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前田建設工業が出羽三山の風力計画撤回 全国に誇る山岳信仰の地 住民の運動で1週間で決着

 山形県の出羽三山で大規模な風力発電を計画していた前田建設工業(東京)は9日、同社のホームページで「計画を白紙撤回する」と発表した。地元では住民が「出羽三山の風車建設に反対する会」を結成し、「1400年の歴史と自然、庄内の景観を壊す出羽三山への風車建設に反対します」と計画の撤回を求めて署名運動を開始したばかりだった。地元住民は「白紙撤回」の発表を喜ぶとともに、山形県の洋上に新しい風力計画も浮上していることから、地元同意の仕組みのない現行の再生可能エネルギー推進施策の見直しなどを求めて引き続き声をあげていきたいと話している。同じ前田建設工業が大規模洋上風力を計画している下関市安岡地区の住民は、山形県の行動に励まされ、「次は安岡沖を白紙撤回に追い込もう」と話し合っている。

 

 出羽三山とは、山形県の中央にそびえる羽黒山(414㍍)、月山(1984㍍)、湯殿山(1500㍍)の総称だ。出羽三山の風力発電計画を住民が知ったのは、8月7日から前田建設工業が環境アセス配慮書の縦覧を開始してからだった。地元住民にはほとんど知らされないまま計画が動き始めていた。

 

 

 計画は、鶴岡市と庄内町の山間部二区域(庄内町三ヶ沢を含む羽黒山北方区域と、羽黒町川代地区などからなる区域。地図参照)の2296㌶を事業実施区域とし、3200~4200㌔㍗の風車を最大40基建てる(総出力12万8000㌔㍗)というものだった。

 

 これを知った地元の森林や河川を研究している大学研究者たちが、まず声をあげた。

 

 山形大学名誉教授で日本山岳会山形支部長の野堀嘉裕氏は「風車から1㌔以内に民家が多数あるうえ、北部区域の最南端風車からわずか1・2㌔のところに羽黒山神社が位置することになる。南部区域の南東側5㌔に弥陀ケ原湿原、南東8㌔に月山山頂、南9㌔に湯殿山神社がある。風車の長い羽根を運ぶには曲がりくねった道路の大幅な拡幅が必要だが、この地域はもともと地すべり地域なので、風車建設でブナの豊かな森が伐採されたら、土砂崩れの発生や下流域での土砂災害が懸念される」とインターネットで発信した。

 

 それを受けて山伏たちが立ち上がった。

 

 羽黒山伏の星野文紘氏は「御山のすばらしさを知らず、経済だけで考えるとは! 御山から恩恵を受けて生活し、御山の険しく厳しい場所そしてその自然環境に注意している。危険な場所での安易な行為は御山の機嫌を損ねるとして禁忌とされている」と訴え、全国にインターネット署名を呼びかけた。

 

山伏修行体験塾

山形大学名誉教授・野堀嘉裕氏が作成した出羽三山の風車建設イメージ

 そうした人たちが集まって「出羽三山の風車建設に反対する会」を結成し、8月31日に会発足と反対署名開始の記者会見をおこなった。羽黒町観光協会の呼びかけに応えて9月5日までに、鶴岡市内の飲食店、農場、直産業者、たね屋、精肉店、養鶏場、寺院、理美容店、書店、漢方薬店、医院や整体院、筋肉道場など100をこえる店舗・団体が名前を出して署名を置いている所に名を連ねた。

 

 旅館・多聞館は公式ホームページで「この計画が実現してしまえば、出羽三山の景観が致命的に損なわれるにとどまらず、出羽三山地域の森林は大量に伐採され、地盤は大規模に掘り崩され、羽黒山参道や門前町手向の宿坊街をはじめとして周辺地域は風車の騒音や超低周波に包まれることでしょう。土砂災害の多発や住民・来山者の健康被害も懸念されます」と訴えた。

 

 また、日本山岳会山形支部が反対を表明。日本山岳修験学会も前田建設工業に意見書を提出した。

 

 前田建設工業が白紙撤回を表明したのが9日(前日には各区長に伝えに行ったといわれる)であり、記者会見から1週間で決着をつけたことになる。

 

 前田建設工業が洋上風力の建設を狙う下関市安岡地区にこのニュースが伝わると、住民はわがことのように喜び、「安岡沖も白紙撤回に追い込まなければ」と口々に語っている。

 

 「反対する会ができて署名活動を始めたとは聞いていたが、こんなに短期間で撤回に追い込むとはすごいことだ。安岡沖だけでなく、室津の風力も豊浦沖の洋上風力もそこに住んでいる住民が本気になることだ」「励みになる。地元の人の思いが強いのだろう。こういうニュースを聞くと、安岡の白紙撤回にも手が届きそうだ。安岡の反対行動のことが山形県に届いていると聞き、同じ思いが本州の端から端までつながっていくのがうれしい」と話題にしている。

 

各地の山伏も力発揮 広大な自然破壊を危惧

 

 白紙撤回に追い込んだことについて、「出羽三山の風車建設に反対する会」の人たちに意見を求めた。

 

 呼びかけ人代表で羽黒山伏である星野文紘氏は、「祈りの聖地の羽黒山、月山、湯殿山に巨大な風車を建てることは誰が見ても認められないことだ。私は8月16日に大学の先生から今回の計画を聞き、すぐにネットで全国に訴えた。出羽三山に修行に来た方々が私のつながりだけでも全国に1000人おり、その人たちが立ち上がって署名を集めたり、前田建設に意見書を出したりし始めた。そこから地元に波及していった。鶴岡市長や山形県知事、庄内町長、自民党の衆議院議員も反対の声をあげた。ちょうどそのとき、前田建設が学校を建てるときに有害物質を放置していたという全国ニュースが流れ、それでまた火がついた。前田建設もこれ以上住民運動が広がってはまずいと思って判断したのではないか。いろんな力があわさって大きな力になった」という。

 

 続けて「私たちの運動は、組織がどうのこうのではなく、自分でできることをどんどんやっていったし、全国展開していった。理屈じゃなく、ここに建てるのはダメ、と思いの強さをドーンと出していった。修験道に“受け給う”という言葉があり、それは思想信条にかかわりなくすべての人を受け入れるという意味を持つものだが、そういう運動だった。それが短期間で決着をつけた原動力だと思う。大学の先生が羽黒山神社の鳥居から見える風車のイメージ図をつくってくれ、それも大きなインパクトになった。長周新聞の安岡風力の記事を見て、会社の体質を知ったことも参考になった。今回のことは全国いろんな地域への問題提起になったのではないか。みんなが力をあわせれば大手企業の計画もひっくり返せるのだ、と」と語った。

 

 同じく呼びかけ人代表で羽黒町観光協会会長の星野博氏は、「白紙撤回に追い込んだのは、地元と全国の山を信仰する人たちの力、その思いの強さだと思う。今年は山伏修行の“秋の峰”がコロナで初めて中止になったが、その分が風力反対のパワーになって出たのではないか。インターネット署名を呼びかけると、東京の山伏が1人で160人集めたとか、北九州の山伏が80人集めたとかの知らせがどんどん飛び込んできた。この地域には現在でも羽黒修験道をおこなう山伏たちが住み、毎年全国からの修行者を160人受け入れている。OBはそれこそ全国に何千何万人といる。また山岳信仰に興味を持ち、ハイキングコースとして出羽三山をめぐる観光客が年間80万人訪れるところだ」とのべた。

 

 そして「前田建設は下関の洋上でも大規模な風力を計画していると聞いた。しかも住民4人を裁判にまで訴えている。その情報もおおいに参考になった。風力反対で頑張っている安岡のみなさんに、よろしくと伝えてほしい。今後のことだが、今回のきっかけは県が“風況調査の結果、風が安定していて良い”と公表したことで、そこに前田建設が乗り込んできた。二度とこのようなことがないように、住民同意を不可欠とするなどの条例を整備することが必要だと思っている」と話している。

 

 同じく呼びかけ人代表で山形大学農学部准教授の菊池俊一氏は、「白紙撤回と聞いて安堵した。事業者も賢明な判断をしたと思う。それとともに今回の運動は、山形県や鶴岡市のエネルギー行政の問題点に気づく契機になったと思う。山形県は福島原発事故の直後、再生エネルギー活用の方針をうち出したが、そのなかで全電力の45%を風力でまかなうとしている。この数値目標に縛られて、今回のような建ててはいけない場所への計画にもつながった。最近では山形沖に洋上風力建設の話も出ている。3・11から10年たち、今回のことはそれを見直すきっかけになったと思う」とのべた。

 

 続けて「月山とそれに続く森林には湿原地帯が広がり、高山植物の宝庫だ。出羽三山には貴重な自然の資源が残っており、一度改変してしまえばそれを元に戻すのは難しい。そして環境アセスそのものの不十分性も明らかになった。環境アセスでは事業実施区域の自然への影響しか調べないが、自然界は連続している。たとえば風車建設や道路拡幅は、下流への土砂災害の影響としてあらわれるが、アセスには事業実施区域をこえた場所への配慮がない。そうしたことの見直しも必要だと思っている」と語った。

 

1400年の伝統守る 参拝者惹きつける霊峰

 

 取材のなかで羽黒町観光協会会長の星野博氏が、「出羽三山は山岳信仰の聖地だ。崇峻天皇の皇子・蜂子皇子が593年に開山したといわれ、1400年の歴史と伝統を持つ。それが風力発電建設から守られたのはうれしい話で、今後も守っていきたい。機会があればこの山をみなさんにも体験してほしい」と語った。このことについてもう少し聞いてみた。

 

 出羽三山のそれぞれの山は、羽黒山が現世、月山が前世、湯殿山が来世という三世の浄土をあらわすとされる。現在の出羽三山をめぐる旅は、初日に羽黒山を登って出羽三山神社・三神合祭殿を参拝し、その後は宿坊や旅館などに宿をとる。翌日月山に登って月山神社本宮を参拝、湯殿山まで縦走し、湯殿山神社本宮を参拝する。

 

 「羽黒山の入り口の2446段ある石段を登ると、樹齢1000年をこえるスギや国宝五重塔があらわれる。そこで山の霊気を体感してもらいたい。山は母胎であって、母胎にこもって新しい命をいただいて出てくる、つまり生まれかわりの旅だ」(星野博氏)。

 

羽黒山の石段参道

羽黒山五重塔

 

 羽黒山山麓の手向地区は山伏の里であるとともに山伏が経営する宿坊街で、参拝者をもてなすことを生業としている。星野博氏は一八代目だという。宿坊で出される精進料理には地元で採れた山菜が豊富に使われ、旅人の身も心も癒やす。「出羽の白山島(ごま豆腐)、月山の掛小屋(タケノコの油揚げ煮)、祓川のかけ橋(ふきの油煎り)」など山伏が創作した食文化に触れることができる。

 

 宿坊を営む山伏は、夏には参拝者を山に案内し、3㍍の雪が積もる冬には東日本各地を回って出羽三山のお札を配り、翌年夏の参拝者を呼び込む営業をおこなっている。それぞれの宿坊がそれぞれ担当県の檀家を持っており、そうした関係は400年以上も続いているという。この地域は日本遺産にも認定されている。

 

山伏の厳しい修験道 出羽三山に息づく文化

 

 では、山伏とはどんな人か? 白装束を身にまとい、金剛杖にホラ貝を持っている写真は見たことがあるが、いったいどんな修行をしているのか?

 

 「はるか昔、日本列島に暮らしていた人々にとって、山は神の宿る聖域であり、子孫を見守る祖霊が鎮まるところと考えられていました。修験道はそのようなおだやかな山岳信仰に根を下ろしながら、仏教とりわけ密教や道教などの影響を受けて形づくられました。修験道は中世以降、聖なる山に分け入って谷を渡り、山々を駈け、山に籠もり、山の神霊を我が身に宿す修行を重ねた山伏たちを通じて、人々に受け入れられてきました。日本の多くの霊山が信仰を集める中で、この東北の地に起こったのが羽黒修験道です」(羽黒町観光協会ホームページ)

 

 現在おこなわれている山伏の修行は、「秋の峰」と「冬の峰」の二つだ。出羽三山神社の「秋の峰」は8月26日~9月1日(6泊7日)、荒澤寺は8月24日~9月1日(7泊8日)。女性のみを対象とする「神子修行」(出羽三山神社、3泊4日)があり、そのほか羽黒町観光協会が主催する「山伏修行体験塾」(2泊3日)や、宿坊主催の修行体験の場もある。

 

 山伏の修行も死と再生=生まれかわりの行であり、抖(と)そう(山をひたすら登る)、南蛮いぶし(唐辛子の粉末を火鉢でいぶして部屋中に蔓延させる)、滝行、三食一汁一菜の食事など厳しいものだという。この「秋の峰」を経験すれば山伏になれる。

 

出羽三山の精進料理

 また「冬の峰」は、地元手向集落の山伏から2人が選ばれ、9月24日から大晦日まで100日間に及ぶ籠もり行としておこなわれている。

 

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