず、そのため、債権者らが本件各土地の共有持分権を承継取得したことも疎明されていない」と、債権者らの所有権は認められないとして工事差し止めの請求を却下した。
国造搦60㌶の土地は1954(昭和29)年の国土造成計画にもとづき、1955(昭和30)年から1972(昭和47)年にかけて、食糧増産を目的として国が佐賀県に代行させる形で「国造干拓」事業を実施して造成したものだ。佐賀県はこの海域から採れる海産物を収入の柱としていた旧南川副漁協の漁業者との間で1963(昭和38)年に「入植増反希望者に対して国造干拓(国造搦)の農地60㌶を配分する」との申し合わせ(「昭和38年申し合わせ」)を交わし、それにもとづいて1999(昭和63)年に佐賀県を売払人、旧南川副漁協を買受人として売買契約が締結され、所有権移転登記がおこなわれている。
登記は南川副漁協でおこなわれたが、それは便宜上登記名義面だけのものであり、実体は昭和38年申し合わせでの「入植増反希望者に土地を配分する」という文字通り漁業者個人に配分されたものであって、所有権は漁協ではなく漁業者個々人にあると債権者らは主張立証をおこなってきた。
これに対して国は、造成地の昭和63年売買は国造干拓によって消滅した南川副漁協の漁業権に対する漁業補償であると主張し、「漁業補償は第一次的には漁業協同組合に帰属する」(平成元年最高裁判決)ため、所有権は南川副漁協に移転されたものであるとしてきた。漁業補償としては別途補償協定が結ばれ、南川副漁協に相当額の金銭が支払われているにもかかわらず、裁判所は国の主張をそのまま承認し組合員個々人には所有権が移転していないとした。
決定文のなかでは、「昭和56年覚書及び昭和60年協定書の内容からすれば、昭和63年売買は、昭和38年申合わせの合意内容の履行として行われたものと考えるのが相当」として、「国造干拓建設事業に伴う漁業補償の締結に当たって南川副漁業協同組合の漁業権者の入植増反希望者に対して国造干拓の農地60㌶を配分すること」という、増反希望者に対する配分を約束した昭和38年の佐賀県知事と南川副漁協の申し合わせを認めている。
「昭和38年申合わせ、昭和56年覚書、昭和60年協定書、本件協定書及び本件協議会の規約第二条からすれば、個々の組合員に対して国造搦60㌶の土地を配分することが合意されていたと認められる」としているにもかかわらず、「そこにいう“配分”という文言が、必ずしも個々の組合員に対して国造搦60㌶の土地の共有持分権を帰属させることを意味すると考えることは困難と言わざるを得ない」と債権者らの所有権は否定するという矛盾した結論となっている。
弁護団の池上弁護士は「“昭和63年売買は漁業補償としておこなわれたものであり、共同漁業権の補償は漁業協同組合の組合員ではなく漁業協同組合に対して行われるべきとされている”というのは国が一番主張していた部分だ。この決定文からは裁判所独自の考えをうかがい知ることができず、ただひたすらに国の強弁に乗っかって漁業者の所有権を否定するための理屈を編み出しているだけの文章で、驚くとしかいいようのないものだ」と指摘した。
「昭和63年売買は国造干拓により消滅した南川副漁協の漁業権に対する漁業補償そのものとして行われたものと理解するのが相当」という国の主張をそのまま認めたような裁判所の判断に対して、債権者弁護団は「これでは38年申し合わせの文言からも外れており、漁協の持っている共同漁業権の補償は別途補償協定が結ばれている。昭和38年の時点で国造搦60㌶というのは農地として造成されようとしていたものであり、漁協は農業をおこなうことができないため農地を受けとって所有権を取得することはできない。これは当時の農地法その他の法令上も明らかなものであり、土地をもらいうけるのが漁業者個人であることは明々白々である。またそのように佐賀県も佐賀市も国もとり扱ってきた。最近も佐賀空港が建設された当時の公開請求の回答がきたのだが、そこにも地権者と書かれている」と指摘した。
原告側弁護団 決定の誤り主張し立証へ
登記名義が南川副漁協でありながらも所有権は漁業者個人にある証明として、国造搦60㌶の土地の管理運営をおこなう「国造搦60㌶管理運営協議会」(本件協議会)の規約には「協議会は、旧南川副漁業協同組合組合員に配分された国造搦60㌶の有効適正、且つ、円滑な管理運営を行うため…」とされており、協議会が各会員との間でとりかわした協定書には「土地は一括登記をし、会員に持分を配分する」との記載もされている。また地権者には「当国造搦60㌶管理運営協議会の規約(協定書)により国造搦60㌶内の持分面積の証として本券を交付する」という持分証券が発行されている。
さらに、平成19(2007)年に南川副漁協を含む佐賀県有明海地区18の漁協が合併し、有明海漁協が設立されるに先だって、南川副漁協の当時の顧問弁護士が、南川副漁協に対して国造搦60㌶管理運営協議会(本件協議会)との間で「国造搦60㌶については、乙(南川副漁協)が登記上所有名義人となっているが、これは、甲(本件協議会)及び上記共有者団が法人格を有しないことから、甲(本件協議会)が乙(南川副漁協)に対し、登記名義面における管理を委託したことによるものであり、乙(南川副漁協)は実体上の所有権者ではない」と南川副漁協が所有権者ではないと明記された覚書を締結するよう助言しており、文案まで作成している。
債権者側は、漁業者宅に保管されていた締結前の文書のコピーと見られるものを佐賀地裁に提出していたが、これについても押印がないことから佐賀地裁は「真正に成立したものではない」と見なし、持分証券については「持分証券の記載のみではそのよう(土地の共有持分権を有している)に認めるに足りない」として、個々の漁業者が所有権を取得したという証明にはならないとした。
この覚書については、弁護団長の東島弁護士が「合併後に有明海漁協がこの土地の所有権について一切いい出していないことから、この協定が結ばれていることはほぼ間違いないことだと思っている。現時点では向こうに都合の悪いものを証拠として出してきていないが、仮処分には裁判所から書類の提出を求める文書送付委託や調査委託の手続きがない。しかし現在おこなっている本裁判ではこの手続きがあるため、本裁判でこの書類が出てくれば今後の抗告審や本裁判でも結果に変わりが出てくると思う」とのべている。
池上弁護士は、裁判所が決定文のなかで「誰がこの共有持分権を取得したか」ということには触れていないことを指摘し、「私たちが主張している“地権者らが共有持分件を取得した”ということの事実の疎明がないといっているだけであって、ではだれに所有権があるのか、というところまでは明確にしていない。国にあるともいっていない。こちらが主張している内容を否定し、国の不合理な弁解に乗っかって国の主張どおりにいっているという印象だ。今後はこの決定がいかに誤っているかを主張立証していくことになる。覚書の署名押印が足りないというような形式論理に踏み込むのであれば、そこをさらに追及していくことになる」とのべた。
また南川副漁協との昭和63年売買と同日に、佐賀県は早津江漁協、大詫間漁協、広江漁協とも土地の売買契約を結んでおり、早津江漁協と大詫間漁協がその後に個々の組合員らの共有の名義にしている。そのことから便宜上名義を南川副漁協にしていたという債権者らの主張については認められないとする決定書に対し、東島弁護士は「事実上の問題として、登記を変えるのはお金がかかる。本件土地自体が30数筆あり、60㌶全体では50数筆ある。それすべてについて、250名ほどの地権者を共有者として名義を書くという極めて煩雑な登記の手続きをするのかという問題がある。実際に個々の組合員らの共有名義に変えた二つの漁協は、共有者の人数が20~30名だ。南川副とは事情が全く違う」と指摘した。
オスプレイ墜落事故 地裁は危険性検討せず
人格権侵害にもとづく差し止め請求に関しても、佐賀地裁は平常時の被害について、「オスプレイは過去に数度の墜落事故を起こしている。しかしながら、オスプレイに欠陥があることや、再度オスプレイの墜落事故が生じる可能性が高いことについて疎明されているとはいえず、それゆえ債権者らの生命・身体が侵害される具体的な危険性は疎明されているともいえない」として、これまで何度も墜落事故を起こし死者を出してきたオスプレイについて、一般市民との感覚とはまったく遊離した判断を下している。
昨年11月には屋久島沖でオスプレイの墜落事故が起き、米軍、自衛隊ともに全世界で運用を一時停止していた。現在は墜落原因についての詳細説明もしないまま飛行が再開されているが、東島弁護士は「屋久島沖の墜落事故に関しては詳細に主張立証してきたが、これに対しては国は一切反応をしていない」とのべた。国は10月6日付の答弁書のなかでオスプレイの危険性についてのべているものの、「オスプレイの今までの事故というのは量産開始前の事故であったり、給油口とオスプレイの右のプロペラが接触してその後意図的に着水をおこなったもので、オスプレイの搭載システム、機械系統、機体構造を原因とするものではない事故」「適切な部品交換等により極めて安全な水準を保つことができるハードクラッチエンゲージメントを原因とする事故であり、今後オスプレイの運用によって引き起こされる事故が起きることを具体的に導き出すものとはいえない」などとしている。
これに対して「しかし屋久島沖の事故は、機械系統及び機体構造を原因とするものではなかったか。それにもかかわらず今日の仮処分決定では、オスプレイに欠陥があることや再度オスプレイの墜落事故が起きる可能性が高いことについて疎明されているとはいえないという2、3行だけだ。裁判所も正面からの検討をまったくおこなっていない」と批判した。
地権者ら 最後まで闘い抜く決意
国造搦60㌶を漁業者らに配分した当時の配分委員だったという地権者の男性は「この土地が漁協組合のものであるならば、なぜ一人一人に配分をおこなったのか。当時の配分委員の一人として、どうしても納得がいかない。漁協合併のさいに“このまま合併をすれば、土地が合併した有明海漁協のものになるのではないか。一人一人の持分は地権者にあるということをはっきりさせてほしい”と南川副漁協に申し入れにいき、それで顧問弁護士の助言という形になった。南川副支所では登記ができなかったため、便宜上名義を組合にせざるを得なかっただけなのに、どうして所有権が組合になるのか。裁判所はこれまでの経緯を無視して国のいい分をそのまま認めているだけだ。国も県も漁業者に対して土地を売らないのであれば、県や国の事業ができなくなると圧力をかけて回っていた。こんなことが許されてはいけない」と語った。
別の地権者も「私は現金を払って土地を買った。それが私のものではないというのはおかしい。裁判所は国のいうことしか聞いていない。駐屯地ができれば必ず米軍が来る。日本はアメリカの植民地だ。日本がアメリカの盾となってミサイルが飛んでくるようになる。地位協定で日本はアメリカには何もいえないし、アメリカは日本にミサイルが飛んできても助けることはない。絶対に駐屯地をつくらせてはならない」と強く訴えた。
最後に古賀氏が「現在駐屯地が建設されている場所は海だった。私が小学校のころには、あの場所によく貝やムツゴロウ、ワラスボをとりに行った思い出がある。あの場所がまさか自衛隊基地が建設されるようになるなんて思いもしなかった。そのうえオスプレイやヘリコプターまで飛んでくる。オスプレイ配備の計画が出てからというもの、なぜ私たちの土地に…という疑問を抱きながら反対運動をとりくんできた」と、2014年に計画が発表されて以後たたかい続けてきた経過を振り返って語った。
そして「県知事が2018年に受け入れを表明してから、佐賀駐屯地ありきでとんとん拍子に話が進んでいった。防衛省と県と漁協の3者会談は全て非公開。私たち一般の漁業者、住民には決まったものが報告されるだけで、防衛省も説明らしい説明はないままに工事が始まった。私たちは土地を売らないといっているのに何をしているのかと本当に歯がゆかった。防衛省が地権者を金で釣るような汚いやり方をするなかで、それならば裁判でたたかうしかないと思って踏み切った。なぜこんなに日本は汚いのか。いつかは罰が当たると思っている。あくどいことばかりをしてそれが真っ当といえるものか。正直者を馬鹿にするなといいたい。私は死ぬまで頑張るつもりだ。何年生きるかわからないが生きている間は声を上げていく」と力強く訴えた。
今後は、福岡高裁宛ての即時抗告申立書を佐賀地裁に2週間以内に提出し、抗告審そして本裁判をたたかっていくことになる。