東日本大震災から半年がたった。ガレキの撤去は半分しかすすまず、仮設住宅ができたといっても生活のめどが立たない。仕事がないのである。生活できないために人口流出が激しくすすみ、地域社会が崩壊するままに放置されている。加えて放射能汚染がいかにひどいかばかりいうだけで、それを除染してどう元に戻すかで政府は動かない。東北の人人を難民にしてしまおうという、この国の政府はいったいどうなっているのか。人人を生活できなくさせてしまう。これは東北だけではなく、下関でも全国でも共通している。
80年代以後、政府はアメリカのいいなりになって規制緩和、市場原理を叫び、新自由主義改革をすすめてきた。それは外資や一握りの金融資本、大企業が好き勝手に金もうけする自由であり、その障害となる社会的な規制を取り除くというものであった。そして政治も経済も文化や教育も医療や福祉も、もうかるかもうからないかだけの軽薄な基準が大手を振り、「社会のために」「国民のために」は死語になって日本社会はガタガタに崩壊した。
アメリカの新自由主義市場拡大の手法に「ショックドクトリン=恐怖便乗資本主義」というものがある。戦争や大災害による人人のショックをチャンスととらえて、人人をその地から追い出し、土地を奪い取って外来資本のビジネスチャンスにするというものである。スマトラ沖地震では沿岸の漁民は奥地に追いやられ、そのあとには巨大なリゾート地ができた。カトリーナ災害でも住民は遠くに追いやられ人口は半分になった。東北では明らかにこの手法が使われている。被災地は「建築制限」をかけて「創造的復興」とか「高台移転」などといい、また「漁業権の民間開放」とか「農業の集約化」などといい、元元そこで働き、住んでいた人人が元に戻れるようにしようとしない。
大津波は東北の沿岸の町を押し流した。水産業を中心にして成り立っていた地域社会が破壊された。この復興は、漁業者、市場、製氷場、水産加工場、運送、燃油、造船、鉄工などの各業種、各種の商店、みんなが相互に依存しており、みんなが協力しあって立ち上がらなければ、自己責任、自由競争でできるものではない。漁業生産が国益にかかわる重要課題であり、地域社会を復活させなければならないというのなら、政府がそれらの設備や施設をつくって貸すなどして、みんなが働き生活ができるようにしなければならない。
また福島原発事故は東北の農林畜産業に甚大な被害を与えている。責任がある東電と政府がただちに大規模な除染をやって不安をなくすことに力を入れることはしない。福島県だけではなく東北各県で農業生産ができないし、生産しても風評被害でまともに売れない。日本の農業拠点が重大な危機にさらされている。「農業は不要」という売国政治にとっては都合がいいと見なしているのである。
メディアは「半年たっても復興が遅れている」といっているが、政府が意図的に元元住んでいる人人が元に戻ることを押しとどめようとしているのである。新自由主義を唱えてきた自民党から民主党の政府が、アメリカ外資や金融資本、一握りの大企業のビジネスの道具になっており、国益を守るとか、社会的な利益を守るとか、国民の生存権を守るとかいうものとは無縁のものになっている現実を見ないわけにはいかない。これは東北だけではなく日本中で共通した現実であり、東北の復興は日本全体の復興の問題である。
このような現実は、東北をはじめ全国が団結してたたかうことなしには、政府がいうことを聞かないことを教えている。すべて金融資本を中心とする大資本だけがもうける競争原理、効率主義は日本社会をつぶすものであり、働く者みんなが力をあわせ共同して社会のための生産を起こし、協力しあって生活する、そのような勤労人民の力こそ日本社会をつくりあげることができる。