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「球磨川の氾濫は人災」 流域治水のために 月刊『科学』

 今年7月に熊本県南部を襲った集中豪雨で、日本三大急流の一つである球磨川が氾濫し、死者・行方不明者60人以上、床上・床下浸水5700棟以上という大惨事となった。


 この災害について多くのメディアはすでに忘れたかのような対応だが、岩波書店発行の月刊『科学』9月号が「流域治水のために」という特集をくんで改めて検証している。そのなかで知識人やジャーナリストが、球磨川の氾濫は、国がダム建設に固執して住民の治水要求を放置してきた結果起こった人災だと訴えている。

 

氾濫した球磨川

 京都大学名誉教授の今本博健氏は、球磨川洪水の後、「川辺川ダムをつくっておけば今回の被害は防げた」という論調が出ていることに真っ向から反論している。


 今本氏は国交省発表のデータと地元の人からの現地情報をもとに、球磨川洪水を検証した。詳細は本書を見てほしいが、結論はこうだ。もし川辺川ダムが完成していれば、人吉地域の洪水流量を2100立方㍍/秒ほど減少させることができたと予測できる。しかし、今回の人吉地域の洪水流量は8500立方㍍/秒で、差し引き6400立方㍍/秒が残る。これは戦後最大だった1965年7月洪水の5700立方㍍/秒を大幅にこえており、したがってたとえ川辺川ダムができていても、大きな被害が避けられなかったことは疑いない。「ダムがあれば防げた」という論はあまりにも無責任だ。


 もう一つ。今回の洪水では、川辺川ダム流域の雨量が計画より少なかった。だがもし計画の1・1倍の洪水だったら、ダム貯水量は洪水調節容量を大幅にこえ、緊急放流を実施することになる。しかもその時間は人吉流域が大混乱の最中だったと予測される。その可能性を考えれば、「ダムがなくてよかった」となる。今回の洪水でも上流の市房ダムが異常洪水時防災操作開始水位にあと10㌢に迫り、緊急放流の一歩手前だった。住民を守るべきダムが、場合によっては住民に牙を向けてくることを考える必要がある。


 今本氏は、球磨川洪水は国の治水政策の根本である「定量治水」に疑問を投げかけたとのべている。「定量治水」とは、対象洪水を設定し(球磨川の場合、80年に1度の洪水)、その対策は「対象洪水に対応させる」という縛りがあるという。結局、対策は大規模なものにならざるをえず、ダムを選択しなければならない方向に誘導するものでしかない。それでは対応できないことが明らかになったのだから、堤防整備や河道掘削といった地道な河川改修対策を積み上げるべきだと指摘している。


 川辺川ダムをめぐっては、地元の漁民、住民が半世紀以上にわたって建設に反対してきた歴史がある。2001年には球磨川漁協が二度にわたって国交省が提示した補償案を否決。2008年にはダム建設予定地の相良村長、治水の受益者である人吉市長、そして熊本県知事が川辺川ダム建設反対を表明、翌2009年に国が中止を表明した。


 これにはその前段がある。ジャーナリストのまさのあつこ氏によると、全国各地でダム建設に反対する声が高まるなか、1997年に住民参加と環境保全をうたう改正河川法が国会で成立。1998年には建設省(現・国土交通省)が、ダム建設偏重の治水政策から堤防強化策への転換を打ち出した。その具体策の一つがフロンティア堤防で、従来の堤防に比べて断面拡幅、緩傾斜化、越水シート等による法面保護などの強化策を施したものだ。


 この時期、各地で住民運動が盛り上がった。2000年、徳島県では国の事業だった細川内ダムが住民の運動で中止。同県の吉野川第十堰改築をめぐっても住民投票が実施され、市民の意志を尊重して市長が反対を表明した。2002年には国交省の諮問機関・淀川水系流域委員会が、徹底した住民参加方式で「ダムは原則として建設しない」と提言した。


 熊本県では2001年から川辺川ダムを考える住民討論集会が連続して開かれ、そのなかで住民が「八代市の萩原堤防をフロンティア堤防に強化すると、200年に1度の洪水でも被害をゼロに抑えられ、費用はわずか29億円ですむ」という建設省文書を発見した。35年間で2650億円が注ぎ込まれてきた川辺川ダムと比べ費用対効果の面でも優れており、住民のなかでダム不要の声が一気に高まった。


 かつてない勢いでダム建設が困難になるなか、小泉内閣は2002年につくった「河川堤防設計指針」から堤防強化策を削除。球磨川の萩原堤防をフロンティア堤防にする計画も、実施設計を終え建設予算までついていたのに、国交省が突然中止した。淀川水系流域委員会の提言については、国交省がそれを潰すために土木学会に依頼し、土木学会は「(堤防強化策は)技術的に実現可能性がない」との答申を発表した。


 このような巻き返しは、ダム建設から莫大な利益を得ている側からだと容易に想像がつく。もし堤防が破堤しなくなると、上流にダムを建設する理由がなくなるからだ。小規模の治水工事なら請け負うのは地元の建設業者だが、数千億円の予算が付く巨大ダム建設は東京のゼネコンしか請け負えない。


 こうした国の対応は、民主党政権下でも、現在でも変わっていない。民主党政府は、川辺川ダム中止をいいつつ、国交省は計画を廃止せず、ズルズルと先送りした。地元は川辺川ダムに替わる治水策を求めたが、国は治水策を盛り込んだ球磨川河川整備計画を策定しないまま放置した。改正河川法で必ず策定しなければならないと決められているのに。しかも全国109水系のなかで策定されていないのは球磨川だけだった。こうして河川整備計画不在のまま今年7月の豪雨を迎えたのだから、ダムを優先する国の怠慢によって引き起こされた人災というほかない。このような問題の性質を明らかにしなければ、犠牲者は浮かばれない。


 まさの氏は、2016年から毎年、堤防決壊やダムの緊急放流で人命が失われてきたなかで、国交省が今年七月、「あらゆる関係者が流域全体でおこなう持続可能な流域治水への転換」を発表したことを紹介している。それを言葉だけに終わらせず、必要な治水対策を国に実行させるために、各地の住民の力を束ねることが必要だ。

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