7月の西日本豪雨からまもなく半年が経過するなか、もっとも被害が大きかった広島県内の被災地では多くの住民たちが家を失い、生活再建の見通しもたたぬまま年末を迎えている。現在も県内全域で道路や河川の復旧作業がとどこおっているが、小さな集落ほど後回しとなり、被災当時のままの状態が続いている。時間の経過とともにメディアにとりあげられることも減り、地域の復旧も住民が帰ってくるメドもたたないまま見捨てられたかのような静寂に覆われている。
いまだ手つかずの被災家屋や道路も
広島市と呉市に挟まれた坂町(人口約1万3000人)では、豪雨災害によって300軒をこえる住宅が全半壊した。なかでも坂町役場から山を隔てて西側に位置する小屋浦地区(約800世帯)は、山から海に流れる天地川の上流の砂防ダムが崩壊し、土石流が両岸の集落を襲い、16人が死亡し、いまも1人が行方不明となっている。
川や道路を覆っていた土砂やガレキが撤去され、住宅地に流れ出していた水の流れも川に戻り、一見すると町は平常をとり戻したかのように見える。だが、集落に一歩足を踏み入れると、家という家はがらんどうで土にまみれ、外壁によってかろうじて形を保っている状態だ。人が住んでいない家が多く、窓やドアなどのサッシはとり外され、なにもなくなった家の中を寒風が吹き抜けていく。土砂に押し流されて崩れたままの家や、まだ家の中にぎっしりと土砂が詰まっている住宅もある。あの日から時が止まったまま、惨状がむき出しの状態で手が着いていない。
壊れた家で作業していた年配の男性は「復旧が終わっていないどころか、見ての通り被災当時からなにも変わっていない」とため息交じりに語った。家の前の川は護岸が大きく崩れ、濁流が川縁の道を削りとった。土のう袋を大量に積み、仮設のガードレールによる応急処置がなされたが、川向こうの家はいまだに大量のガレキの塊とともに倒壊寸前の姿で立っている。
「我が家も腰まで土砂に埋まっていたが、親戚やボランティアの助けで土をとり除いてもらい、ようやく住めるようになった。だが、破損した生活道路もまだ手つかずなので、滑ったり、凹凸につまづいてケガをする人もいるから年寄りは帰ってこない。街灯も倒れ、民家にも明かりが灯らないので、夜になると真っ暗になって何も見えなくなる。本当に淋しい町になってしまった。河川や道路の修復も遅遅として進まないが、行政の動きがまったく見えない。川の上流は、崩れた崖を土のうで抑えてあるだけでとても安心できるものではない。業者が不足していて家の修理や解体にも時間がかかると聞くが、このままでは町から人が消えてしまうのではないかと心配している」と顔を曇らせた。
家の1階が土砂に埋まった婦人は、親戚や知人の手で土砂を撤去したものの、浸水した断熱材にカビが生え、リフォームなしには暮らせる状態ではないという。「知人の業者に頼んだが、忙しくて来年1月にならなければ手をつけられない。いまは主人と息子と私の3人が2階で寝泊まりしている。半年間、泥運びや掃除をくり返してきたから、いまごろになって手足の神経痛に悩まされている。90歳になる義母は施設に預かってもらっていたが、体を動かせないため体力も記憶も急速に薄れてきて、病院にも2人がかりで連れて行かなければならなくなった。早くお年寄りが戻って生活できる環境を整備してもらいたい」と語った。住宅の間を縫うように繋がっている生活道路は、アスファルトがはげて土がむき出しになったり、溝や橋にも手すりがないため、すべって大ケガをする高齢者も少なくない。そのため帰還を諦める人も多く、約500世帯あった家もいまは半分近くに減ったという。
また、「山裾にあった畑にも山からの土砂が崩れ、それまで日常の一部だった農業ができなくなった。個人の土地なので行政からは援助はなく、諦めなければならないと知ったときは夜も眠れないほどのショックだった。お年寄りの多い地域だから、壊れた家も手の施しようがなく、空き家や廃屋が増えていく。このままではみんな気持ちが萎えてしまうと感じ、帰ってきた住民同士で声をかけ合って花を植えたり、空き地で野菜作りをしている。少しでも明るさを取り戻せるようにと励まし合う毎日が続いている」と話した。
復興のためには住民が帰還することが大前提であり、そのために行政が積極的に機能することが求められているが、破壊された地域をどのように復旧するのかのビジョンが示されていないことを嘆く住民が多い。家に住めなくなった住民たちは、重くのしかかる個人負担に耐えかねて、別の場所に移り住むことを選択せざるを得ないのが現状だ。
広島県内では全壊と半壊の家屋だけで4万5000棟に及ぶが、全壊の世帯には支援金として100万円、大規模半壊には50万円、半壊には原則支給されない。住宅を再建する場合は、建て替えや購入には200万円、補修には100万円、賃貸(公営住宅を除く)には50万円が支給される。だが、仮設住宅(入居期限は最大2年間)に入れば、これから75万円が差し引かれるため、家を建て替える場合でも支給額は125万円となる。かなりの自己資金を持たなければ住居を補修、再建することは難しい。
今月7日にようやく自宅に両親を連れて帰ってきたという40代の女性は、「家は1㍍80㌢まで汚泥に浸かり、一時は諦めかけたが、行政の方針決定を待たずに知人の業者に修理を頼んだので年内にリフォームを終えることができた。当初は汚泥の撤去は町がやるといわれていたが、いつまで経っても方針が出ない。待てば待つほど木造の家は腐っていくので、帰還する意志のある人ほど自己判断で工事に踏み切っている。でも、泥の撤去費用については町が補助するといっていたが、8月半ばに申請したのにいまだに査定すら終わらないのが現状だ。これでは帰る気のある人も帰ってこれないし、元手のない世帯は家の再建を諦めなければならない。1、2軒の話ではなく、放置を続ければ更地ばかりが増え、地域全体がなくなってしまうのではないかと心配している」と語った。
小屋浦地区では、地域に唯一の病院も閉院し、スーパーも休業して、週3回(昼の1時間のみ)軽トラによる移動販売が来るだけとなった。そのため車がなければ生活用品を買い出しに行くこともできないなど、コミュニティの回復なしには住民の生活は不便な状態がつづく。
そのなかで坂町が「被災者から受けた依頼がおおむね完了した」として災害ボランティアセンターを閉鎖したことにも疑問が渦巻いている。小屋浦地区では、町社協が週末に募集しているほか、民間のボランティアたちが自主的に泥撤去などの作業を手伝っているものの、人手は圧倒的に不足しているという。この現状は呉市などの他市町も共通しており、住民の生活再建とともに、住民たちが安心して帰ってこれる早急な環境整備が、地域全体の存立を握る問題となっている。