馬毛島への米軍空母艦載機陸上離着陸訓練(FCLP)基地建設を最大争点にした西之表市長選と西之表市議選が1月31日に実施され、基地反対を掲げる現職市長の八板俊輔氏が激戦を制した。市議選は改選前の反対多数だった勢力図が変化し、反対と容認の議員数が拮抗することになった。今回の選挙戦は馬毛島への米軍訓練誘致に熱を上げる自民党の森山裕国対委員長(衆院・鹿児島県選出)が采配し、市長選も市議選も基地反対候補の殲滅を狙う選挙を展開した。しかし西之表市民は馬毛島の米軍基地化を阻止するため、一軒一軒地域や居住区を回り、辻立ちで訴え、徹底した草の根選挙で対抗した。市民のなかでは国策との真っ向勝負となった市長選で勝利した底力への確信と、次期市長選や市議選にむけ、さらに基地反対の力を束ねていく意気込みが語られている。
西之表市長選は反対を掲げる現職の八板俊輔候補と基地推進を掲げた市商工会長の福井清信候補の一騎打ちとなり、144票の僅差で八板氏が勝利した。八板市長は選挙後、「いわば住民投票という形で私が信任された。市民が国の計画にノーといっているということだ」「二期目も市民から負託された責任を果たしていく」と決意をのべた。
前回市長選は反対を掲げる候補3人、基地容認候補1人という選挙構図で、八板氏が2951票獲得し当選した。基地容認の濱上幸十候補(元市議)が獲得したのは2648票で、八板市長との得票差は267票だった。このとき基地反対候補3人(小倉伸一候補は1924票、榎元一已候補は1899票)の合計は6774票であり、基地容認候補との票差は4000票以上あった。
自民党政府はこの票差を一気に逆転させるため、前回選挙で八板候補を推していた市商工会のトップであり、地域でさまざまな団体の役員をしている福井清信氏(福井クリーニング代表取締役、種子島火縄銃保存会会長、種子島保護司会保護司歴19年、前西之表市消防団団長)を「基地容認」の新市長候補として担ぎ出した。
そして農協、漁協、商工会、建設団体をすべて福井候補支持で固めさせ、1月10日には「賛成派が共倒れになる」として、すでに市長選立候補を表明していた濱上幸十氏の出馬をとりやめさせた。それは前回、前々回の市長選のような候補者乱立を反対側も容認側も一本化したという動きではなかった。まぎれもなく自民党本部主導で地縁、血縁、経済団体をはじめとする地域コミュニティのつながりをすべて福井候補支持でとり込み、基地反対を掲げた八板市政覆しを実現する必勝の選挙攻勢だった。
西之表市内では一騎打ちの構図が決まったとき「市長選になると必ず出馬する濱上氏が出馬を断念するのは相当な力が働いたとしか考えられない。自民党本部は本気だ」「一騎打ちになれば福井氏が有利。現職が厳しい」と警戒する空気が強まったという。こうした自民党が総力を挙げた「一騎打ちによる推進候補勝利の構図」を、市民が全力で跳ね返したのが今回の市長選だった。
市議会では両派が拮抗 熾烈な地上戦を展開
市長選以上に地域コミュニティに食い込むことが勝敗を左右する市議選では、もっと露骨な反対議員潰しの動きがあらわれた。西之表市議会は改選前(定数16人)、反対12人、容認4人で、馬毛島対策特別委員会を中心に、米軍訓練基地建設反対の意志を明確に示してきた。国への意見書や質問状も提出してきた。
だが今回の市議選は定数が2人減となり、反対を掲げた議員が3人引退した。これを好機と見て、容認の議員を一気に増やし、容認、反対の勢力図を逆転させようとしたのが自民党だった。そして定数14人に対して、反対9人、容認6人、中立(態度が曖昧で容認と見なす市民が多い)2人の合計17人が立候補した。自民党側としては、反対6人、容認及び中立8人にし、容認を多数派にすることを目論んだ。
しかも西之表市議選では珍しい自民党公認の新人として、杉ためあき候補(西之表市農業委員、市きび・甘藷生産振興会会長、市子ども会連絡協議会副会長、県農政連西之表支部副支部長、元市P連生活指導部長、元種子島中学校PTA副会長)を担ぎ出し、米軍訓練基地建設反対の軸となっていた馬毛島対策特別委員会の委員長・長野ひろみ候補と同じ地区に出馬させた。
さらに、容認や反対の立場が比較的はっきりしているといわれる市街地ではなく、地縁、血縁のしがらみが強い小さな部落をターゲットにして基地反対議員支持者の覆しを図った。地域の有力者数人が反対議員の支持者を訪ね、一人ずつひっくり返していく念の入れようだったことが話題になっている。基地反対を貫く市民の側も、辻立ちや一軒一軒訪ねて意見を交換する地道な選挙戦を強め、最後まで支持を訴え続けた。
こうした選挙戦をへて市議選は、反対7人、容認5人、中立2人が当選した。選挙後中立を標榜していた議員が容認に転じる動きも出たが、そうした動きも含めて、市民に渦巻く米軍基地建設反対の強力な世論の反映となった。自民党は全力で容認議員が多数を占める勢力再編を狙ったが、当選できなかった陣営も含めた市民の底力に阻まれ、「容認議員多数」を実現することはできなかった。
地元頭越しに島を買収 米軍のために防衛省
今回の選挙で最大争点となった馬毛島で実施を狙うFCLPは、米軍の空母艦載機が陸上滑走路を空母甲板に見立てて、何度も離着陸をくり返す訓練であり、紛れもなく米軍の訓練施設である。
しかも実戦で着艦に失敗することは許されないため、出撃前に必ずおこなう訓練で、夜間のFCLPは夜間離着陸訓練(NLP)と呼ばれ、誘導灯の光を頼りに離着陸する。それは事実上の出撃前訓練にほかならず、近隣地域は激しい爆音や戦闘機が墜落する危険にさらされる。そして戦時になれば島全体がミサイル攻撃の標的になる危険をともなう軍事施設だ。
そのため1980年代に厚木基地で空母艦載機が訓練を開始したときから地元住民の怒りが噴出した。厚木基地のFCLP中止を求める近隣住民の怒りが急速に拡大し、米軍基地撤去の世論が全国に広がることに恐れをなした日米政府は、慌てて関東圏の自衛隊施設や、東京から約180㌔㍍離れた三宅島などにFCLP基地をつくろうとしたが、どこでも住民の反対運動に阻まれ頓挫した。そのため厚木基地から約1200㌔㍍も離れた硫黄島でFCLPを実施してきた経緯がある。
ところが米国側は2000年代を前後して、硫黄島よりも米軍基地に近い場所にFCLP基地をつくるため、候補地選定を本格化させた。そのなかで2003年に広島・沖美町(現在は江田島市)の町長が大黒神島(瀬戸内海最大の無人島)にNLP誘致計画を発表(町長はわずか1週間で辞任に追い込まれる)する動きも出た。
そして2011年6月の日米安全保障協議委員会(当時は民主党・菅政府)の文書「在日米軍の再編の進展」に「日本政府は新たな自衛隊の施設のため、馬毛島が検討対象となる旨地元に説明することとしている。南西地域における防衛態勢の充実の観点から、同施設は、大規模災害を含む各種事態に対処する際の活動を支援するとともに、通常の訓練等のために使用され、併せて米軍の空母艦載機離発着訓練の恒久的な施設として使用されることになる」と明記した。
しかし2005年から2017年まで西之表市長を務めた長野力氏は、2011年6月の西之表市議会最終日に「馬毛島の問題は、長期戦になることを覚悟しておかなければなりません。さらに拡大する危険性の方が大きいと判断します。後悔したときにはもう遅いのです。この問題は一過性のものではありません。受け入れた以上は、どのような苦難も、未来永劫、甘受し続けなければならないのです。進むべき道を間違えぬよう、市民、島民、熊毛全体(中種子町、南種子町、屋久島町も含む地域)で絆を強く結んで、移転を断固阻止してまいります」と宣言し、防衛省による説明に一切応じない姿勢を堅持した。この長野市長退任後の選挙でFCLP基地建設反対を掲げて初当選したのが八板市長だった。
ところが安倍政府(当時)は2019年11月に馬毛島を所有する地権者と水面下で交渉を続け、160億円という法外な値段(国による土地評価額は45億円)で、馬毛島の大部分を買いとることに合意した。そして「厚木基地の空母艦載機が岩国基地に移転し、岩国―硫黄島間は1400㌔㍍になった。馬毛島にFCLP基地を建設すれば岩国―馬毛島間の距離は400㌔㍍で移動時間や燃料のロスが大幅に短縮できる」と宣伝し、馬毛島を中国やインド洋、中東をにらんだ空母部隊の出撃拠点に変貌させる計画を本格化させた。
さらに鹿児島県十島(としま)村の無人島・臥蛇島(がじゃじま)には、国内初となる離島奪還訓練施設建設を画策し、空自築城基地(福岡県築上町)や新田原基地(宮崎県新富町)では、「普天間基地の代替基地」として滑走路延長や弾薬供給施設整備計画をおし進めた。これと同時進行で山口県山陽小野田市への宇宙監視部隊専用レーダー(キラー衛星除去に活用)配備、佐賀県へのオスプレイ配備、陸自健軍駐屯地(熊本県)への電子戦専門部隊新設、南西諸島一帯へのミサイル部隊配備、辺野古への新基地建設計画なども急ピッチで具体化し始めた。
この頃を前後して「断固反対ではなく条件闘争に切り換えた方が利口」という主張が、さまざまなルートから振りまかれていったという。
郷土再び戦場にさせぬ 経済的懐柔覆す力
当時を知る市民は「土地買収が具体的に進んでいないときは、“基地交付金で振興策を”といってもあまり現実味がなかった。でも馬毛島の土地買収が決まって以後、“いずれFCLP基地はできる。反対し続けてなにも得られずに基地だけできてしまうより、交付金などの条件をとって作らせた方がいい”と諦めや条件闘争へ持っていく風潮が強まった」と振り返る。
現実問題として人口減少や離島が抱える市財政の厳しさは存在している。さらにトコブシ、キビナゴ、トビウオをはじめとする水産資源は激減し、漁業の衰退は深刻だ。特産品である安納芋も基腐(もとぐされ)病の拡大に直面しており、農漁業をとり巻く困難が大きいのは現実だ。こうした苦境につけ込んで「基地交付金による活性化」を煽ったのが自民党政府だった。漁業者に対しては「基地容認」を認めた人だけ、防衛省が絡む海上タクシー(1日10万円)の仕事を回す動きもあり、市民のなかで憤りが拡大した。こうした市民同士の分断・対立を煽る策動が意図的に持ち込まれるなかで、今回の選挙戦に突入していった。
だがこうした外部からの懐柔策にまったく動じなかったのが戦争体験世代だったことも話題になっている。
西之表市の戦争体験者は戦時中、米軍による占領・攻撃から逃れるために疎開した経験、機銃掃射から逃げ惑った経験、軍事施設でない芋を保管していた小屋まで焼夷弾攻撃を受けた経験、海上で撃沈した民間船乗組員の遺体が何体も流れ着いたのを目撃したり葬った経験を克明に記憶している。
選挙戦では福島原発事故で故郷を奪われた移住者が「自分たちも最初は原発に賛成で、原発ができればその交付金で町の振興ができると思っていた。でも実際はいったんつくらせてしまうと引き返せなくなり、最後は福島原発事故で故郷を奪われてしまった」と町の辻々で精力的に経験を伝える活動も展開した。このとき「馬毛島への訓練基地建設も原発も同じだ。しっかり頑張りなさい」「絶対に米軍基地をつくらせてはいけない。政府は嘘をつくんだから」と高齢者が道ばたまで出てきて激励していく光景が何度もあったという。
選挙をとりくんだ市民は「“年寄りはもう黙って”というような風潮もあるが、戦後ずっと基地をつくらせなかった戦争体験者の思いを無にしてはいけない」「若い世代がもっと戦争体験を引き継いでいく努力をする必要がある」と口にしていた。
さらに市民のなかでは、土地買収まできた基地建設計画を跳ね返すためには、「基地建設反対」を叫ぶだけではなく、しっかりと地域コミュニティに根ざした農漁業振興に本腰を入れていく重要さも論議になっている。農漁業環境の悪化を懸念する市民は「よく漁業者が買収されたという話が出るが、現実問題としてまず魚がとれず、今のままでは生活できないという現状をどのように改善していくのか、より具体的なプランが必要になる。魚がとれないのは藻場がないことが影響しているし、それを改善しようと思えば森林伐採の問題や農薬使用の問題などさまざまな問題が絡んでくる。これはすぐ解決できるような簡単な問題ではない。今後は“基地建設反対”という力を強めていくためにも、基地経済に依存しない町作りはどうやるのか、より現実的で実践的なプランを明確にし、その計画を一つずつ前に進めていくことが今から重要になってくる」と強調していた。