伊藤一長市長の射殺事件を受けた長崎市長選は、娘婿の西日本新聞記者・横尾氏が弔い合戦として出馬、それにたいして「市政は家族のものではない。市長は地元のものでなければならない」と主張して市課長の田上氏が立候補。横尾氏に三菱重工労組などがつき、田上氏に中小業者などがついた争いとなり、田上氏が900票あまりの僅差で当選した。投票を4日後に控えた選挙中に、事実上の信任投票といわれた伊藤市長が殺し屋によって暗殺されるという未曾有の事態であった。
選挙は伊藤市長の継承が問われた。その政治姿勢は、被爆地の市長として反核平和のために尽くすことであり、とくに核の先制使用まで叫ぶアメリカについて名指しで批判し、また国民保護計画ではふざけた核攻撃事態の想定を除外するなど、被爆地の市長として譲れない独自の主張をするというものであった。さらに市民が語っているのは、地元経済を守るという立場から大型店の市内出店を規制するなど、政府が進める規制緩和政策についても抵抗してきた。地元の市民を代表するという姿勢、また地元の市民に育てられた、地元密着型の政治家であった。そのような政治姿勢で、九州市長会の会長を務め、全国市長会の会長に立候補するなど指導的位置を占めていた。
伊藤市長の政治姿勢は、安倍首相の地元である下関の江島市長のような、アメリカ帰りで郷土愛とか義理とか人情とかは蔑視、すべてはそろばん勘定の市場原理主義型、市を食いつぶして官製談合に明け暮れる、かつ市民に聞く耳はなく、米軍歓迎、戦争意欲が強いなどのタイプの市長が増える中で、その対極にある。さらにアメリカ・ハーバード大学留学組を主要ブレーンとする「チーム安倍」といわれる安倍内閣の、郷土愛とか愛国心とか無縁な体質とは対極のタイプであった。
伊藤市長が銃撃されたあと、その遺志を継ぐとして大阪生まれで東京暮らしをし、西日本新聞の首相官邸取材担当という娘婿の横尾氏が出馬を表明した。メディアは「伊藤市長の継承者、様々な政治勢力の介入をはねつけた家族の強い意志」として大大的に取り上げた。だがここにトリックがあった。家族が伊藤市長の遺志を継ごうという心情はもっともである。しかし、相続は私有財産に関することであり、市政は市民のものである。それを尊重してきたのが伊藤市長であった。さらに中心の平和問題について横尾氏は、「平和行政の見直し」を口にしていた。これは伊藤市長の政治姿勢の転換を意味する性質を持っていた。伊藤家の背後で働いた政治は、伊藤市長への支持と同情を長崎市政の転換に動員するトリックが働いたといえる。
「これではいけない」というので市課長の田上氏が登場し、「市政が家族のものでよいか、地元の者でなければならない」と主張。田上氏についてメディアは横尾氏ほどは取り上げなかった。しかし短期間で市民の運動になった。田上氏がどういう人物でどういう政策を実行するのか、ほとんど市民は知らない。しかし田上氏を押し上げた力は、今後の長崎市政を決める選挙が大きな力で翻弄されることへの危惧(ぐ)であり、市政の主人公として市民の意志を示すこと、地方自治を守るという要求である。それは「市民とともに」という伊藤市長の政治姿勢を支えてきた力であり、そのような伊藤市長の政治姿勢の継承を求めたものであった。田上新市長は市民のそのような付託、縛りを受けて市政運営をせざるを得ない関係として登場した。
長崎市民の選挙行動は大がかりな政治陰謀が働く緊急事態において、それを打ち負かした。それは市民による冷静かつ強力な地方自治擁護の力を示した快挙といえるものである。
暗殺に大きな背景 田上市長登場後も継続
伊藤市長の暗殺事件は、長崎市政をめぐる市長選挙において、一方では長崎市政を長崎市民から取り上げて国の意のままにするという力としてあらわれたし、他方ではそれにたいして市民が反撃するという方向に進んだ。このような展開は、この暗殺事件が、大きな背景があり、一人のヤクザの個人的恨みによる単独犯罪などではないことを証明している。この事件は、平和と民主主義、地方生活、地方自治をめぐる、国が進む根本的な方向に関わる政治問題としてあらわれている。
この関係は田上市長登場後さらに継続する様相となっている。朝日新聞は、田上氏が正式就任もせず、まだ何もしていないうちに、「土建屋にかわれたロボット」であるような報道をした。田上当選は「その筋」から見ると意に沿わない番狂わせだったのである。田上氏を伊藤市長のように、市民のなかに足をおいて、国にもものをいう政治家にさせるのではなく、「たかが課長ふぜい」と見なして政治家や中央官僚などに逆らえない小役人市長にしたいし、受け入れなければつぶすという志向といえる。
この力は、田上新市政にたいして今後、原爆についてどういう態度をとるか、とくにアメリカを批判するか擁護するか、国民保護計画や大型店出店・規制緩和に従うかどうか、道州制などの地方自治放棄に従うかどうか、とくに米軍佐世保基地や長崎への核搭載米イージス艦などの寄港・軍港化を認めるかどうかなど、相次いであらわれるものと見られる。これに対抗するのは市民の力である。
事件の真相は何か 安倍首相と久間防衛相の態度に注目
選挙が終わり、改めて伊藤市長の銃殺問題の真相が注目されている。逮捕された犯人が発散する空気は異様である。「死のうと思った」といっていたが舌をかみ切るなどの様子もない。護送される写真もむしろ威張ったような雰囲気で、捜査当局がよっぽど大物扱いしているかのような印象を与えている。そして個人的恨みの単独犯行であることを理路整然と説明し、それがどう報道されているかを気にするほどである。
「金にならぬ人殺しをヤクザのプロがやるわけがない」とは、ヤクザを知る人人の一致した評価である。「ヤクザが脅したり暴力を使ったりするのは金を取るためだ」「うらみなら相手の前から撃つものだ」「背後の至近距離から撃ち、倒れた後とどめまで撃つが、これはヤクザの世界ではチンピラ以下だ」などといわれている。これは疑いなく背後勢力に雇われた殺し屋の仕業だというのが常識として語られている。そしてこの暗殺計画は、「個人的な恨み」で世間を納め、誰の仕業かは分からぬようにするという、真に卑劣な陰険さまでもっている。
警察は暴力団との関係が深く、ヤクザの特質はもっともよく知っているところである。しかし警察の捜査は、犯人が主張する個人的動機の範囲を超えようとしない。メディアも個人的動機を宣伝するだけ。むしろ輪をかけて、暴力による行政とのトラブル、暴力団の取り締まり、暴対法の強化など暴力団問題に局限し、事件の真相、その政治的な意味をかき消す側にいる。この事件へのこのような警察、メディアの関わり方は、ますます事件が個人的動機などではなく、国家的なテロではないかとの疑惑を大きくさせるものである。
そして注目は安倍首相と長崎出身の久間防衛相の態度である。安倍首相が事件直後、冷ややかに「真相究明をしなければ」といったが、その後真相を明らかにすることはしない。明らかなことは「真相解明」を気にしていたことであり、「個人的恨み」という「真相」に納めなければ大変という気持ちを思わず表現したのではないか。久間大臣が真先に次の市長を気にした不可解さも解明されていない。安倍首相も久間防衛相も、伊藤市長暗殺計画を知っていたのではないかとの疑問を抱かせている。
伊藤市長の無惨な殺され方は、原爆で殺された市民の殺され方と同じである。いずれも、何が起きたのか、なぜ死ななければならないのか、誰に殺されたのかも分からないまま、無惨に息絶えていった。その上に「原爆は戦争を終結するための慈悲深い行為」との欺瞞、最悪の殺人者が幾百万の命を救った神様のように振る舞う欺瞞が、長年月にわたって被爆した市民を苦しめた。伊藤市長の暗殺も、人人を欺瞞する謀略的な様相を持っており、ひどい目にあうのは結局市民である。そのような手口はまさにアメリカ的である。原爆を投下した殺人者と、伊藤市長を殺した真犯人は同じ種類のものである。伊藤市長も62年後に原爆被害者として犠牲になった。
長崎市民は勝利感 市政を市民の手で取り戻す
伊藤一長市長が選挙期間中に銃殺された長崎市長選挙は元市職員の田上富久氏(50歳)が7万8066票で当選した。伊藤市長の娘婿の横尾誠氏(40歳)は7万7113票で、その差は1000票を切る大接戦となった。
投票率は55・14%で、過去最低だった前回を下回り、無効票(期日前投票の伊藤票を含む)は1万5435票(投票総数の7・7%)に及ぶ。主権在民の選挙が崩されたことへの深い抗議を含む内容となった。商業マスコミは選挙後、「争点のないムード選挙」であったかのように報じているが、市民にとっては市民主導の市政を守るかどうかの鋭い争点を持ってたたかわれた。
市長選は、当初、伊藤市長の事実上の信任投票といわれていたが、投票日を4日後に控えた市長銃殺事件から、急速度で動き出した。
久間防衛相(長崎2区)は市長が死亡していないうちから、次の補充候補の心配をして批判されたが、時を同じくして伊藤後援会では伊藤市長の娘婿で横尾氏(西日本新聞東京支社・首相官邸担当記者)の擁立を決定。このとき、地元からの候補者を立てる動きもあったが抑えられた。
市長死亡の数時間後に記者会見をおこなった横尾氏は、「亡き父の遺志を継ぎたい」と立候補を表明。このとき、横尾氏が笑顔を見せながら会見したことに批判が強まった。マスコミ各社が東京からも駆けつけて大大的に報道した。
市民のなかでは、市長銃殺のどさくさのなかで、市長職がまるで「遺産相続」のように世襲されること、しかも候補者が東京から飛び込んでくることへの警戒感が高まった。その世論の高まりが、地元からの候補者擁立の力となり、市統計課長の田上氏が立候補した。
横尾氏には米軍や自衛隊の防衛事業を独占する三菱重工と深い関係にある久間防衛相がまとめる自民党や、連合や民主党などが支援に動いた。
開票区別の結果では、長崎市の事情に暗い周辺の合併旧町では横尾氏がすべてリードし自民党組織の動向を伺わせた。旧長崎市では田上氏が4839票を上回っていた。
田上氏の当選は、暴力によってぶち壊され、奪われた市政を市民の手で取り戻したと、喜びと勝利感が広がっている。
「長崎市民の力を見せつけたんですよ!」と、自治会役員の婦人は晴れやかな表情で語った。「自治会でも、東京の娘婿が立候補したときは、市政は同情で決めてはいけないと大話題になった。はじめ副市長を出す動きがあったけど、“伊藤の票は他人に渡したくない”と家族が反対して、東京の娘婿を推したという。そんな利己主義が通るわけがない。伊藤市長は、自治会婦人部の集まりにも顔を出して“長崎市歌”を独唱したり、市民と気兼ねなく話し合ったし、原爆のことにも耳を傾けてくれた。娘婿にはその謙虚さはなかった。田上さんの当選は、市民みんながこれからの長崎を考えたからですよ」と話した。そして本紙号外をさして「伊藤市長を殺した背後勢力はだれかが問題ですよ。警察が最後まで追及しなかったらウソですよ」と唇をかみしめた。
ある公務員男性は、「選挙期間はたった3日という市民にとってはひどい有様になったが、長崎の人間に市政を任せたいという市民世論が短期間でどっと動いたと思う。これだけ集まるとは予想していなかった。組織を引き継いだ横尾氏が有利といわれていたが、“地元を守れ”という市民の意志が勝ったのだと思う」と笑顔を見せた。
また、市長銃殺事件についても「私たちもトラブルは日常茶飯事だが、個人的な感情で、一市長の命を奪うとは考えられない。しかも、後ろから1㍍の至近距離で一発撃ち、倒れた市長の背中にとどめの一発を撃っている。冷静でないとできないし、確実に殺すことを目的にしたプロの仕業だ。被爆地の市長を殺すことで全国的な影響は大きいし、政治的とも思える。警察は、威信にかけて明らかにすべきだ」と、警察やマスコミの報ずる「単独犯」へ疑問を口にした。
市職員の男性は、「伊藤市長は、市会議員から市民とともにやって来た人で市民からの信頼が厚かった。規制緩和などで国がおろしてくることも、“市民のためになるか”を基準に判断し、大型店出店などはさせず、街歩きイベントの“さるく博”などお金をかけない観光客誘致など市民とともにやってきた。国に対してもはっきり意見するので九州市長会長をつとめ、次の全国市長会長にも立候補していた。国に翻弄される地方にとっては期待される市長だった」と話した。「いくら親族といえども、いきなり東京から来て伊藤市長の後継ができるわけがない。長崎市政は、長崎を知った人がやってくれということではないでしょうか」と語った。