(2025年1月17日付掲載)
佐賀市で13日に開催された「有明海地域再生シンポジウム2025~漁業被害に私たちはどう向き合うか~」(主催/同実行委員会)より、東京大学大学院特任教授で農業経済学者の鈴木宣弘氏の講演要旨を紹介する。(文責・編集部)
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有明海漁業の危機――既存漁家の排除ありき
私は三重県の志摩半島・英虞(あご)湾そばの半農半漁の家の一人息子なので、小さいころから田や畑もやってきたし、真珠や牡蠣の養殖、ウナギの養殖もやっていた。現在も伊勢農協の正組合員で、地元漁協の正組合員でもあるので漁業権も持っている。まさに農家、漁家そのものの立場で今の状況を皆さんとともに心配している。
現在、有明海では諫早干拓による漁業被害が深刻さを極め、それが漁船漁業だけでなくノリ養殖にまでおよんでいる。鹿島や太良町など佐賀西南部は数年にわたって色落ち被害が続き、離婚、廃業、自己破産……本当に深刻な状況になっている。これまで獲れていた佐賀東部や福岡県なども2年連続で不作となり、漁船漁業に至っては、最後の頼みの綱だったクラゲも獲れなくなり、まったく漁に行けていない状態だという。
国がこの事態を放置している根底には、既存の漁業者を「非効率」と位置付けて現場から追い出し、「成長産業化」の名目で一部の企業だけをもうけさせる構図に再編しようという意図があると思わざるを得ない。
有明海のノリに対しては、独占禁止法の「違法」適用による脅しで漁協のノリ共販(共同販売)潰しが強められている。
独禁法は、漁協の共販を対等な競争条件で漁家・農家が価格形成するための重要な行為として認めている。にもかかわらず、「共販は独禁法違反だ」という形で公正取引委員会が農業で摘発を始め、それが今漁業に広がり、有明海のノリが標的になってきた。
一部の人たちの利益を増やすために、生産者側を不利な立場に追い込み、買い叩きをもっと強めることに繋がるような、いくつもの事例が重なって生産者を苦めている。このままでは近いうちに有明海での漁業(貝や魚を獲る漁船漁業や佐賀西南部のノリ養殖)がなくなってしまう瀬戸際にある。
諫早干拓をめぐる判決もそのことを物語っている。2018年7月30日の諫早湾干拓をめぐる福岡高裁判決では、既存漁家の漁業権は更新時に失効しているとか、「最も高度に漁場を使用する者に免許する」という表現を連発して、既存漁業者を非効率な者として排除しようとする意図が明確に示された。これは漁業法の精神にも反する大問題であり、さすがに2019年9月に最高裁で棄却されて福岡高裁に差戻しになった。だが、2022年3月の差戻し審判決では、国はデータをいじっていかにも被害が出ていないように情報を操作し、その事実誤認に基づく事情変更論、権利乱用論などを主な理由として「諫早干拓の潮受堤防を開門する必要はない」という判決が確定した。
この一連の流れには、意図的にみんなを追い込んでいく悪意が感じられる。多種多様な海の幸を私たちにもたらしてきた「宝の海」が、魚が捕れず、貝が育たず、ノリ養殖も極めて不安定な状況に置かれ、そのなかで漁業者は懸命な努力で漁業を維持しているが、昨今はそれも限界をこえていて廃業者が後を絶たない。
有明海漁業は、豊かな資源を守り、地域経済・コミュニティを支える要であり、有明ノリの危機は日本のノリ産業全体の崩壊の危機だ。それは日本国民の食卓、食文化の危機、つまり、食料の安全保障の危機であり、国土を守る安全保障の危機である。われわれは豊かな有明海をとり戻すために一緒にたたかっていかなければならない。
食料自給の低下と米国の占領政策
今、日本の食料は非常に心配される状況になってきている。米も「余っている」といわれていたが、今は「足りない」ということで大騒ぎになっている。バターが足りない、オレンジジュースが飲めなくなったとか、牛肉が高騰して焼肉屋が倒産したり、日本で食料をめぐる問題がニュースにならない日はない。
そもそも日本の食料自給率がこれほど下がってきたのはなぜか?
一番大きいのがアメリカの占領政策だ。戦後アメリカでたくさんの農産物が余った。それを日本人に食べさせることで日本は最終処分場のように位置づけられ、多くの農産物の関税がどんどん撤廃させられた。水産物は農産物以上に関税がどんどん引き下げられた。
多くの農水産物をアメリカなどから受け入れることで、日本人をアメリカの余剰農産物で生きていくように仕向け、アメリカの企業が利益を得る。さらにアメリカは、もともと優秀な日本人が食料で独立し、また自分に刃向かうようになってきたら困るため、日本人を従属させるために食料(胃袋)をコントロールすることを占領政策の大きな目標に据えた。その流れにわれわれは乗せられたわけだ。
もう一つは、日本自身の経済政策だ。経産省を中心に「食料はいつでも安く輸入できるのだから、日本は自動車などを売って利益を得る。アメリカを喜ばせるためには農業・漁業を生け贄に差し出せばいい」という形で、第一次産業をアメリカに差し出すことで経済発展を目指す流れができた。それによって経済発展が進んだのも確かだ。私は農水省に15年間いたが、農水省と経産省は犬猿の仲だった。
さらに財務省の財政政策だ。1970年には農水予算は約1兆円あった。防衛予算の2倍だ。ところが50年以上たって一般会計予算は14・4倍(114兆円)に増えているのに、農水予算は約2・3倍の2兆円程度しかない。そのうち漁業関係は3000億円程度という少なさだ。
かつて農水予算は総予算に対して12%ほどを占めていたが現在は1%台だ。かたや防衛予算は18倍にまで膨らみ、いまや年間10兆円をこえている。
アメリカなどでは「食料・軍事・エネルギー」が国家存立の三本柱といわれるが、そのなかでも最も命を守る要は食料だ。これほど農林水産業予算が減らされているのは先進国でも日本だけだ。財務省はそれでも「まだ多すぎる。もっと減らせ」という議論をしているが、この事態の深刻さがわかっていない。
日本の食料危機の現在地
そのようにして日本の食料自給率は下がり続け、現在、世界的危機に耐えられるのかという状態になってきた。
私は「クアトロ(4つの)・ショック」と呼んでいるが、コロナ禍、中国の爆買いに対する完全な買い負け、異常気象、そしてウクライナや中東で紛争が勃発し、食料の世界的争奪戦が高まっている。
中国の動向で気になるのが水産物だ。私は20年前、いずれ中国と日本は水産物をめぐって取り合いになるという論文を書いた。中国の食生活は経済発展とともに総カロリー摂取量が増加していくが、その向かう先は、タンパク質として肉・乳製品のウエイトが高い「西欧型」ではなく、魚介類のウエイトが相対的に高い「東アジア先進国型」に向かう傾向がある。だから近年日本はアメリカの影響で魚食から肉食に移りつつあるとはいえ、水産物消費の面で中国が脅威になってくると私は予測した。この論文は国際的にも話題になったが、今まさにそういう状態になっている。
そういうことも重なって食料争奪戦が非常に厳しさを増し、日本の農林水産業はたいへん厳しい状況になってきた。
穀物が手に入らない。酪農、畜産のエサの値段も2倍に上がる。水産養殖も同じだ。農業では肥料が十分手に入らない。日本は化学肥料の原料を約100%輸入している。一番頼っていた中国が売ってくれなくなり、カリウムを依存していたロシアやベラルーシは「敵国には売らない」という。値段も2倍だ。燃料価格も5割ほど上がり、燃料を多く使う漁業には影響が大きい。
さらに中国は、アメリカとの緊張激化に備えて14億人の人口が1年半食べられるだけの食料を備蓄するため、国産だけでは足りないので世界中から穀物を中心に買い占めを始めている。こうなると事態改善の見込みは非常に薄いといわざるを得ない。
こんなときに日本は何をやっているのか? 農業ではまだ減反政策だ。これだけ米騒動になっても、「米は余っているのだから来年も減反だ」という。牛乳も余っているのだから、乳を搾るな、牛を殺せみたいなことをいって、増産して備蓄することもしない。
他の農水産物も同じだ。もっとみんなが生産できるような政策を拡充し、自給率を上げ、いざというときに国民の命を守れるようにすべきときなのに、日本の備蓄食料は米で人口の1・5カ月分しかない。海外からの物が止まったとき、米1・5カ月分の備蓄だけで、どれだけの期間みんなの命を守れるのか。今の日本の状況がどれほど危機的かということだ。どんどん増産して備蓄もし、そのためにしっかりと予算を使うことをなぜやらないのか――。
そんな話をしても、財務省は「馬鹿たれ、そんな金どこにあるのか」といって終わりだが、馬鹿たれはどっちだ? という話だ。在庫処分のトマホーク等を買うのに43兆円、日本だけにたらい回しにされるオスプレイ(1機220億円)を十数機も買う予算があるのなら、なぜ農業や漁業を支えて生産を増やし、みんなの命が守れるようにすることにお金がかけられないのか。
いざというときに国民の命を守るのが安全保障、国防だというのなら、役にも立たない在庫処分の武器に莫大なお金をかけるのではなく、日本の農林水産業、有明海の漁業を守るために何兆円使ったとしても、そちらの方が大事だ。こういう議論ができないことが現在の根本的問題だ。
農漁業を守れなければ国民の生命は守れない
日本はアメリカにたたき込まれた新自由主義や市場原理主義に染まり、「規制撤廃で貿易を自由化すればみんな幸せになれる」という風潮がはびこったが、みんなを守るためのルールを破壊すれば、「今だけ、カネだけ、自分だけ」の一部の日米オトモダチ企業だけがもうかり、みんなの利益が収奪されることは目に見えている。その構造で、農林水産業だけでなく、社会全体で賃金も所得も下がり、みんな苦しんでいる。それでも国の方向性が全然変わらない。
佐賀県、有明海でもみんなが農漁業を頑張っているが、上の方では「やっぱり日本で作るのはコストが高い。輸入すればいいだろ」という議論がいまだに出てくる。金を出せばいつでも食料が手に入る(輸入できる)時代ではなくなっていることがわかっていない。
資源環境や地域コミュニティを守りながら食料生産を頑張っている人たちを支えるために、海外輸入品よりも少々コストがかかったとしても、それをしっかりみんなで負担することこそが安全保障のコストだ。
日本はエサも肥料も輸入依存、種も9割が輸入だ。食料だけでなく、それを作るための生産資材・資源の輸入も非常に多く、それを考慮すると日本の食料自給率は実はもっと低い。
現在、食料自給率は38%というが、肥料や種を含む生産資材の輸入依存を考慮すれば、最悪の場合、私たちの食料自給率は9・2%だ。これだけの人間しか生きられないのか……という状況になってきている。
それに追い打ちをかけるように米ラトガース大学は、局地的な核戦争が起きた場合には被爆による死者よりも物流停止による餓死者が世界全体で3億人近く出て、その3割(7200万人)が日本に集中するという試算を出した。これでもまだ過小評価だという見方もある。「食料を自給できない人たちは奴隷である」(ホセ・マルティ)、「食うものだけは自給したい。個人でも、国家でも、これなくして真の独立はない」(高村光太郎)といわれる由縁だ。
日本の現状では、いざという事態に国民の命を守れる独立国といえるのか――ということが厳しく問われている。
世界はどうか? コロナ禍でもそうだが、農家や漁家が苦しくなったときに、アメリカは3・3兆円もの給付を出して国内の第一次産業を支えた。3300億円で生産者から食料を買い上げ、貧困層に届けた。それくらいの大胆な政策を他の国はやっている。
多くの国では、普段から政府の責任で農産物を買い上げて、それを国内外の援助に使う政策をやっている。このような制度を一切なくしてしまったのが日本だ。
さらにアメリカでは、農水予算を上乗せし、農家や漁家が赤字で事業を続けられない状態に陥らないように、農水産物の価格が生産コストに見合う水準よりも下がったり、不作で被害が出たりしたときの所得補償を直接払いでやっている。その点でも日本は非常に手薄だ。
漁業については、日本には「積立ぷらす」(4分の1の積立金負担で減収分の八割が補償される共済制度)があるが、これは漁家にとって最低限必要な収入を基準にしていない。過去5年の平均よりも下がった分の8割補填だ。だから、有明海でも起きているように、被害が長期にわたり収入が減っていくと基準額がどんどん減っていく。低迷した収入の八割を払ってもらっても何のセーフティネットにもならない。底なし沼だ。
さらに燃油などのコスト高をまったく見ていない。だから「積立ぷらすがあるから大丈夫」という議論はまやかしだ。これを改善しない限り、本当にみんなが漁業を続けられるだけの補償にはならない。
とくに有明海では、国策である干拓の影響で被害が出たのだから、それに対する補償は、それ以前の段階でみんなが得ていた所得との差額部分を全額補填するという形にし、開門あるいは漁業被害がなくなるまでは出し続けるのが国の責任だ。それをうやむやにしたまま、毎年10億円ずつ(10年間で100億円)を有明海再生事業に出すということでお茶を濁されてもなんの役にも立たない。オスプレイは1機220億円だ。それを考えても、ごまかしにもならない話だ。
米国の第一次産業保護策
アメリカは非常に積極的に自国の農水産業を支援している。たとえば米を1俵4000円で売るとしても、農家にとって最低1万2000円必要ならば、その差額を政府が支払っている。主要な農産物は全部そうなっている。米や穀物の3品目については輸出部分だけの差額補填で1兆円規模だ。それだけの予算を出して生産者を支え、その産物をできるだけ安く売ることができれば「食料こそ一番安い武器だ」と考えている。日本をはじめ他国の胃袋を支配する有効な武器になるという戦略だ。
だからアメリカは競争力が高いから輸出国になっているのではなく、徹底的に補助金漬けにして安く売っているだけなのだ。そして、日本には関税を下げろ、撤廃しろといって丸裸にして潰しにくる。どこが自由貿易なのか? という話だ。アメリカのいう自由貿易とは、アメリカが自由にもうけられる貿易のことだ。自分の悪いところを棚に上げて他人を叩きまくるのが得意技だ。
アメリカの政策のもう一つの特徴は、消費者が買えるようになれば生産者が助かるという考え方だ。なかでも驚異的なのは消費者支援策だ。
米国の農漁業予算は年間1000億㌦近いが、その64%がSNAPという消費者の食料購入支援に使われる。10兆円を使ってEBTカードを発行し、貧困層が所得に応じて最大約7万円(月額)まで食品を購入でき、代金は自動的に受給者のSNAP口座から引き落とされる。これは農漁業支援政策としても重要であり、消費者の食料品の購買力を高めることによって農水産物需要が拡大され、農漁家の販売価格も維持できる。日本にはこういう政策もない。
しかも、日本とアメリカは主要国(G7)で一番貧困率が高い国になっている。日本はアメリカを抜いて一位になった。そればかりか国連の「飢餓マップ」では、日本はアフリカ諸国と並んで世界でも最も栄養不足人口が多い国の仲間入りをしている。
これだけ利権と結びついた一部の人たちだけが利益を得る一方で、多くの人たちが苦しむ状況が非常に顕著になってきている。貧困対策と生産者支援を結びつけるのも国の役割だ。
農漁業問題は消費者問題
さらに消費者が考えなければいけないのは、これだけ生産コストが高騰しているのに生産者が価格転嫁できていない問題だ。「農業って大変だね…」と他人事のようにいっている場合ではない。この状態が続き、生産者が減り、海外から物が入らなくなったら、私たちはどうやって子どもたちの命を守るのか。そう考えると農漁業問題は、生産者の問題をはるかにこえて、国民一人一人(消費者)の問題だ。
北海道の食料自給率は223%。佐賀県は95%をこえている。東京の自給率はゼロ%だ。世界で最初に飢えるのが日本なら、日本で最初に飢えるのは東京だ。誰のおかげでみんなの命が繋がれているのかをよく考えなければいけない。佐賀県で農業、漁業を頑張っている人たちがいるから、みんなの命が繋がっている。それを全体が認識しなければならない。
佐賀県は、各都道府県の食料自給率を考慮して議員定数を配分し直すというおもしろい試算を発表している。人口が多いからといって偉そうにするな、食料をどれだけ供給できるのかが重要なのだから、国会議員定数も食料自給率に応じて再配分しろというものだ。そうすると、東京の国会議員定数(現30)はゼロ、北海道は(現12)は59、佐賀県(現2)は5に増えるという。いずれにせよ産地の危機的な状況が、現状どれだけ国政に反映されているのかは考えるべきだろう。
農業基本法改定のおかしさ
そのなかで昨年、25年ぶりに“農政の憲法”と呼ばれる「食料・農業・農村基本法(農業基本法)」の改定がおこなわれた。だが、現状の悪化を踏まえて、もっと農業や漁業を頑張ってもらうためにしっかりとした政策を打ち、自給率を上げるための抜本策を出すのかと思いきや、中身はまったく逆だった。
新基本法からは「食料自給率」の言葉は消えた。“これまで国は農林水産業をいろいろと支援してきたが、みんなどんどん辞めていっているじゃないか。だから潰れる方が悪いのだ”という基調で、苦境を放置して個人や小規模経営体がいなくなれば、どこかの企業に入ってきてもらって「輸出でバラ色」「スマート農業でバラ色」という発想だ。そのための規制撤廃を早めにやっておこうという話だった。農業の基幹従事者は、今後20年で120万人が30万人にまで減る見込みだ。そうさせないための政策を打ち出すのが本筋なのに、大多数の農家が潰れることを前提にして、輸出、スマート農業、海外農業投資、農外資本比率を増やすという問題のすり替えだ。
そして、不測の事態に備えた有事立法だ。普段は支援しないが、有事になったら支援するから必死で頑張れというものだ。命令に従って作ったものは供出させ、それに従わない農家は処罰(罰金)する――かつての国家総動員法を彷彿とさせるようなバカなことを基本法で決め、法律まで作ってしまった。こんな発想しか出てきていない。
以前、かの有名な経済学者が四国の中山間地に行って、「なぜこんなところに人が住むのか? こんなところに無理して住んでいるから、税金を使って行政もやらなければいけない。これを無駄という。早く原野に戻せ」といった。これがいかに間違っていたかはコロナ・ショックで明らかになったはずなのに、農業の憲法まで変えてそのような方向性を進めている。
能登半島の復旧支援に行かれた方はわかると思うが、1年たっても復旧していない。国は金を切ってきている。「もう住むのはやめたらいいじゃないか。漁業も農業もやめてどこかに行け」と思わせるような状態だ。山口県でも聞いたが、各地の台風で田が被害を受けたときも、復旧予算を要求したら出さないといわれたという声もある。
もっと驚いたのが、「消滅可能性自治体」(人口戦略会議)のレポートだ。よく読んでみると「消滅しろ」と書いてある。そんなところに無理して住むのは金がもったいないから早くどこかへ行けという論調だ。目先の効率性だけでみんなの暮らしを追いやり、農村・漁村を住めないような状態にしてしまえば、日本の地域の豊かな暮らしや人の命は守れるわけがないのに、こんなことが真顔で提唱されているのだ。
国の方針がこんなひどい状況ではあるが、私たちは「宝の海」と呼ばれる有明海、この地域コミュニティを守り、未来の子どもたちにつなげていくために、自分たちの力でどうやって地域を守るかということについて関係者がしっかりと議論し、生産者、地域に住む消費者が支え合う仕組み作りを強化していかなければならない。
財務省が最近、農水予算に対する考え方を出した。今こそ予算を付けて増産しなければいけないときに、「まだ農水予算は多すぎる」とし、米の備蓄が少なすぎるというのに「米の備蓄はもっと減らせ」という。極め付けは、食料自給率に金をかけるともったいないから、こんなことはやめて輸入しろという。これだけの発想しかない。税金をとるだけとって、この認識状況は非常に危機的だ。
農漁業悪玉論に世界中で怒りが爆発
欧州でも農家の暴動に近い動きがある。SDGsを悪用して環境規制を強化し、農家、漁家を追い出しにかかる状況が今起きているからだ。日本でもそういう動きがあるが、それに対して欧州の農家たちは高速道路をトラクターで封鎖し、中心部から食料を消した。「ノーファーマーズ、ノーフード(農家なくして食料なし)だ」と。そこまでやっている。
日本の農業や漁業もたいへんな状況だ。でもみんな我慢強い。先日、フランスの女性が私のセミナーを聞いて、「日本の皆さん、セミナーでよく勉強して頑張っているが詰めが甘い。フランスならパリに続く道路を封鎖して食料供給を遮断し、ちゃんと政策をやるというまでやめない。それくらいやらなければ、結局みんな頑張っていてもアリバイづくり、パフォーマンスで終わってしまうのではないか」といわれた。ここは私たちがさらに議論をしていかなければならないところだ。
SDGsの悪用については、コオロギの話がある。まともな食料を支援しないで、コオロギを食べようという議論だ。
「実は地球温暖化の一番の悪者は、田んぼのメタンガスと牛のゲップだった」という暴論もある。田は何千年も前からあるし、牛だってずっとゲップしている。温暖化したのは工業化が進んだからに決まっている。それを、悪いのは農業、酪農、漁業であり、こんなものはやめて人工肉やコオロギを食べればいいという議論にしてもうけようとしている人たちが動いている。日本でもイナゴは食べてもコオロギは食べていない。それには理由があるからだ。すでにコオロギはパウダー状にして食品に入れられている。
2024年1月、スイスのダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)でも耳を疑う発言が飛び出した。
「アジアのほとんどの地域では、いまだに水田に水を張る稲作がおこなわれている。水田稲作は温室効果ガス、メタンの発生源だ。メタンはCO2の何倍も有害だ」(バイエル社CEO)、「農業や漁業は『エコサイド』(生態系や環境を破壊する重大犯罪)とみなすべきだ」という論議だ。
この論議には、工業化した農漁業や畜産を見直し、環境に優しい農漁業や畜産に立ち返ろうというのではなく、農漁業、畜産の営み自体を否定しようとする意図があらわれている。そして利益が得られる昆虫食や人工肉などのビジネス創出に持って行こうというのだろう。
さらに関連して、スマート技術を使った「スマート農業」を広げようという動きがある。確かに大事な技術ではあるが、そこに目を付けたのが米IT大手のビル・ゲイツ氏などだ。なんと農家や漁家を追い出して、IT技術で無人農場を作り、投資家に売ってもうければいいではないかという議論を始めている。
日本政府は今、フードテック(AIなど最先端テクノロジーを駆使して食の問題を解決する技術)を推進している。よい技術もあるかもしれないが、その論理は、農業や漁業は地球温暖化の悪者だったのだから、これからは代替的食料生産(遺伝子操作技術も活用)に変えていくというものだ。人工肉、培養肉、昆虫食、陸上養殖、植物工場、AIによる無人農場……などが全部書いてある。日本の農業や漁業をこういう形に変えるというのだから正気を疑う。そこまでしてでも一部の企業さえもうかればよく、今頑張っている人たちを非効率の一言で潰していこうとしている。
農地や漁場潰し、オスプレイ基地?
今、安全保障といえば、敵基地攻撃能力強化や、増税してでも43兆円の防衛予算確保という方向の議論にしかならないが、その前に食べ物をどうするのか? これだけ自給率が下がっている日本がアメリカについて行って「攻めていくぞ」といった途端、中国のシーレーンを封鎖されたら、戦ってはいけないが戦う前に飢え死にして終わりだ。そんなことすら考えられないのか? ということだ。
しかも買っている武器はトマホークなど型落ち兵器の在庫処分だ。在庫処分といえばオスプレイだ。危なくて仕方がないから世界中どこの国も買わず、日本だけが言い値で1機220億円とかで買い増ししてきた。そのアメリカさえも危ないからということで今年でオスプレイの生産を中止する。それなのに佐賀では40㌶もの優良な農地を潰し、漁場も心配があるのにオスプレイ発着基地を新たにつくっている。
それだけのお金があれば、有明海の一次産業を守るためにどれだけのことができるか。有事のさいに、トマホークやオスプレイをかじって何日生き延びることができるか。私たちは生産者も地域も一緒になってこの流れを変えていかなければならない。
水産物は軒並み関税撤廃
政府の計量モデルで私たちが試算すると、RCEP(地域的な包括的経済連携)やTPP11(環太平洋経済連携協定)などの大きな貿易自由化交渉がまとまるたびに、自動車は約3兆円もうかり、農業が大赤字になる。これをくり返している。
農業を生け贄にしてもうけてきたトヨタなどの産業界も、その裏で何が起きてきたのかということにもっと責任を持つべきではないかという議論もある。
また、日本の農漁業を生け贄にしやすくするために「日本の農漁業は過保護だから競争に晒さなければいけない」という誤解がメディアを通じて国民に刷り込まれてきた。日本の農漁業を「高関税で守られた閉鎖市場」だというのもまったくの虚構で、農産物の関税は平均11・7%しかなく、EUの半分だ。
さらに水産物の平均関税率は4・1%にまで引き下げられ、米国抜きのTPP11では、水産物のほとんどの品目で関税撤廃している表参照。ノリなどの海藻類は15%の関税削減でとどめているが、その他は即時または段階的関税撤廃だ。こんなことを国民が知らないところで勝手にやっているのだ。輸入が増えれば価格は下がるのは当然で、その打撃の大きさを農水省も試算している。
ノリについては資源管理の観点からもIQ(輸入数量割当)が残されており、IQ制度を前提にして、可能な輸入アクセス改善策を議論するのが現実的な選択肢だ。現状では、ノリは韓国と中国だけが日本への輸出国なので、日韓FTAや、韓国と中国を含む日中韓FTA、RCEPの動向が影響してくる。
私は農水省時代に計8回の日韓FTA事前交渉に参加したが、農林水産物で一番こじれたのがノリ問題だった。韓国産の味付けノリの日本での人気が大きいのは確かで、韓国側は、いきなり枠の廃止は求めないとしつつ、より大胆な枠の拡大を要望してきていた。
2019年段階で、韓国(18億枚)と中国(11億枚)あわせて29億枚の輸入枠があったが、それでもすでに日本の国産ノリの生産規模(80億枚)の36%にのぼっていた。それが2025年には43億枚に達し、国産に対する比率は54%という衝撃的な割合に達する。こんな枠を認めるというデタラメだ。向こうは品質は悪いが国産より3~5割安いため、近年流通が増えている。だが、そのために有明産のような香りも品質も良い国産ノリが失われていいのだろうか?
「農漁業は補助金漬け」というのも虚構だ。日本の農業所得に占める補助金の割合はせいぜい3割台であり、先進国で最低だ。スイスやフランスなどは所得のほぼ100%が補助金。日本の漁業になると補助金の割合は農業の半分(15%)だ。
要するに世界的に見ても、日本は漁業経営の保護をやっていないということだ。これだけの状況で頑張ってきた日本の漁業者というのは、どれだけのすごい力を持っているかということでもある。われわれは逆に誇りにしなければいけない。
農業保護国として有名なフランスの農家の平均年齢は51歳。日本の農家の平均年齢は69歳だ。漁業はもう少し低いが、この状況を考えたらあと10年で農村・漁村、地域コミュニティや資源はどうなってしまうかは想像に難くない。これらを守る努力をすぐに強化・加速しなければ、私たちに残された時間は多くないことを認識する必要がある。
地域の生産を守る仕組みづくり強化を
そのためにも食べる側の消費者も輸入品に依存するのではいけない。輸入品がいくら安くても、禁止農薬や添加物などによる健康被害などのリスクがともなうことを考えれば、一番安いのは地元の安全安心な農林水産物だ。地元のものをいかに支えるかということが重要なのだ。
そこで問題なのが、農水産物の買い叩きだ。産地vs.小売の取引交渉能力を推定すると、全品目で買い叩かれていることがわかる。仲卸業者に聞くと、産物の値段交渉は「基本はイオンさんがいくらで売るかで終わり」だと端的に答えた。そこから逆算して買ってくるので、農家や漁家のコストは関係ない。そんなことであっていいわけがないから、生産者も、農協、漁協、生協などの協同組合も頑張っている。
試算すると、共販の力によって、米では60㌔当り3000円、牛乳では1㌔当り16円ほど農家の手取りが増加している。みんなが集まって共同体的に頑張ることがいかに重要かを物語っている。水産物は農業と比べても生産者団体の取り分が少ない。それはいろんな下ごしらえが必要だという点もあるが、買い叩きの構造についても考えなければならない。そんなときに冒頭のべた独禁法の違法適用による摘発が始まっているのだ。
有明ノリの漁協での講演時にも聞いたが、入札をやっていても買い手側の談合的な行為があって買い叩かれ気味になっている実態は広く耳にしている。また、ある漁協の組合長さんは「最初に小売価格が設定されていて、そこから逆算で原価はいくらという方式で水揚げした魚の値段が決められるという流れが固定化しつつあるのは間違いない」とのべている。
それを打破するために協同組合が頑張っている。その協同組合の共販の力を、「独禁法違反」という脅しと騙しで壊し、もっと生産者を買い叩けるようにしようとしているわけだ。共販は認めるが、共販のための出荷ルール(全量出荷など)は違反だというのも、出荷ルールがなくては共販は成立しないのだから、完全に破綻した論理だ。
これは世界的にも恥ずべき行為だ。世界では、協同組合の共販は絶対に守るべき力として大事にされており、独禁法の適用除外になっている。日本でも共販は独禁法の適用除外と書いてあるのに、独禁法「違法」適用して摘発し始めるという異常なことがおこなわれている。漁協がこの脅しに萎縮すれば彼らの思う壺だ。
一連の動きは根っこが繋がっているということを私たちは認識して対抗していかなければならない。
たとえば、私も志摩半島でノリ養殖をやっていたが、私がやっても500万円にしかならないから、そんな小規模零細漁家は追い出して巨大企業にやらせれば10億円にできる――「成長産業化」とはこういう話だ。
私たちは海のそばに住み、海を守りながら養殖や漁業を持続するために、みんなが平等に資源を管理するためのルールを作っている。有明海のノリ養殖での区割り替えもその一つだ。これが日本の地域コミュニティのすばらしい仕組みだ。こういうものが遅れたものであるかのようにして追い出そうとしている。
それに対して、北欧デンマークの文化人類学博士アリーン・デレーニ氏(東北大学准教授)は、このような日本の資源や地域コミュニティを守る伝統的な仕組みについて今、欧州が注目していると指摘している。
欧州では巨大企業に漁業をやらせて漁家を追い出したため、結局、資源管理もできなくなって地域まで崩壊した。これではいけないと欧州は今気がつき、日本のやり方を学ぼうとしているのに、日本の「水産改革」はその逆をやっているではないか。われわれが失敗したところになぜ向かってくるのか――彼女はそうのべている。
日本の漁業資源管理が最良であることを実証してノーベル賞を受賞したエリノア・オストロム氏も、コモンズ(共同資源)の保全・利用は「共同管理」が大原則であり、それが長期的・総合的に見ても最も管理コストが安く、効率的であるということを日本の水産資源管理から学んで証明した。
これだけ日本の地域コミュニティ、漁業共同体の仕組みが世界的に評価されているのに、それを潰してしまうのか? ということが今大きく問われている。
また、日本の沿岸地帯は国境でもある。欧州は地続きなので国境は中山間地域にあり、そのため農林業などの一次産業を国がしっかりと支えている。日本は沿岸線や島嶼(しょ)部が、国境を守る大事な防波堤だ。
そういう意味では、沿岸漁業は安心・安全な食料を供給するという安全保障とともに、国土・国境を守る安全保障という意味でも非常に重要だ。
日本の沿岸部、島嶼部に豊かな漁業、農村の発展が持続されることは、漁村が崩壊したあとに自衛隊が駐屯するよりもはるかに優れた「国防」でもあるのだ。5年で43兆円防衛費を増やすのが国防だというのなら、日本の沿岸漁村、島嶼部漁村を守るのに10兆円規模を投入する方がはるかに実のある国防である。
世界的にも保護が少ない農業の、その半分の支援で頑張ってきた日本の漁家は精鋭中の精鋭であり、国民の希望の光だ。その底力を発揮して自身の経営と地域と国民の命を守る。また、消費者も、安くてリスクも多い輸入品に飛びつくのではなく、地域の安心・安全な作物を支えていく仕組みづくりをともにやっていく。そこに政治行政も巻き込んでいく流れを強化していくために、私も皆さんとともに頑張っていきたい。ともに頑張りましょう。