本紙は、今月13日から15日まで盆休み期間に東日本大震災被災地である福島県と宮城県に集団で出向き、本紙号外『福島が復興できぬわけがない―広島、長崎の被爆市民は訴える』を約8000枚配布した。号外は、大震災と福島原発事故から5カ月が経ちながら放射能汚染を理由に強制避難地域や農水産物の出荷制限が広がり、被災地の復興が一向に進まないことについて、原爆による被害から立ち上がった広島、長崎市民の間で語られている被爆復興の経験や福島は必ず復興できるとの指摘を紹介。さらに、津波被災地も含めて被災者を放置して土地接収や外資による開発を意図する政府の復興方針と住民要求との対立を明らかにした記者座談会を掲載。号外を受けとった両県民からは強い共感を集め、福島県内に約6000枚、宮城県では約2000枚が配布された。
「配る」と号外預かる人も 福島県会津若松市等で
原発被災地の福島県では、会津若松市、猪苗代町、福島市、伊達市、飯舘村、南相馬市などで配布した。商店街や役場、公共施設、病院など「広島、長崎」と聞くだけでだれもが真剣な顔つきで号外を受けとり、「必ず復興できる」との広島、長崎の被爆市民の声は「いろんな情報が錯綜して漠然とした恐怖が煽られているなかで、広島、長崎の経験とつなげてもらえるのは心強い」「復興の力になる。ありがたい」と強い感謝と共感を集めた。
原発から150㌔離れた会津若松市では、観光客が例年の二割にまで落ち込むなど未曾有の経済的打撃のなかで住民からは復興にかける強い気持ちが語られ、号外は手から手へと預かられた。
神明通り商店街で飲食店を営む婦人は、「このあたりでは風評被害がひどく、客が激減した。野菜なども福島県産は入荷できなかったり、特産の桃も中元などでの消費量が半減している。でも必ず福島も復興します。ありがとう!」と語り従業員にも配るため20枚の号外を預かった。
眼鏡店の婦人は、「広島も長崎も復興したのだから福島も必ずできる。この通りだ。でもマスコミの報道を見ても漠然とした不安ばかりが煽られて、本当のことがわからないし、食べ物も不安ばかり煽られている。牛も野菜も米もダメだといって輸入を増やしているが、それでは日本はどうなるのかと思っていた。お客さんにも読んでもらいたい」と号外を預かった。
雑貨店を経営する婦人は「佐藤知事が国や東電に怒っているが、まず県民に謝るべきだ。自分が耐用年数を超えた原発を継続して稼動させると判をついたのに、それは棚に上げている。会津若松市は六、七年前に富士通が撤退して以来、水道料金がはね上がった。富士通トップが外資になって、仙台工場などに統合するということで市民も大勢リストラされ、通える人以外は職を失った。国や通産省の管轄ということで市議も県議もなにも触れなかった。国策や大企業の利益であれば、議員も猫のように黙りこんでだれも住民を守ろうとしないことが浮き彫りになった。私たちが下から声を上げていかないといけない」と共感をのべた。
また、会津は明治維新前夜の戊辰戦争で薩長軍と幕府軍との激戦地となった場所でもあり、「長州から来たのか」「山口県出身の歴代総理は一度も会津に来ないのに、よく来てくれた」と一様に歓待を受けた。
同市の温泉街や猪苗代のリゾートホテルには、双葉町や大熊町などの原発立地町や原発から20㌔圏の「警戒区域」内からの避難者が長期の避難生活を送っており、ホテルが号外を預かったのをはじめ、ロビーなどでも避難者の手から手へと号外が手渡されていき食い入るように読まれていった。
号外を受け取った大熊町民の婦人は、「ここでの生活が5カ月になるが、いまだに先の見通しが立たないし、原発から3㌔以内なので一時帰宅もできない。放射能汚染が騒がれて故郷に帰ることを諦めざるをえないような雰囲気だが、福島では広島や長崎のように放射能で死んだ人は一人もいない。私たちのような60代を超えた人間にとっては、どうなってもいいから故郷に帰って再生のためにできることをやりたい、どうせ死ぬなら復興の力になって死にたいと願っている者はたくさんいる」と語った。
また、「避難所に閉じ込められて、すべて代償は、金、金でバカにされている気がする。故郷は金には換えられるものではない。5カ月たつのに福島ではいわき市から浪江町にかけての浜通りでは鉄道も橋も道路も壊れたまま放置されている。避難生活が長引いて、若い人には失業保険が給付されているが、仮設住宅に入っても働く場所がなければ食べていけない。先の見通しがまったく見えないのに“故郷に二度と戻れない”ことだけが既成事実にされていることが悔しい」と怒りをかみしめながら語っていた。
双葉町の災害対策本部が置かれているリステル猪苗代(リゾートホテル)には、一時は700人を超える双葉町民が避難していたが、現在は約260人にまで半減している。ホテル使用の期限日が半月ごとに更新され、「他の利用者からの苦情」といった内容の貼り紙があちこちに貼られるなど、追い詰めるように仮設住宅や借り上げ住宅への入居が進められている。だが、家財道具などの全財産を放棄させられた避難住民にとって、救援物資が届かず光熱費や食料なども自己負担となる仮設住宅入りは厳しく、政府と東電に対する強い怒りが渦巻いていた。
60代の男性は、「一時帰宅したが、やりたいことは山ほどあるが二時間ではなにもできない。避難生活では手足がもがれた状態でなにもできず、これだけ破壊されているのに復興に向けて力にもなれない。広島でも長崎でもあれほどの廃虚のなかから被爆者自身の力で町を復興させている。政府は“がんばろう東北”というが、意図的に頑張らせないようにしている。政府の政策は、住民とは関係ない別の意図でその気持ちを逆なでしているんだ」と怒りをぶつけた。
必ず復興させると反響 福島市や伊達市
原発から100㌔近く離れた福島市でも、放射能汚染が騒がれるなかで県外への避難によって人口が減少したり、夏休みなのに公園や川で遊ぶ子どもの姿は見られない。飯坂温泉、不動温泉などの観光街も客が激減し、全国2位の出荷量を誇る桃も七割が売れ残り、安値で買いたたかれるなど危機的な状況に置かれている。福島駅前の商店街では、各店が号外を喜んで預かり、「地域の人たちや知人にも配りたい」「絶対に無駄にせず、自分たちの力で福島を復興させる」と強い反響を呼んだ。
旅館を経営する男性は、「福島市は飯舘村の次に線量が高いといわれて、庭の木も切らないといけない。今は子どもたちは避難していて街が静かになっている。でも私たちはここでやっていくほかないし、そういう人が大半だ」と語り、宿泊中の避難者に配るために号外を預かった。
散髪屋の店主は、「山口から来てもらってありがたい。若い人が真剣に考えてくれているのが本当にうれしい。広島も長崎も復興したことを思えば、福島も必ず立て直せる。県民みんなに伝えてほしい。放射能が危険なことはわかるが、このままでは福島はバラバラになる。政府に立て直す気がないんだ!」と激しく語って号外を受けとった。
飲食店の70代の婦人は、号外を見ながら「うれしくて涙が出そうだ。震災前から不況で客は少なくなったが、震災後は月に3人くらいしか来なくなった」と実情を訴えていた。
福島駅前で待機するタクシー運転手たちも次次に号外を受けとり、「震災前から売上は悪かったが、震災後はいっそう客が来なくなった。危険だとしかいわない放射能の風評被害は、テレビなどで報道される以上に影響が大きい。西日本からこのような形で誠意ある応援をしてくれると元気が出る。お客さんにも渡したい」「“市民のために”といいながら、いざというときに全然地元のために動かない連中をあてにせず、国民が立ち上がらないといけない」と共感が語られた。
福島市の職員も、「テレビなどのマスコミは政局よりも復旧、復興が第一といいながら、政局の騒動をおもしろおかしくとり上げて国民の関心を誘導している。山口県では吉田松陰も命をかけて脱藩して、国のために、国民のために行動して東北にも歩いてきた。今はそんな政治家はだれ一人いない。3号機の水素爆発について、アメリカの指示を聞いていれば爆発しなかったかのようにいうが、そもそも日本は条件が違うアメリカ製の原発をそのまま持ってきて40年も稼働させていることが問題だ」と語って号外を受けとっていた。
福島市に隣接する伊達市でも、市役所で200枚配布されたのをはじめ、商店街でも「従業員にも配りたい。福島県産は敬遠されているが、私たちは地元のものをしっかり食べている。今年は、例年になく桃のできが良いのに大半が売れ残っているのが悔しい」(60代婦人店主)、「広島や長崎の人たちは強い。私たちもこれくらいで負けてはいけない」(婦人)など強い共感を呼び、特産の桃やお茶を差し入れてくれる市民も見られた。
再建めざし総出で祭り 南 相 馬 市
市の大半が福島原発から30㌔圏内に含まれる南相馬市では、7万1000人の人口が原発事故直後は1万人強にまで激減したが、8月15日現在で3万9569人が戻り、復興に向けて活気をとり戻している。計画的避難区域に指定されて強制的に村外へ退去させられた飯舘村では、道路端にも草が人の背丈ほどに生い茂り、田畑が荒れ地と化しているのと対照的に、人手によって田畑も除草され、街の機能が復活していた。14日の晩には、原町商店街連合会の主催で市民盆踊り大会が開かれ、子どもたちからお年寄りまで総出で祭りを盛り上げ、復興にかける強い思いがみなぎっていた。
商店街では、「事故直後、飯舘村に3日間避難していたが、線量が飯舘の方が高いことがわかり、栃木に逃げろといわれた。でも、南相馬に店もあるし、私たちのような60歳を超えた人間が放射能を恐れることもない。こんなことで町を捨てるわけにはいかない」(喫茶店店主)、「埼玉に借家を借りて住む算段までしていたが、その直前にみんな帰って来ていることがわかって店を再開した。南相馬から福島に避難している人たちもいるがこちらの方が放射線量も低い。自分たちがやらなければ復興はない」(酒屋店主)、「患者や従業員にも知らせたい」(病院看護師)など、口口に共感が語られながら広範囲に号外が預かられた。
盆踊り会場に来ていた男性は、「伝統的な盆踊り大会は、以前は細かい地域ごとで開催されていたが、今年は統括して開かれている。この状況でも祭りを開催できたことに意義があるし、みなこれを力に市民が団結して復興への第一歩になる。“危険だ”という報道ばかりで、一般市民は復興させたいのになにを信じればよいのかわからない状態だ。広島や長崎の実体験にもとづいて復興できると励ましてくれると元気がでるし、やる気がでる。負けてはおれないんだ」と力強く語っていた。
避難所の小学校にいる男性は、「警戒区域内の小高区は1マイクロシーベルトを下回っていて、一時帰宅した人たちのあいだで“これなら戻れるじゃないか”と大話題になっている。復興作業をしないからすごい臭いだし、草も伸び放題だ。仮設住宅に移れといわれても、一時帰宅で持ち帰れるものは70㌢四方のビニール袋一枚分だけ。放射線量の低い地域から地域ごとに戻らせるべきだし、今問われているのは住民の団結力だ。みんながまとまって要求しないと政府は動かない。“70年も草木も生えない”といわれた広島も長崎も立派に復興したことはだれもが知っているし、この時期にこういうことを知らせてくれるのはありがたい」と語っていた。
宮城県石巻市や女川町 水産業再興へ意欲 国の放置と激突
津波に襲われた宮城県の仙台平野や石巻市などでは、倒壊した家屋のガレキなどが撤去されて町のいたる所にうずたかく積まれ、荒涼と広がる更地に残されたコンクリート製の家の基礎だけが以前ここが町であったことを物語っている。国による建築制限があるため壊れた家屋は立て直すことも修理もできず、40度近い暑さのなかでガレキから出る鼻をつく腐敗臭とともに大量のハエが発生して被災者を悩ませていた。15日は震災犠牲者の初盆にあたり、津波によって墓石が流失した墓所でも花筒に花が手向けられ、多くの人人が手を合わせていく光景があちこちに見られるなど、町は厳粛な空気で包まれた。
石巻漁港の市場や水産加工施設などは、沈下した岸壁のかさ上げ作業が進められているものの復旧の目立った動きはみられず、半壊した施設がそのまま放置されている。仙台の工業地帯ですでに営業を再開している事業所も多いのに比べても後回しにされていることは明らかで、水産加工業にかかわってきた市民の雇用先がないことが大問題になっている。
約250枚の号外が配られた石巻市役所では、「国の建築規制のおかげで復興計画が進まない。被災した市民から出される要求通りに進めようと思っても、国側の方針とつねに衝突して前に進まない」「国の復興計画、県の復興計画がおかしすぎる。崩れた家に戻っている市民もいるが、改修工事をしても建築規制がかかっている以上は補償の対象外だから触れないし、津波被災地は国が買い上げる可能性もある。市も手が回らず体調不良で倒れる人もいる」と実情が語られ、職員の手によって各課に号外が配られた。
津波に襲われた駅前の商店街でも、「商品の八割が損害を受け、客も少なくなったが店を開けることで復興の活気を盛り上げたい」「石巻は水産業で成り立ってきた。ここが立ち直らない限り商店街の復興はない」と語られ、放置されている水産業再興にかける思いと国の放置政策への怒りが語られていた。
津波によって町の7割が流失した女川町でも、町中心部は完全な更地になり、倒れたビルなどがそのままの状態で放置されていた。建築制限で町には戻れず、人人が追い込まれた避難所ではハエ対策で蚊帳がつられ、猛暑の中で冷房もないため体調を崩す人も多く見られた。福島と同様に、復興にかける町民の意志と政府の土地接収に対する抵抗の力が脈打っていた。
水産加工に携わる町民は、「家が流されたが、女川では低地はすべて商業地にして、居住地は高台に集約することが決まっている。土地を国が買い上げて代替え地をもらうという話だが、新築の家を建てる経済力がない人がほとんどだ。港の一部が残ったので水揚げは再開されたが、加工施設や冷凍施設がそろっていないので一年後、雇用先が確保されるかどうかわからない。職がなければ町民は市外に出ていかなければいけなくなる。女川は水産業の町だが、原発も抱える大矛盾だ。福島の二の舞にするわけにはいかない」と力強く語った。
仮設住宅で暮らす40代の婦人は、「国の復興計画が示されないから、みんな身の振り方がわからない。出される復興計画は地元の意向とはまったく反対だ。政府は“心を一つに”とCMでやっているが、お前たちが一つになれ! と思う」と怒りを露わにした。
また、「女川原発も、福島の陰に隠れて事実が隠されている。震災のときに火事になったことさえ知らされていない。今まで内部告発で保安院も県の対策委員も全部はぐらかし、マスコミも扱わない。被曝した人もわずかな金を握らされて泣き寝入りだった。女川は漁業の街だが、知事が漁業権の民間開放や経済特区といっているが、大手企業が乗り込んできて漁師を安い給料で雇って不振になったら首を切る。村井知事は大企業の要求なら、五分短縮するために高速道路を造るなど癒着体質の強い知事だ。絶対に勝手なことはさせない。山口県も上関原発は絶対に阻止して欲しい」と共感を語って号外を受けとった。