沖縄県内で今年最初の首長選となる宮古島市長選が17日に実施され、オール沖縄の推薦を受けて「市政刷新」を掲げた新人の座喜味(ざきみ)一幸氏が、自民・公明両党が推す現職の下地(しもじ)敏彦氏に勝利した。国政与党に支えられて3期12年市政トップを握ってきた下地敏彦前市長は、辺野古新基地建設をはじめとする米軍基地問題で容認姿勢をとる市長連合「沖縄の振興を考える保守系市長の会」(県内9市長、通称チーム沖縄)の会長であり、宮古島市では2015年から表面化した陸上自衛隊ミサイル基地や弾薬庫建設を積極的に推進してきた。市長選は、「防衛力強化」の名の下に市民生活や地元産業を蔑ろにして郷土を売り渡し、その利権を私物化する市政運営への批判世論を反映し、市民の強烈な鉄槌が下される結果となった。
市政私物化と軍事利用に鉄槌 従来の枠こえ「市政刷新」要求
当日有権者数は4万4376人で、投票率は65・64%。前回市長選(68・23%)を2・59㌽下回ったものの、コロナ禍でありながら大幅な下落は見られず、選挙に対する市民の高い関心を物語った。
開票結果は、
▼下地敏彦 (現職) 1万2975票
▼座喜味一幸(新人) 1万5757票
で、両者の差は2782票。2005年に5市町村が合併して宮古島市が誕生して以来の市長選で最大の票差となった。
現職の下地選対には菅義偉首相の秘書が張り付いていたといわれ、選挙期間中には自民党の小野寺五典組織運動本部長(元防衛大臣)が東京から駆けつけたほか、西銘恒三郎(衆院沖縄四区)、地元の下地幹郎(維新を離党し自民党に復党願提出)などの国会議員や中山・石垣市長などチーム沖縄の首長らも応援に入り、各業界を締め付ける組織票固めに徹した。
一方、辺野古基地建設問題で国と対峙するオール沖縄側では候補者選定が難航し、元自民党県議の座喜味氏に固まったのは告示まで1カ月半後を切った時期だった。
市民からは「これほどの短期決戦ながら3000票近い票差が開いたのは快挙。宮古島では、前回市長選で保守も分裂したが、オール沖縄側も分裂して票が割れたため、375票の僅差で現職3選を許すという悔しい結果に終わった。いわゆる革新系だけのオール沖縄で候補者を立てても勝てるものではない。保守のなかでも現市政に対する強い反発があり、どのように折り合うかが肝心だった。自民党を離党して市政刷新を掲げていた座喜味氏擁立を軸に、保守も革新も市民の要求にこたえるために一体になったことが序盤の大きなステップになった」と語られる。市民の声に押されて県政与党のオール沖縄と保守の一部が保革共闘のワンチームで選対をつくり、選挙戦は政党や立場、イデオロギーの違いをこえて、現市政の刷新を求める市民が入り乱れるものになったという。
選挙活動に携わった女性は「みんな自由で、これまで経験のないまったく新しい選挙だった。これまでは保守系と革新系の市民が一緒に選挙をたたかうことなどなく、政治活動になればお互いは敵同士だった。それが今回の選挙では、これまでは敵だと思っていた保守系の人や土木業者も含めて“昨日の敵は今日の友”という感じで、これまで繋がることのなかった市民同士が“今回は仲間だ!”とお互いに協力し合った。右も左も関係ない、とにかく市政刷新だという思いでみんなが一つになってたたかった結果だ」と話した。
「ただ自衛隊基地反対を訴えるだけではわからなかった、さまざまな要求や思いを持つ人たちの存在や生活の実態を知ることができ、“これだけの仲間がいたのか”とパッと目の前が開けるような新鮮な選挙だった」という声も聞かれる。
選対関係者の男性によると「オール沖縄といっても宮古島では革新系が中心。市民の現市政に対する反発は強いものの、組織力の弱いオール沖縄の側が企業や団体などの組織票を持つ現職にどのように立ち向かうかが、選挙を形づくるうえで大きな鍵だった。4年前は下地市長サイドが仕掛けた分断工作によって候補者が乱立して批判票が分裂したが、今回はそれには乗らず候補者を絞れたことが大きい。これまでの選挙は、自民・公明(保守)vsオール沖縄(革新)という構図だったが、“市政刷新”のスローガンでその枠組みを乗りこえた。自分に組織票をくれる大米(だいよね)建設などの身内企業だけを優遇して大規模公共工事を発注する私物化政治への反発も強かった。もう一つの問題は、宮古島で配備が進む自衛隊基地問題に対するスタンスだった。自民党出身の座喜味氏は自衛隊の存在について容認の立場ではあるが、オール沖縄側との候補者選定の協議過程で、基地問題については玉城県政と同じ立場をとること、さらに下地島空港の軍事利用はさせないということで一致し、なによりも市民の声を聞き、市民の命と暮らしを守る側に立つという立場で現市政との違いを鮮明にした」という。
座喜味氏は自民党県議を2008年から3期務めたが、4年前の前回市長選で現職の下地氏を支援せず、自民党を離党している。だが自民党県議時代には辺野古新基地推進の立場だったこともあり、市民のなかには「どちらも容認ではないか」「国にものがいえるのか」という懐疑的な見方もあった。「スタッフが粘り強く現職との立場の違いを市民に説明し、候補者自身も市民の疑問に丁寧に答えた。その姿勢が受け入れられ、ラスト1週間で若い人や女性グループなどにも支持が一気に拡大していった」(男性)、「これまでの経過やメディア報道で自衛隊基地容認というイメージが広がって警戒する人もいたが、“今回はAかBかの選挙。下地応援団か、それ以外かの選択なのだから…”と呼びかけると、“まずは現市政を刷新することが先決”といって協力してくれる人が多かった」(女性)という。
陸自ミサイル基地の反対運動に関わってきた農業者の男性は、「開票速報がテレビで流れたときは思わず手を叩いた。市民はちゃんと見ていたのだと思った。座喜味氏も保守の立場ではあるが、玉城県政と連携して国に必要な説明を求めることや、賛成と反対の市民を含めた市民協議会を設置することをみずから提案した。腹七分ではあるが、まずは市政を市民の側にとり戻すべきだと思って投票させてもらった。下地前市長は配備計画の説明を求めても一度も面会もせず、一切無視の対応を続け、不法投棄ゴミの撤去事業をめぐって市長らを提訴した市民を逆に名誉毀損で訴えるなど、自分に逆らったり、異議を申し立てる市民を排除・攻撃する行政姿勢だった。そのような独善的な市政に対する市民の冷静な判断が下されたと思う」とのべた。
弾薬庫の建設が進む保良地区の住民は、「組織票にあぐらをかき、説明責任も果たさず、市民無視の行政を続けてきた下地市長に対する審判が下った。問答無用で国が進める自衛隊基地建設に歯止めをかけるうえでも、積極推進の現市政を継続するか、刷新するか、は大きな焦点だった。市長は土木業者をとりまとめる形をとったが、大規模ハコモノ事業のカヤの外に置かれた中小企業からは不協和音が聞かれたし、“防衛力強化”といいながら県民、市民の命をどう守るかという道筋がまったく見えないまま、自衛隊配備を容認して説明責任まで国に丸投げする市長への反発は強かったと思う。選挙戦終盤に現職は“ソフト路線に切り換える”などといっていたが後の祭りだった。誰のための市長なのか、一番に守るべきは市民の命と暮らしではないかという市民の強い思いが票にあらわれた」とのべた。
同日おこなわれた市議補選(定数2人、候補者5人)で、保良地区住民とともに弾薬庫建設反対を粘り強くたたかってきた若手女性が1万票以上を集めてトップ当選したことも、この問題への市民世論を反映した。
市民生活疲弊させた「宮古バブル」 ハコモノ行政で財政も逼迫
市政刷新を求める市民世論の背景には、3期12年に及ぶ下地市政で進んだ露骨な市政私物化や利益誘導があり、そのもとで疲弊した島の暮らしがある。
2015年に国内最長の無料橋である伊良部大橋(長さ3540㍍)が開通したことを契機にして宮古島は空前の観光ブームに火が付き、国内外から年間110万人をこえる人が訪れる県内有数の観光地となった。そのバブルじみたインバウンドに目を付けた本土や外資系ファンドが土地を買い占めてリゾート開発が進み、本土から従業員をはじめ、ゼネコンなどの大手業者が作業員ごと乗り込んだため住宅需給が逼迫。アパートやマンションの建設ラッシュが始まったが「1DKで10万円」という都心並みの価格となった。
地価や物価が急上昇する一方で、「地元住民の賃金レベルは月12~13万円程度で、時給790円の全国最低の沖縄県のなかでも最低水準。だから島内に若者が住める家がなくなり、みんな島の外に出て行ったまま帰ってくることもできない」といわれる事態となった。
人員不足や資材の高騰によって1平方㍍あたりの建築単価が平均32万円と県内最高値となるなか、下地市政が進めたのが大規模公共事業だった。市庁舎(築27年)の新築計画は、下地前市長と「二人三脚」といわれる下地幹郎代議士の出身企業である大米建設に一括受注し、当初105億円だった建設費はその後120億円にまで膨れあがった。この庁舎建設だけで島外作業員がのべ7万8000人(人件費9億円)にのぼったことも高騰の要因といわれ、公費の追加支出における運用基準の逸脱が市議会で指摘されている。
また、図書館を併設した未来創造センター(54億円)、スポーツ観光交流施設のJTAドーム(44億円)、住民が急減している伊良部島への野球場建設(30億円)や統合中学校建設も計画するなど、あいつぐハコモノ建設を身内企業に発注し、「216億円の合併特例債や地方一括交付金も使い切ってしまい、市の財政破綻は時間の問題」「人口5万人程度の島でなぜこれほど大規模な施設が必要なのか」と批判を集めてきた。
ある市民は「米軍をはじめとする県内の防衛事業を請け負ってきた大米建設を中心に特Aクラスの業者しか公共事業の恩恵にあずかっておらず、大事にされてこなかった下請企業でも離反が進んだ。税金を注ぎ込んだ一時的なバブルは、終わった後にその反動が必ず来る。宮古島のような離島は、国の補助金が必要な農業や漁業が中心で、土木事業も国の予算に左右されやすいので歴史的に保守の地盤だった。だが、国をバックにして一部の政治家や業者だけが利益を独占し、恩恵の多くは島の外に出て行く仕組みになっており、その一部が政治資金として族議員の手元に入る。“国との太いパイプ”によって島がどうなったのかが明るみに出ることによって変化が起きた。国会議員の操り人形のようにコントロールされることへの反発だから、いくら中央から大臣クラスが現職の応援に来ても逆効果でしかなかった」と話した。
また別の市民は「コロナによってインバウンドが蒸発し、島内のホテル建設も一斉にストップ。逼迫していた不動産需要もなくなって空き部屋が増えたが、建設費の減価償却ができないため家賃が下げられないという悲惨な状態になっている。国のヒモ付き交付金や不安定なインバウンド需要に依存した経済よりも、地場産業を中心にした堅実な地域振興を求める世論が強まり、座喜味候補はサトウキビをはじめとする農業振興への転換を掲げた。これまで多くの市民が望んでいたことだ」とのべた。
敵基地攻撃の最前線に 住民の安全は度外視
その市政私物化の過程で進んだのが、国策による島の軍事要塞計画だった。防衛省は、南西諸島一帯で配備を進める自衛隊の司令部を宮古島に置くことを決め、野原地区に指揮所と警備隊、さらに「第七高射特科群」(地対艦・地対空ミサイル部隊)の総勢800人を配備し、さらに島東部の保良地区には地対空(570㌔)、地対艦(700㌔)のミサイルを保管する弾薬庫や射撃訓練場の建設を進めている。
この配備計画も市民に信が問われたことは一度もなく、候補地選定にはじまり、用地売却から工事着工まで国、市長、関係業者によって市民の頭越しで進められてきた。配備されるミサイル部隊は、車載式部隊であり、相手から攻撃を回避するために島中を移動しながらミサイルを発射することを想定しており、自衛隊が回避したミサイルを受けるのは落下地点の住民となる。防衛省は「そのさいは市街地を走らない」というだけで、有事の住民保護については想定も計画もない。さらに施設の規模、仕様、保管する弾薬量に至るまで「防衛上の秘密」として明かさないばかりか、基地内に「つくらない」と説明してきた弾薬庫やヘリポートの存在が後から判明している。
山や川がなく、水不足に悩まされてきた宮古島は、地下水脈や地下ダムが暮らしの生命線であり、化学物質による汚染やミサイルなどの攻撃で地下水源が断たれると、農業はおろか命の危険にさらされるため、市民からは慎重な検討を求める声が絶えない。
だが、市民の窓口となるべき市政は、島の将来や生活に不安を持つ住民からの質問や陳情を門前払いし、市長同席の住民説明会も開かないなど、「国防は国の専権事項」「市が説明する義務はない」という立場を一貫してとり続けた。
この問題にとりくんできた男性は、「国のミサイル防衛計画が明るみに出るに従って、宮古島が敵基地攻撃の最前線にされるという青写真が広く認知されるようになった。災害救助隊としての自衛隊は容認できても、米軍と一体化し、住民を盾にして近隣国との緊張を煽ったり、戦争の火付け役となる自衛隊は容認できないというのが多くの市民の思いだ。宮古島で進行する配備計画は、住民防護ではなく、住民の命と暮らしを脅かすものであり、宮古島を発火点にして沖縄や日本全土を戦争に巻き込む危険性もある。新市政には住民の側に立った情報公開や対話が求められるし、必要に応じて国に対していうべきことをいわなければいけない。それが市民が求める市政刷新の中身でもある」と話した。
別の男性も「下地市長自身の問題もあるが、それをバックで後押ししてきたのが国だ。市民の声を権力と金力でねじ伏せ、島の経済も民主的な行政運営までも歪めてしまった。それは辺野古問題をめぐる沖縄県への仕打ちや、福島など原発立地自治体に対する残酷なやり方とまったく同じだ。イデオロギー争いではなく、生活に根ざして立場の違いをこえた市民の力で選挙を突き動かしたことは大きな快挙だった。オール沖縄や玉城県政はこれまで自衛隊基地問題には及び腰だったが、市民の命と暮らしを守るために妥協することなく国に対峙していく姿勢を示していかなければ、逆に足元をすくわれる。県民の声に耳を傾け、地に足を付けて、沖縄の軍事基地化に対する全県民の力を束ねることが必要ではないか。これは終わりではなく始まりだ」と話した。
新市政もまた、下地市政を退場に追い込んだ市民の力に縛られる関係にあり、「市政刷新」の公約を誠実に実行することが今後注目されることになる。
沖縄県内では今年2月に浦添市、4月にうるま市の市長選が続き、秋までに予定される衆院選を経て、来年2月には名護市長選、同9月に知事選も控えている。選挙年の端緒を開いた宮古島市長選勝利の教訓を広く共有することが求められている。