都道府県の責任で主要作物(コメ・ムギ・大豆)の種子の開発・生産・普及をおこなうことを義務付けた種子法が2018年4月に廃止された。安心で安定的な食料供給を守ってきたものをとり払い多国籍企業に食と農を明け渡すもので、さらに来年の通常国会には農家の自家採種を禁止する種苗法改定案が提出されようとしている。これに対抗し、食と命を守る側から、地域の種子を地域で守る「種子条例」の制定が全国で進んでいる。14~15日、東京で「日本の種子(たね)を守る会」が意見交換会と報告会を開き、全国の条例制定にかかわっている農業者、市民団体、学者、議員などが一堂に会し、到達と今後の課題などを明らかにし熱い交流がおこなわれた。2日間を通じ、これらのすべてが一部大企業のために国民の生命・財産を差し出すものであるという性質を明らかにし、これに抗い、すべての人がつながって地方自治の力で国民の命を守るための運動を強めていく必要性が確認された。今号では、広島県農業ジーンバンクの船越建明氏の講演内容と、種子条例の制定について各都道府県で条例制定にかかわってきた人人の報告を紹介する。
広島県農業ジーンバンクの歴史と未来
(一財)森林整備農業振興財団農業ジーンバンク現場補助員
船 越 建 明
広島県で農業ジーンバンクを設立したのは平成元(1989)年のことだ。1970年代頃からバイオテクノロジーの技術を使った品種が世界的に広がっていった。そうなると一番大事な、新しい品種をつくりだす元になる遺伝子を海外から求めることができなくなってきた。
遺伝子には、種だけでなく栄養体や微生物、キノコの胞子、牛や豚の精液などがある。国はそうした遺伝子を保存している。そしてサブバンクとしてさまざまな組織を持っており、栄養体も含めて保存しているが、広島県農業ジーンバンクはそこまでのキャパシティがないので種子だけを保存している。栄養体と違い、種子の場合は冷凍保存しておくと何百年も息を長らえる。
それまでは発展途上国に行くと、ある程度、遺伝子の収集をして持ち帰ることができた。アメリカなどはその意味では先見の明があり、ずっと以前から世界から遺伝資源を集めて保存しており、55万点くらい持っている。日本は遅れて今でも20万点くらいしか持っていない。バイオテクノロジーの世界的な広がりによって、こうした遺伝資源の収集ができなくなってきた。
一方、1950(昭和30)年代から、とくに野菜や花などの作物でF1(雑種第一代)化が進み、F1の栽培が普通になり、自家採種の技術が急激に失われていった。われわれの時代の一世代前には自家採種が普通だったと思う。自分のところで種をとり、栽培してまた種をとる。物理的にいえば、品種の種類が非常に少なかったので、一つの部落のなかで栽培されていた品種はおそらく一、二品種だったのではないかと思う。後で考えると、だから交雑自体が非常に少なく、採種しても混じることが少なかったのではないかと思う。
ところが、F1の時代になると種をとることができない。F2になると特性がバラバラになるので使えないからだ。実は、それは新しい品種をつくろうとする人たちにとっては宝の山だが、新品種の開発には時間がかかるし、普通の人には簡単にできない。そのため毎年、種屋で種を買う時代になり、ますます在来種が失われていく。それまで自分のところでとっていた種を捨てたり、ダメにしてしまった。広島県の農業ジーンバンクをつくった頃にはそういう時代に入っていた。
設立当初、種を集めようとしたが、なかなか集まらなかった。「昔つくっていたものがその辺に転がっているかもしれない」と、そういうものを探してきて発芽させようとするが、ほとんど発芽しなかったりした。そういう状況だったが、まずは県内に残っている種を集めた。集めるにあたって、広島県の場合、改良普及員が市町村に駐在しており、担当の市町村の事情は非常によく知っていたので、普及員の駐在場所に人を配置し、地域の遺伝資源をすべて集めた。しかし、それほどの量は集まらなかった。
次に、九州大学や京都大学、鳥取大学などさまざまな大学が保存している遺伝資源の分離をお願いし、可能な限り収集した。これがものすごく多かった。大学の場合、先生が研究材料として収集し、管理されているあいだはいいが、退職や転職した場合、その後遺伝資源を守る人がいなくなる問題があった。実際に大学からたくさんの遺伝資源をいただいたが、非常に貧弱だった。大豆などの種をいただき、「小さい種だ」と思って栽培してみると大きな大豆ができる。学生さんが栽培するのだろうが、栽培方法によってはなかなか特性が出にくい。まともに栽培すると、やはり大きさも色も違う。そのためジーンバンクで保存するときには必ず増殖し、特性を見て保存するという仕事をした。いただいた物と比べると非常に立派な物がたくさんとれた。
こうして広島県農業ジーンバンクとして発足する。当時はまだバブルがはじける前で、預金利子が高かったため、県の施設の売却益を原資に、その利子だけを運営費としてあてることで運営できた。当時の知事と広島大学理学部の先生の意向で設立したものだ。当初は新しい品種をつくるための材料として遺伝資源を集めるというのが建前だった。
ところが新品種をつくるのは10年仕事であり、多額の資金も必要だ。広島県にもバイオテクノロジー関係の部署ができ、そこで若干の品種をつくったが、その後バブルがはじけ、バイオテクノロジー部門もなくなり、新品種開発のために遺伝資源を使うことはほとんどなくなった。
そのため、新品種開発というよりも、もう一度遺伝資源を現地へ返し、地域特産物として育成する形での遺伝資源の利用という方向に転換した。さまざまな遺伝資源があるので、それらを地域の特産物として利用するということだ。野菜が圧倒的に多かった。野菜は一度つくってみてもらい、よさそうならそれをまた増殖する。他の作物は加工すれば利用できる物がたくさんあるが、それ自体を利用するのがなかなか難しい。やはり野菜の利用率は非常に高い。
約2万点の遺伝資源 無料で自由な使用へ
広島県農業ジーンバンクには今、約1万9000点の遺伝資源が保存されている。稲類が圧倒的に多く約8000、麦類が約3000、豆類が約1600ある。豆類というと大豆と小豆がおもだ。牧草・飼料作物は約2400とかなりある。あとは野菜が2600ほど、特作(ソバ・アワ・キビなど)が約1000、全部合わせて1万9000点ほど保存している。
私たちの仕事は、この遺伝資源を使う方が使いやすいよう、どの時期にまいて、いつ花が咲き、どのくらいの大きさの実がどれくらい収穫できるのか、という一次特性を調べている。すべての作物を調べたわけではないが、1回目は豆類、2回目に野菜と特作について調べた。調べたものについてはホームページに掲載し、使う人がどのような種があるのか選択できるようにしている。
広島県のジーンバンクの特徴は、県内の人は自由に無料で使えることだ。種は保存しているだけでは価値がないので、おおいに使ってもらう。本来は二次特性(病気に対して強いなど)や三次特性(加工法など)まで調べるといいのだが、今人手不足でなかなかそこまでできない。しかし、一次特性だけでも見ることができるようにしている。
ただ、ジーンバンクは種屋ではないので、いつも要望がある分だけ種を出せるわけではない。そこでジーンバンクから種をもらった人には増殖してもらわなければならない。そこで大きな問題は、自家採種の技術を、使う人に知ってもらわなければならないことだ。昔は農家であれば自家採種をしていた。おそらく品種的に非常に単純で、どこに行っても同じような品種があり、隣同士で育てても交雑をあまり問題にしなくてよかったのだと思う。
しかし今はそうはいかない。多くの品種があるし、隣に別の作物があれば、交雑する可能性は十分にある。また種類によって種のとり方が違う。それを守って採種してもらうことによって、もともとの特性をそのまま維持することができるのだが、一旦別の品種と交雑すると、性質がバラバラになって非常に使いにくくなるため、ほとんど使えなくなる。
これまではこういうことをあまり考えずに種をとられたと思うが、今はそのようになっており、種取というものが正確に機能しなければ在来種の活用というのは非常に難しい。ジーンバンクの作業の流れは、種の収集をして、量が少なければ増殖をしなければならない。増やしてその発芽調査をする。種が多い場合はそのまま発芽調査をする。発芽調査の結果として70%以上芽が出ることを確認して保存する。
保存は二通りあり、長期保存はマイナス10度。湿度はだいだい30~40%だ。これは100年単位の保存が可能だ。もう一つ、マイナス1度というのがあり、これは頻繁に出し入れをするもので、みなさんが要求したときに出して配布する。配布してしまうとなくなるので、ジーンバンクで増殖してそれを穴埋めすることと、配布したものを現場で増殖してもらい、種がとれたら返却してもらう。要するに種の貸し出し制度みたいなものだ。お金はとらないが、種がとれたら返してくださいというシステムになっている。
そして帰ってきた種の発芽試験をして保存する。これは個別にやらないと、なかには交雑させている可能性もあり、混ぜてしまうと全部だめになるので別別にして保存しておく。ジーンバンクでは常に要求があるものに対して応えていくために保存し、返ってきた種の発芽状況を見る。とにかく使ってもらうことが一番大事なことなので、できるだけ使ってもらいたいということで宣伝している。
一番の問題は種取で、とくに野菜や特作はほとんどが交雑する。ソバなどは自分の花ではほとんど受粉しない。隣にある花が風で揺れて花粉が飛んだり、虫によって運ばれたりすることで実るので、虫が入らないようにしてつくるとほとんど種がとれない。ゴマもものすごく交雑する。黒ごまと白ごまを並べて植えるとどっちがどうなるかわからない。だから種をとるときに網掛けをしたり、袋がけをしたり、手でなでたり、そういう種取の作業をきちんとしなければ正確に種がとれないので、そういった技術を農家の人に会得してもらいたいというのが一番大きい。
将来像とすれば、有機農業をされる方にやはりジーンバンクの種子を使ってもらいたい。なぜそういうかというと、在来の物はもともと有機栽培のような肥料の少ない条件で特性が出やすいからだ。今のF1はどっちかというといろんなものを大量に投入してやることによって生産を上げるような品種になっている。肥料、農薬、水、温度、株数など、物をたくさん投入することによって生産が上がるような品種だ。それに対して在来種はもともと物がない時代に生まれ、続けて栽培されてきたものなので、肥料もおそらくゆっくり効くような有機質肥料の方が品質的にも在来種の品質をきちんと受け継いでいくことができる。しかし生産力はそんなにない。生産力を上げるということを考えると在来種の持ついい特徴を失ってしまうので、ジーンバンクが持っている品種の場合は栽培法とも絡めて利用していただきたいと思う。
農業ジーンバンクはこれから大企業から遺伝資源を守っていかなければならないので、種取の技術がどうしても必要になってくる。技術がないと大企業がつくった遺伝子の花粉が飛んできて、交雑してしまうとそこで主導権を持っていかれる恐れがある。カナダでは遺伝子組み換えの菜種の花粉がそうでない普通の菜種にかかって、その菜種をつくっていた人の菜種が壊れてしまった事例がある。そういうことが起こらないように種を守っていくが、冷蔵庫の中で守るのではなく外で守ることが非常に大事になるので、種を守り、活用することを考えていただければと思う。
■ 種子条例制定についての報告 ■
種子条例の制定についての各道県からの報告は意見交流時も含め、北海道から鹿児島まで23道県にのぼった。
道民運動と議会活動が連携し大きなうねりに
北海道たねの会代表 久 田 徳 二
北海道の場合、最初に5県ぐらいが条例を制定した後、食料生産が多い北海道で条例がなくていいのか、という議論がずいぶん長いことあった。約1年後に条例を持ったのだが、どうしてそんなに遅いのかという批判が道民からあがり、道庁が焦った時期もあった。
道民がこれはやらなければいけないと思ったのは、昨年3月24日の「種子法廃止緊急フォーラム」だった。当初100人ぐらいを想定していた会場に270人が入り、すごい熱気となった。この熱気を受け止めなければならないということで急遽「たねの会」をつくろう、そして道民の声を集めようとなった。これが大きなきっかけとなって6月15日に会の設立となった。設立までに道内の農業関係者、研究者、弁護士、医師など38人が呼びかけ人となったことも大きなインパクトになった。
その後、「会の立場」と「当面の目的」など、掲げるフラッグを明確にしてやってきた。設立直後にフォーラムを開いたりしていくわけだが、道庁が焦ったのかその直後に知事が議会で条例制定を表明する流れになっていった。条例制定を表明したのはわれわれも評価したが、問題はどのような条例をつくるかだ。そこで道の条例案ができる前にわれわれの条例案をつくってみようということになり、私たちの「要望案」と「条例私案」をつくるのを急いだ。
7月18日にタネの会の条例検討プロジェクトチームを設置し、要望書とそれを反映する条例私案をまとめる作業に着手。これが成果をあげ、8月7日には道知事と道議会議長にこれらを提出し、道議会の全会派に配布し説明して回ることを重視した。道議会の前に、道内179市町村の3分の1にあたる52市町村議会が種子条例に関する意見書を次次に決議した。これも力になって道民運動と議会活動がうまく連携した形ができていき、道庁がこれを受け止めて条例制定に動いた。
問題は条例の中身だが、要望内容の9点の柱を決め、その要望に沿った条例をつくっていった。なかでも対象種子の拡大、在来種や地域限定品種の保護、民間企業への知見提供をとくに重視した。そのなかで四つの前進があったと見ている。一つは対象種子が拡大したこと。当初はコメ、麦、大豆だったが、実績がない裸麦をはずすかわりに雑豆や蕎麦が入った。私たちは「主要農作物種子条例」ではなく、333ある優良品種をすべてカバーするような「北海道種子基本条例」という名前にして、全種を対象にした種子条例をつくるべきだと主張した。そのなかで道が責任をもって開発・生産・普及をするものは毎年決定し、当面は麦、コメ、大豆は必須である、と主張していた。また、予算措置は最初から強く要望したのでこれも入り、備蓄の規定や、在来種・地域限定種の育成も入った。
一方で四つの課題としてあるのが、①共有財産性、②食料主権、③農家の自家採種権保護、④遺伝子組み換え企業等への知見流出の防止、という内容を明確な表現として入れることができなかったことだ。この課題こそ北海道だけではできない課題であり、みなさんと一緒になってつくっていけたらと思っている。
今後の目指すべき目標として、第一に、多様で安全で安心できる地域のタネ(食)の価値を確認し、地域ごとに具体的に守っていくこと。第二に、そうした多用で安全・安心で地域風土に根ざしたタネ(食)の未来を脅かしかねないものに抗すること。第三に、地域の大切な種とそれにかかわる知見が、種子多国籍企業とその関連企業に流出しないようにすること。第四に、知的財産権の保護強化、ISDS条項などによる多国籍企業の権限の強化などを骨子とし種子法廃止の直接的原因となったTPPから脱退しないといけないということだ。
これら一連の動きには種子を私物化する生物特許が根底にある。これをとり除かなければユポフ条約や今回の種苗法改定を根本的に排除していくのは無理だ。自家採種権や食料主権を明記できる「種子基本条例」の上を行く「種子基本法」をみなさんと一緒につくれればと思っている。(北海道大学客員教授)
地域と命を守る問題
新潟・百姓塾塾長 堀 井 修
入り口論として、種子法と種苗法をきちんと理解していないと大変な混乱になる。今、種苗法を改定し自家採種を禁止するという方向を国が出しているが、海外流出を理由に禁止にしようとしているのは大きな問題だ。
私たち新潟県が一番早く主要農作物種子条例をつくった背景にはいくつかの条件がある。一つは非自民の知事を誕生させたことだ。当時私の耳にも農水省の知り合いを通じて国の法律がかわるという話が入ってきて、「これはとんでもないことが起きる」と思った。そのころになってようやく『農業新聞』がこのことについて書いたが誰も反応しない。しかし考えてみてほしい。種子法がなくなってしまったら試験場もなくなる、なにもいらなくなるということだ。それだけでなく根底は生命にかかわる問題だ。そういったことを説得して回った。理解した県会議員が1人おり、その県議が知事に質問したら、「それでは早速種子条例というものをつくらなければならない」という話になって、もっとも早い兵庫県から3日遅れて条例ができた。
その後、私のところにいくつかの取材も来て、それに対し「種子法廃止は、百姓を否定することだし、命を否定することだし、地域を否定することだ」といったら、それは大変だという話になっていった。やはり私たち自身が、そこまでの問題であるというところまで踏み込んでいかなければならないと思う。だから何としても種子法を復活させていく必要がある。われわれは先陣を飾ったが、その後条例ができた自治体はまだ20にもなっていない。ぜひみなさんにも、これが地域を破壊する問題だし命の問題であることを意識してやっていってほしい。
新潟としては条例が通って安心している部分があるが、もっと考えなくてはならない。というのもコメ・ムギ・大豆の主要農作物だけでは守りきれないからだ。今回の県議会のなかで、園芸試験場と農業試験場が持っているタネをすべて登録しなければとられてしまうということで調べてみたところ、試験場は新しい品種をつくるために膨大なものを持っていることに驚いた。
種子を私物化する生物特許については、先進諸国がインドなど熱帯雨林の国に行って片っ端から自分たちで生物特許をとったという経験がある。インドの人たちが「あれは海賊行為だ」といっていたが、これは知識があればできることだ。やはり私たちは、自分たちの持っているものを大事にして囲いこんでいかなくてはならない事態にきている。
これからの方向性としては、ジーンバンクなどで集めた膨大な資料を大事にすること、これが非常に大きな問題点になってくる。そしてこれから条例をつくるのであれば、北海道に習って自分たちの地域にあるものを重要視し、それを囲っていくことが大事だ。民間が来て「オレのものだ」といわせない。この方向性をつくっていかないと空中戦で終わってしまう。ぜひみんなで大いに知恵を出しながら、いろんな種類を掘り起こしながら、自分たちの種子法というものを復元させていけたらと思っている。
種子法の持つ根源的な意味を伝えることが重要
山形県・種子農家 菊 地 富 夫
山形では昨年6月に県条例が可決され10月から施行されている。山形県はもともと農業県だったので、7月ぐらいから条例制定に向けて動いていたようだ。7月にちょうど山田正彦先生からお話を聞く機会があり、喫茶店で10人ほどでお話を聞いた。そのとき私は種子農家でありながら種苗法と種子法の明確な違いについてわからないという状況だった。あとでわかったのだが、種子法とは空気のようなもので、なくなるとその存立性がわかる。あってあたりまえだと思っていた。私の仲間に「こんな大事なことをみんな知らないんだからすぐ集会をしよう」といわれ、8月中旬に200人近く集まって集会をした。その集会にはJAの方がたくさん来てくれた。普及者の先生、県の職員、県議も自民党二人、革新系一人、共産党一人が来てくれた。そこでやりとりし、みんな賛成だったが、知事や議員の関係について駆け引きもあったようだ。
山田先生の話はとてもわかりやすく、「こんなに大事なものなんだ」ということがみんなに認識された。無知は罪悪だと思った。知らないうちにいろんなことがなくなったりつくられたりしていくのはとても危険だ、ということを感じとったところだ。種子法廃止について農家の人にきちんと本を読んでもらったりすると「私も手伝うよ」ということにもなってくるし、とにかく現状をきちんと認識することが大事なのだと痛感した。問題が出てきてからでは遅いので、国で種子法廃止を廃止してもらい立派なものを復活させてもらうように頑張っていきたいと思っている。そのためにこれから種子法の大切さ、人権や農業を含めた種子法の持つ根源的な意味をいろんな人を利用して伝えることが大事なのだと思う。
みんなで考え声をあげ県を動かす
NAGANO農と食の会 吉 田 百 助
長野県の条例の特徴は、対象品目に蕎麦と伝統野菜を加えたことだ。そして、そのうえで将来に向けて種子生産を継続する必要がある在来品種を必要があれば保存するという、幅広い品目を対象にしたのが特徴だと思う。
あわせてみんなで考え、声を上げる土壌をつくるために、県が条例をつくるときに私たちがこの条例で何を望むのかを私案にまとめた。食料主権の考え方、種の権利を盛り込みながらこうした条例を目指し、県が出してくる案に対してみんなの意見を寄せてくださいと呼びかけるためにつくったものだ。これからとりくむみなさんにはこの私案を参考にしていただきながら、長野で実現しなかったことをぜひ実現をしていただき、長野県をこえる条例をつくっていただきたいと思う。
各市町村から意見書を出し勉強会続けて浸透
くまもとのタネと食を守る会 間 澄 子
有機農業を38年やっている。「くまもとのタネと食を守る会」は非常に歴史の浅い団体で、今年3月に山田正彦先生を招いて勉強会をやったのが初めてだった。このとき会場もなかなかなく、60人規模の会場しかとれなかった。しかしそこに120~130人の方方が来られて、椅子をのけて座ってもらうしかない状態になった。その反響の大きさに非常に驚き、その後も6月に再び山田先生に来ていただきシンポジウムを開いたりしたが、そのなかでこれは非常に重要な問題だということをみんなが感じとった。
しかし「何とかしなければならない」と漠然とした雰囲気だけはあったが、なにをすればいいかわからない。「確か意見書を出す権利が私たちにはあったよね」と話しながら、各地の市町村が意見書を出しているという話を聞き、福岡から意見書の資料をいただいて、それをもとに意見書を出すことができた。
ここから、できたばかりの会であることや熊本が自民党王国でもあることから請願書の出し方を慎重に進めた。まず百姓に伝えなければ、いくら有機農家や市民だけでいっても手に負えないという気持ちもあり、各市町村から意見書を出してもらうことを地道に続けて、1年後に条例化を目指そうと内部で考えていた。天草、阿蘇、玉名などの自治体に働きかけをし、農協中央会には実行委員会に参加してもらえないだろうかと打診していた。結果的にいい返事はこなかったが、内部で話しあっていることがわかっただけでもよかった。
6月にシンポジウムを開催し、各地で勉強会を開くうちだんだんと浸透してきた。そのうち自民党が市民運動の前に主導権を持ってやらないといけないと思ったのか動き出した。私たちも請願を出すのをどうしようかと考えていたが、9月議会で県知事が県条例をつくることを宣言するらしいという情報が入ってきて、「だったら請願を出そう!」となって、自民党系も出し、私たちも出しで、4つか5つの請願が出てしまった。そして全部の請願が採択された。どうすれば請願が通るのか私たちはあちこちに働きかけてきたし、自民党議員は自分たちの主導権でやりたいと動き、農協中央会も動き、JAの農協長の会議でも可決されたようだ。
そのようなことで熊本県ではこの12月議会でほぼ制定させることになって安心している。こんなに歴史の浅い団体でもできた。ただ、その内容に関しては譲れないところがあるので、条例は通るだろうが私たちはきちんと今後も勉強会をしながら運動を続けていく。具体的に条例が通ったあとの組織づくりをどうするのかというところで悩んでいるところだ。
ただ、先ほどの話にもあったように種子法廃止がまだまだ下まで届いていない。阿蘇や天草でも講演会を続けているが、有機農家や市民運動、消費者の方だけでなく、農家自身が動くためにどうするのかを考えていかなくてはいけない。