東日本大震災と福島原発事故から1年6カ月が経過しようとしている。被災地では、国による復興政策が遅遅として進まないなか、住民による下からの力によって農漁業をはじめとする産業立て直しに向けた懸命な努力がおこなわれている。本紙は、とりわけ原発事故による深刻な被害を受けた福島県に記者を派遣し、現地の様子を取材した。
全農家が結束し果樹を洗浄
「果樹王国」と呼ばれる福島県でも有数の果樹栽培地域である福島市飯坂町では今、全国2位の生産量を誇る桃の出荷に追われている。8月初旬から始まった収穫は、今そのラストスパートを迎えており、農協共選場では、管轄する福島市内の各農家から出荷された桃を積んだコンテナが所狭しと積み重ねられ、一つ一つを選別機のラインに乗せて婦人たちの手作業による選別がフル回転している。農家では家族総出で収穫した桃を農協に出荷したり、自家販売ルートを持ち、直売所を経営する農家は全国からの注文に応えて出荷作業が立て込んでいる。
4町歩の果樹園を家族で切り盛りする70代の男性は、「今年は、震災前の7~8割のお客さんが戻ってきてくれて、なんとか順調に回復に向かっている。日本全国の人人からの励まし、農家同士の助け合いや家族の結束力。人のありがたみをこれほど感じたことはなかった。丹精込めて育てた作物を自信を持ってお客さんに届けられる。農家にとってこれほどの喜びはない」と笑みを浮かべた。
今年は、原発事故から2度目の収穫期となる。昨年は、福島県内の一部の作物や土壌に含まれる放射性セシウムが国の規制値を超えたため、米の作付け制限をはじめ、わさび、柚、キノコ類、キウイなど幅広い品目で出荷が制限され、その影響を受けてサクランボ、桃、梨、ブドウに至るまで直売所では買い手が激減。県道に面して直売所が軒を連ねる「フルーツライン」でも以前は渋滞ができるほど集まった客足がぴたりと止んだ。放射能の危険性がとりざたされるなか、規制値以下であっても「とりあえず福島産は食べない方がいい」という風評被害が広がったためだ。そのため、ほとんどの作物が農協出荷へと流れたが、卸値は通常価格の10分の1近くまで買い叩かれるなど各農家は存亡の危機に直面した。
さらに昨年12月、今年4月からの食品の暫定基準値が従来の1㌔㌘あたり500ベクレルから100ベクレルへと厳格化されることが発表され、農家のあいだでは「じっとしていたらいけない。自力で立て直し、信頼を回復するしかない」と結束して除染作業を実施。「風に乗って運ばれ木の幹や枝、葉に付着しているセシウムを洗い流せば効果が大きい」という農協からの指導を受け、氷点下の寒さの中、全農家が共同して高圧洗浄機で一本ずつ果樹を洗い流した。表皮を削りとったり、セシウムを吸収するといわれる葉面散布剤を農薬に混ぜて撒くなどできることはなんでもした。
さらに今年の収穫にあたって、すべての畑から1㌔ずつ採取した果実をミキサーにかけてセシウム測定検査を徹底。すべての作物で「ND(不検出)」判定となった。
「今は、みなさんの励ましと援助に頭が下がる思いでいっぱいだ。農家は1年かけて栽培し、1度しか収穫期がないから気の抜けない毎日だった。セシウムが危険といわれるだけで、有効な対策が提示されず、手探りの状態からの出発だったが、ひとまずお客さんの期待に応えることができてほっとしている。だが、土壌の除染が終わっていないのでまだまだ気は抜けない。細心の注意を払っていくことに変わりはない」と表情を引き締めた。
直売所で働く娘さんも、「昨年、まったく作物が売れなかったとき、全国から励ましの手紙や“頑張れ”の電話がどんどんかかってきて、本当に心強かった。自分にも小さい子どもがいるので買い控えるお客さんの気持ちもわかるから昨年は複雑な心境だった。贈答品も“福島県産”ということで送り返される場合もあったらしく、お客さんもわざわざ送り先に電話で了承を得てから注文してこられる状態だった。今年は、安全性が実証されているので胸を張って売れるし、顧客のみなさんが通常通りに注文してくださり、“やっぱり福島の桃はおいしい”と喜んでもらえることがなによりもうれしい」と話した。
別の直売所を営む婦人は、注文を受けたすべての箱に農協から「(セシウム)不検出」の通知書をそのままコピーして同梱して発送している。「なによりも信用が一番。昨年は半分以上を農協に出荷して値崩れしたが、今年は以前の7割程度まで直販が回復している。福島市民が買ってくれるし、全国からも“やっぱりここの桃しか食べられない”と注文があいついでいる。昨年、注文が激減したとき絶望して農業をやめた人もいたが、“被災地全体を見れば津波や地震で家族を失ったり、家や土地を追われた人たちがたくさんいる。こんなことで自分たちが負けたら、福島が潰れてしまう“とみんなが踏ん張って除染をした。我慢強く諦めないのが福島県人だ」と語った。
若くして夫が他界して15年、女手一つで桃、ブドウ、梨などの果樹園を生産から販売まで切り盛りし、2人の子どもを育て上げた。「それだけ世話になった畑を簡単に捨てられるわけがないし、中通りは福島の屋台骨だと思っている。福島県民は石にかじりついても復興させる意志があると全国の人に伝えてください」と誇らしげに語った。
一方で、水圧70~80㌔の高圧洗浄機による除染によって樹皮の割れ目から入った水が凍みて果樹が枯れてしまったり、今後実施が検討されている土壌の除染で畑の表土を五㌢程度削りとることによって100年以上かけて育てた土地の栄養がなくなり、根の浅い桃の木が枯れる可能性など、不安が完全に払拭されたわけではない。
東京を支えるのは地方
ある果樹農家の男性は、「事故当時から東電は加害者でありながら殿様対応。普通は加害者が謝りに来るのが当然だが、JAの組合長が農繁期に賠償の陳情に行ってもあしらうように扱われていた。福島県の年間予算が9000億円だが、東電は子会社も含めたら年間6兆円の収益がある。福島県を一子会社くらいにしか見ていない」と腹立たしげに語る。
「私が生まれた昭和20年当時は生活が質素でも人間同士の結束があり、人情があった。だが、金やモノを中心にして人間らしい生活を奪うのが原発だ。その結果、東京に金が集まっているが、食料も水も電気も地方が供給しなければ自活はできない。安心な作物を作るのは絶対条件だが、福島がつぶれたら困るのは東京という関係だ。野田政府は12月に原発事故の“終息宣言”をしたが、事故はまだ終わっていないし、終末処理場の場所さえ決まっていないのに、電力会社を心配して再稼働させた。地方から吸い上げることばかりではなく、地方が成り立つように責任をもって解決させなければ日本全体が潰れる」と怒りをこめて語った。