いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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被災者放置の棄民政治と激突 震災から4ヶ月経た現状と方向性

 東日本大震災から4カ月が経過した。被災地では避難所暮らしはそのままの状態が続き、多くの人人が生活再建のメドすら立たない状況に置かれている。そのなかで生産者を中心とした懸命な復旧が進められている。4カ月たった現状はどうなっているか、どんな問題があるか、4、5、6月に続く7月初めの現地取材を経て記者座談会を持って論議してみた。

 A 4カ月がたった被災地の状況はどうなっているのか。
 B 福島第1原発から半径20㌔圏内の住民は7万~8万人近くが県内外に強制避難させられたまま、戻れない状態が続いている。立地町の大熊町は会津若松市に、双葉町は埼玉県加須市の旧騎西高校に950人、猪苗代町のホテルに750人もの住民が避難していた。行政機能ごと集団移転している。その他にも福島県内の総合体育館や温泉旅館など、いたるところに散らばっている。多いところでは数百人単位の人人が、メドもなく一カ所に押し込められて生活を送っている。
 避難所生活は極限状態で限界がきている。年寄りの精神的ダメージがとくに大きく、自殺者まで出ている。うつ病のようにうつろな表情を見せている人、寝込んでいる高齢者も少なくない。憔悴しているし、いつになったら故郷に帰れるのか、先の見えない状態に苛立っていた。
 朝起きて、飯を食って、トイレに行って、夜寝るだけ。毎日その繰り返し。避難所は段ボールで囲んだ集団ホームレスだといっていた。
 C その他の被災地もおおかたのところが展望が開けず、仕事のメドすら立たない状態が続いている。仮設住宅が国道沿いや空き地に完成しているのに、空き家状態のところが多い。入居したら米を30㌔持たされただけで食料支援は切れるし、光熱費負担も自己負担になるから、せっかく抽選に当たって喜んでいたのに断る事態が起きている。「自活した」と見なす行政対応で、被災者の実情に合っていない。問題は仕事がないし生活の糧がないのだ。家や家財道具だけでなく家族を失い、光熱費を払い、食料調達も自己責任に委ねられてもどうしようもない。どうやって被災者が立ち上がるようにするか、人間の生活を中心に物事が動いていないし、政府や行政機構がそのように機能していない。
 D 復旧が進まず放置されている。4カ月もたっているのにがれき撤去のメドすら立っていない。全国から土建屋を総動員してショベルカーやダンプを集結させれば、いっきに片付けることができるはずだ。ところが“高台移転”といって建築規制をかけているから手が出せない。がれき撤去も高台移転が前提だから動かない。高台移転など造成するだけで何年も先になる。それまでどうするかがない。住民は離散してしまう。
 A 阪神大震災のときは、仮設住宅でコミュニティー崩壊が問題になったが、仕事はある被災者が多く、住宅の問題が急がれた。しかし東北は住宅はもちろん産業も地域コミュニティーもなにもかも根こそぎやられた。東北では第一次産業だし、とくに漁業を基本にした地域経済だ。この産業を立てなおさなければ生活は成り立たない。この点で岩手県の沿岸や宮城県の気仙沼の場合は再建の勢いが違っていた。

 建築規制で復旧進まず ガレキ撤去も放置

 C 石巻の復興が1カ月前と比較しても同じだったし遅れていた。魚市場を中心とした加工団地などには一部水道があるだけで電気も通っていない。周辺は建築規制で手がつけられない。「個別の企業の力ではどうにもならない」という重たい空気につながっている。阪神大震災後に住宅には多少の補助が出るようになったが、事業体はまったく支援がない。
 B 南三陸町など多くの町がガレキのままだった。4カ月もたっているのに放置されたままだ。これが先進国といえるのか。ある診療所の看護士が「ここはアフリカと同じ難民地帯なんですよ」といっていた。
 A 菅政府が早くから高台移転といって、ガレキ撤去も放置され、2カ月のはずの建築制限が9月までのばされて、低地は放置され、がれき撤去がペースダウンする。
 D 同じように津波に襲われた奥尻島の経験として、高台移転が失敗したことを研究者が月刊誌に寄稿していたが、「元に戻りたい」という漁業者や住民の願いがある。そうした地域の人人の暮らしの実際を飛び越えて「高台に逃げろ」というのは、防災観点が根本的に間違っていると指摘していた。生業を基本にして地震対策や防災を考えないといけない。自然に向き合いながらどうたくましく生きるか考えなければ誤るという問題提起だ。例えば高知県であれば、今から地震・津波が襲ってくる地域になるのは間違いないが、高台に移転するのか? そうはならない。すぐ退避できるような総合的な対応をしないとダメだという内容をいっていた。
 B 大災害が起きているのだから、被災地の現場を調べて、被災民のところから見て、どう立て直すかと考えるのがあたりまえなのに、政府はそれを見ない。現場に政府対策本部を置いて緊急対応をしなければならないが、東京の方に居座ってどうでもいいようなうわごとばかりいっている。日本の政府ではなくて、どこかの宇宙にただよう政府のようだ。国民にとって役に立たない政府の姿だ。古今東西の支配勢力は、治山治水などよくして住民が「世話になっている」と思っている間だけ支配の地位にいることができた。ところが国民はいなくていいという調子で、政治の体をなしていないし無力化だ。強権的であるが統治能力がなくなった姿を見せつけている。「こんな大災害で国民が困っているときは政府が動く」という常識は過去のものになっていることをはっきりさせなければならない。
 こういう状態になっていることについて、政治家も官僚も学者もメディアも、この大災害をどう外来資本のビジネスチャンスにするかを第一に考えているから、被災地は悲惨なことになっている。自然の津波の次に人災の津波が襲っている状態だ。そして東北地域に人が住めなくしている。
 A 4カ月たってみて復旧が進まないし、「進ませない」という政治が働いている。新自由主義勢力が市場拡大のビジネスチャンスにしようと狙っており、そのような政治が働いているが故に復旧を進ませない。被災現地の復興にとって障害をつくっている関係だ。
 B 福島県がひどい状態だ。放射線量が低いのに追い出して難民生活を強いている。ここから地域を再建しようと思ったら、放射能の除去だけではない。地域の産業を立て直さなければならず、コミュニティー全体を再建しなければならない。一人だけ戻っても買い物もできない。地域の病院や学校、行政機構にいたるまで、地域全体が立ち上がらなければ生活はできない。これを放置したら放射能以上に困難になる。
 D 復旧を長引かせれば長引かせるほど人は戻ってこない。離散してしまう。帰る基盤をつくるのが大変なことになる。ハリケーンで被災した米ニューオーリンズでも“ショック・ドクトリン”を実行し、長らく放置して住民が帰ってこれないようにしたおかげで人口が半減した。そこを大資本がビジネスチャンスにして土地からなにから奪っていった。新自由主義というのは目先の利益のためには残酷なことを平気でやってのける。人間を人間と見なしていない。
 B 原発から20㌔圏の外側でも住民が逃げてしまって閑散とした山間部があった。だれもいないし学校も閉まっている。店もしかり。廃村かゴーストタウンかと思うような状況だった。共同体破壊も甚だしい。自宅前の畑をいじっていた70代の男性が「これでは部落がつぶれてしまう」と心配していた。
 A 「危ない」「逃げろ」というが住民の健康や生命の心配などしていない。住民は20㌔圏は放射線量は低いといっている。記者が20㌔圏の検問所に行ったときもそうだった。中通りの福島市や郡山市の方が倍以上の線量だ。放射線量の低いところからわざわざ高いところに避難させているのだ。3月15日が放射能汚染のピークだったというが、途上でも「逃げろ!」というばかりで、SPEEDIを公表せず、どっちの方角に行けばよいのか知らせなかった。逃げまどった挙げ句、わざわざ放射性物質が降り注いでいる最中の飯舘村に1000人以上が避難していた。この政府は住民の生命を守るつもりがないのだ。
 B 菅直人や枝野をはじめ、原子力安全委員長や保安院、もちろん東電の幹部は処刑すべき対象だと避難民が怒っていたのが印象的だ。この悲惨な住民避難は、放射能から生命を守るためではない。放射能汚染という機会を使って、別目的を実現しようとしている。やっていることは土地の強制収容だ。核の処理施設や高濃度放射性廃棄物の地層処分の土地を取り上げたいという願望が先に立っている。そのための残酷な住民追い出しだ。沖縄戦での住民を収容所に入れ、帰ってみたら古里は金網に囲まれた基地になっていたという再現だ。
 D 長崎原爆展に福島の地元住民が参観しに来ていたが、一時帰宅で戻った住民たちのなかで自宅の方が放射線量が低いことに驚き、「これだったら帰れるじゃないか!」と話題になっていることを語っていた。
 C 南相馬市が典型的だったが、20㌔ポイントの検問所から数十㍍離れたところでは普通にみなが暮らしている。放射線量をはかっても0・25マイクロシーベルトと微量だった。それなのに、国が線引きした検問所から向こうの住民は、避難所で極限状態に追いやられている。住民たちは「秘密ゾーンにしてなにをしようとしているのか」「絶対におかしい」と口口に語っていた。

 広島・長崎の経験隠す 除染にも動かぬ国

 B 原発周辺の避難住民たちは、表面的には「あんなところに戻れるわけないだろう」と語りながらも、根底には「戻りたい」という強い思いがある。複雑な心境のなかで葛藤している。年寄りは「放射能を浴びてもいいから戻りたい」とほとんどの人が語っていた。人生をかけて築き上げてきた全てが、あの封鎖された20㌔圏内の土地にある。しかし今の現状ではとてもムリだ…とあきらめかけた心境との狭間で揺れていた。
 D 長崎原爆展に富岡町から来ていた住民も、戻ったら家のなかはぐちゃぐちゃで、雨にさらされてカビが生えていたと様子を語っていた。東電は「ブルーシートをかけるくらいは対応するが、地震は東電の責任ではない」という対応だ。「もう戻れないだろう…」と話していたが、広島や長崎では人人が生活しているし、必ず元に戻せるという話になり、希望を感じていた。広島、長崎の経験が東北にはあまり知らされていない。
 A 比較するのもチェルノブイリばかりで、広島や長崎の経験を隠す。チェルノブイリは放置して、人が入れないよう秘密にするし金をかけなかった。広島、長崎の被曝量は福島の比ではなかった。福島では、髪が抜けたとか、下痢、おう吐をし紫の斑点が出てつぎつぎに死んでいったという話はない。はるかにひどかった広島、長崎が立派に復興しているのに福島が復興できないというのは意図的な脅しだ。除染や復旧にいっさい動かない政府対応の異様さが暴露されている。追い出そうとしているからだ。
 C 広島、長崎に行ったら残留放射能を浴びるというものはいない。特別に除染作業をやったわけではない。台風や梅雨の雨が降り、放射性物質が流れてしまったとしか考えられない。福島も放射線量はどんどん減っている。ヨウ素はなくなった。今堆積したセシウムから放射線が出ているが、雨や風で飛散している。
 B だから避難所にこもらせるのではなくて、地域に戻らせてみんなで除染作業をやったらいい。もちろん責任企業である東電に日当を出させ、汚染されたがれきは原発の敷地に焼却炉をつくって燃やすとか、汚染土壌や草木を引き受けさせ、国産でいいから汚染水除去装置をつくって処理すればよい。
 A 放射線量が高いから戻れないのではなく、核のゴミ捨て場にするという権力の抑圧によって戻れないのだ。表面に塵として積もっている放射能がガイガーカウンターに反応している。ヨウ素が発見されていないことは、新しい放射性物質が原発からは放出されていないことを示している。セシウムも1年間で1㌢しか土地に浸透しない。だから表層を削れば除染できる。山の木や草に付着した分は水で流し、下草は集めて処分すればよい。みんなでやればよい。
 B 伊達市が「全市の除染を実施する」と発表して現地でもみなが心強く感じていた。被災したり避難をよぎなくされている住民が展望を持てるようなことを政府が打ち出せば違ってくる。生活再建のメドが明らかになれば気持ちも違ってくるのに、政府の対応が「ダメ」「危険」「逃げろ」だけで、なんら展望が示されない。脅しだし、残酷きわまりない恐怖政治だ。
 C 宮城、岩手にしても棄民政策がやられている。規制をかけてしまって動けない状態だ。高台移転や創造的復興というが、「9月11日まで建築規制をかけます。その間に区画整理など都市計画を考えます」といって勝手になにもできないようストップをかけ、事が動かない。国が予算措置を講じないから、被災自治体も税収の減少分やがれき撤去の費用にいたるまで、自治体が倒産するほどの地方債を発行して困り果てている。地域を崩壊させ、消滅させる力が働いて放置している。
 A 復興させようと思ったら産業を動かすことが第一に急がれる。仮設の水産加工場をつくって無償で貸し出すとか、公的な力でバックアップしなければ地域が消滅する。漁業を中心とした産業全体を組織しなければ、「自力でやれ」といってもムリだ。みな借金を抱えている。
 D 仮設でもいいから加工所や製氷所、人が動くツールを機能させていけば地域再生のメドが出てくる。そうでもしなければ雇用の場すらない。放置していたら離散して消滅するほかない。戦後復興も焦土と化したなかで、バラックのなかから立ち上がっていった。失対事業や臨時雇用の形でも動かし始めれば、それで収入を得て避難所の人人にも展望が出てくる。

 重茂は漁協中心に復旧 立上がる力も強く

 B 岩手県の重茂半島では漁協がその役割を担っていた。組合員の離散を防ぐために臨時雇用の形でみんなを雇い、給料を保障しながら自力でがれき撤去や操業再開の準備にあたっていた。船は足りないものの、漁協が一括購入で他県から調達するなど動きが早い。展望が見えたら被災地は動き始めるし人の手と足が復興の最大の原動力であることを証明している。
 A 企業化したところほど立ち直る力が弱い。強いのは前浜に依存した漁業共同体だった。企業は資本がなければ手も足も出ない。重茂が重要な教訓を示している。漁業でも戦後は沿岸から沖合・遠洋に競争しながら出ていったが、磯や沿岸で徹底してみんなの力で開発した方が強かった。
 B 困難なときほど共同体の結束力が威力を発揮する。重茂の漁業そのものはワカメや昆布養殖が主流で、その他にウニ・アワビなどの採取をやり、定置網でサケをとっていた。養殖で使う船はGPSやレーダーなど必要ない。1・4㌧の小舟に船外機がついたものだった。油代もかからない。しかし年間1000万~3000万円もの漁家収入を生み出していた。少しでも大きい船、人より速い船、沿岸より沖合、沖合より遠洋といった戦後の資本主義的な競争論理ではなくて、地に足をつけてやってきた伝統がいかされている。魚付保安林も伐採しないよう厳重に管理しているし、30年前から「合成洗剤を使うべからず」と規制をかけ、生活排水にも気を遣って漁場管理を徹底していた。これは重要な教訓だ。
 また、漁協が加工場を整備して100人ほどの雇用も生み出していた。自分だけ良いことをしてやろうとかの抜け駆けではなく、震災からの再建でも共同化でみんなが力を合わせるし、漁村地域全体の共通利益から掟や規律を徹底し、豊かな自然と共生していく姿だった。そういう漁業で暮らしを営んできたし、震災以前の状況に戻せば生活していけるという目標がはっきりしているから、しっかり着地点を見据え復興が進んでいた。
 D 政府が棄民政策をとって放置している一方で、岩手県の漁協のように、共同体組織がみんなの力を組織して引っ張っている。下から立ち上がっていこうとする力と、大資本のビジネスチャンスにしようとする政治が大矛盾になっている。
 C 被災自治体の庁舎に行くと、「首都機能の東北移転を要請しよう!」というポスターやチラシがどっさり置かれていた。「新首都中心街構想」「311防災監視タワー構想」「リニヤ新幹線+高速道路構想」などの開発プランが青写真つきで描かれていた。「一般財団法人東日本大震災復興支援機構」という名前で出しているもので、石巻・松島エリアが首都機能移転の候補地として提示され、311㍍のタワービルを建てるとか、高層ビル群が建ち並んだ絵をここぞとばかりに出してきている。被災者が置かれた難民のような現実と、雲の上で浮き足立っている連中とのあまりのギャップに異様さを感じずにはいられない。
 A そのような開発をやるためには、今の被災地は更地のままにして人が戻らないようにしなければ都合が悪い。ガレキ撤去もせずに人が離散するのを待っているのは、そういう外来資本の東北収奪の機会にするためだ。棄民政治で土地を分捕るというものだ。反原発勢力がソフトバンクの孫正義を救世主のように扱っているが、被災地の土地を奪って電力利権に乗り出すというものだ。「再生エネルギーか原発か」というのも「孫正義か東電か」という争いであり、財界のなかで再生エネルギー派が出てきて、旧来の九電力維持の経団連勢力と衝突している印象だ。
 C 住宅地の多くも津波に襲われたことで地価が暴落しており、自治体職員たちは「固定資産税の評価額が下がって税収が落ち込む…」と頭を悩ませていた。安値の土地が出現して、これをビジネスチャンスととらえる連中がはしゃいでいる。
 B 福島でも土地の接収意図が働いて避難民を放置している。放射能が危険性を持っているのは事実だ。しかし年輩者にはほとんど影響はない。飯舘村にはIAEAが乗り込んで全村避難させたが、岩盤が強固な地層処分の適地として10年以上前から目を付けている。それで強権で追い出している。対立点が全般的に浮き彫りになってきている。
 D 復興構想会議は東京主導で、この路線が根本的に問題だ。阪神大震災のあと「創造的復興」などといって、もともとあった開発プロジェクトを地震をきっかけに実行した。空港や港湾、再開発を「復興」と称してやっただけで、被災民救済にはならなかった。それをまたやろうとしている。阪神大震災の復興に関与したのも五百旗頭だった。外来資本が食い物にしようとした場合、東北の沿岸は更地にして人がいなくなった方が具合がいい。
 B 石巻の水産加工団地では4カ月もたっているのに電気すら走っておらず、いまだに警視庁が交通整理をしている。牡鹿半島でも電気は復旧しているのに、広大な都市部が放置されたままだ。首都機能移転とかアグリビジネスの拠点、水産復興特区の中心地として人人を追い出そうというのなら、放置されて事が動かないのは符号する。
 D 被災した県のなかでも宮城県・村井知事が暴走している。東京財界の代理人で、宮城県の復興会議メンバーは地元代表者が排除され、東京人や野村総研が中心になっている。そして職住分離や水産業では漁港を3分の1に集約するとか、漁業権の民間開放・企業化を頑として主張している。地元代表者らが復興構想を練っている岩手県とも違いがある。津波でやられたのは沿岸で、水産業の打撃が大きい。漁業と関連する地域社会の壊滅で、この復興が最重要課題だ。

 新自由主義徹底と対決 全国共通の課題

 C 復興構想会議の路線でいけば沿岸漁業はつぶしてしまう。漁港集約や民間開放すれば地元漁業はつぶれる。人が難儀な思いをしているところに、つぶそうとする力を加えるわけだから大矛盾をきたしている。現地では反発が強いが、復興の邪魔をする。いちいち障害になることを権力側が持ち込んでいる。まともに復興できるように援助するのが県や政府なのに、邪魔をして水を差している。
 東北を突破口にTPP体制・全面自由化をこの際に実行し、モデル地域にしようという意図が棄民政策にあらわれている。ろくでもない政府だ。とにかく外資と財界の都合で突っ走る。ここで東北大収奪のチャンスにしようとしている。農業にせよ、漁業にせよ、TPPで実行しようとしていた政策が丸ごと反映されている。しかし対抗する被災地のパワーもすごい。新自由主義を徹底しようとするのに対して、対立の性質をはっきりさせて、たたかわなければ復興できない。全国共通の課題としてある。
 D 震災を機に、復興の方向でも農漁業の見直しが全国的世論としても広がっている。生産を基盤にした共同体的な結束の重要性、みんなが協力してやるのだという意識が強まっている。目先のことばかりいってもダメだとなっている。
 A 今回の大震災を見ても、日本の自然条件に照応して日本民族の歴史があるのに、これに反してひどい目にあった。防災にしても資本主義の経済力、工業力でデカイ堤防をつくれば防げるようなことをいってきたが、最強堤防も押し流されて話にならなかった。巨大なコンクリ岸壁がおもちゃのブロックのように押し流されたり、津波の力はすごかった。
 資本主義の工業力はすごいのだ、アメリカは一番すごいのだといって、日本民族の歴史を断絶させて、大失敗した。それが今度の大災害だ。アメリカのものまねをして大失敗したのが原発だ。農漁業を軽視するのが自然軽視の根底にある。農漁業の考え方が少しでもあれば自然への態度も違う。農漁業を振興させることが、日本民族にとっても一番の原風景になる。これを失うことの意味は大きい。民族絶滅にもなる。
 D 市場原理は目先の利益だけ追い求めるから、歴史も自然条件なども計算に入れていない。そして津波がきた後もビジネスチャンスに置き換えてしまう。懲りない面面だ。そういうお粗末な哲学だ。
 A この大震災をめぐって、一方では避難民が悲惨な状態に放置されている。世界最大の債権国というが、4カ月もたってガレキ撤去もできない、生活復旧のめども立たない。国会のドタバタもふくめて政府に復興する気がない。被災地をくたびれさせてしまうし、国会騒動はそのカモフラージュみたいなものだ。それはこの大震災を新自由主義市場拡大のチャンスにする、広大な更地を取り上げて東北収奪のチャンスにするという外来資本の意図が働いているからだ。意図的な被災者の放置、棄民政治との大激突が避けられない。それに対する全国的な真っ向からのたたかいがいる。

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