ムバラク大統領退陣を求めるエジプト人民の大衆行動は1日、ついに全土「100万人行進」に発展し、約30年の独裁政府も崩壊寸前の崖っぷちに立たされた。チュニジア大統領の国外逃亡につぐエジプト人民の快挙は、ひとたび働く人民大衆が団結して蜂起するならば、いかなる独裁政府も倒せるという歴史の真理を実証している。この20年、グローバル化の名のもとで新自由主義経済と金融恐慌の犠牲を押しつけられた世界各国には、中東と同様に失業と低賃金、貧富の格差や食料品価格急騰などへの怒りがマグマのように燃えさかり、爆発しつつある。中東・北アフリカはそれを体制変革へと導く発火点の様相を見せている。
「チュニジアに続け」と先月25日にムバラク大統領の退陣を求めて決起したエジプト人民は1日、政府と軍部の脅迫と妨害をものともせず、「100万人行進」を敢行した。首都カイロで約50万人、第二の都市アレクサンドリアで約40万人、その他スエズなど数都市で約11万人がデモに参加、エジプト近代史上で最大規模となった。
追いつめられたムバラクは同日夜、9月の大統領選挙に出馬しない、全閣僚を更迭するなどと表明、「残りの任期で権力の平和的な移譲につとめる」とした。カイロのタハリール(解放)広場を埋め尽くした労働者や青年、婦人ら広範な市民は口口に、「ムバラクはすぐ政権を去れ」「われわれはもうだまされない」と叫び、「去れ、去れ」のシュプレヒコールが広場にこだました。
現在、カイロ市内の労働者は「スエズの労働者たちに続き、要求を勝ちとるまでゼネストを続行する」との声を上げている。スエズの工場労働者は1月30日から、ムバラク辞任を求めてストライキを決行中。カイロ市内の大学でも、学生の同盟休校が続いている。
「100万人行進」まできて命運尽きるところにきたムバラク政府は2日、最後の悪あがきを演じた。多数の私服警官も加わった「ムバラク支持派」数千人が制服姿の治安部隊に先導されて、タハリール広場に突入、馬やらくだにまたがって大統領退陣を求める人人のなかに突っ込んだり、火炎ビンや石を投げつけたり、あらん限りの暴行を加えた。なかにはこっそりと銃を持った輩もいて発砲さえした。死者七人、負傷者1500人にのぼったという。警備にあたっていた戦車、装甲車の軍は見守るだけだった。事実上、反政府デモ隊への容赦ない弾圧だった。国営テレビなどマスメディアは、「100万人行進」は黙殺したが、「ムバラク派」なるものの殴り込みは詳細に報じた。すべて秘密警察が仕組んだものといわれる。
オバマ米政府は、ムバラクを切り捨て退陣させることによって、親米政府をエジプトに存続させようとしている。ムバラクが大統領選への不出馬を表明した直後、オバマはわざわざ声明を発表し、「政権の秩序ある移行を今すぐ始めなければならない」と事実上、引導を渡した。事前にアメリカの元エジプト大使をムバラクに会わせ、「あなたの政権は終わりつつある」と、引退も促した。
「ムバラク派」の殴り込み事件は、ムバラク大統領の退陣を早める結果となろうとしている。ムバラク退陣を求める広範な人人は、4日の金曜礼拝のあとにも大規模デモを呼びかけている。
2日、オバマ大統領の報道官ギブズは即座に、「暴力で国民を脅すことは止めるべきだ」としたうえで、エジプト国民には変革が必要であり、移行を有意義なものとするためには反対勢力をとり込んで、自由で公正な選挙をめざすべきだと主張した。
フランスのサルコジ大統領も2日、自由で民主的な多様性社会を求めるエジプト国民を支援するとのべた。英国のキャメロン首相も「もし(ムバラク)政権がなんらかの形で暴力を支援、許容していたとすれば、まったく許されないことだ」とのべた。菅首相も「民主的平和的な形で国民の幅広い支持が得られる政権の誕生を望む」と語った。
米日欧支配層はムバラクを切り捨てて、親米派の政府をつくることでは一致している。そしてひき続きエジプトをアメリカの中東支配の柱にし、この地域の人民の民族解放革命を抑圧させようとしている。
現在、米日欧支配層がもっとも恐れているのはムバラク政府に代表される独裁政府打倒の動きが中東・北アフリカ全体に飛び火することである。イエメン、ヨルダン、アルジェリアなどではすでに大衆デモが起こっているが、シリア、モロッコ、リビアなどについても、ネット上では反政府デモの呼びかけが続いている。そのなかで、イエメンで30年以上も権力の座にあったサレハ大統領は2日、次期大統領選に出馬せず、権力の世襲もしないと表明。ヨルダン国王もリファイ首相を首班とする内閣を総辞職させた。
破綻した親米売国政治 経済は市場開放推進
ムバラク政府はアメリカから毎年20億㌦(約160億円)に近い軍事・経済援助を受けて中東でのアメリカの手代をつとめてきた。エジプトはアフリカ最大の8000万の人口を持ち、交通の要衝スエズ運河を管理する戦略的に重要な役割を持っていた。とくに、米ソ二極構造崩壊後、世界一極支配の野望をふくらませたアメリカは、世界最大の油田を持つペルシャ湾岸の支配を立て直すため、1991年の湾岸戦争、2003年のイラク侵略戦争を起こした。ムバラク政府はこれに参戦した。
またアメリカの中東支配のアキレス腱であるパレスチナ問題において、ムバラク政府はサダト前政府のイスラエルとの友好関係を引き継いだうえに、パレスチナ指導部をイスラエルとの「和平交渉」に引き込むために、他にはできない役割を果たした。そしてパレスチナ人民をいまだにイスラエルの占領下で苦しめている。
こうしたパレスチナの解放という「アラブの大義」を投げ捨てた裏切りに対して、国内外でムバラク批判は非常に強かった。このため、ムバラク政府は前政府以来の非常事態を引き継ぎ、集会、結社、表現の自由を抑圧したばかりでなく、当局はいつでも、誰でも逮捕し、無期限に拘留できるなど、文字通りのファッショ支配を敷いてきた。
経済分野では、市場開放の推進をてこにして、国営企業中心だった経済構造を転換、民営化を進めた。1990年代に入ると、IMF(国際通貨基金)や世界銀行のプログラムに従って、グローバル化、新自由主義の構造改革で市場経済化を進め、人民には緊縮政策を押しつけた。
その結果、かつては生産の90%を国営企業が占めていたが、今では70%を多国籍企業など私企業が占めるようになった。農業関係公社も民営化され農産物の価格補償も廃止された。市場経済と緊縮政策の恩恵を受けたのは、外国資本やその手代の自国資本、ムバラク一族やそのとりまきどもであり、圧倒的多数の労働者、農民には貧困が押しつけられた。
近年、エジプトの経済成長率はほぼ5%前後をキープしているが、国民の約4割が1日2㌦以下の生活を強いられている。公式の失業率は8%ほどだが、18~29歳の青年の失業率は22%に及ぶとされる。
民営化による賃下げ、首切りに加えて教育、福祉など人民生活全体への政府予算は削られ物価は上昇。貧富の格差や、人口の5割以上を占める農村部と、都市部との格差も拡大した。08年のリーマン・ショックを機にした金融・経済恐慌はその格差を一段と拡大した。
こうして独裁体制への怒りは渦巻き、変革を求める声はちまたにあふれるようになっていた。その状況は、他の中東・北アフリカ諸国に共通するものだった。チュニジアののろしがエジプトに波及し、さらにイエメンやヨルダン、アルジェリアへと地域全体に広がり、米欧に従属してきた独裁政府を根本から揺さぶっている。アメリカのブルッキングス研究所でさえ、「中東の新たな夜明け」と評価せざるをえなくなった。
しかしそれは、中東・北アフリカにとどまらず世界全体に共通するものである。グローバル化、市場原理にもとづく民営化、そして金融投機などによって、世界は金融恐慌から「百年に一度」といわれる底なしの恐慌に突入している。アメリカでは、金融資本や独占企業への公的資金の大量投入によって、空前の財政危機に陥ったため、政府は量的緩和策を連発してドルを世界中に垂れ流し、米国債を買わせる一方、金融投機集団に原油や食糧などへの投機を奨励している。それが世界各国の国債を下落させ、欧州などでギリシャ、アイルランドの国家破産をもたらし、石油や食料価格の高騰を招いている。
先進国、発展途上国を問わず、そうした人民に犠牲を押しつけることに反抗するたたかいが新たな高揚を見せている。金融・経済恐慌を克服したとする中国でも、貧富の格差、都市と農村の格差に反対するストライキや暴動が起きている。ギリシャやスペイン、イタリアなど投機集団によって国債が暴落させられ、その犠牲が首切り、賃下げとして押しつけられている南欧諸国でも、ゼネストや大衆的デモが間断なくたたかわれている。
世界資本主義は生産をつぶし、金融投機で荒稼ぎをするような末期的段階に入っている。それに反対する労働者・人民の側は、公共性、公的利益を第一に置く社会主義的志向を強めて立ち上がっている。エジプトなど中東・北アフリカに見られる自由と民主主義、人間並みの生活を要求するたたかいは、世界各国で高揚するたたかいと一体のものであり、互いに励ましあい、連動して発展するものとなっている。