東京都墨田区の江戸東京博物館で8月31日、ゲノム問題検討会議が主催して「科学技術は私達の生活にどのように関わってくるのか」と題するシンポジウムが開催された。政府が進める「技術革新」の下でAIやゲノム編集技術などの新しい科学技術が急速に広がっている。こうしたなかで現在、軍事や情報、医療、人権などにかかわる分野で、倫理で制御できないスピードで科学技術の革新が進んでいる。現在や未来の市民生活に科学技術がどのようにかかわり変化を及ぼすのかについて、各分野に携わる研究者や専門家がそれぞれの知見から現状を市民に知らせる場となった。パネリストたちの発言を紹介する。
◇ゲノム編集技術による生物兵器製作の動きについて
池内 了 名古屋大学名誉教授
現代の科学技術と戦争に関する現状について状況を知ってもらい、さらに人権を侵す動きをどうやって押さえ込んでいくかを話したい。
人類の歴史は軍事技術を追い求めてきた歴史ともいえる。また、軍事技術の開発をいかにやめさせるかという「非戦」の歴史でもあったと私自身は捉えている。軍事技術の開発は科学者がおこない、禁止されるとそれに触れない新たな軍事技術が開発されるという歴史をくり返してきた。こうした開発を追い詰めつつある一方で、現在の軍事技術は新たにAIや生物兵器へと傾斜している。
戦争とは軍事技術のうえに成り立ってきた。そこには決定的な軍事革命が起きてきた。第一の軍事革命では「化学」が主役の火薬を用いた銃や大砲、あるいは毒ガスなどが発達した。第二の軍事革命では、物理学を用いた兵器が主役になり、航空機による爆撃やミサイルが発達した。これによって平面的な二次元的な戦争が、空間も含めた三次元的な戦場へと変化した。そして第三の軍事革命は現在進行中の人工知能や生物学を用いたもので、AI兵器や環境破壊兵器、生物兵器だ。すでにドローンを用いた無人偵察機や無人爆撃機が戦場に登場している。
現在開発中なのがAI搭載自律型致死兵器(キラーロボット)で、自分で標的を決め、自分で撃つところまで判断するロボットだ。今国連でもAI兵器の禁止条約の話し合いが進みつつある。そのほかにも電磁弾や高周波兵器、サイバー攻撃やゲノム編集生物兵器などがある。これらは人間や建造物の物理的な破壊ではなく、基本インフラの破壊や生態系の改変で打撃を与えるもので、社会生活を営むことをできなくさせる。
これまで開発されてきたような巨大な爆発力と殺傷力による物理的な破壊力は現時点ですでに頂点に達しているといえる。火薬を用いた2㌧爆弾や、東京をすべて破壊させる5000㌧の水爆もある。ここまできて新しいタイプの兵器に移行しつつある。
第三次軍事革命の特徴の一つは、あらゆる場所に張り巡らされている電子回路やIT回路、コンピューターを破壊する。これによって銀行、病院、交通、発電所などを攻撃することで日常生活が送れないようになる。もう一つの特徴はAIを活用した人間殺傷の自動化だ。自律型致死兵器は、敵を発見して攻撃することまで自分で決めるものだが、「“疑似”自律型致死兵器」はすでに登場しているのではないかと思っている。それが生体認証技術だ。指紋や瞳など人間の体の一部を映し出すだけで誰かを判断する技術で近年流行している。これを用いて「機械内に記憶した像と、具体的に映し出された像が90%一致したら撃て」という指令を人間が与えれば自動的に撃つことが可能になる。実際にドローンに対して「特徴的な行動をしている人間集団がいれば軍事勢力であるから撃て」という指令を与えて運用している可能性は高いのではないかと思う。
これまでのべたように、大量破壊兵器の概念は変わりつつある。
こうした軍拡の動きに対抗する倫理観を人間は歴史的に持ち続けてもいる。これまでも残虐な兵器や非戦闘員を殺傷する兵器を禁止する条約を決め、それが国際人道法として定着している。1868年のサンクトペテルブルグ宣言(最初の国際人道法)からいくつもの禁止条約を締結してきた。だがそれらを破った場合に罰則規定を管理する力を持った巨大な組織はない。それでも条約を破ることを自重させる効果は発揮してきた。こうした背景は軍縮や非戦の歴史を考えるうえでの大きな流れとして捉えておくことが重要だが、同時に科学者が次から次に新兵器を考案し、軍がそれを採用し配備してきた歴史でもある。
現在の世界情勢を見ると、私は戦争がなくなる方向に進んでいるのではないかと考えている。大国間の戦争は起きていないし、小国間の確執はあるが領土や利権のとりあいや長期戦はないし、緊張関係はあるが長年のことであってすぐに決着がつくものでもない。つまり、大国アメリカやロシアが小国に対して圧力をかけたり違法な軍事介入をしているものだと私は見ている。だから最新鋭の兵器を動員した戦争は終焉したのではないかという印象を持っている。国家間の対立や紛争を解決するための戦争という意味合いは薄れている。戦争を起こしても国際的に孤立するうえに経済的に立ちゆかなくなるのは目に見えているからだ。
では、なぜ戦争が抑止された状況で各国は軍拡に走るのか。アメリカは宇宙軍を正式に発足し、日本も宇宙防衛隊を配備するとしている。とくに日本は来年度の概算要求に5兆3000億円という数字をあげている。
一つの大きな要因として、軍事的脅威を煽って軍拡を進めようとする軍産複合体の存在がある。
さらに「抑止力」としての軍備だ。だが、果たして「敵」は武力を恐れているから攻めないのか? 攻めるのは無意味だと分かっているからではないのかと思う。世界は政治的・社会的・経済的・文化的・学術的に繋がっている。こうした繋がりのなかで世界全体が動いていることがわかりきっているなかで、「敵」とされる国にとって日本を攻めて利益があるのか。現在の私たちは何から防衛し、自衛するための軍事力なのかということを考えるべきであり、それと見合った軍事力なのかを追及しないといけない。今は見合っているとはいえない。
現在の情勢は非戦や軍縮の観点から見れば後退の時期であり、軍事力を背景にした「威嚇の時代」ではないかと考える。安倍首相やトランプ大統領、イギリスのジョンソン政権、ロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席など、「フェイク・ディール」つまり自国ファーストのその場しのぎで耳目を惹きつける路線だ。この下で軍拡路線が進められている。だからといって日本が軍事力を強化する必要はない。むしろ非武装こそが世界の安全に寄与すると考える。
生物兵器の話題に移る。これまでの初代・二代目の古典的な生物兵器は、自然界の病原菌を培養して兵器として使うものだった。これらは費用対効果が高い反面、敵味方関係なく被害が出ることやすぐに効果が見えにくいことなど問題も多かった。細菌兵器や毒素兵器、化学兵器に対する禁止条約ができたことも大きな要因だった。まったく使われなかったわけではなかったが、大大的には使われなかった。
二代目は細菌やウイルスを組み合わせて自然界に存在しない、より強化されたものが出た(人獣共通感染症)。主に旧ソ連でおこなわれた開発だが、実際に使われたという明確な証拠はない。旧ソ連崩壊後、研究者らはアメリカの生物兵器関係の機関に雇われて知識を広めた。
三代目は生態環境を破壊する兵器として位置づけられている。そこに「ゲノム編集技術」が使われる。改変遺伝子とクリスパーキャス9を染色体に組み込むと、たとえば不妊遺伝子や毒素生成遺伝子を持った生物が世代とともに広がる。この技術は最初のゲノム編集を施すだけであとは証拠が残らない。生体破壊兵器にも繋がりかねない。直接の殺傷力ではなく、その周囲の状況を大きく変えることで「敵」に対抗する兵器である。
--------------------------------
◇先進生命科学技術がもたらすデュアルユース問題
四ノ宮 成祥 防衛医科大学校教授
生命科学の全体の流れについてまず話したい。生命科学の適切な利用法は、バイオ産業の振興や社会福祉の向上、医療技術の改善が大きな目的だ。しかし、まったく同じ技術でも意図的な悪用、意図的でなくても誤用されるケースがある。生物兵器の開発やバイオテロ、環境破壊などだ。一つの技術の利用の両義性を「デュアルユース」という。研究者が一生懸命社会のために研究していることが悪用される可能性があり、われわれにとって悩ましい問題でもある。
生物兵器禁止条約が発効されたのは1975年。今ある生物兵器禁止条約も1975年当時のままのもので基本的な考え方は変わっていない。しかし、バイオテクノロジーは進化を続けている。当初は伝統的生物剤という病原性の高い微生物や毒素を直接的に使った兵器だったが、1990年代頃から遺伝子を組み換えた生物剤を作れる可能性があるという議論が始まり、2000年以降は合成生物学といって、生命を合成する生物学が基本領域としても立ち上がっている。
組み換え遺伝子を利用した生物兵器の利用禁止の観点から見た問題点を上げる。
既存の炭疽菌に、新しく血液を壊す毒素を挿入するもので、さらにそのワクチンを作るというものだ。この兵器を使われた側は、遺伝子が組み換えられているので対応が遅れるうえに、ワクチンを持っていないので対抗できない。こうしたタイプの研究には大きな問題があるのではないかという論議が広がった。これが1990年代のことだ。
2001年にはオーストラリアのグループの研究で、ワクチンを接種したネズミを遺伝子改変ウイルスに感染させた。通常ならワクチンの免疫によってネズミは生き残るが、遺伝子改変ウイルスによってネズミは死んだ。つまりワクチンの効果が無効化された。オーストラリアでは齧歯(げっし)類が増えて農作物が荒らされてしまうため、生まれる数をコントロールすることが必要とされ、それを名目に実験をおこなった。だが、結果は思いがけなく既存のワクチンが無効になる技術だった。輪をかけて問題になったのは、このとき使ったウイルスが、ヒト天然痘ウイルスと近縁だったことだ。ヒト天然痘ウイルスに対して同じような技術を利用すると、実験と同じような殺人ウイルスになるのではないかという疑念が上がり、当時世界的にも大きな問題になった。
さらに2002年に天然痘ウイルスを詳しく調べた研究が発表された。天然痘ウイルスの中に遺伝子がないか調べるとSPICEという遺伝子が見つかった。これはワクチンの100倍もの活性を持つ非常に病原性の高いものだった。SPICEの遺伝子が発見されたので、これを遺伝子操作して別のウイルスに入れることで病原性を増強できる可能性があるということが大問題になった。
これらの研究は「病気の病原性がどこにあるか」ということを詳しく知るためのもので、医療に応用しようというのが大本の始まりだった。しかし、それを利用して生物兵器にもなり得るということがいえる。
2000年以降、合成生物学という領域の研究者が増えている。生命を合成する学問だ。実際には自然界に存在しない生物構成要素や生物系を設計し創造したり、現存する生物系を再設計して製造する。複雑な生命をつくることには成功してないが、単純化したウイルスや細菌はつくることができる。この研究では人工DNAを機械でつくる。それらを繋いで長くする作業や正しい配列を確認し、人工染色体に組み込む。このような研究がどこまで進んでいるか紹介する。
2002年、ポリオウイルスの完全人工合成が世界で初めて成功した。この研究ではポリオの遺伝子情報をもとに化学的にDNAをつくった。ポリオ自体は1940年代くらいまで日本国内にもあったが今はない。ポリオウイルスが体内に入ると脊髄の神経細胞に入って炎症を起こし、神経の支配下にある筋肉が萎縮する。2004年にはポリオの発症は世界中で数カ国にまで減り、もうまもなく地球上から根絶されるであろうと思われていた。しかし、このポリオウイルスを人工的に合成できるという科学技術を示したおかげで、研究室における病原体管理のありかたが変わってきている。
今まではウイルスを持っている研究室は名乗り出て登録し、病気がなくなれば研究の必要がないので廃棄するという約束があった。しかし、いくら病原体を管理しても、一から人工的に作れるということになれば、遺伝情報が規制の対象になるのか、あるいは作り方を規制するのか? しかし、もう作り方はインターネット上に晒されている。こうなると「物」で管理することができなくなる時代がやってくる。
合成生物学は今までウイルスという小さな遺伝子を扱ってきたが、もっと大きなバクテリアや細菌のゲノムの全合成に成功したという事例も出てきている。
2008年に「マイコプラズマ」という一番小さな細菌が全合成された。その2年後には、人工ゲノムをもとに人工の細菌が作られた。そして2016年には不要な遺伝子をそぎ落とした最小のゲノムを持つ細菌「ミニマルバクテリア」が作られた。このバクテリアには必要最小限の遺伝子だけが残され、空いた領域に毒素や病原性の強い遺伝子を入れることで凶悪な遺伝子を作れるようになるかもしれない。
「天然痘」という病気があったが、1980年に地球上から撲滅された。しかし合成生物学で天然痘のウイルスのDNAを得ようと思えばDNA合成会社に頼んで作ってもらうことができる。われわれ研究者もそれを利用して研究をおこなっており、DNAの情報をメールで送ると次の日には郵送で届く仕組みだ。だが、2006年にイギリスのジャーナリストが天然痘ウイルスのDNAを注文したら自宅に届いたという記事を公表した。当時はDNAがあっても、ごく小さなウイルスしか作る技術はなかったとはいえ、これでは「テロリストが注文したらそこに送るのか」という話になってくる。
そして、2018年には馬痘ウイルス(馬の天然痘)の人工合成に成功したという記事が発表された。これについては「サイエンス」と「ネイチャーコミュニケーションズ」という大手の雑誌に掲載を断られた後、「プロスワン」という雑誌で公表された。この論文を掲載することで、多くの問題がひき起こされる懸念がある。馬痘ウイルスは、ヒトの天然痘ウイルスである痘疽ウイルスよりもゲノムサイズが大きい。つまり科学者にとっては遺伝子の大きなものがつくれるなら、さらに小さいものをつくることは技術的にはクリアされたことになる。地球上から根絶された天然痘ウイルスだが、誰かがつくろうと思えば勝手につくれてしまう。こうした問題をはらんでいるにもかかわらず、安易に対策がないまま発表してもいいのかということが問われる。また天然痘については、すでに非常に良いワクチンが複数存在しており、さらなる研究が必要とされるのかということも疑問だ。私個人としては、この科学者がこのようなことをまじめに考えて研究をおこなったのかということに疑問に感じている。
こうしたなかで世界のDNA受託合成の約8割を担っている会社「IGSC」は、危ない病原体の遺伝子ではないか、きちんとした顧客かどうかなど、自主規制を敷いているし、天然痘ウイルスの合成については拒否している。だが、残りの2割の企業やサイトはこの規制にかかるわけではないというのが現状だ。
1918年に「スペイン風邪」が大流行したが、どの研究室もこのウイルスを持っていない。そのため研究ができない状態だったが「できないのなら作ろう」という発想が出てきた。2005年にスペイン風邪ウイルスを人工合成したという報告もある。
また、H5N1高病原性鳥インフルエンザでは、ヒトに感染した場合、致死率は52・8%という高い病原性を持っている。ヒトからヒトへの感染は起きていないが、飛沫伝播するウイルスに変異すると、ヒトからヒトへの感染が起きる可能性が出てくる。この研究が2012年におこなわれ、最終的に飛沫感染するH5N1高病原性鳥インフルエンザウイルスを作ることに成功した。これは賛否両論分かれた。懸念材料としては、事故や人為ミスによる漏出、テロへの悪用が上げられる。一方、ウイルスにどういう変異があるとヒトに移りやすいかということが分かるので、流行予測することができる。またワクチンを作ることができるという見方もある。こうした論議がデュアルユースのジレンマでもある。
食品にも広がるゲノム編集
ゲノム編集について話をする。2012年に「クリスパーキャス9」【図参照】というシステムでゲノム編集が可能ということがわかった。それ以降、ゲノム編集に関する研究論文が急増した。
クリスパーキャス9は、DNA上にある「ガイドRNA」と「Cas9酵素」の複合体が標的とするDNA配列を探し、その部分を切断する技術だ。その後切れたDNAがくっつくときに、切りとられた部分が排除された状態で修復したり、切れた部分に別の新しいDNA断片を組み込んで修復させることもできる。狙った場所に狙った操作をおこなうことができるという技術だ。
これを利用して「遺伝子ドライブ」という技術が可能になった。今までは細胞に対して外から操作を加えていた。だが、たとえば蚊の中にクリスパーキャス9のシステムそのものを最初から遺伝子に組み込めば、あとは細胞内の遺伝子が勝手に働いてくれる。蚊の体内で勝手に遺伝子を組み換えられるという技術だ。こうすることでマラリアが伝播しないよう遺伝子操作をすると、その蚊から生まれる子どもの蚊は勝手に遺伝子を書き換えられるシステムが組み込まれているため、従来の遺伝法則を超えて100%マラリアを伝播しない【図参照】。その蚊から生まれた子も100%マラリアを伝播しない。この操作をおこなった蚊を放つとマラリアが伝播しないようになるのでワクチンなど必要ないという研究者も出ている。
ゲノム編集技術を使って、先天的免疫不全症などの遺伝子治療やiPS細胞と組み合わせた治療なども期待される。優れた技術ではあるが、この技術の使い方が今いろいろと問題になっている。
すでに売り出されているゲノム編集作物を見てみると、茶色に変色しないリンゴがある。「ポリフェノール・オキシダーゼ遺伝子」を遺伝子操作で切り取ってしまったものだ。また、成長因子に遺伝子編集をおこなうことで、短期間で巨大化するサーモンなども海外では市場に出回っている。
また、牛の「ミオスタチン」という遺伝子を切り取って筋肉隆隆の牛を作ることもできる。筋肉の余計な増殖にストップをかけるミオスタチンが働かなくなるからだ。これは「ミオスタチン異変」といって自然界にも存在している変異だ。従来はこれを人為的交配によって品種改良というスタンスで飼育してきた。しかしゲノム編集でも従来とまったく同じものをつくることができ、証拠も残らない。アジアゾウの遺伝子を書き換えてマンモスを創り出そうという「マンモスプロジェクト」もすでに始まっているなかで、「人の遺伝子を書き換える時代が絶対に来る」ともいわれている。
そして昨年にはゲノム編集ベビーが中国で創られた。エイズのウイルスに感染しないよう遺伝子を操作したというものだった。ただ本当にやる意味があったのかということをわれわれは問題視している。ゲノム編集の研究をどのように進めていかなければならないのかという問題を提起している。
ゲノム編集が大量破壊兵器に繋がる可能性があるというレポートも出ている。実際の兵器が作られていないので具体的な議論は進んでいないが、確かな脅威として捉えられ始めている。ゲノム編集を規制する意味をみなさんには考えてもらいたい。
アメリカではゲノム編集を時間的・空間的に制御する技術や、望まれないゲノム編集から防御する手段、編集されたゲノムを環境から除去・復元する研究が進められている。その研究にはヒトゲノムや遺伝子ドライブ研究の第一人者的人材や、クリスパーキャス9の開発者など重要な人物が、アメリカ軍が投資して作った組織研究にこぞって参加している。「これこそが軍事研究だ」「そうではない」という論議があるかもしれないが、アメリカ軍が深くかかわっている組織に世界のトップが入っているというのは事実だ。
さまざまな科学技術が積み上げられてきたなかで、メリットもあるがリスクもある。これをわれわれがどう考えるのかが問われている。合成生物学やゲノム編集など、始まって間もない技術についてわれわれは理解し、社会のあるべき姿を考えていかなければならない時代に入っている。
--------------------------------
◇ゲノム技術とビッグデータ
天笠 啓祐 科学ジャーナリスト
最近、あるデータを見て驚いた。国内の携帯電話の保有台数が2億4000万台というものだ。赤ちゃんまで含めて一人2台にあたる。スマホを握りしめている人が凄く増えたが、両手で握りしめても2億4000万台にはいかない。すごい時代になったと感じる。
考えてみるといくら電磁波で被曝していても、自分が被曝しているという意識がまったくない。それがいまの状況だ。原爆のように瞬時に爆発した場合は衝撃として感じるが、日常的にジワリジワリと被曝するとこれは何も意識しないのだという感じがする。これがゲノムと結びつくとどのような話になるのだろうか、というのが今日の話になる。
1、国家戦略としての「ゲノム」
1991年に政府が「国家バイオテクノロジー戦略」をうち上げる。これによってバイオテクノロジーを国として全面的に戦略化し、バイオ産業の拡大を図る。その柱に据えたのが遺伝子特許戦略だ。1998年に初めて遺伝子が特許として米国で認められたことが大きな基点になり、国が遺伝子特許戦略をスタートさせる。知的所有権(あるいは知的財産権)自体を戦略化した。
2002年2月に知的財産戦略化会議が設置され、同7月3日に同会議が「知的財産戦略大綱」をまとめた。このような動きの中でゲノムの知的戦略がポイントになる。
知的所有権つまり「特許を押さえる」ということは、排他的権利をもつことができるのが一番大きい。実際にモンサントという企業が遺伝子特許を押さえていく。それによって種の権利を押さえることができ、実は食料を支配することができる。つまり特許を押さえるということが経済の仕組みの中で大きなポイントになってきている。これが日本が知的財産戦略というものを大きな柱に掲げる主な理由になっている。
遺伝子特許や人体特許の実例として有名なものがいくつかある。一つは、南大西洋のトリスタンダクーニャ島に、戦争の影響で数家族が移り住んだ。島ではほとんどが近親婚になり、遺伝子がかなり均一化されてくる。その島民のかなりの人がぜんそくを持っていたことにカナダの大学病院が注目し、島にいって「ぜんそくを解決できるかもしれない」といって住民に無償で血液を提供させた。採取した血液からぜんそくの遺伝子を特定する。このカナダの大学病院に資金を出していたのは米国のベンチャー企業であり、この企業がぜんそく遺伝子の特許を押さえることになる。これによってぜんそくの遺伝子診断ができるようになり、この企業はかなりの利益を上げることになる。ところがこの特許料は島民には還元されない。島民は血液を持って行かれただけで、もうけたのは米国のベンチャー企業だけだったという話だ。
また有名なものとして、ジョン・ムーア事件というのがある。ワシントン州に住んでいたジョン・ムーア氏は、カリフォルニア大学で治療を受けていた。彼は毛様白血病という珍しい病気だった。カリフォルニア大学が着目したのは、毛様白血病の人の脾臓の細胞は、癌治療にとって非常に有効な細胞であるという点だ。治療を口実にしてジョン・ムーア氏を大学に来させていたが、実は治療ではなく、彼の細胞を用いていろいろな実験をしていた。その結果、カリフォルニア大学は彼の脾臓から取り出した細胞を癌の治療に使える薬として特許化した。
ジョン・ムーア氏本人は大学が自分の細胞を使って利益を得ていることを知らず、後に裁判に訴えた。だが、「その行為をやってはならない」という主張ではなく、「自分にも利益をよこせ」という裁判だった。これは大きな問題になり、大学病院側も、非常に有効な遺伝子を見つけて特許化し、治療に使ったときに遺伝子提供者から利益をよこせということが出てくれば、あちこちで「利益をよこせ」という人が出てくる可能性があるため抵抗した。その意味で、この裁判は非常に複雑な様相を呈したが、最終的にはジョン・ムーア氏の権利は認められなかった。
提供者に対しては特許権の利益の提供は認めないという判決が出た。大学病院側は「よかった」となるが、細胞提供者側は「とられた」というだけだ。血液を採られた島民も同じだ。これが遺伝子特許・人体特許の大きな問題として浮かび上がっている。要するに経済的にすごい利益になるということだ。
2、ゲノム(遺伝子)コホート研究始まる
このように知的所有権が利益を生むものだから国は国家戦略にした。2003年3月1日に「知的財産基本法」が施行され、同日に内閣が「知的財産戦略本部」を設置する。ゲノム(遺伝子)を解析して、遺伝子特許取得に向かった動きが活発化する。大規模な遺伝子収集計画がスタートし、2003年に「30万人遺伝子バンク計画」なるものがスタートする。これは東大医科学研究所が中心になり、30万人の血液を集めてその遺伝子情報を読みとる国家プロジェクトとしてスタートする。
このさい、特許は大きな問題なので、インフォームドコンセント(説明と同意)が確立され、患者に対して三つのことを求めている。①無償での提供、②遺伝子解析などで生じた特許などで得られた経済的利益の放棄、③血液を長期間管理し、将来の研究にも使用する資源とする。いわば、研究者にとって都合のいい内容だ。この方法がその後のゲノム関連の研究で一般化していく。
「30万人遺伝子バンク計画」の次は、産学官連携による「100万人ゲノムコホート研究」というのが出る。ゲノム(遺伝情報)コホート(大規模)研究とは、基本は病気や健康に関する遺伝子の大規模な調査ということだ。100万人から血液などを採取し、同時に病気や健康に関する情報や家系の情報を収集していこうということだ。これは新たな薬品や治療法、健康食品などの開発につなげ、経済効果と結びつけるというのが大きな線としてあるわけだ。
これが次の段階でビックデータと結びついていき、精密な未来予測(プロファイリング)を可能にするという計画へ発展している。この「100万人ゲノムコホート研究」に先行してスタートしたのが「東北メディカル・メガバンク」というものだ。2012年2月1日にはじまり、当初は東北大と岩手医大の二大学が、宮城県と岩手県の被災者を対象にし、20歳以上の地域住民8万人、三世代7万人の計15万人から生体試料(血液や細胞など)を採取し、ゲノムを大規模に研究しようということだ。病気や健康に関する遺伝子を探し、遺伝子のビジネス化を進めるというが、問題なのは、この研究に全額震災復興の予算が充てられた。被災地復興とまったく関係のない研究に復興予算が付けられるというひどい話だ。
それ以前からその他多くの大学や研究機関がゲノムの情報収集に乗り出していた。国立がん研究センターは2011年、バイオバンク・ジャパンは2003年からだ。九州大学は1961年から福岡県久山町でいち早くとりくみを開始している。これが最初は健康診断などだったが、遺伝子ゲノム研究へと進んでいる。この久山町の場合は、九州大学とぴったりとくっついたため住民のほとんどの人たちの生体情報から健康情報、病気の情報を全部九州大学が押さえているという状態になっている。ある住民の方に聞くと「この研究のやり方について批判すると村八分になって町にいられなくなった」といっていた。
山形大学では2010年から山形県内で、京都大学は2007年から滋賀県長浜市でおこなっている。
3、ライフコースデータの登場
そのなかで従来とレベルの違う新たな研究がはじまる。
「ライフコースデータ」というもので、京都大学大学院医学研究科が中心になって進めているものだ。大学だけでなく、一般社団法人健康・医療・教育情報評価推進機構(HCEI)、株式会社学校健診情報センターの3者が自治体と連携している。生まれてから終末期を迎えるまでの健康情報のデータベース化だ。まず母子保健法に基づく母子保健情報、学校保健安全法に基づく学校健診情報、健康保険制度に基づく医療の診療報酬請求情報、介護保険制度に基づく要介護認定情報などをデータベース化し、さらにビッグデータとして全体をつないでいくという考え方だ。生まれる前から死ぬまでの情報収集という凄まじいものだ。
学校健診情報では、現場で保健室の先生が激しく抵抗している。「子どもたちの体の情報をそんなものに提供できるわけがない」と。だから最初は京都大学の人脈を使って、自治体の教育委員長の命令で校長に命令させて情報を収集していくというやり方をした。学校には上から命令を出す。そして今、子どもたちの健康診断結果9年分(小学1年~中学3年)の情報を集めている真っ最中だ。
これには政府の推進事業が利用されている。2011年から文科省がはじめた「科学技術イノベーション政策のための科学」推進事業、もう一つが総務省が2014年からはじめた「地域CIT(情報通信技術)振興型研究開発」推進事業。こういうものを利用して予算を確保している。
この「ライフコースデータ」は、子どもたちの情報をビッグデータにして分析させる。たとえば、小学生時代にこういう体力でこういう食生活をし、こういうライフサイクルをしている人が将来どのような病気になるのかとか、長生きできるだろうかとか、いろんなことを予測しようとしているわけだ。特徴のある個人に対しては、生体試料として血液や細胞の提供が当然求められていくことになる。
4、ゲノムコホート研究とビッグデータとの連携に向けた法的整備
これまでは各大学と連携していたが、これを政府が積極的に応援し、いまや政府をあげてこの問題にとりくんでいるという状況だ。その具体化の一つが個人情報保護法の改正だ。2013年に高度情報ネットワーク社会推進戦略本部(IT総合戦略本部)が設置され、個人情報の利活用のための「制度見直し方針」をうち出し、2014年に同本部が制度改正大綱をまとめる。
改正のポイントは、企業による個人情報の利用促進だ。民間企業が個人情報を幅広く利用できるようにしようということだ。そのために2017年、個人情報保護法が改正、施行された。ここでは、個人情報の利用については、本人の同意がなくても目的変更できるというのがポイントだった。これまでは個人情報を利用する目的を変えた場合には、必ず当人の同意を得なければならなかった。その同意が必要なくなり、一旦個人情報を提供してしまうと何に使われるかわからないということになった。
並行して、特定秘密保護法成立(2013年)、安全保障関連法可決成立(2015年)などいろいろ進められたが、大きいのが2015年のマイナンバー制度のスタートだ。こういうゲノム情報をマイナンバーと連結すると、国民一人一人の情報が隅から隅まですべてわかる。
そして2017年に次世代医療基盤法が施行される。先ほど、子どもたちの情報を提供させるという話があったが、例えば京都大学に提供させる場合は、個人の氏名を伏せる(匿名)という考え方だったが、ゲノムを分析するためには個人を特定しなければ情報を遡ることができない。そのために「匿名加工情報」という考え方が出てきた。非常にあやしい考え方で、匿名加工事業者が加工をするという。公共機関が健康情報をそのまま分析機関に出すのではなく、途中で匿名加工事業者が仲立ちして伝えるというものだ。この事業者が仲立ちすることで個人と各情報を繋ぐことができる。この匿名加工事業者というのが非常に危険であり、本当に加工されるのか? という問題が出てくる。
5、ビッグデータとは?
データの巨大化が進む。人の一生をめぐる情報がワッと集まってくる。そこに分析技術が進み、さまざまな関連が明らかになる。データの発信源は、スマホ、スマートメーター(各家庭に取り付けられ、30分に一回ずつ情報が行くので、その人の生活が把握できる)、パソコン、公共データ、マイナンバー、クレジットカード、ポイントカード、スーパーやコンビニ等のPOSシステム、監視カメラ、GPSなど、いろんなものが情報源になる。
その他にも、母子健康手帳、学校の身体測定、授業のタブレット、病院のカルテなども含め、特定の個人のデータがビッグデータとして入ってくる。例えば、授業でタブレットを使う。これは各端末の情報がすべて繋がっている。そのタブレットのキーの扱い方から、この子どもがどういう性質であるかが分析されるようになっている。いまやそんなことまで可能になっている。
それによって、その個人の未来予測まで立てられるようになる。消費行動、政治・信条予測、信用評価、犯罪・非行予測、病気予測などを分析しようとしている。政治・経済・社会のあらゆる分野での予測をしようとしており、例えばみなさんがアマゾンで買い物をする。買った本や検索履歴から興味や関心について分析され、この個人は将来こういう過激な行動に走る可能性があるということまで調べることができる。分析技術(コンピュータ・アルゴリズム)とAI(人工知能)の自己学習能力によって、人間で考えられないような思いがけない関連(組み合わせ)が明らかになる。いろんな商品構造で応用されている。赤色が好きな人はこういう食品が好きだとか。
もう一つの特徴は、きめの細かさだ。分析が一人一人に対応する。ユーチューブを見ていると好みの番組が出てきて、どんどん見るようになることを経験した人も多いだろう。私が健康食品のデータを調べていくと、次から次へと健康食品の宣伝が画面上に現れる。これを「フィルター・バブル」といい、好みの情報に取り囲まれるという状態だ。
このような情報化社会は、戦略的情報システムというトヨタ型生産システムからスタートしたというのが私の分析だ。トヨタ生産システムは在庫を持たないのが大きな特徴で、これをコンビニが応用した。必要なときに必要なものだけ置くというものだ。コンビニでは、買い物をすればレジで性別や年齢をインプットする。この商品をこの年代の人が買う、この地域ではこの商品が売れるというデータが中央に集まる。どの商品を置けば在庫がなくなるかを把握するということでスタートした。現在、コンビニは一地域に集中立地するという戦略だが、売れた量がコンピューターで中央に伝わり、売れた分だけの商品を補充していくという仕組みを考えたのがはじまりだ。
いま財布の中がカードだらけという人が増えたと思うが、クレジットカードやポイントカードというのは自分の住所、年齢、氏名まで書いた情報を相手に提供し、商品まで買って、自分の好みまで相手に教えている。付与するポイントはそのための餌に過ぎない。もたらす利益と売り渡すプライバシーというのが各種カードの性質だ。
一番わかりやすい例が、ターゲット社と妊娠情報だ。スーパーというのは、私たちが日常的に買い物に行く場所だが、だいたい人は同じ傾向の物を買うらしい。買い物に大きな変化があるときは、引っ越しと出産の時だという。引っ越しはどうも予測は付かないが、妊娠は予測が付くのでいままでにないものが売れるだろうとみて、スーパーは必死になって買い物客の妊娠や出産情報を集めている。ターゲット社は25種類の商品で購入パターンを分析し、その個人が妊娠していることや、出産がいつごろかまでおおよそ予測できるようになった。すごいことには、おおよその出産日までわかるようになったという。香りの強い商品を買わなくなる……とか、いろんな情報で分析する。家族よりも先にAIが妊娠を予測した例もある。また、2 3 and Me社(グーグルの関連企業)などは、精子バンクと提携して生まれてくる子どもの性格、容姿まで分析するということまで商売化している。
このビッグデータと生体試料があわさると未来予測(プロファイリング)ができ、これが犯罪未然防止に使われるという。最初に使ったのが警察で、「テロとのたたかい」という口実で急速に拡大した。読んでいる本、寄る場所(スマホを持っていれば誰も位置情報がわかる)、ヤフーなどでどのようなニュースに興味を持っているかなどの情報から、犯罪を起こす可能性のある人物をリストアップして追跡する。「犯罪防止」という口実で最初に応用している。
さらに病気の予測といって医療や医薬品・健康産業が乗り出す。採取された血液や細胞などの生体試料に、病歴、食生活、喫煙や飲酒、家系や遺伝情報、身体測定、犯罪や非行経験などの情報をプラスし、ビッグデータとして解析して未来予測を立てていく。この人物がどのような病気になる可能性が高いかがパーセンテージで出る。
商品の売り込みに一番最適なのが「未病」というものだ。まだ病気ではないが、高血圧とか高血糖とか数値が高い人を指す。医療業界がつくるガイドラインというのが非常にいい加減なもので、例えば高血圧のガイドラインでも、ちょっと基準となる数値を下げると「高血圧患者」がものすごく増える。糖尿病予備群も同じで、ちょっと数値を下げると患者がすごく増え、それでもうかるのが医薬品の産業だ。そのように、まだ健康なのに、数値を見て高血圧と信じ込み、「未病」といわれ、健康食品などを買ったりする。こういうのが一番商売になるというわけだ。
6、政府が全面的に乗り出す
ゆりかごから墓場まで管理するというのを狙っているわけだ。2018年に厚労省がデータヘルス時代の母子保健情報の利活用に関する検討会で「子どもの健診履歴の一元化を目指す」という議論をはじめた。一番のターゲットは子どもだ。ここでは、生涯にわたる健康・医療管理(ライフコースデータ)がすごく重要な役割を果たすと思われる。
生まれたときの母子手帳データ、学校健診での学校健診情報(これをいま一生懸命に集めている)、さらに成人後には健康診断受診で健康診断データに電子カルテ、お薬手帳なども電子化されている。さらに介護世代になると要介護認定調査情報や施設入所時調査情報がある。生まれる前から死ぬまでが、国のデータとして完全に掌握されるようになりそうだ――というのがいまの状況だ。当面は、生まれる前から中学卒業までを一元管理するのが狙いだが、一部の自治体では母子健康手帳の電子化が進み、乳幼児健診では自治体ごとに異なる項目の統一化が図られている。
医療ビッグデータも国が後押しをし、カルテなどを集めて匿名化して企業・研究機関に出すという動きになっている。全国民のゆりかごから墓場までの健康や病気の管理だが、最終的には特許化と商売化という一番メインの目的につながっていくだろう。