梅雨前線の活発化で、西日本をはじめ全国各地で豪雨による河川氾濫、土砂崩れ、住宅浸水などの被害が多発している。発生した線状降水帯が局地的に記録的大雨をもたらし、災害規模もこれまでの想定を上回るものになっている。10日には、梅雨前線が停滞した九州北部で24時間降水量が400㍉をこえる猛烈な雨が降り、福岡、佐賀、大分など各地で河川の氾濫や土砂崩れなどが発生、死者六人を出す惨事となった。九州では2012年の九州北部豪雨(死者30人)から毎年のように同様の被害に見舞われており、自然や気象の変化に対応した抜本的な災害対策や復興支援策が求められている。10日に土砂崩れや大規模な河川氾濫が発生した福岡県久留米市田主丸町の今を取材した。
「予算不足」理由に置き去りにされるインフラ整備
福岡県南部に位置する久留米市(人口約30万人)は、市境に沿って一級河川・筑後川が流れ、その流域の筑後平野に市街地や農地が広がる。南東部にそびえる耳納(みのう)連山から大小の河川が筑後川に注ぎ、それらの支流河川から農業用水路が整備され、広大な農地を潤してきた。
その久留米市では、先月末から断続的な豪雨が続いていたが、9日の深夜から線状降水帯が発生して長時間の豪雨となり、10日午前10時には、耳納山での24時間降水量が402・5㍉(観測史上最多)を記録。その間、耳納連山の中腹から土砂崩れが発生し、大量の土石流が、山裾にある田主丸町竹野地区の住宅地を呑み込んだ。
同地区では27人が住む計12世帯が土砂に巻き込まれるなどの被害にあい、70代の男性が救助後、搬送先の病院で死亡が確認された。また救助された26人のうち20代と60代の女性計2人が重症、30~80代の男女計3人が中等症だという。
筑後川も氾濫し、その支流である小石原川、巨瀬川などの河川や用水路からも水があふれ出して市全域に大規模な冠水、浸水被害をもたらした。被害の全容はいまだわかっていない。
12日に久留米市内を訪れると、被災地域では浸水被害を受けた家から泥水に浸かった家電製品や家財道具を外に運び出したり、家の中に溜まった泥をかき出す作業に追われていた。現在は川の水位も低くなり、流れも穏やかさをとり戻しているが、水が引いた後の住宅や道路、田畑には大量の砂や泥が残されており、まだ水分を含んでいるため重たく、ヘドロのようにぬめる。不用意に足を踏み入れると膝まで埋まってしまうほどだ。それらと格闘しながら、気温30度をこえる蒸し暑さのなか、みな全身泥まみれになって家族や親戚ぐるみで作業していた。
土砂崩れが発生した久留米市田主丸町竹野地区に近づくと、土砂災害特有の土の臭いが鼻を突く。道路の半分は土砂や泥が山積みになり、アスファルト部分には川の如く激しく水が流れている。崩落した箇所からは滝のように水が落ち、あちこちに横転したり、土砂に埋まったままの自家用車やトラックも見受けられた。
この光景を見て思い出すのは、9年前の広島豪雨災害で起きた土砂災害だ。山からの土砂は、すべての人工物を呑み込み、一帯を荒涼とした自然の一部に変貌させる。広島のように山を削って整備された新興住宅地ではないものの、平野部から緩やかに傾斜した住宅地の背後に屏風のように連なる耳納山はかなりの急勾配で、切り立った山頂近くから山裾まで山肌が向き出しになった筋がいくつも見られる。高いところで崩れた大量の土砂が立ち木を押し流しながら、谷筋をつたって下流の住宅地に押し寄せたことがわかる。
住宅地があったと思われる一帯には、こぶし大の石から大人の身長をこえるような巨岩までがごろごろと堆積し、流れてきた巨木が直撃して原形を留めないほどに破壊された家々の残骸が無残に点在している。どこが道路でどこが川なのかもわからない。圧し潰されてガレキの塊のようになった家屋の惨状は、自然の凄まじい威力を物語っていた。
竹野地区の集落を横に繋ぐ県道は、あちこちが土砂や倒木でふさがれているため、交通は遮断されており、水道や電気などのライフラインが寸断されている世帯もある。これほどの岩石や倒木の撤去は、個人が素手でできるものではなく、重機の投入が不可欠だ。
まだ周辺で稼働している重機はわずか数台で、ほとんど手つかずの状態にある。
急がれる重機の投入 手つかずの土砂崩れ現場
もっとも被害が大きかった区域では、家の一階部分が押し流され、避難していた二階部分が分離されて土石流に巻き込まれ、グルグルと回転する部屋の中でかろうじて生きながらえた住民もいた。現場では今も時折、激しく雨が降り、二次被害の恐れもあるためか人影はほとんどなく、ひっそりとしていた。
そのなかで家族総出で家の中の泥をかき出していた70代の男性は、「10日は家にいたが、雨の勢いがすごいので警戒していたところ、バリバリ、バリバリ…と音がして、道路に面していた仏間から一気に土砂が流れ込んできた。水位は膝の上にまで達した。家族は台所にいて難を逃れたが、すぐ上流の家は破壊されている。家の被害はどうしようもないが、家族が無事だっただけよかった」と憔悴した面持ちで語った。
広島などからやってきたボランティアチームの手も借りて、家の中の泥をとり除き、部屋にあった先祖の写真や資料、使える家財道具をより分ける。仏壇や大切にしてきた家族写真なども泥に埋まり、「これもダメか…これも捨てるしかない…」とショックは増すばかりだが、悲嘆に暮れてはいられない。
一緒に作業していた夫人も「これほどの被害は生まれて初めてのこと。こんなことになるとは思わなかった。この家で暮らすことができるのかも含めて、今後のことは検討もつかず不安しかない。でも、生きていかないとしょうがないですもんね」と自身を奮い立たせるように語っていた。今は家族全員、親戚の家に身を寄せて生活しているという。
家の敷地の泥を家族ぐるみで洗い流していた竹野地区の男性(50代)は、「山から流れてきた土砂や家屋の残骸が家の裏側にぶちあたり、給湯器やクーラー室外機などが全滅した。かろうじて家の中までは入ってこなかった。土石流は谷をつたって山裾までほぼ垂直のラインに流れるため、この場所は市のハザードマップで警戒区域にも含まれていなかったが、その想定を上回った。崩れた谷とは別の谷筋でも土砂崩れが起きており、流木などで食い止められて止まっているだけで、また大雨が降るといつ崩れるかわからない。だから今は雨が降れば、家族で市内まで逃げるようにしている」と話した。
また「農家で米や花を作っているが、田畑は巨瀬川の氾濫で土砂に埋まった。このあたりは農家も多いので、今年の収穫は壊滅的だろう。山裾の集落だけでなく、平野部でも広範囲に浸水した。土砂がこなくても水に浸かってしまえば、家財道具はすべて使えなくなる。そうなると一からすべて買い揃えなければならず、経済的負担も重い。この地域では毎年のように豪雨のたびに浸水被害が発生していて、必ず水没する田畑では作付けを諦めている農家もいる。そのような農地を買い集めて貯水池を作るなり、川幅を広げるなどして恒久的な対策をすればいいのだが、行政に進言しても“そんな予算はない”の一言で終わる。被害が起きた場所だけ部分的に補修するだけでは、年々増す豪雨に対応できない」と問題意識を語った。
道路に横たわり交通を遮断している何本もの巨木を撤去するために、自家用のワイヤークレーン付トラックを使って作業していた60代の男性は、「この倒木が被害を広げる元凶になる。早く撤去しなければ、避難のためのライフラインも確保できないし、消防車すら動かすことができない。行政を待っていたら何も前に進まないので、消防組合の有志にも呼びかけて作業を始めたところだ」と話した。
被災現場では、土砂が河川を埋めるだけでなく、山から根こそぎ押し流されてきた倒木がガレキや橋に堆積して水の流れを変えたことで、激流が住宅地に押し寄せた。当時、豪雨災害の危険性が高まったため消防組合の隊員にも集合がかかり、雨の中をみなが詰所に集まったところを土石流が襲い、隊員の自家用車もすべて流されてしまったという。今も現場では大人が手を回しても届かないような太さの巨木が横たわり、消防組合の車庫もふさがれたままであるため、「このままでは火災が起きた時に消防車を出すこともできない」と、泥に埋まった自宅の清掃作業を差し置いて撤去にあたっていた。
「今はみんな気が張っているが、心身ともに疲れている。ライフラインが復旧されずに放置されたら、そのうち心が折れてしまう。細かいことまでやれとはいわないが、まずは道路、水道、電気などの生活に不可欠なインフラの復旧を急ぐべきだ。役所もたいへんなのはわかるが、私が仕事上あちこちの災害現場で見てきた経験からみても、行政の対応が後手後手で鈍すぎる。激甚災害指定を急いでいるのかもしれないが、国や県もすぐに動いて、現場に重機を投入して大きなものから動かさないと個人が動き出せない」と話す。
「私も数年前の豪雨災害では自宅が被災してボランティアに助けられた。今度は自分がみんなのためにできることをやらなければと思っている。まず必要なのはユンボとトラックだ。でなければ個人で復旧などできるわけがない」と語りながら、灼熱が照りつけるなか、1人でリモコンを操作しながら、巨木を1本ずつワイヤーで釣り上げて道端に避ける。気の遠くなるような地道な作業だが、次第に1人、2人と若い人も駆けつけて作業に加わっていた。
河川の改良や整備必須 くり返される氾濫
竹野地区で自宅敷地内の畑が土石流で埋まった男性は、「日曜日の夜から激しく雨が降り、翌10日の午前9時ごろに停電した。それがちょうど竹野地区で土砂崩れが発生した時間と重なる。自宅はかさ上げしているため浸水は免れたが、家の前は川のように濁流が流れ、アスファルトも引きはがして押し流した。後に残ったのは大量の土砂と石だ。上流では二つの谷川が合流しているので、4㍍ある川の高さを上回るほどに土砂が堆積し、橋の欄干に流木が引っかかり、勢いを増した水が住宅地に流れ込んだ。目の前で車が運転手ごと流されていったが、後でその人が助かったと聞いてほっとしている」と語った。
今は堆積した土砂で家から出るための道が遮断されて車も出せないため、仕事にも出られず、親戚に頼んで2、3日分の食料を買ってきてもらって凌いでいるという。
「この川(県管理の冷水川)は、6年前の北部豪雨でも氾濫した。川幅を広げるとか、曲がりくねった川を補正するなどの改良工事をやらなければ、また同じことをくり返す。北部豪雨で崩れた山には砂防ダムが造られたが、それを乗りこえて土砂崩れが起きている。雨の量は年々増えており、それを変えることはできないのだから、国も予算を付けて抜本的な改良工事をしてほしい」と切実な思いを語っていた。
山側の被害に注目が集まっているが、平野部の被害もより広範囲で深刻だ。
久留米市大橋地区では、筑後川の支流である巨瀬川の氾濫と山側からの濁流に挟まれるようにして、大人の首下まで浸水する被害に見舞われた。被災当時、住民たちは消防のボートで救助されたという。現在は、水が引いた後に残された大量の泥と格闘しながら、生活基盤の立て直しを急いでいる。
実家が床上1㍍以上も水に浸かった女性は、「昨日まで土砂が家の中に溜まっていたが、娘や孫たちが来てくれて1日がかりで掃除し、ようやく素足で歩けるようになった」という。9日深夜から巨瀬川の水かさが増し、付近を流れる用水路が溢れ始めた。家は20年前に新築するさいにかさ上げをしていたが、ドアを閉めていても玄関からじわじわと浸水し、床下の物置から「ボコボコ」と音がして、あっという間に床上の膝まで水が入ってきた。とりあえず持てるものだけもって夫婦で2階に避難したという。
一階にあった冷蔵庫やクーラー、風呂の給湯器、洗濯機などの家電製品はすべて使えなくなり、電気が通っても漏電火災が起きる可能性があるため生活は難しい。「長年働いて築いてきた老後の生活をまた一から立て直すことを考えると涙が出る」と話した。
また、「この地域はこの10年間で5回も氾濫が起きている。かさ上げをしたから大丈夫だろうと思っていたが、今回はダメだった。通常は用水路から巨瀬川に流れ、そこから筑後川に流れ込むのが、筑後川の水かさが増すと水がはけなくなり、すべてが逆流して氾濫するというパターンだ。川は上流の朝倉市などから繋がっており、6年前の豪雨災害では大量の土砂が流れ込んでいるが、管理する国交省は、川底に堆積した土砂をとり除くための浚渫(しゅんせつ)作業をやっていない。校区の集まりで市を通じて要望するのだが、まったく動いてくれない。“災害は忘れたころに…”というが、忘れるどころか毎年のように氾濫が起きる。この地域が水没することがわかっていて放置しているとしか思えない。武器を何兆円もかけて買うくらいなら、まず生活を守るために使うべきでないか」と話した。
周辺の住民に聞いても「うちは3回目」「うちは5回目」など、浸水被害を経験してきた住民が多く、「子どもから“もうここから出て行こう”といわれる」「出て行ける人はいいが、農家は田畑を守らなければいけないのだから簡単に移住はできない。住民がいなくなったらこの地域を誰が守るのか」と口々に語られていた。
首まで水に浸かり、泳いで避難したという年配男性は、「いつもは川の氾濫だけだが、今回は山からきた土石流も加わったので、上と下から挟み撃ちだった。近所の川がみるみる逆流を始め、あっという間に家の中にまで入ってきた。どうすることもできなかった」と話した。家の中の家具をすべて自力で持ち出し、泥かきに追われており、「みんな今日寝る場所の確保をどうするかという状態だ」と疲れ切った表情で話した。
同じく泥まみれになりながら作業をしていた住民たちも「以前は筑後川も定期的に浚渫していたが、今は国交省がやらなくなったので、砂利業者も商売あがったりだという。それでも流れ込んだ土砂が堆積するので、今回のような大雨で増水するとすぐに氾濫する。支流の巨瀬川も、県に何度も要求して、ようやく2年前に浚渫したところだった。河川管理は、市・県・国の縦割り区分が複雑だからなのか、頼んでもいつも後回しだ」「この道路の土砂の除去も、行政が動かないので地域の土建業者が自発的にユンボを出して撤去に動いてくれている。人力では途方に暮れるしかない。側溝も土砂に埋まっているので、生活用水も道路に流れ出す悪循環だ」「それでも自分たちでやるしかないが、このままでは体が持たない」と語っていた。
泥に埋まって使い物にならなくなった家財道具も、自分でレンタカー(自家用車が水没した住民が多い)を借りて、収集場所に運ばなければならず、「せめて行政が業者を動かして車で回収してもらえないものか」「家の中の片付けはまだしも、床下に溜まったヘドロの撤去は高齢者だけの家では困難。暮らせるようになるまでまだ相当の時間がかかる」と話されていた。
久留米市は11日からボランティアセンターを開設したが、支援の手はまだ住民のところには行き着いていない。他県から熟練のボランティアや近隣の被災経験地から有志たちが自主的に駆けつけて住民を助けている状態だ。
現場では、「災害が起きた直後にはメディアでも大きくとりあげられ、その地域の被害や対策だけが注目されるが、河川氾濫や土砂災害は広範囲にまたがって要因がある。局所的な応急処置では防災対策にならない。そのためには予算やマンパワーが必要になるが、その予算や人員は年々削減され、自然災害に対応できなくなっているのではないか」「防衛や安全保障、海外支援には数億円、数兆円という予算が付くのに、国内のあちこちで災害が起きても、住民は“自助努力”“自己責任”で置き去りにされていく。だがインフラの問題は、個人でどうすることもできない。まずは生活の基本を立て直すために国や行政が動いてほしい」などの声が多く聞かれた。