年始から岸田文雄首相が「異次元の少子化対策」なるスローガンを唱え、東京都の小池知事は国に先んじて都内の子ども1人当り月額5000円程度の給付金の支給政策をうち出すなど、遅きに失するとはいえ、慌てて少子化対策をする素振りを見せている。2022年の出生数は80万人を割り込んで過去最少の77万人台を記録する見通しとなり、1980年代の約半分の水準に落ち込むなど深刻なものとなった。それは国力の衰退を映し出すもので、労働力の不足のみならず日本社会にとって各分野における次代の担い手がいなくなること、社会の存続すら危うくすることを意味し、為政者としてもっとも責任が問われる問題でもある。長らく放置されてきた少子化問題について、当事者でもある80年代生まれの記者たちで実感も含めて論議してみた。
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A 「新しい資本主義」に続いて今度は「異次元の少子化対策」だそうだ。岸田文雄の大風呂敷というか大言壮語も大概にしろという気もするが、果たしてどれだけ異次元の対策をするのかだ。少子化はまさに異次元なレベルで進んでいて、統計で把握している限り前代未聞の数字を叩き出しているのに、それに対して少子化対策は異次元どころかOECD加盟国のなかでも最低レベル。別に「異次元」とか大きなことをいわなくてもいいから、当たり前の少子化対策をやれ! という世論が大半ではないか。江戸時代から明治になって資本主義としての歩みを進めてきたが、それ以前よりもはるかに子どもが産み育てにくい社会になっていることをあらわしている。豊かさは増しているはずなのにだ。
B 「異次元の少子化対策」とはいうものの、過去最大の114兆円もの来年度当初予算案をつくって23日に通常国会が召集されるのに、子ども予算の増額はなく見送りで、防衛費増額などに論戦が割かれる見通しだ。何をか言わんやだ。とり返しのつかないレベルにまで少子化は進んでしまっている感があるが、さすがに手を打たないと社会が維持できなくなるという危機感すら抱く今日この頃だ。
C 年末年始もすべての人が休める訳ではなく働いている人も多かったが、製造関係では「人手不足で現場が回らない…」という嘆きを多く耳にした。「外国人技能実習生もいるが、日本人の若い子がいない…」という。そして、年配の高齢者がどの現場でもフルで働いている。年金だけでは生活できないから、労働力として身体を酷使しないと生きていけない。
この正月に里帰りの途中で寄った高速道路サービスエリアの飲食コーナーでも、厨房には結構な人数の年配女性たちが黙々と働いていたのが印象的だった。以前、おかきの製造工場の火災で逃げ遅れて亡くなった70代の高齢女性がいて、「どうしてそんな年齢になってまで働かないと生きていけない世の中なのか」という指摘があったが、ほんとうにその通りだ。少子高齢化の進行が加速して、とどのつまり人間(生命)の再生産ができない社会が到来している。その原因を解決しないことには少子化の波には歯止めがかからない。
D タイ人の技能実習生の女の子が驚いていたが、「日本人のお年寄りは可哀想だ」という。彼女曰く経済的には豊かかもしれないけど、はるかに貧しいはずのタイではお年寄りは働かずに家族といっしょに笑顔で暮らしていけるという。日本人は年をとっても心配や不安を抱えて苦しそうに働いている――という驚きのようだ。どういう社会システムなのか詳しくは分からないが、彼女の目には先進国で「豊か」なはずの日本は豊かには思えず、「タイのほうが幸せに暮らしていけるよ」と話していた。それを聞いて、なんだかハッと考えさせられるものがあった。人間にとっての豊かさっていったい何だろう? 社会にとっての豊かさって何だろう? と――。
追いまくられて余裕のない暮らしのなかに身を置いて、働きながら身も心も削られて、老後も不安や心配を抱えて、それって人間にとって豊かな暮らしなんだろうか? と。働いて何らかの社会の役には立ちたいけれど、強欲資本主義ともいわれる段階まで来て、人間の豊かな暮らしとか社会の豊かさが奪われて、逆に世の中がぶっ壊れている現実を突きつけられているような気がしてならない。社会は何のために存在しているのか、目的をはきちがえていやしないか? と。
C 今だけ、カネだけ、自分だけ――が新自由主義イデオロギーをあらわす特徴だが、未来を押し潰すほど目先の利害にとらわれて汲々としている。国家百年の計など死語になって久しいが、そのような国にしてきた為政者の責任は極めて重い。そして労働力が足りなくなると、「女性活躍」「一億総活躍」などといい始めてさらに駆り出す。女性が子どもを産み育てやすい社会状況とはほど遠い。
少子化が深刻で人口減少社会であることは早くから問題になっていたが、食料その他と同じように「なければ輸入すればいいじゃん」の延長なのか、労働力まで海外から技能実習生という体裁で「輸入」してくるようになった。各産業分野を見てもいまや労働力不足は深刻なものがある。仮に外国人労働者がいなくなったら、果たして日本人は暮らしが成り立つんだろうか? と思うほど依存度を強めている。現実の少子化の深刻さを誤魔化しているだけだが、事態は相当に深刻であると自覚をする必要があるのではないか。コロナ禍で外国人研修生の入国がストップしただけで麻痺した生産現場もあったが、当たり前と思っている暮らしが当たり前でなくなることだってあり得る。
A 製造現場でも、飲食店やコンビニでも、農業や漁業の生産現場でも、日本人の労働力が足りずに技能実習生だらけのところが珍しくない。中国人、ベトナム人、タイ人、インドネシア人、ネパール人など各国から若者を引っ張ってきている。あるいは少子化で経営が成り立たなくなった私立大学などが留学生という体裁で学生の頭数をそろえて、そうやって日本にやってきたアジア各国の若者たちが、実際にはコンビニ弁当の製造現場で労働力として働いていたりする。
B 2008年に当時自民党政治家として現役だった中川秀直(元自民党幹事長)が「多民族国家」を唱え、今後50年で人口の1割にあたる移民を受け入れるという提言をまとめて物議を醸したことがあった。その後、民主党のなかからも「1000万人移民受け入れ構想」を提言する政治家があらわれるなど、大企業なり金融資本の要求を受けて政治家たちが立ち回った。そして、2023年まできてみると、まこと多民族国家みたくなっているし、事はそのように動いてきたことがわかる。移民受け入れとは、すなわち低賃金労働のアンカーにしているだけで、派遣業の解禁なども含めて意図的に低賃金政策が実行されてきた関係にほかならない。
非正規雇用はこの四半世紀でいっきに拡大したが、団塊ジュニアの世代たち、ロストジェネレーション世代(失われた世代)で第三次ベビーブームが到来しなかったことが少子化をより深刻なものにして、その下の世代にいたっては更に絶望的な状況であることが出生数の低下にもあらわれている。歴代の政治が果たしてきた責任は重大だ。そのような国にしてしまったのだから。
貧困のスパイラル 経済的安定はほど遠く
C わたしたちが生まれた80年代の約半分まで出生数が落ち込んでいて、それは下関に暮らしていてもヒシヒシと実感する。子どもが通っている小学校も子どもたちの数は以前の半分以下で、学校統合も納得している親が大半だ。10年前なら「地域から学校をなくさないで」という世論も強かったが、ここ最近はさすがに「やむなし…」という思いも強まっている。子どもたちが切磋琢磨して成長していく環境を親としては与えてやりたいし、それなりの人数のなかで揉まれて育ってほしいと思うからだ。
A 下関は全国の自治体のなかでも五本の指に入るほど人口減少、少子高齢化が突出している街で、安倍晋三の選挙区といいながら酷い実態がある。否、安倍晋三の選挙区だからかもしれない。だから一概に他の地域と比べることもできないが、全国的にも同じような趨勢というか、むしろ下関を追いかけている状態なのだろう。威張れる話ではないが、明石市のような子育てに注力する自治体がうらやましくなるほど、人口減少、少子高齢化の最先端をいくトップランナーだ。
市庁舎が新品に建て変わり、議会は最上階を与えられて下界の下々を見下ろしている一方で、子どもたちの使う学校のトイレはあっちもこっちも壊れたまま修理されず、放置され続けるような街でもある。やはり子どもとか子育て世代を大切にしないことには少子化対策も何もあったものではない。自治体では明石市のように先進的取組をしているところも出てきているが、地方自治体レベルではなく本来なら国が責任をもってとりくむべき最重要課題であるはずだ。
C 「異次元の少子化対策」と聞いて、では何をするのか? だ。具体的には子育て世代としてはまず児童手当の拡充に目が向くが、現状では、児童手当は3歳まで月1万5000円が支給されて、そこから第一子と二子は小学校修了まで一人につき月1万円、中学生は一律1万円が支給されている。年収960万円以上の世帯は5000円と所得制限がもうけられている。年3回、4カ月ごとにまとめて口座に振り込まれて市役所から通知の手紙が届いている。子育て世代にとって、あるにこしたことはないし、確かに助かるが、成長にともなってエンゲル係数も上がり始めていて、おカネはいくらあっても足りないのが実感だ。
D できればなるべく児童手当には手を付けないようにして、子どもたちの必要な時に使うようにしている同世代のお母さんたちも多い。だけど、進級進学にかかる負担感はどうしても大きい。放課後の学童保育といってもおカネはかかるし、決して無料なわけではない。共働きも増えているなかで学童保育に通っている子も多い。多少のおカネはかかっても、一人で家に置いておくのは心配だからだ。
わたしが子どもの頃は、「鍵っ子」は少数派で、まだ友だちの家庭を見ても専業主婦のお母さんもいたけれど、最近は仕事をしながら子育てしている人がほとんど。というか、専業主婦って何人いるんだろうか? というくらい少数だ。とてもお父さんの一馬力で食べていける時代ではない。進級進学を考えると途方もないおカネがかかるし、だいたい女性が仕事をしながら子育てしようと思うと、「保育園落ちた。日本死ね」問題で浮き彫りになったように、体制としてもまったく十分ではない。
A 所得の中央値が25年前と比べて100万円以上下がっているように、長引く不況で全体が貧困化している。貯蓄ゼロ世帯も多い。世界的に見ても異様な低賃金政策がもたらした帰結としての少子化にほかならない。
これだけ子どもが少ない日本社会になったのに、一方で6人に1人ともいわれる子どもたちが貧困状態に置かれ、三食がまともに食べられないために子ども食堂が増え続けている。その数たるや全国で6000カ所にまで膨らみ、それに対して政治や行政が民間の善意に委ねている。まるで丸投げ状態だ。真面目に社会の未来を考えていたら、こんなことにはならない。「子は社会の宝」という意識が欠落して、放置し続けて今日のような状況を生み出している。さすがに慌てて何かする素振り程度はやり始めたのだろうが、アメリカ万歳、大企業天国万歳の自民党ではこの解決に乗り出すことは無理だ。国民生活がどうなろうが関心がないし、原因を作り出した張本人なのだから。
B 経済格差によって学問の機会均等についても差が出て、今時は大学に進学するにも莫大な学費が必要となり、奨学金という名のローン地獄に大学生たちを叩き込んでいる。こんなものも、れいわ新選組が掲げているようにみなチャラにしなければならない。550万人が苦しんでいるという奨学金をチャラにするのにかかる経費が9兆円。43兆円もの防衛費を米軍需産業にくれてやるよりもはるかに日本社会にとって有用だ。何百万円もの借金を抱えて社会人となり、非正規雇用のもとで返済し続けることを考えると、そりゃ結婚・育児などの将来を見通せるわけがない。学部にもよるだろうが、下手すると夫婦で1000万円なんて数字を背負いながらの育児出産だってあり得る。そうしたがんじがらめの状況をリセットすることとセットでやらなければ少子化対策にはならない。経済的安定をとり戻すことが急務なのだ。
A 防衛費にはバカみたいに金額を注ぎ、そのための増税までうち出している折に、「異次元の少子化対策」にはいったいどれだけの金額を注ぐのかだ。そして、具体的にはどのような政策を実施するのか。一方で台湾有事をはじめ対中戦争の鉄砲玉として自衛隊なり日本人を駆り出そうという最中の少子化対策とは、まさか「産めよ増やせよ」の令和版じゃあるまいな? という警戒感もある。何の目的で何をするのかをしっかり見ておかないといけない。
B 子どもが産み育てやすい社会にするというのは当たり前のものだ。昨今の少子化は当たり前でない社会によって作り出されたものだ。子どもたちが三食をまともに食べられないような、ろくでもない社会を是正する方向に政治を動かしていく力を強めることが重要だ。それは社会を構成する大人たちの責任でもあると思う。