いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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熊本地震が示す教訓 東北の二の舞にするな

 熊本・大分地方を震源にして九州全域を巻き込む地震が連続的に起こっており、震度1以上の地震は26日現在までに910回を超えている。東日本大震災から「活動期に入った」といわれる日本列島の地震活動について、だれも無関係といえない事態を迎えている。本紙はこの間、熊本県内で現地取材をしてきたが、現地の被害や人人の避難や町の復興状況、それへの国や行政の対応はどういうものであったか、今後起こるべき地震災害に備えてなにをしなければいけないのか、地震発生から約10日間の動向から具体的に見えてきたものを記者座談会で検証した。
 
 現実の存立危機事態は地震や火山噴火

  マグニチュード(M)7の本震が起きた翌日に熊本現地に取材に入ったが、震度7に2回も襲われた益城町では、町中心部をはじめ広範囲の地域で家という家が上から叩きつぶされたように倒壊し、道路のアスファルトは波打ち、断層がむき出しになるほど亀裂が入っていた。「下から突き上げるような揺れでどうしようもなかった」といっていたが、古い家も鉄骨の建物も無残に破壊されていた。


 最初の地震発生からすでに3日が経過していたが、町全域で水や電気、ガスなどのライフラインが止まり、避難所になった体育館や学校、福祉センターは人で満杯だった。いつまた大きい地震が来るかわからないので「屋内退避」などできず、ほとんどの人が車の中で寝泊まりして疲れ切っていた。風呂にも入れず、トイレもないが、一番切実なのは「水と食料がない」ことだった。町内の店は全部閉店していて、朝と夕方2回の自衛隊の炊き出しに長蛇の列を作り、1時間も2時間も並んでもらえるのはおにぎりが1人1個だけ。高齢者など体力的に並ぶこともできず、災害弱者ほど深刻さがあった。


  益城町は熊本市のベッドタウンで、車で20分も走れば熊本市の中心市街地に行ける。それなのに水も食料もないとはどういうことか? と思ったが、熊本市に向かうと市内のコンビニはおろか、イオン、マックスバリュ、ゆめタウンなどの大型店は一つも開いてない。そして、市内の総合体育館にいる高齢者に聞けば、「朝からパン一つしか食べていない…それでも恵まれている方だ」といわれて驚いた。中心商店街では「ペットボトル入りの水が配られる」と聞いて長蛇の列ができたり、コンビニは「製造工場が被災したり、流通網が遮断されて商品が入ってこない」といわれ、商品が入ればたちまち「あそこの店に食料があったぞ!」とツイッターなどで情報が拡散し、あっという間に売り切れてしまう。人口が多い分、枯渇すれば悲惨なことになると実感した。

 その状況をメディアが全国的に報道し、今度は凄まじい量の物資が届けられるようになったがそれを受け入れる側が混乱状況にあり、物資の置き場もなければ配送する手段も人手もない。全国の自治体などから物資を積んでやってくる10㌧トラックは、集積場のスタジアムに搬入スペースができるまで、丸1日駐車場で待機していた。

 

被災者に届かない物資 防災計画役に立たず


  送られた救援物資が肝心の被災者に渡らない構造上の問題もある。トラックに積まれた物資は、まず県や市が管轄する集積場に集められる。そこから必要なものを仕分けて、市内5つの区や各市町村に配送され、区市町村から各避難所に送られるという縦割りのシステムだ。トラックから降ろして、また載せ替えるだけでも人手が足りない。現状把握ができていないからどこになにを送ったらいいのかわからず、物資は溜まり続ける。刻刻と変化する状況に応えることができず、完全に後手後手だった。


  他県の自治体職員や地元の消防団員が自分のことはさて置いて応援に駆けつけていたが、みんな「指揮系統がない。どうなっているんだ?」と困惑していた。市職員も被災して人員的にも不足し、市全域で一斉にライフラインが寸断されることなど想定外だったようだ。市にも相当なクレームが来たようで、「分厚い防災計画は役に立たない。一つの想定が崩れたら、その後のすべてが崩れる」「自治体職員だけではとても対応できない」と語っていた。


  体育館や展示場などの避難施設は、ほとんど民間の指定管理者に委託されていて、災害応急マニュアルはあるが、直接市民に責任をもっているわけではない。想定を超える災害には対処できず、情報の圏外に置かれ、「どれだけの人がいて、いつ物資が入ってくるのかもわからない」という。最大で2000人が避難したアクアドームくまもと(市民運動施設)でも指定管理者が避難所を運営し、市の職員が常駐をはじめたのは3日後の17日からだった。今はライフラインも徐徐に復旧して危機的な状況は脱しているが、今度は避難所閉鎖を前にして、家を失った避難者の行き場がない。


  5000棟以上の家屋が全半壊した益城町では、被害がひどかったこともあり、1週間たった今も過酷な状況が続いている。体育館や保健福祉センターでも、土足で歩いているところに毛布を敷いて、高齢者から赤ん坊、ペットまでみながすし詰め状態で寝ている。昼間は25度近くまで気温が上がり、夜は10度近くまで冷え込む。高齢者が足腰が動かなくなったり、免疫のない赤ん坊などの体調が心配されていた。長引けば衛生的にもよくないのは誰でもわかるが、他に行くところがない。


 今は全国から支援物資や民間ボランティアが集まり、被災した婦人たちが炊き出しを始めたりと個個の力が発揮されているが、「家がない」という問題は個個人の努力ではどうすることもできない。熊本空港や企業団地があり、熊本市からの合併話を拒否するなど比較的裕福な町といわれていたが、老人施設などを片っ端から民間売却したので「こういうときに使える公共施設がない」と町民は語っていた。小・中学校が五月に授業を再開するため避難所を閉鎖すると告げられたが、家を失った7000人もの避難者はどこへ行けばいいのかという問題に直面している。


  震災直後から安倍首相や菅官房長官が何回も会見を開いて「一刻を争う事態だ」「90万食を送る」「私が指示した!」と意気込んで見せたが、現場では国の支援の存在感は薄い。関係者は口を揃えて「正直、国の支援を実感したことはない」「オスプレイでなにを運んだのだろうか?」と疑問を口にしていた。そのなかで、5年たっても家が建たず仮設生活が続く東北被災地の現状と重ねて「これからどうなるのか」「熊本も同じようになるのか」という不安を抱えている。

 コミュニティが力発揮 助け合いで乗り切る

  東日本大震災以降、桜島、阿蘇、口之永良部島、御嶽山などの火山噴火など予知されていなかった自然現象が起こり、そのたびに何万人、何十万人という人人が先行きの見えない、運命が閉ざされるような避難生活を強いられている。全国的にも相当の人人が経験し、福島、宮城、岩手など東北被災地でも五年たってもまだ何万人もが仮設暮らしをしている状態だが、これを熊本でもやりかねないところにきている。


 国の対応を見ても、首相が「私が指示した!」と頻繁にしゃしゃり出るがことが動かない。みんな建物が崩れるのを恐れて屋外に逃げているのに「全員屋内退避せよ」と号令を出したり、現地に派遣した内閣府副大臣が「こんなメシ(現地で支給された食料)でたたかえない。差し入れよこせ」とテレビ会議で発言して更迭される始末だ。激甚災害指定も、東日本震災では翌日、山口・阿東土砂災害でも五日後に決定しているが、今回は県から要請があったにもかかわらず「現場から書類が届いていない」といって12日間も長引かせた。危機に際して、政府なり統治機構の側が機能しない姿を正直に映し出した。


 市や町などの現場は、スリム化して公務員の人数が減っているところに未曾有の災害に見舞われて対応できなかった。無理な広域合併をくり返し、事業は全部アウトソーシングで大事な仕事は民間に丸投げして市役所が何もできなくなっていたというのは全国的にも普遍性がある。国が主導する「行政改革」を実行してきた結果、一番大事なときに「公共の福祉に資する」という地方公共団体の最大目的が果たせない。国民保護法や国民保護計画、武力攻撃対処法とか何年もかけてつくってきて、いわゆる存立危機事態に対応する膨大なマニュアルがある。核ミサイルが飛んできたときの対処まで心配していたわけだが、机上の空論でなんの役にも立たなかった。そして、自衛隊の大型ヘリがあるのにわざわざ米軍のオスプレイをフィリピンから呼んできて恩着せがましいPRをやったり、憲法改定で政府権限を拡大する「緊急事態条項」の必要性を説き始めたり、よこしまな政治的願望が邪魔をしてよけいに危機対応が遅れた。


  行政機能が麻痺するなかで、住民がそれぞれ助けあって乗り切ったというのはどこでも共通していた。南阿蘇村の南側にある西原村(人口7000人)では、震災で家屋も大きな被害を受けて道路も寸断された。だが直後から村内の区長たちを中心にリーダーを決めて小学校を避難所として管理し、食料が届かなくても、米どころなので米農家みんなが備蓄している玄米を持ち寄ったらすごい量になったという。ある人が100ボルトの自家発電機を、ある人が精米器を提供して、給食調理員なども加勢して震災翌朝から全員が精米したてのおいしいお米を食べることができたという。枯渇した熊本市内との差が歴然としていた。


 避難所を運営していた役場職員に聞くと、「土砂崩れで集落が孤立した場合、県が国に要望して実際に事態が動くまでには最低でも3日かかる。それを事前に予測して“待つ避難所”ではなく“動く避難所にする”という準備を事前にしていた」という。小さい自治区ごとに看護師や保健師は何人いるのかを役員みんなが把握して連絡網をつくり、高齢者や要介護者の人数などもつかんで集団的にそれに対処した。「トイレを清潔に保つことが避難所の衛生上でも精神上でも一番重要」と、動ける人みんなで川から水くみをしてトイレタンクを常に満タンにし「仮設トイレは必要ない状態にしよう」というのが合言葉だったという。「全国からの援助は大変助かっている。だが助けを待つだけではいけないし、地域の最大限の力を発揮しなければ助かる命も助からない」といっていた。避難所も混乱した様子はなく、整然として落ち着いていたのが印象的だった。


  熊本市内でも自治組織がしっかりしているところほど対応が早かった。最大で2500人が避難していた江南中学校では、自治協議会が避難所を運営し、震災翌朝にみんなで米を買いに行って朝ご飯から炊き出しをしていた。1200人が避難した熊本工業高校でも、職員や高校生たちが献身的に世話していた。定時制の給食用の米を提供したり、職員やOBたちが物資や食料を持ち寄った。熊本市の水道は100%地下水というほどわき水が豊富なところだが、高校生たちがプール用の井戸水をバケツリレーで運んでトイレを使えるようにしたり、校長から一般職員まで一丸になって対応したことが感謝されていた。避難していた婦人が「みんなが感謝しているのは安倍さんや政治家ではない。お金にもならないのに一生懸命助けてくれた先生や生徒たちだ。こんな災害が起きて家もない人が大勢いるのに、政府は消費税を上げるといっている。口先ばかりではなく国民のことを考えてほしい」とみんなの気持ちを代弁していた。


 B ある小学校では、校舎の中で高齢者が固まっている状況を見かねた校長先生が「このまま動かずに止まっていたら体にもよくないし、みなさん一緒に掃除などできることをやりましょう!」と呼びかけるとみんな拍手喝采だったという。先生も「こんな地域はないですよ」と感動していたが、みんな動きたい気持ちはもっている。

 自然災害に強い生産地 東京一極集中の弱さ

  全国から集まるボランティアも地元の組織がしっかりしていてはじめて機能する。市長がツイッターで物資の積み下ろしのボランティアを募ると700人もの若者が集まったが、采配できる体制がなく帰ってもらうという事態もあった。
 大型店やチェーン店が一斉に店を閉めるなかで、小さな個人商店が在庫を集めて被災者に配ったりもしていたが、住民が困っているときに一緒になって行政がアップアップしており、情報を発信したり、とりまとめる機能がない。それが肥大化した都市部ほど顕著だった。


  現場の救援体制を見ても、迷彩服を着た自衛隊員数人が大きな釜で米を炊いておにぎりを握っていて、それを何十人もの避難者が何時間も列をつくって並んで待っている。必要な物資さえ届けば、おにぎりなどいくらでも被災者自身が握ることができるのに、自衛隊が施してあげる側で、住民は「受益者」という線引きされた構図にみなが違和感を感じていた。今は被災したお母さんたちが炊き出しを始めたら、自衛隊よりはるかに経験があるし手際もいい。なによりも地域のみんなを助けたいし、町を復興させたいという切実な思いは地元住民の中にあり、住民同士が助けあって危機を乗り切ったところも多い。首相が「オレが! オレが!」「プッシュ型でやるだ!」と叫んでも、願望だけでことは動かない。救援も復興も主人公は住民だ。


  国も行政も当てにならず、待っていても助からないという現実を見せつけた。だが、助けがないからといって死ぬわけにはいかず、助けあって危機を乗り切る被災者自身の力が復興に繋がる。東北被災地でも、政府の建築制限や放射能被害であらゆることを制限されて生産基盤を奪われ、補助金だけに頼った避難生活で精神的に荒廃していくことを「骨病み」といって警戒していた。被災した現実は過酷だが、被災者自身が動いていかないといけないことは地元が一番わかっている。そこに有効に国なり、行政がかかわらなければいけないというのが普遍的な教訓だ。


  東日本大震災でも世界から称賛されたが、厳しいときこそ互いに譲りあい、助けあうという過酷な自然条件で生きてきた、日本人ならではの組織性なり、民族性は今回も感心されていた。同時に、規制緩和で進んだ都市部がコントロールする一極集中型のサプライチェーンのもろさや、地場商店をなぎ倒してきた大型店の流通が一気にストップしてしまう状況も露呈した。都会に金と人を集めるために地方から吸い上げてきたわけだが、首都直下型地震でも起きればどうなるのかだ。電車が動かなければ逃げようがなく、食料も枯渇して略奪でも起こりかねない。地方、とりわけ自然と向きあって協同・協働してきた生産地ほど災害に強いことを示しているし、東京一極集中型とか、国内生産を潰すTPPなどがいかにバカげているかを示している。

 中央構造線で初の地震 上に伊方・川内原発

 E 日本列島が地震の活動期に入ったといわれるが、これは地球が誕生して以来何十億年もくり返してきた運動であり、防ぐことも逃げることもできない。可能な限り正しく認識し、防災に役立てる科学的な見地を持つ必要性を科学者たちは指摘している。東京大学の地震学者たちは、川内原発の再稼働に関して「学者として火山噴火や地震のリスクは無視できない」と指摘したが、裁判所も政府も「何万年、何千年に1回のリスクについては社会通念上考える必要はない」「大地震や火山が噴火すれば、周辺の人人も死ぬんだから原発事故だけ考えても意味がない」という判断をしたことに怒っていた。


 B 今回の地震も、地震学者の間では、気象庁が「前震―本震」としているM6・3とM7の2つとも本震ではないかという評価が定着している。900回を超える余震も従来定説にされてきた「本震―余震型」ではなく、二つの本震が起こる「双子地震」ないしは互いに誘発しあいながら大きな地震が三つ以上起こる「群発地震」と見られている。日本中にわかっているだけで2000もの活断層があり、わかっていないものも含めれば6000以上はあるという。巨大地震がいつどこで起こってもおかしくない。 


  武蔵野学院大の島村英紀特任教授(自然物理学)は、「中央構造線ではじめて体験した直下型地震」であることに着目している。中央構造線とは、長野から始まって紀伊半島と四国を横断して大分、熊本、鹿児島まで連続して連なっている日本最長の断層帯のことで、その直上には名古屋や大阪などの都市部があり、伊方原発(愛媛)、川内原発(鹿児島)がある。この断層帯では、過去数千回以上にわたって地震をくり返し起こしてきたことが地質学的な証拠から明らかにされているが、これまでは大きな地震がなかったため危険性が度外視されてきた。だが、今回起きた布田川・日奈久断層もこの中央構造線の一部であり、熊本地震でエネルギーがたまっている他の部分も「留め金が外れた」状態になっていると警告している。


 この状態になると「地震の連鎖」が始まる可能性が高く、トルコ北部の北アナトリア断層では1000㌔にわたって大地震が次次に起きていった事例もある。今回の地震も、震源が熊本から阿蘇へ、大分へ、そして南側の八代など中央構造線に沿うように広がっており、必然的に東側では次に危ないのは愛媛、南側では鹿児島であることを指摘している。しかも、その入り口には伊方原発、川内原発があり、「この連鎖の次を恐れざるを得ない」と強調している。


 F 今回の地震について政府は「大震災級ではない」と判断したが、M7は内陸直下型地震としては最大級であり、震度7もそれ以上がない計測不能の最大レベルだ。そもそも気象庁が地震計測を始めたのが1923年で、わずか90年ほどしかたっていない。地震学者は、地質学的な照合で10万年前の地震まで調べることができても、なお地震予知はできないのが現状であり、今後、巨大地震が起こることは誰も否定することはできないという。


 1995年の阪神大震災も、東日本大震災も、予知も予測もできなかった。今回も「前震」を本震と判断し、次に本当の本震が来ることを予測できず、安倍首相が「私が現地を見て判断する」といった日に本震が来て、あわてて視察を中止した。防災情報として気象庁が発表してきた余震発生確率も、震源域が拡大しすぎて「過去の事例にあてはまらない」、つまり「予測不能」の事態になって発表をとりやめている。

 国民の命守る国の責任 五輪返上し復興を

  今後のことを考えたときに、そのような地震の活動期に入っているなかで原発再稼働などまず話にならない。それこそ存立危機事態だ。益城町での地震の加速度(威力)は1580ガルを記録している。重力の加速度(威力)は980ガルで、それをこえれば岩が飛び上がる。川内原発の安全審査で規制委員会が想定した最大値が620ガルだが、益城町並みの地震が原発直下で起きれば一発で原子炉が破壊されるレベルだ。熊本市内でも1000カ所以上の水道管が破損して一斉断水になったが、配管が破損して、冷却機能が麻痺して次次に爆発したのが福島原発事故だった。ただでさえ4枚の海溝プレートが重なりあう世界的にもまれに見る地震大国に54機も原発を作ったことが異常だが、それを活動期に再稼働させる。「爆発したらみんな死ぬんだから」という破滅的な論理で突き進むような政府も裁判所も狂っていると言わざるを得ない。そして、福島事故でも誰一人処罰されたものはいない。


  今回の熊本地震の震源も科学者の間では有名な断層でM7の地震が想定されていたが原発政策とかかわってか国レベルでの情報周知も準備もされていなかった。それも含めて統治機構の平和ボケが甚だしい。ミサイルが飛んでくるまえに原発から放射能が漏れ出しただけで国は壊滅する。川内原発の周辺は、鹿児島、宮崎、熊本と日本の食料基地だ。地震被害だけでなく、放射能で運命が閉ざされることになる。「安倍晋三の首が飛ぶぐらいでは済まされない事態になるぞ!」とみなが怒っている。国民の生命と安全を守るという側から見れば、原発を即刻停止して廃炉にすることがまともな統治の姿だというのは歴然としている。


  戦前に、東大地震研究所を創立したメンバーの物理学者・寺田寅彦が、政府がいう「国防」政策が戦争拡大の合言葉になる一方で、三陸沖地震や大火災や水害などの災害時には役に立たず、対策として非常に脆弱だったことを批判していた。今口を開けば「邦人保護」「国土防衛」といって武力行使を容認する安保法制を作るが、いざ国民の危機に対してはまったく動きがとれない安倍政府の無能ぶりと重なる。個人情報保護法で人人のつながりを断ち切り、機械トラブル続きのマイナンバー制度も停電すればなんの役にも立たない。


 C 震災のさなかにパナマのモノレール事業支援のために3000億円の円借款をポンと出したと思ったら、「23億円の被災地緊急支援を決めた!」と威張っていうから言葉がない。東北被災地にも5年間で26兆円つぎ込んでいるが、東京のゼネコンがつかみどりするだけでいまだに被災者は仮設暮らしをしている。3000億円もあれば、熊本の被災地で家を失った1万人に1人3000万円かけても全員分の家が建てられる。この間も、ODA(政府開発援助)で途上国にカネをばらまいているが、自国民が災害で住宅を失ってローンだけが残り、絶望的なホームレスになり、自殺者すら出かねない状態にあるのなら、国が援助してしかるべきだ。なぜ「パナマをやめて熊本に3000億円回す」とならないのか。さらにいえば、ゼネコンや利権集団が色めきたっている東京オリンピックなどもさっさと返上して被災地復興や回さなければいけない。


  こういうときに「公平性」とか「私有財産に国費は使えない」というが、国民がいなければ国は崩壊するのはあたりまえだ。トヨタの義援金はたった1000万円だったことが話題になっていたが、税金を納めない大企業や銀行、「みんなで助けあい」といって義援金を募るメディアなどもみずから身銭は叩かない。タックス・ヘイブンで課税逃れした大企業からケイマン諸島に逃がしている55兆円を拠出させればあっという間にけりがつく話だ。さらに、オスプレイなどいらないから、2000兆円ものアメリカ国債や証券類を売り払ったらいくらでも金はできる。貸した金を返してもらえばよい。


  危機にさいして国民同士が助けあう一方で、災害に便乗して一儲けしようという汚い世界もはびこっている。建築土木業界ではすでに資材関係は値上がりを始めている。みんなが困っているときに助けに来た振りをして火事場泥棒をしたり、家屋調査士を名乗って金品をもって逃げる窃盗が被災地で起こるのもそのような社会の反映として現れている。災害に便乗して土地を奪って、東京の大企業がつかみどりしていった結果が、東北の震災5年後の現状だ。


  熊本地震は終わっておらず、今からが正念場になる。時とともに大騒ぎしていたメディアも「過剰な支援物資」「捨てられるおにぎり」とか、「避難所に格差」「避難所で学校が使えない」などと住民同士の亀裂を生むような報道が目立ち始めた。行政も仮設住宅の建設時期すら示さず、「自助努力」といって切り捨てかねない状態にある。被災地の状況は、全国の国民にとって「明日はわが身」といえるものだ。東北も含めた被災地の復興のためにも、国民の生活に無関心で統治能力を喪失して腐敗しきった為政者に対して、生産を守り、地域共同体を守る全国的な団結と行動が求められている。

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