輸入飼料や肥料等の生産資材の供給ひっ迫、価格高騰によって日本の農畜産業が厳しい局面に立たされている。なかでも存亡の危機といわれる酪農分野では、農家のほとんどが赤字を垂れ流しながらの生産をよぎなくされており、すでに全国で例年以上のペースで廃業農家が増加している。近年国が大規模化を促してきた酪農は、1戸当りの設備投資や借り入れ規模が大きいため、廃業だけでなく、膨大な負債を抱えて破産に追い込まれる悲劇が多発することも現実味を増しており、農畜産業が基幹産業である地方の地域経済やコミュニティにも重大な打撃を与えることが危惧されている。日本の酪農を支えてきた一大産地は今はどうなっているのか――。本紙は九州の「酪農王国」である熊本県に赴き、菊池市周辺で農家の実情を取材した。
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熊本県は、都道府県別の生乳生産量、飼養頭数ともに北海道、栃木県に次ぐ全国3位の酪農県だ。なかでも県北部の菊池地域(菊池市、大津町、菊陽町、合志市)は、阿蘇外輪山系に接する中山間地に台地、広大な平野が広がる地理的条件や、肥沃な土壌と豊かな水源に恵まれ、昔から農畜産業が盛んな地域として知られる。
山裾のなだらかな丘陵からデルタ状に広がる菊池平野では、広々とした田畑でコメや野菜などが栽培され、あちらこちらに牛舎が軒を連ねている。工場と見まがうような大きな牛舎の隅には飼料用の稲わらロールが高く積み上げられ、大型ブルドーザーやトラクターが何台も停められており、それぞれの経営規模の大きさを物語る。菊池地域は、酪農だけでなく、肉用牛の肥育農家、養豚、養鶏などの畜産業全般が盛んで、それぞれが県内シェアの4割以上を占める一大生産拠点だ。
現在140戸が菊池地域で酪農を営んでおり、約1万3000頭の牛が飼育されている。広大な農地を利用し、それぞれの農家がコントラクター利用組合をつくり、ハーベスターなどの大型農機を共有し、トウモロコシ(デントコーン)や牧草、飼料用米(WCS)などの自給飼料を共同で作っていることもこの地域の強みとなっている。また畜産農家から生まれる家畜の糞を堆肥として稲作栽培に供給し、稲作農家は休耕田で飼料米を栽培したり、収穫後に出る稲わらを畜産農家に餌として供給するという「耕畜連携」が盛んなことも、耕地面積が広く、一帯で多様な農業が営まれている地域ならではの強みだ。
ところが今年春から急激に始まった輸入飼料の価格高騰を引き金にして、菊池地域でも酪農家の大半が赤字経営に追い込まれ、廃業がかつてないペースで増しているという。安定的に乳を出したり、体調維持のために栄養価の高い餌を必要とする乳牛のホルスタインには、配合飼料(9割が輸入)や牧草(北海道を除いて概ね輸入)を多く与えなければならないが、これらの飼料価格が2倍にまで跳ね上がる一方で、農家の所得となる乳価が低く据え置かれているため、搾っても搾っても赤字が膨らむ事態になっているからだ。
県酪連の関係者は、「熊本県内の酪農家は426戸だが、4月から13戸が廃業しており、例年に比べてペースが速い。年末年始にかけてさらに増えていくだろう。熊本地震のときにも廃業が増えたが、今回の飼料高騰もまさに災害級だ。ウクライナ戦争や新興国の爆買い、円安などが要因であり、生産者だけで解決できるものではない。国は国産飼料の利用を推奨しているが、飼料の生産量をいきなり増やすことはできないし、数量も限られている。だから各農家も飼料コストを抑えるために域内で栽培される自給飼料の奪い合いになっている。この状態がいつまで続くのか先が見えないため、経営指導も固まらない。出口が見えれば融資を受けることもできるが、現状では返すメドのない借金になりかねない。むしろ廃業のための財産処分の相談が増えていくのではないか」と危機感を語る。
規模拡大で膨らむ赤字 いつまでしのげるか
一方、酪農家からは、「廃業できるのはまだマシな方だ」と語られる。2014年に起きたバター不足やTPP交渉参加を契機にして、国は設備投資や耕地拡大の費用の2分の1を補助する「畜産クラスター事業」で農家に増産を促してきた。複数の農家が共同でおこなう事業に限定されていた補助対象を、個人の事業にも広げて規模拡大を奨励し、全国の産地では、若い後継者がいる農家ほど億単位の借り入れをして牛舎を増築し、飼養頭数を増やし、搾乳ロボットや大型農機具を購入した。その借り入れの返済が始まる矢先、コロナ禍による消費減退、飼料高騰と畳みかける災禍に襲われ、「今廃業しても膨大な借金が残るだけ」「やめるにやめられない」という深刻な事態を招いている。
約200頭の牛を飼っている酪農家の男性は、「50年以上酪農をやってきて、これほどの危機はない。この状態が来年も続けば、全国の酪農家の8割、9割が壊滅するのではないか。膨らむ赤字で身を削りながらいつまで持ちこたえられるか……。うちも息子に事業経営を引継ぎ、数年前に国の畜産クラスター事業に応募し、約2億円の借り入れをして自動搾乳ロボットを導入したばかり。返済をしなければならないので利益がなくても、今酪農をやめるわけにはいかない」と実情を語る。
約180頭の乳牛から毎月4・5㌧の乳を搾って1000万円ほど売り上げても、粗飼料や配合飼料代の1200万~1300万円、クラスター事業の返済金(毎月200万円)がのしかかり、毎月300万~400万円の赤字となる。
「4月にJAから送られてきた支払伝票を見て、飼料代の桁が違うので“何かの間違いではないか?”と目を疑った。飼料代は昨年の700万~800万円から1・7倍にはね上がり、乳代から差し引いてもマイナスになる。自給飼料も作ってはいるが、10㌶作っても必要量の1割にも満たず、9割は購入飼料に頼らざるを得ない。昔のように10頭程度であれば自給飼料でまかなえるが、今はその20倍。飼養頭数が多ければ多いほど飼料の自給率は必然的に低くなる。副産物の子牛も、ホルスタインでは2カ月育てて市場に出荷しても買い手が付かず、1頭1万円にもならない。国による経産牛1頭当り1万円の緊急支援(1回限り)で、合計180万円入っても焼け石に水だ」という。貯金はすでに底を突き、新たに2000万円の借り入れをしたが、それでもしのげるのは半年程度だ。
男性は、「酪農家の数が40年前に比べて10分の1以下に減っても牛乳が供給できているのは、それだけ1戸の農家が規模拡大して生産量を維持してきたからだ。昔は2~3頭飼いが普通で、10頭飼うのが夢だった。だが家族労働で365日休みなく働いて、わずかな稼ぎでは若い人には将来性がない。だから規模拡大し、生乳の生産量を増やして経済力を付け、従業員を雇うことで酪農家も一般的な暮らしができるほど足腰の強い酪農ができる。それを目指して頑張ってきた矢先のにこの有様だ。まず乳価が上がらなければ始まらない。これまで酪農は、乳価はガソリン価格と同じなら成り立つといわれてきた。いまはガソリンは1㍑=160円台にまで値上がりしているのに、乳価は110円程度。350㍉㍑の缶ジュースでさえ100円から110円、130円と値上がりしているが、最もカロリーが高い牛乳は“家計の味方”といわれ、10円の値上げでも大騒ぎされてしまう。国は乳価が安いのは牛乳が余っているのが原因といい、今度は“早期淘汰(牛の処分)”とか“減産せよ”というが、生産量を増やすために借金して設備投資しているのだから、乳量を減らせというのは農家の首を絞めるようなものだ」と憤りを込めて語った。
また「酪農は貧しい農村から芽生えてきた産業だ。昔はコメ、麦、牛5頭という多角経営が農家のスタイルで、酪農は田畑が少なく貧しい農家の家計を助ける産業だった。それがこれほど大規模な借金をしなければやっていけなくなってしまった。この地域でも50年前は300戸あったのが、今は20戸。みんな生き残るために努力してきた優秀な農家だ。菊池や大津で酪農家が消えたら、その影響は地域全体に及ぶ。堆肥の生産もできなくなり、稲作にも影響が出る。牛乳を輸入に頼るまで落ちぶれたら、それはもう先進国とはいえないのではないか」と話した。
60頭の乳牛を飼養する酪農家は、「今廃業できるのは、牛や牧場、農地、機械などの財産を処分して負債が残らない農家だ。後継者がいない農家は、貯蓄を切り崩してまで酪農を続けるくらいなら廃業を選択する。だが大きな返済を抱えている農家は、酪農をやめて他の仕事で返済することは難しいので自己破産だ。クラスター事業でも100頭規模の牛舎を建てれば3億円はかかり、数十年は営農しないと元がとれない。建築費も値上がりしているから固定資産税も自動的に上がる。その状況をわかっていながら国は“経産牛の早期淘汰(牛を減らせ)”という。実際は“酪農家の淘汰”だ。経営規模の小さなところを廃業させ、それを大きな経営がもっていくためだ」と指摘する。
さらに「乳牛は、種付けから乳を出すようになるまで3年以上かかる。今減産させてブレーキをかければ、2年後にアクセルを踏むとき、ホルスタインも牛乳も不足して需給がひっ迫することは目に見えている。そもそも3年後にどれだけの農家が生き残っているだろうか。だから今、資本力のあるアウトサイダー(市場外卸売り業者)が牧場を安く買い漁っているという。彼らが狙うのは100頭以上の大規模農家で、負債を持っていない優良農家だ。だが酪農協を通さないアウトサイダーは利潤第一なので需給調整機能がない。彼らは安い加工原料乳に回されて不満が高まっている北海道から飲用乳を本土に送り込んでいるので、府県の牛乳と競合して安売り合戦になる。これを放置すれば、酪農家同士の潰し合いにしかならない。今は飼料不足で農家が苦しんでいるが、農家がいなくなったとき、次は人間が食べるものが不足して国民全体が飢えることになる。国が動くべきだ」と語気を強めて語った。
農家も決して手をこまねいてきたわけではない。じわじわと輸入飼料が高騰し始めた15年ほど前から、数年かけて耕地を確保しながら自給飼料の割合を増やしたり、和牛の繁殖(年に1度出産する乳牛に黒毛和牛の受精卵を移植して付加価値の高い肉用子牛を生ませる)を拡大し、その利益分で酪農の赤字を補てんするなど、リスク分散を進めてきた農家もある。それでも経営は厳しさを増しており、赤字を膨らませている農家がほとんどだ。
そもそも自給飼料を増やすためには、畑の管理や耕作に従事するための労働力や大型農機具の導入が不可欠で、人員が限られる家族経営や小規模農家にとっては難しいうえに、あらゆる耕作地を駆使してもすべての畜産農家に必要な飼料をまかなうことなど到底できない。
全国的に見ても、広大な草地がない中山間地の酪農家にとっては、「自給飼料100%」「自力で飼料を作れ」の号令は現実を無視した空言でしかない。輸入依存からの脱却は大きな課題だが、これまで構造的に輸入飼料に依存せざるを得ない経営の大規模化へと誘導してきたのは国自身であり、飼料自給率を上げるためには耕作放棄地や休耕田を利用した飼料生産を保証する財政出動をし、畜産農家に供給する仕組みを作ることが不可欠といえる。守るべき農家を選別するような救済策ではなく、さまざまな条件下で困難を克服しながら生産を守り続けている農家、その飼養する牛1頭1頭を守るための支援策こそが求められる。
365日牛と関わり乳生産 現場の農家の思い
牛とかかわる仕事のなかで、酪農ほど牛と接することが多い仕事はないといわれる。普段、給食やスーパーで当たり前のように並ぶ牛乳や乳製品が私たち消費者のもとに届けられるまでの過程をたどると、その大元には365日牛とかかわりながら生産を守り続けている農家の並々ならぬ苦労がある。
体質がデリケートな乳牛を扱う酪農は、1年を通じて1日も休むことはできない。本来であれば子牛が飲む乳を人間の食料として利用するため、酪農家が毎日搾乳しなければ乳牛は体調を崩してしまうからだ。現在は、「酪農ヘルパー制度」があり、有料のヘルパーを派遣してもらって1~2日搾乳や餌やりなどを代行してもらうことができるが、それでも系統的に牛の健康状態を管理しなければならない酪農家は気が休まることはない。
なかには1日3回という大規模農家もあるが、乳牛は概ね朝晩2回搾乳をおこなう。早い人では午前4時、5時の暗いうちから起き出して、牛舎清掃、子牛の餌やりや哺乳をする。牛舎の乳牛たちは時間になると自分からパーラー(搾乳施設)に集まってくる。パーラーには、長いホースが付いたミルカーと呼ばれる搾乳機がいくつも並べて設置されており、まるで工場のような光景だ。農家は、搾乳を待つ牛たちの乳房を1頭ずつ水できれいに洗浄し、殺菌剤で消毒した後、乳房にミルカーを装着して搾乳を開始する。牛と人間が息を合わせた共同作業だ。
取材した農家では、どこも搾乳は女性たちが担っていた。自分よりも何倍もある乳牛を追い立てながら、手際よく作業をおこなう。アルバイトで搾乳にくる20代の女性もいる。
若い従業員の搾乳を見守っていた農家の女性は「牧場で働きたいという若い人には女性が多い。地元の農業高校を卒業後、他の仕事をしながら仕事帰りに働きにくる子や、いずれ独立した牧場を持ちたいという子もいる。酪農は休みがなく、きつい仕事というイメージがあるが、家庭を持つ女性たちも働けるように夕方6時までには搾乳を終えるようにスケジュールを組んでいる。人間が牛に飼われているような状態ではなく、あくまで人間が牛を飼っているということを心がけ、牛にも人にもやさしい仕事場でありたいと思っている」と話す。以前に比べて少数精鋭になったとはいえ、酪農経営は地域の雇用の受け皿にもなり、担い手を育てる場としても着実に根付いている。
施設の大きさも搾乳方法もさまざまで農家の規模にもよるが、一度に20頭を搾乳しても、100頭もの搾乳を終えるには1時間半はかかる。ミルカーから管を通じて冷蔵タンク(バルククーラー)に貯乳される生乳は、サンプリング検査と計量の後、集乳車で乳業工場に運ばれる。1日3~4回の餌やりや餌づくり、清掃などの仕事をはさみ、約10時間ほど空けて、夕方にも同じ作業がおこなわれる。
搾乳量は、乳牛1頭当り1日で30㍑~40㍑ほどだ。「乳を出すようになるのは、子牛から育てて約1年半後に妊娠、それから10カ月後に初産を迎えてから。次の出産を終えると乳量も増える。そもそも牛が健康でなければいい乳は出ない。乳房炎などの病気になっていないかを毎日チェックし、しっかり餌をやって、手を掛けてあげることで牛たちも健康においしい乳を出してくれるようになる。生き物相手のたいへんな仕事だが、牛が好きだからやっていける」と語られる。その眼差しは、我が子を見守る親のようでもあり、頼もしい相方を見るようでもある。
搾りたての生乳は温かく、保存期間を延ばすために加熱処理されている店頭の牛乳と比べて、口当たりもまろやかでほんのり甘い。搾りたての風味を残したまま生産者に届けるために、自社工場をもうけて低温殺菌するなど6次化(自社生産、自家販売)をする農家もいるが、地元でしか飲めないおいしく安全な牛乳を消費者に届けたいという思いは、酪農家の共通した願いだ。
「乳牛は餌の量を減らしたり配合を変えただけで体調を崩したり、種(受精)が付かなかったり、分娩リスクが高まったりする。それがわかっていてもこれだけ飼料が高騰すると、知らず知らずのうちに飼料を減らしてしまう。牛の体調に直結するため自給飼料に置き換えるのも一朝一夕にはいかない。獣医も“どこの牛も今痩せている”といっていた。どこの農家も生き延びるために餌代を節約するか、乳量を増やすかの選択を迫られている。国がいう自給飼料100%と規模拡大は矛盾している。本当に放牧や自給飼料でやっていくのなら、飼養頭数を減らし、生産量も地産地消できるだけの枠を設定して、40年前の農業に戻すことなのではないか」(男性酪農家)
「農家のためであるかのように推進された畜産クラスター事業も、結局は農家のためではなかった。米国からの輸入自由化を進めるために、大規模化を推進するという名目で借金を背負わせて農家を潰すためのものであって、それに乗ったものほど今痛い目を見ている。来年3、4月の決算期には全国でバタバタと倒産農家が増え、首をくくらなければいけなくなる農家が増えることが目に見えている。それでも国もメーカーも動きは鈍い。その一方で、米国からの乳製品はどんどん輸入している。これは酪農家だけの問題ではない。9割の酪農家が消えれば、同じように苦しむ養鶏、養豚などの畜産や稲作、さらにはJAも乳業メーカーも含めて関連業種の9割が消えてしまうということだ。以前は、酪農家団体も霞ヶ関の日比谷公園で輸入自由化反対の大規模集会を開いたり、価格値上げに応じない大手メーカー工場前で座り込んで生乳の搬入阻止行動をしていたが、それくらいの行動が今必要だ」(男性酪農家)
「現在の生乳流通は、各農家が各県の酪農協を通じて全国10ブロックの指定団体(生乳販連等)に全量委託し、指定団体がメーカーとの間で需給調整と価格設定をする。耕地面積が広く生産費が比較的低い北海道は加工が8割とされ、都府県では9割が飲料乳に回されるが、都府県でも九州は生産量が多いため、余剰分を生産量が少ない地域に回したり、加工乳に回されるため価格が低い。こうして相対的に九州の乳価が低くなっている。しかも今回のように生産費が乳価に見合わなくなってくると、北海道の生乳が飲用として本土にも入ってくるようになり“南北戦争”が始まる。安売り合戦の潰し合いだが、その調整役がいない。国が需給の調整弁を果たさなければ、悲惨な結果になる。昔は地域で消費する量を地域で生産して小さな単位で需給を調整していた。市場競争に委ねて数少ない農家が競合したり潰し合うのではなく、地産地消の枠を設定してそれぞれの地域で酪農を持続できるようにするべきだ」(男性酪農家)
生産者のなかでは、経営体や業種の違いをこえて、戦後の輸入拡大政策のもとで国内農業を潰してきた農政に対するさめざめとした問題意識が語られるとともに、食料供給を守ってきた生産者としての誇りを共有し、消費者も巻き込みながらこの危機をいかに打開するか――厳しい現実を前に真剣な模索が続いている。