現在、へき地を抱える自治体では医師不足や少子高齢化といった問題に直面している。山口県立総合医療センターへき地医療支援部は、地域住民や学生たちと一緒になって、将来日本全国が直面するであろう課題にとりくんでいる。へき地医療支援部の原田昌範医師に、山口県のへき地医療の現状と課題、その挑戦について聞いた(記事中の地図・グラフは、山口県立総合医療センターへき地支援部提供資料より本紙が作成した)。
Q 山口県のへき地医療の現状と課題とは?
原田 医療の場合、都道府県ごとに「第七次保健医療計画」があり、5事業のひとつ「へき地」の対象地域の定義は自治体によって異なる。山口県は過疎三法(過疎地域自立促進支援特別措置法、離島振興法、山村振興法)にもとづいて医療における「へき地」を定めているが、その範囲は県土の約60%を占めている。本州最多・21の有人離島を含む山口県のへき地には、県民の14%に当たる約20万人が暮らしている。下関市では旧豊北町と旧豊田町が医療におけるへき地だ【地図参照】。
現状として、まず医師が不足している問題がある。山口県は8つの医療圏に分かれているが、人口10万人当りの医師数を見ると、全国平均の240・1人をこえているのは宇部医療圏(378・7人)と下関医療圏(262・3人)だけで、もっとも少ない萩医療圏は174・7人となっている。同じ下関市のなかでも北部と南部では医師の偏在がある。さらに山口県は若い医師が減り続けていて、2018年にはついに医師の平均年齢が福島県と並び、全国1位の52・5歳になった【グラフ参照】。地元・山口大学の卒業生が期待するほど山口県に残らず、なかなか「へき地」まで医師を派遣できない状況だ。
若い医師が地方の医局に残らなくなる一つのきっかけになったのが2004年に始まった臨床研修制度だ。都市部への集中が進むなかで、さらに2018年には新専門医制度が始まった。この制度は症例数が多く、人気のある指導医がいて、比較的施設が整備されているところに若い医師が集まりやすいことが予測され、ますます都市部と地方の格差が広がっていくのではないかと懸念している。
下関市は歴史的に福岡や熊本などの大学からの支援があり、岩国市は岡山県から支援を受けているため県央部ほど深刻ではないが、他県の状況も厳しくなると、山口県まで支援することが難しくなっていく。これが一つの大きな課題だ。
もう一つは高齢化・人口減少だ。山口県の高齢化率は約30%で、全国より約10年進んでいるといわれており、20年後には人口が今より約30万人減少し、さらに高齢化が進むと予測されている。へき地は多くの場所で高齢化率が50%をこえ、高齢者の生活を支える次世代も減少している。住み慣れた地域に暮らし続けるためのライフラインといえる保健・医療・福祉は年々先細りし、とくに市町村合併後は深刻になっている地域も多い。
昔は豊北町や豊田町にも町長がいて、今より隅々まで目が行き届いていたが、今は下関市の先端に市役所があり、北部に目が行き届きにくくなってしまうと懸念する。私が大学卒業後、最初に赴任したのは合併前のある町で、当時は町長がよく病院に来て声をかけて下さっていた。ここも今は市になっているので市長が来ることは難しくなる。担当者レベルでも広域になりすぎて、離島も山間部も、町中の休日急患の問題もすべてが覆いかぶさって手が回らない状況がある。ただ、私の師匠である自治医科大学の教授は、「へき地の医療がきちんと行き届いている自治体はちゃんとしている」と常々いっていた。へき地を見ればその町の姿勢がわかるのだと。これは外れていないと思う。
だれしも70歳をこえると、高血圧が出て、足腰が痛くなって、目も悪くなって…というように、5つ、6つの病気を抱えるようになる。超高齢化社会のなかで、さまざまな疾患を持ち合わせる高齢の患者さんをどう診ていくのかが課題だ。へき地に百貨店を持って行くのが難しいのと同じように、循環器専門医、眼科専門医など各専門医をそろえていたら、いくら医師を養成しても間に合わない。そこで例えばコンビニのように、幅広くさまざまなことに対応できる総合診療医を育成していこうとしている。コンビニはインターネットで繋がることで最新のものを把握しつつ、地元のニーズをリサーチしながら、店舗ごとに地域のニーズにあった品ぞろえに変えている。同じく総合診療医も標準的な知識・技術を持ちつつも、画一的ではなく、豊北町であれば豊北町の、豊田町なら豊田町のニーズにマッチした総合診療医が大事なのではないかと思っている。
Q 原田先生がへき地医療の道に進んだ経緯と、その魅力や役割を教えてほしい。
原田 私は自治医科大学を卒業後、9年間の義務として山口県内のへき地医療に携わった。へき地では自分がやったことがすぐに跳ね返ってくる。それがプレッシャーでもあり、やりがいでもある。9年間のあいだに離島に派遣されたり、周南市のへき地・鹿野地区にも赴任した。鹿野地区は父の出身地で、そこで祖父を看取る経験をした。
その経験をへて、なぜ祖父が住み慣れた地域の自宅で死ぬことができたのか、立ち止まって考えたとき、自治医科大学の仕組みや、私が去っても後輩が来てくれる仕組みが大事だと思えた。自治医科大学は9年間の義務を終えると自由だが、へき地を守る後方支援としてここに残り、仕組みを守る側に身を置こうと思った。今は後輩たちが困ったときに相談に乗ったり、病気のときに代わりに診療に行ったりしている。
なぜへき地を守らないといけないのか考えてみてほしい。毎日使う水はへき地から来ていたりするし、原発事故後の福島県のように、人が住まなくなった地は一気に荒れ、元に戻すには膨大な時間と労力がかかる。人が住むということは国土を守るということだ。コンパクトシティの考え方もあるが、「効率」をいうのであれば、みんなが東京に住めばいい。しかし、そんなことをしたら日本全体が荒れてしまう。「日本を守る」ということは、まさに地域を守っていくことではないだろうか。
萩市見島にも後輩が派遣されているが、万葉集に登場する防人の墓と推定される遺跡が見島にはある。あの時代から日本を守るために離島に人が派遣され、なにかあったときには知らせていたのだろう。本当は「人が住む」ことが国土を守るもっとも効率的な方法かもしれない。
私は徳山の商店街で生まれ育ち、両親は今も商売をしている。そこで育ってなぜへき地医療の仕事をしているのかと立ち止まって考えると、父がへき地の出身であり、私のDNAの半分はへき地出身であり、必然だったのかと思う。ふるさとを守っていくことが日本を守ることになる。われわれの仕事はそれを陰ながら支えていくことだ。
Q へき地医療支援部のとりくみを教えてほしい。
原田 私たちの活動は、「へき地医療を守る仕組みづくり」「診療支援」「次世代の育成」の3本柱。自治医科大学を卒業して県内のへき地に派遣されている後輩医師たち約12人をサポートしている。また、へき地医療を担う総合診療医を育成するプログラムもあるほか、小学生に命の授業をしたり、医学生にセミナーをしたり、研修医にへき地医療を教えるなど、へき地をフィールドに若い世代を育てる仕組みづくりにとりくんでいる。
9年前に私が着任したときは、へき地医療支援部はへき地医療の経験がある2人だけだったが、平成25年にへき地医療支援センターを設置し、今9人になっている。全員が自治医科大学を卒業し、9年の勤務を終えた医師たちだ。へき地のニーズを仕組みにつなげることで、後方支援部隊を増やしているところだ。9年間のへき地勤務を終え、そのままへき地に住み続けるのは、気持ちがあっても家庭の事情など難しい面もある。しかし、山口県立総合医療センターに所属しながら、週に何度かへき地に行くという選択肢を準備し、若い医師たちが山口県に残ってくれるような形を試行錯誤しながらつくってきた。
医療は水道・電気と同じくライフラインの一つだ。コンビニのようにへき地医療もネットワークでつながって、どの地域でも同じように医療を受けられる形ができればと思っている。クラウド型の電子カルテを導入して、離島の診療所とへき地医療支援部がつながったり、Webでカンファレンスをしたり、へき地で困っている後輩とやりとりしながら、医療の質を担保する仕組みづくりをしている。
Q 次世代の人材育成のとりくみとは?
原田 地域包括ケアは、住み慣れた地域で自分らしく最期まで暮らしていくのを医療・介護の面からどうサポートするかということだ。これは医師だけでは難しく、看護師や薬剤師、ケアマネージャー、地域住民などが一緒になって支えるとりくみが必要だ。医療資源が少ない地域こそ、医療をこえてさまざまな職種・業種で連携しあっていかなければならない。今、地域住民や行政とコミュニケーションをとりながら、これからの将来どんな医療が必要なのか、どんな医療人が育たなければならないのかを探りながら、次世代育成の仕組みづくりにとりくんでいる。
昨年12月に、下関市豊田町で開催した学生実習「とよたび」は、医師や看護師、薬剤師などを志す学生たちが、職業人になる前にお互いの仕事を知り、連携していけるベースをつくる試みとして開催した。医学生や看護学生、薬剤師を目指す学生や社会福祉士など、多職種の学生が参加し、実際に豊田地区を見て、地区住民と話しあい、地域の課題や困っていることを目の前にして将来を語ろうというとりくみだ。教科書だけでは知ることのできない実際の現場をみんなで一緒に見て、将来に向けてなにができるのかを話しあった。
3年間プロジェクトの一環だが、このたび初めて、医療関係者だけでなく山口大学国際総合科学部の学生たちも参加した。へき地医療の問題は、医療人だけの問題ではなくなっている。県庁や市役所では経済学部や文系学部出身の方も医療関係の担当者になって医療計画を立てたりする。医師の卵だけでなく、将来行政を担うかもしれない学生たちが参加してくれたのは嬉しいことだ。来年度、彼らが卒論がわりに一年間、豊田町にかかわり、医療を切り口にしたまちづくりに挑戦しようと計画しているところだ。若い世代に豊田町に来てもらうために、若い世代が楽しかったり、ワクワクするものにしたい。
豊田町は人口構造からみて日本の30年、40年後だ。これから日本全国が豊田町になっていく。そして今、世界で一番高齢化が進んでいる日本が地域の医療をどう守るのかを、WHO(世界保健機関)も非常に注目している。中国も高齢化に向かっており、今から成熟した国はどんどん高齢化に向かう。逆転の発想をすると、へき地は日本の最先端でもあり、世界の最先端だ。つまり豊田町は世界の最先端・最前線である。そこに将来を担う学生を投入し、いろいろやってみようとしている。
Q 若い医師や学生たちに対するメッセージを。
原田 「人生100年」といわれる時代。医師としての長い人生のなかで2年でも3年でも、ぜひへき地医療を経験してみてほしい。へき地は、医療機関も含めて物が十分ではない。そうなるとアイディアを出さなければならないし、さまざまな人の力を借りなければいけない。厳しいけれど、足りないからこそ生まれるものがある。それを経験してみてほしいと思う。「へき地医療」に魅力を感じても、「一度赴任したら後任が来るまで離れられないのではないか」とか「病気になっても支えてくれる人がいないのでは」など、さまざまな心配があって飛び込めない場合も多いと思う。私たちがさまざまな形でサポートするので、ぜひ若いうちに飛び込んでほしい。
「ダ・ヴィンチ」など、何億円もする医療機器を使う医療ももちろん大事な最先端医療だが、日本の20年、30年後かもしれないへき地医療もまた日本の最先端・世界の最先端だ。きっと視野も広がると思う。どちらの最先端も経験してほしい。
人間は、困難な状況であるほど、支えを受けてそれを乗りこえたとき力になる。そうした経験をする場として、へき地も選択肢に入れてほしいと思う。