いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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公文書管理のルーツに迫る 先駆けとなった山口県文書館 先人の苦労ぶっ壊す安倍晋三

 政治家による国家の私物化と、それを隠蔽するための公文書改ざんという、憲政の根幹を揺るがす統治機構の実態が、明治維新150年目にして露呈している。森友学園問題をめぐる一連の疑惑については、安倍政府が認めようが認めまいが、物証にもとづいてその手口や動機も多くが暴露されているが、国のチェック機能として独立して存在しているはずの司法機関が沈黙してまるで存在感がなく、統治崩壊の深刻さを際立たせている。平然と公文書改ざんまでおこなわれるに至ったこの国の統治の実態について、明治維新から始まった近代国家の出発点に立ち戻って考えてみたい。

 

旧山口県立山口図書館(山口県春日山庁舎) 昭和34年、全国に先駆けて山口県公文書館が設置された(山口市)

 日本の公文書管理のルーツが山口県にあることはあまり知られていない。山口県文書館(山口市)は、全国初の公立の公文書館として1959(昭和34)年に設立され、山口県の郷土史や近代史研究に資するだけでなく、全国的な公文書館設置運動を牽引する役割を果たした。国立公文書館ができたのがそれから12年後であり、「公文書館法」が制定されたのは28年後の1987年だった。地方から始まった公文書館設立運動のさきがけとなった。

 

開館当時の山口県文書館の書庫

 さかのぼる1952(昭和27)年、旧萩藩主の毛利家より東京都芝高輪の毛利邸内にある家史編纂所に所蔵されていた旧藩以来の記録類、編纂書籍など5万点もの「毛利文庫」が散逸することを防ぐため、それらを山口県(図書館)に寄託し、防長文化研究のために提供する申し出を受けたことが発端となり、当時の山口県立図書館職員らがその価値を予見して収集していた明治・大正期からの県庁記録(1万3549点)などの公文書も膨大な数にのぼっていたという。その所蔵量は図書館蔵書の5分の2を占めるほどになり、史談会など歴史研究者からの強い要望も受けながら、これらを歴史資料として図書館機能とは別の形で管理・活用することが検討されることになった。


 現在の文書館職員も「その歴史的価値を信じ、本来の業務ではない行政文書の収集活動を積極的にやっていた当時の職員の見識の高さ、また維新史研究の基礎となる貴重な史料が毛利家によって提供されたこと、それらが戦争中の空襲を免れて残ったこと、歴史好きな県民性などの条件が合わさって全国に先がけて文書館が作られた。それにより江戸時代から現代までの行政文書がつながって保存され、近代史を体系的に知ることができる全国的に見ても貴重な施設になっている」と語る。

 

鈴木賢祐・山口県立図書館第4代館長

 この文書館設立の第一人者として知られるのが、山口県立図書館第4代館長の鈴木賢祐(まさち)で、当時すでに欧米には膨大な文書群を保存管理して利用するための「アーカイブズ」と称する施設が長い歴史をもって運営されていることに着目し、それを「文書館(もんじょかん)」と訳して国内に紹介した。図書分類学の権威だった鈴木は、当時の職員らと関係論文を翻訳するとともに、実際に欧米各地を視察して文書館の設置理念を示した。


 論文では、文書館の意義について「公私の団体または個人の活動や法律上の権利に対する証拠を提供し、立法・行政・司法などを行う上にも、また市民の財産その他法律上の権利を擁護する上にも重要」「過去の政治・経済・社会・技術的発展についての優れたインフォメーション源泉を構成、現代社会の歩みとその諸問題を理解する上に不可欠なインフォメーションを提供する」(1957年『文書館』)と規定している。


 また、世界的な文書館の歴史に着目し、フランスでは革命勃発の1789年、過去から現在に至る中央政府の記録類を保管する全国文書館がパリに創設され、地方の州単位でも文書館網が形成されたことに触れ、「フランス革命は、すべての市民に政府の文書を閲覧する権利を与え、それらの文書は人民の財産であり、人民の法律上の権利と過去の歴史を保存しているもの」(同)であることを強調している。公文書の保存・活用の意義を、歴史学の観点からだけではなく、近代の社会制度にとって不可欠なものとして位置づける発想は、情報公開や公文書管理の概念すらない当時の日本においてきわめて先進的なものであった。

 

開館当時の山口県公文書館の玄関(昭和36年)

 日本で情報公開が盛んに論議されるようになるのは1970年以降のことであり、維新史をはじめとする近現代史研究と深く結びつきながら進んだ山口県における公文書館設立は、公文書管理の歴史のうえで欠くことのできない存在となっている。そのさきがけとなったのが近代国家の建設に道を拓いた明治維新発祥の地であったことも必然だったといえる。

 

封建国家から憲政国家への道

 

 現在は、公文書について「健全な民主主義の根幹」であり「国民共有の知的資源」(公文書管理法第1条)と規定しているように、公文書管理体制は、政治制度と密接な関係にある。


 「由らしむべし知らしむべからず(人民には法を守らせればよく、その理由を知らせる必要はない)」の政治原理にもとづく江戸時代までの封建制統治では、民は専制君主が決定したとり決めに対して、問答無用に従うことしか許されなかった。


 明治維新による幕藩体制の打倒後、新たに生まれた明治政府は、藩体制による分治から統一国家として全国を一元的にまとめあげること、旧幕府時代に欧米列強諸国から押しつけられた不平等条約を改正し、世界と対峙しうる国づくりを進めるため、資本主義にもとづいた新たな統治体制を確立する必要に迫られた。


 そのため、岩倉使節団をはじめとする明治新政府の当事者たちは、先に近代国家を確立していた欧米諸国を精力的に視察し、君主専制を否定して「行政府の自律」による国家運営のあり方を模索する。それは封建主義の残渣(ざんさ)を色濃く引きずったが、そのたびに破たんと曲折をくり返しながら新たな統治に進むほかなかった。


 新政府発足にあたっては「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」に始まる五箇条の御誓文や、ドイツのワイマール憲法を土台にして制定した「大日本帝国憲法」で、統治者である天皇のもとに議会を設置し、公儀に基づいて政治をおこなうこと、身分にかかわらず国民が意志を統一して主体的に国家の運営にあたり、世界史の流れに立ち遅れない国づくりを標榜した。


 行政を担当する官僚は、法律に基づいて仕事をするようになり、政治がより複雑化するなかで、職務執行のうえでは「先例」を重視するため行政記録を残すことが不可欠になった。なかでも外務省では「書類整備の可否は、外交の勝敗を決する」とまでいわれ、外交交渉の過程を残すことによって、政策立案と決定、執行までの時間を短縮することが最重要課題とされた。その他の省庁でも、行政文書の合理化や効率化は、政府の意向を末端まで行き届かせ、国民を主体的に国家運営に動員するためには必須条件となった。ところが、天皇にしか責任を負っていない縦割り(分担管理原則)の官僚機構には、「天皇の統治」に必要のない公文書を保存するという発想はなかった。


 アジアの植民地争奪戦に向かう過程では、立憲主義は否定されて、天皇が絶対的な統帥権を持つとともに、国民には血なまぐさい言論弾圧と秘密主義を徹底し、「大本営発表」で大嘘を振りまいて戦争へ動員していった。その前時代的な政治構造は、第二次大戦の敗北まで来て完全な破たんを迎えた。

 

対米従属のもとで戦前以下の杜撰な管理

 

 だが、日本を占領したGHQによる戦後改革でも、表向きは「国民主権」や「民主主義」を標榜しながら、公文書の管理体制は確立されなかった。アメリカでは1934年に国立公文書館が設立されたが、日本には作らせなかった。

 

終戦直後、「機密重要書類焼却」を市町村や学校にも命じた国の通達文書(昭和20年8月18日、松本市文書館蔵)

 長野県短期大学の瀬畑源助教(近現代政治史博士)は、敗戦後、政府や行政機関で大量の公文書の焼却や隠匿が横行したことについて、「国が戦争についての内外に対する説明責任を放棄」することと同時に、極東裁判において「天皇を免責する」ことで一致していた日米双方にとっては、公文書という証拠が存在しないことはむしろ好都合だった点を指摘している。

 証拠がないことによって、極東裁判は、当時の政府中枢の「証言」によって大きく左右されることになり、占領軍にはその後の間接統治を有利にするための恣意的な操作が可能になった。


 新憲法には「国民主権」を原則に据え、それまで「天皇の官吏」だった公務員は「全体の奉仕者」として国民のために働く立場に変わったものの、行政法やその下での各省庁の管理体制や官僚機構は戦前と同じものをそのまま維持した。


 そのため「公文書は国民のものである」という意識は形成されぬまま、戦前と同じかそれ以下の極めてずさんな管理体制に置かれ、現在でも、沖縄返還時に佐藤内閣がアメリカに核の持ち込みを認めていた密約(核密約)など日本の外交にまつわる重要文書が、日本には「不存在」であるにもかかわらず、半世紀を経てアメリカの公文書館で見つかるというような、主権国としてはありえない事態が常態化してきた。


 日本が現在に至るまで「公文書管理の後進国」であり続けた根源には、立憲政治を否定した戦前の軍国主義の体質をアメリカが温存してきたことが密接に絡んでいるといえる。

 

主権国家としての証を放棄する日本

 

 世界的には、公文書の厳格な保存管理は、先進国だけでなく、主権国家としての必須条件と位置づけられている。


 信州大学人文学部の久保亨教授(中国近現代史)は、市民革命によって近代国家が誕生したフランスやイギリスでは、法令と政策文書を系統的に保管し、民衆が参照できるよう公開する場をつくることは国家の必須条件とされている一方で、日本における公文書管理行政の「くらくらするほどの立ち遅れ」を指摘している。


 国立公文書館の設立時期や規模を見ても、日本が1971年(職員数47人)であるのに対して、フランスでは1790年(同570人)、イギリスは1838年(同600人)、ドイツは1919年(同790人)、アメリカは1936年(同2720人)であるなど、日本よりも180~35年も先行しており、職員数も桁違いであることがわかる。


 また、韓国の国立公文書館(1969年設立、職員数340人)では、朝鮮王朝の文書から現代に至る公文書を保存・公開する施設とは別に、政府記録保存所が開設されており、植民地時代の日本語で書かれた旧朝鮮総督府文書もハングルで読むことができる。ベトナムでは、フランスの植民地時代とそれ以前のベトナム王朝時代の文書、統一前の南ベトナム関係資料などを分割保存する3つの公文書館を持ち、職員数は270人で日本の6倍に及ぶ。インドネシアは1950年、マレーシアは1957年、シンガポールは1967年など、東南アジアではそれぞれの国の独立と同時に国立公文書館を設置し、「みずからの主権国家としての誇りをかけ、植民地時代の統治の記録を保存するとともに、独立以降の公文書を系統的に整理保存することに力を注いでいる」ことを明らかにしている。


 公文書管理は、近代国家において、歴史研究の礎となる史料を保存し、国民が主体的に国家運営にかかわるうえで必須であるだけでなく、主権国家がみずからの主権を証明するうえでの要であるからにほかならず、この体制の違いからも「主権なき平和国家」たる日本の姿が浮かび上がる。


 日本では、自民党が政権を独占してきた「55年体制」が崩壊する1993年から情報公開制度への動きが加速し、2001年の情報公開法施行によって、はじめて法的権利として国民の「開示請求権」を認めた。


 だが、情報開示とともに「車の両輪」であるはずの公文書管理については手を付けず放置したため、各省庁では情報公開する前の段階で「文書を作らず、保存せず、手渡さず」という「不開示3原則」が横行し、情報開示を請求しても「不存在」となるケースが多発した。しかも永年保存から最長30年へと保存期間を指定したため、情報公開法の施行直前に大量の公文書を廃棄する動きも各地で起きるなど、国民の「知る権利」を担保するにはほど遠い実態を晒した。


 いわゆる「消えた年金記録」をはじめとして行政文書のずさんな管理による国民への実害が頻発し、行政への不信が高まるなかで、2009年(福田内閣時)に公文書管理法が制定された。


 そこでは、公文書が「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり」適切な保存と利用を図ることによって、「行政が適正かつ効率的に運営されるようにする」とともに、「現在及び将来の国民に説明する責務をまっとうする」との目的を明記した。はじめて公文書が国民の財産であることや、政府には現在だけでなく、将来に対しても説明責任があることを定めた。明治維新から140年の歳月をへた、わずか9年前のことである。


 ところがそれも建前として神棚に飾るだけで、例えば、TPPをめぐる甘利・フロマン会談の記録は「存在しない」(内閣官房)、集団的自衛権行使を容認する憲法解釈の変更についても検討過程の文書を「一切作っていない」(内閣法制局)など、国の将来や国益に直結する重要文書が開示されず、国会さえ空転する事態が頻繁に起こり、ついには特定秘密保護法に見られるように「国民の共有資源」である情報を国民から隔離し、私物化する政策が大手を振ってまかり通ってきた。


 安倍政府になってからは、国会では平気で嘘を連発し、防衛省の自衛隊日報隠蔽、厚労省の労働時間データのねつ造、森友学園や加計学園をめぐる公文書改ざん疑惑まできて、もはやいつどこで公文書が改ざんされているかわからない事態を作り出している。森友問題をめぐっては、国家運営とはまるで関係のない安倍晋三界隈の「愛国ビジネス」を隠蔽するために、公文書改ざんを組織的におこなっていたことが明らかになったが、このような前代未聞の私物化が常態化し、もはや歯止めがきかなくなっている。


 一人の為政者を守るためにいい訳を延延と続け、この状態を温存すればするほど、近代国家を名乗る資格も、国の統治への信頼も崩壊の一途をたどっている。

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