『スノーデン、監視社会の恐怖を語る 独占インタビュー全記録』(毎日新聞出版発行)などを著したジャーナリストの小笠原みどり氏は、昨年6月、米IT企業のIBM、マイクロソフト、アマゾンの3社が、あいついで顔認証システムの開発・販売からの撤退、あるいは警察への販売の停止を発表したことを報告している。きっかけは昨年1月、黒人男性が顔認証システムによって誤認逮捕されたことで、ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切だ)運動が世界中に広がるなかで、顔認証の技術開発にしのぎを削ってきた3社が一時退却の発表をよぎなくされたという。
顔認証は、「生体認証(指紋や静脈、声などその人の体の一部を使って本人を特定するしくみ)」の一つで、顔の輪郭や目、鼻、頬骨やあごの形や配置の特徴をあらかじめ画像データとして記録しておき、カメラで本人かどうかを確認するシステムのことだ。
だが実際には、顔認証システムは技術的には未完成であることがここ数年、くり返し明らかになってきた。とくに問題になってきたのが、白人に比べて黒人に対する識別の精度が低いことだ。
IT企業3社を含む大手企業の顔認証は、白人男性はほぼ間違いなく特定できたが、黒人の女性を男性と判定したり、有色人種を誤判定する割合が高いという例があいついで報じられてきた。2015年にはグーグルフォトが、黒人の写真を「ゴリラ」と認識してしまい、会社は謝罪に追われた。ひとにぎりの富裕層が黒人や移民を差別し搾取するという現実社会を反映して、顔認証という技術も、白人男性を中心に設計されるという偏ったものだったと話題になっているという。
そうしたなかで昨年1月、ミシガン州で、顔認証AIによって黒人男性が誤認逮捕される事件が起こった。写真は自分ではない、全然似ていないと本人が否定したにもかかわらず、30時間にわたって拘束されたという。権力機関が顔認証技術を自由に使うようになれば、本人の主張よりAIを信じることで、こうした冤罪は飛躍的に増える可能性があり、ジョージ・フロイド氏のように命を奪われる人がさらに増える恐れもある。こうした批判の声が高まるなか、「顔認証システムの開発・販売から撤退する」との3社の発表になった。
この事件の前からアメリカでは、顔認証システムを警察を含む行政機関が使用することを禁じる自治体があいついでいるという。
小笠原氏は、そもそも人間を人格をもった存在として尊重するのではなく、体のデータでとり扱う「生体認証」という発想そのものが、かつての帝国主義時代の植民地支配の都合から生まれたものだとのべている。生体認証の始まりともいえる指紋による識別は、大英帝国が支配するインドで生まれたし、天皇制軍国主義の日本も中国や朝鮮を支配するために、住民から指紋をとって身分証明書の持ち歩きを課し、戦後もそれを続けたために大きな問題になった。今はそれがスマートに形を変えているだけだ、という指摘はうなずける。
また別の報道では、EUでも2018年5月からのGDPR(欧州一般データ保護規則)の施行によって、顔認証データを典型とする生体情報は原則収集禁止となり、民間事業者の収集・利用には議会での法律制定が必要になった。それを促した要因の一つが、世界中の人々のネット上の行動履歴を把握できる立場にあるGAFAなど巨大IT企業が諜報機関に情報を提供していたと、スノーデンが告発したことだそうだ。
デジタル庁創設急ぐ政府 マイナンバーで全情報管理
こうした世界の動きに逆行するのが今の日本である。菅政府は、デジタル庁設置のための法案を今の国会に提出している。その柱は、2023年3月までにほぼ全国民にマイナンバーカードを持たせること、教育のデジタル化、自治体や民間とのデータ連係である。IT業界は沸いていることだろう。
また、昨年の健康保険法等の改定により、今年3月からマイナンバーカードを健康保険証にすることが可能になり、将来的には保険証の発行を不要にしマイナンバーカードのみにすることを示唆している。免許証についても、警察庁は2024年度中にマイナンバー制度の活用を実施するとしている。さらにクレジットカード、キャッシュカード、ポイントカードなども含めたマイナンバーカードへの一本化を進めようとしている。
そのマイナンバーカードだが、申請した住民が提出した顔写真からつくった顔認証データと、受けとりにきた本人の顔を顔認証装置で確認・照合したうえで交付されるという。マイナンバーカードのICチップには、顔画像データが埋め込まれている。
この顔認証システムは、日本では2002年の日韓サッカーワールドカップの際に成田空港と関西空港ではじめて使われた。2014年には警察庁が顔認証システムを導入し、組織犯罪の前科者などの顔認証データを登録しておいて、犯罪捜査のときに全国の監視カメラを動員し始めた。今、日本全国には500万台以上の監視カメラがあるといわれているから、犯人にでっち上げられた科学者が至るところにある監視カメラから逃げ回るという映画『AI崩壊』のストーリーが、たんなる空想ではすまなくなる。
それにしても、政府も民間事業者もデジタル情報の管理があまりにもずさんであることが、ここ数年、これでもかというほど暴露されてきた。紙を廃止してデジタルにすれば万事よくなる…と信じる人は、今では少ないのではないか。なにより、あれほどさまざまな特典をくり出したのに、いまだにマイナンバーカードの所持者が36・3%(3月1日現在)にとどまり、7割以上の国民が拒絶しているということ自体、いかにデジタル化による情報管理が信用されていないかを証明している。