下関市では、高尾浄水場(明治39年)、日和山浄水場(昭和4年)の緩速ろ過池が、現役で旧市内と彦島の一部に水道水を供給している。緩速ろ過法は、池の底に張った砂に微生物を発生させ、原水の汚れを消化させる方法だ。明治期に初めて日本に上水道が整備されたさいにとり入れられた。緩速ろ過池では定期的に汚れた砂の表面を掻きとる作業がおこなわれている。水道局の職員も「匠の技」と呼ぶ作業を覗かせてもらった。
緩速ろ過池の掻きとり作業は1年間に5~6回おこなう。一つのろ過池で「10万立方㍍の水をろ過した段階」が目安だが、ろ過水の濁度や酸素濃度など、水の状態を見ながら判断するため、頻度が高まることもあるという。水中の酸素濃度が低くなると微生物が死んでしまったりして、ろ過できなくなるからだ。自然の営みを利用した方法なので、自然の状態に沿って判断しつつ、六つの池の水を順に抜きながら作業をおこなっている。
掻きとり作業は2、3日前から水を抜き、池を干すことから始まる。乾き過ぎても、水分が多過ぎても作業がしづらくなるため干し具合も大切だ。真夏には藻が乾いてかちかちになり、鍬が入らなくなるため、当直の水道局職員が作業に適した湿度になるよう水を抜くタイミングをはかる。現場で長年作業をしてきた親方がアドバイスすることもあるという。
水を抜くと池の底には一面に藻が発生して緑色になっている。藻は水温と栄養の関係で発生する。近年は暑い日が多いためか、1年のうち半分以上と、藻が発生する期間が長くなっているという。作業の第一段階は「えびかき」を使ってこの藻を掻きとる作業だ。水分を含んだ藻や砂は重みもあり、慣れた人にとっても重労働。気温で藻が乾燥していくので時間との勝負でもある。作業にとりかかると、みるみる池の中央部から平行のラインがほぼ等間隔に伸びていき、約30分で第一段階の作業を終えた。
藻がなくなると、汚れた砂の表面が出てくる。第二段階は、汚れた砂の表面を1㌢(目安)ほど、平らに掻きとる作業だ。鋤簾(じょれん)に持ち替え、鍬遣いも巧みに、手際よく砂の表面を削っていく。深く掻きとりすぎると砂の中の微生物がいなくなり、再び発生させるのに時間がかかる。しかし表面の汚れはきれいに掻きとらなければならない。その加減は経験によるところもあるという。最大12人のメンバーのうち長い人で20年あまり、短い人で2、3年ほどだが、メンバー全員が農業者だというから納得だ。20代から作業に携わっている女性の鍬遣いには親方もかなわないと話していた。
藻は産業廃棄物として廃棄するが、砂は長府浄水場で洗って再び池に戻すため、分別できるよう藻は藻で、砂は砂で帯状にまとめているという。池の底には芸術的なほどきれいな四角形が完成していった。
掻きとりが終わると、これらを別別に池の外に運び出し、2㌧車に積む。ベルトコンベアの設置も、砂や藻をリヤカーで運んでベルトコンベアに乗せる作業もすべて人力だ。1335平方㍍の日和山1号池の場合、砂は2㌧車に山盛り3杯、藻は4杯ほどにもなる。全体で約20立方㍍だ。夏は日陰のない炎天下、冬は寒風にさらされる一連の作業のなかでも、この作業が一番の重労働だと話していた。
終始、だれかが指示を出すわけでもなく、阿吽の呼吸で作業が進んでいく様子が印象的だった。
作業が終わった池には再び水道局職員が水を張るが、水を上から投入すると空気の層ができてろ過機能が働かなくなるそうだ。そのため、まず他の池でろ過した水を底から染み出させ(逆張り)、空気を抜きながら約10㌢ほど水を張った後に原水を入れていくのだという。
数あるろ過法のなかでも「おいしい水ができる」といわれる緩速ろ過法だが、こうした人人の陰の支えがあって、100年以上にわたり水を家庭に送り届けることができているのだ。
しかし近年、「匠」の確保が難しくなっており、耐震性の問題ともかかわって、高尾・日和山の緩速ろ過池は、長府浄水場の更新事業が終了したのちに廃止される予定となっている。