(2024年12月11日付掲載)
元日の能登半島地震で約16万棟もの建物が損壊し、数万人が避難生活を強いられてから1年を迎えるのを前に、本紙は能登半島(奥能登地域)に赴き、被災地の今を取材してきた。奥能登では9月半ば、歯を食いしばりながら進めてきた震災復旧の努力をも押し流すように豪雨による土砂災害が加わり、人々は再び苦しみの底に叩き落とされた。地震や豪雨などの自然の摂理には抗えないとしても、能登の人々に降りかかった災難は、30年におよぶ不況、緊縮による地方切り捨て政策、自己責任論という政治による人災のうえに起きており、それが災害対応や復旧対応にも貫かれている。それは日本社会全体の姿を映し出したものであり、自然災害だけでなく、疫病禍や物価高などの政治災害とも経済災害ともいえる嵐が吹き荒れるなかで、この国が抱える政治的課題を突きつけている。本紙は能登取材を通じて感じたことを記者座談会で論議した。
地方に身売りを迫る意図的な棄民
A 本紙としては数カ月ごとに能登被災地に取材に入ってきたが、11月末に赴いた奥能登被災地の状況は決して好転したとはいえず、9月の豪雨災害も加わってより深刻になっていた。9月の豪雨では震災からの復旧も道半ばのところに記録的豪雨が襲い、地震で緩んだ山肌や地盤が崩れ、河川は決壊し、土石流が山津波のように市街地や山間部の住宅地に押し寄せた。できたばかりの仮設住宅まで浸水し、半年以上の避難生活をへてようやく住まいを得たばかりの人々はふたたび避難所暮らしに逆戻りした。公民館や体育館で段ボールベッドの生活をおくることに嫌気がさして、浸水した自宅の2階部分や半壊住居の中で暮らしている人も多い。山間部や沿岸集落の被害はより深刻で、土砂崩れや河川の氾濫でほとんど壊滅してしまった地域もある。
B 8月末に訪れたさい、倒壊家屋の公費解体は遅々として進んでおらず、仮設住宅も完成していなかったが、国や県は「これからは経済を回す時期」「いつまで支援に頼っているのか」「仮設住宅に入ったのだから今からは自助努力せよ」という調子で期限だけを決め、公的支援を次々に打ち切っていた。炊き出しや風呂の支援で派遣されていた自衛隊も9月初めに「災害対応は自衛隊の本来業務ではない」(馳知事)として撤収した。
だが、被災地は道路も復旧半ばで家屋の解体も進まず、事業所も半数以上が再開できないなど、経済活動どころか水や食料、医療などの基本的な生活基盤が整っていない。宿泊施設も食堂、食料品店も限られており、コンビニも夕方6時、7時には閉まる。地元に帰ってこれる状態ではなかった。
A それでも人々は長い避難生活を終え、ようやく仮設住宅に入り、そこから崩れた家を片付けたり、生業の再建に動き出したところでの豪雨災害だ。地震で倒れなかった家も土砂に呑まれ、「心が折れた」「神も仏もない」が合言葉のようになったという。
今回、輪島市街地で黙々と家の中の泥出しをしている人たちの姿を見たとき、かける言葉も見つからなかった。家族で泥出しをしていた輪島塗の工房の女性に声をかけると「家は地震で半壊認定を受け、自宅の中に残っていた商品を一つずつ出して片付けていたときの水害だった。やっと落ち着いて復旧に向けて動き出そうとしていた矢先だ。地震後にマンホールの整備などもできないままに大水が来たので一気に増水して溢れ出した。床上1㍍近くまで泥水が上がってきた」という。今は被害がなかった2階で生活している。玄関の床からは1㍍20㌢の高さまで泥水が来ているのだが、あくまでも靴を脱いで上がる床から1㍍以上でなければ中規模半壊(住宅を新築・購入する場合に100万円の被災者生活再建支援金が支給される)には認定されないという。
家屋の被害認定の線引きも実態に即しておらず、輪島市が調査をした約2万8000件のうち判定を不服とした2次調査の申請は約4400件にのぼったといわれる。
女性は「半壊認定は不本意だが、2次調査を依頼すればまた時間がさらにかかる。2カ月間ずっとボランティアさんの手を借りて家の中の泥をかき出してきた。業者もボランティアも土砂災害の被害が一番大きかった町野地区に行かなければならなくなり、市内は手薄になった。ボランティア頼みが続いているが、そうこうしているうちに人口はどんどん流出していく。市内に泊まる場所がなく、長期的な滞在ができないことが問題だ」と話していた。
別の商店の女性は「自宅の床上40㌢まで泥が上がったが、ちょうど震災で壊れた外壁の修理を依頼していた業者がいたので対応してもらえた。それでも家の1階部分は使えず、家族は全員2階で生活している。業者が見つからず、家の補修にも手がついていない家がほとんどだ。これから雪が降るので屋根にビニールシートを覆っているだけの家や傾いた家は雪かきをしなければ、雨漏りしたり潰れてしまう可能性がある。道路もガタガタのままなので、除雪車を増やしたとしても入れない場所もある。わが家も車が2台とも水没し、カーシェアリングで1台借りているが、冬の奥能登では4WD(四駆)でなければ上がらない道も多いので、身動きがとれなくなることが心配だ」と話していた。
昨年12月の記録的な大雪で輪島市内では最大25集落で223世帯が倒木などによる道路の断絶で孤立している。輪島市内でみんなが心配していたのは、雪による被害に加え、ただでさえ減っている人口が今後さらに減っていくのではないかということだ。店を再開してもお客さん(地域住民)がいない。歩道も陥没したり、隆起したままなので歩くのも危ない。「経済が動き出さないと復興には進まないが、まちづくりについていくら話し合っても、人が戻ってこなければ商店街の復興もない。そのためにも町全体の生活基盤が復旧されないといけないのだが、あいかわらずの業者不足、人手不足で前に進んでいないのだ」と。
人手不足を1年間放置 自衛隊の派遣もせず
B もうじき震災から1年、豪雨から3カ月だが、豪雪地帯として知られる奥能登に雪が降るまでに、国や行政は早急に手を打たなければならなかったはずだ。震災で倒壊したり、傾いた家々の解体もだが、歪んだり崩れた道路、土砂に埋まった側溝や宅地などからの土砂撤去などに大量に人手を投入して片付けなければ、豪雪に閉ざされて孤立したり、事故などの二次被害の危険性が高まることは誰でも想像できる。
れいわ新選組の山本太郎が国会質疑で激怒していたが、石破茂などは国会では「能登を忘れたことはない」などといいながら、豪雨災害直後の一番大事なときに解散総選挙に打って出て能登被災地を放置し、遅々として進まない宅地等の土砂撤去のための自衛隊派遣も「地元首長からの要請がない」という理由で検討すらしていない。今後する気もないようだ。雪が降ろうが住民が凍えようが預かり知らないという対応だ。
選挙前だけメディアを引き連れて被災地にやってきて「全力を尽くす」とか「自民党だからこそ復興ができる」などとアピールし、「頑張れ能登」「北陸応援」などのフレーズも散々飛び交ってきたが、政局やビジネスに利用するだけで能登被災地の実態は何も変わらない。選挙が終わればメディアも含めて能登の「の」の字もいわなくなった。黙殺同然だ。自民王国の能登半島で自民党現職が叩き落とされたことも現地の相当な怒りを反映している。
能登人は「おとなしい」といわれるが、震災から1年がたつなかで「いい加減にしろ」と胸に鬱積した思いを語る人が多く、元日から今日に至る歩みをみんな時間をかけて話してくれた。長い避難生活でのストレスから持病を悪化させたり、精神的にまいっている人も多く、いまや災害関連死は地震の直接死を抜き、東日本大震災以来で最多だ。高齢者だけでなく、4、50代でも脳梗塞などで倒れている。当たり前だ。これほど過酷な災害に見舞われながら、そのたびに乏しい支援がさらに先細りし、崩れた家や段ボールベッドの上でまた正月を迎えるのでは絶望感しかない。「政治とはこんなものか…」と言葉を失う人も少なくなかった。
こういうことをいうたびに「能登半島は交通の便が悪いから」「業者や人手が少ないから」「宿泊場所がないから」「土地がないから」等々、できない理由や条件がさまざま並べ立てられるが、そんなことは最初からわかっていることだ。だからこそ、その解決のための大胆な施策が必要なのだが、国の財政措置が乏しく、それに県市町が歩調を合わせているため動きが鈍いのだ。
A 地震と豪雨の二重被害を受けた輪島市や珠洲市では、行政から発注を受けた業者によって道路の啓開や河川の護岸補修、橋梁の修繕などは優先的におこなわれているが、それでも生活道路や歩道までは手がついていない。
個々の住宅や店舗、田畑、港湾施設などの民有地にいたっては、泥出しもガレキ撤去も自力でやらなければならない。膨大な量であり、手作業でどうこうなるものではない。だが業者に依頼しようにも、市内はおろか県内で探しても業者は見つからず、なかには法外な値段をふっかけられる場合もある。だから各家庭では、ボランティアたちの手を借りて、手作業で泥撤去や生活必需品の取り出し作業などをやっていた。
とはいえ、社協が管轄するボランティアは金沢に朝方集合し、そこからバスで2時間かけて10時ごろに奥能登に着き、午後2時半ごろまでに作業を終えてまた2時間かけて帰らなければならない。実働は3時間程度で、危険な作業はさせられないなど制約も多い。それでも毎週のように通ってくれるボランティアは住民から感謝されていた。高齢者世帯であろうとなかろうと、家族だけで家に堆積した土砂を撤去することなど不可能なのだ。
B 被災地の土砂撤去事業は、宅地内の土砂やガレキなどは国交省と環境省、道路や河川は国交省、農地は農水省と縦割りになっている。現場で聞くと、同じ土砂やガレキでも震災と豪雨で発注業者も異なり、仮置き場まで分けられているといわれていた。
これも山本太郎の国会質問で明らかになったが、農地、宅地、道路など民有地での土砂撤去費用については、激甚災害指定による国費率のかさ上げ等を加味すると99%の割合で国庫から補助されるという。ところが、それぞれが三省にまたがる縦割り事業のため、自治体の調査・査定・発注の事務負担が重く、要件も厳しすぎるためほとんど使われていなかった。その批判を受けて10月末、国は縦割りによる弊害を排した「一括撤去スキーム」を導入したが、現在までの申請件数はゼロだという。要するに、公費解体や家の補修などの復旧作業で業者が手一杯になり、土砂撤去をおこなう業者が見つからないのだ。このような復旧事業の入札不調は、熊本地震など過去の被災地でも問題になってきたことだ。宿泊場所もないため県外業者も足を伸ばすことができない。
そこで結局、民有地の土砂撤去をやっているのが、NPOや災害ボランティアだ。本来なら予算を付けて業者がやる仕事をタダ働きでさせている。不条理にもほどがある。
C 豪雨災害後、知事自身が「1日も早く泥かきなどのボランティアを大規模に投入する必要がある」「雪が降るまでにのべ2万人のボランティアが必要だ」と呼びかけるなど完全にボランティア頼みで、11月末には「ボランティアが1万4000人足りない」と発破をかけていた。だが、ボランティアはこの前のような地震(余震)が起きると中止になるし、雪の時期になれば安全確保のために週末のみの対応に変わる。受け入れ体制も含めて整備しなければ、マンパワーが不足するのは当然だ。
現場では公費解体が進んだとはいえ、珠洲市でも50%未満、輪島市では25%程度で完了するのは来年10月までかかる。ボランティア頼みの土砂撤去など年内終了どころか年を越しても終わるメドはなく、初めから無理筋なのだ。
だからこそ22万人を抱える自衛隊などの専門部隊を投入するしかないのだが、山本太郎の求めに対して、石破首相は「地元からの要請がない。自衛隊の派遣には緊急性、公共性、非代替性の3要件を充たすことが必要で…」などとのらりくらりの答弁で動く気がない。
災害ボランティア頼み 予算つけずタダ働き
A 現場では、宮城、広島、熊本、山形など全国各地の被災地で経験を積んできたプロフェッショナルの民間ボランティア団体が核になり、全国から重機やダンプなどの操縦ができる経験者たちも手伝いに入っている。被災を経験した人たちも多く、被災者の苦労や悩みがわかるだけに、細やかな気配りをしながらチームワークを発揮して住民の要望に応えていた。
豪雨で泥が入った家は、掃除をしても床板や壁にも泥が入り込み、カビだらけになって腐ってしまうため床板を剥がして張り替える必要性があることや、床下の泥撤去のやり方など、行政からのアナウンスはないため災害ボランティアたちが住民たちにレクチャーしてチームで作業にあたっていた。
崩れた家の中から貴重品をとり出す作業なども危険が伴うため、専門知識と経験を持つ彼らが頼りにされていた。
災害ボランティアたちは、宿泊するためにプレハブや、テントに樹脂を吹き付けて作る簡易宿舎(通称「玉葱ハウス」)を持ち込んだり、管理者と交渉して公共施設をベースにして活動しているが、長期にわたる過酷な業務だ。企業や個人などからの支援があるとはいえ設備維持や経費で消えてしまう程度で、ほとんど手弁当で活動している。
日本には災害派遣医療チーム(DMAT)はあっても、このような災害復旧の現場で被災者を支援する公的な職業枠がない。「災害対応は自衛隊の本来業務ではない」というのなら、このような経験豊富な災害ボランティアの生活を公的に保障すべきだ。公的(つまらない政治判断)に縛られて何もできなくなったら元も子もないのだが、災害時に即時に対応できるのが彼らしかおらず、彼らなしには現場は動かないのが現実だ。
政府は今頃になって「災害ボランティアを支援する」として1団体当り数十万円の交通費を支給するなどと恩着せがましくいっているが、現状は政府や自治体の側がボランティアの善意に支えられている。頭を下げて教えを請うべき関係だ。
B 税金をとる国の側が動かず、ボランティアや民間の善意に依存するというのは恥でしかない。全国でこれだけ災害が多発して経験値も蓄積されているはずなのに、それが生かされずいつも対応は後手後手。制度のアップデートもされていない。
たとえば日本と同じく火山や地震などの自然災害が多いイタリアでは、平時から国や自治体がボランティア団体と繋がり、テントやトイレなどは公的に全国の拠点に整備されている。市民安全省(防災担当省)があり、災害発生後1時間以内に対策会議が開かれる。
そこに首相、担当大臣、軍や消防、赤十字のほか各ボランティア団体のリーダーも参加し、政治家ではなく、災害を経験してきた実務者が司令塔となって全国の実働部隊に指示を出す。そこから全国に張り巡らされたボランティア団体(120万人が登録)にも必要な指示が出される仕組みができているという。有給休暇や移動費などの実費を国が負担し、災害発生から一二時間以内にこれらのボランティア団体が人と物を備えて被災地に出発する常時体制が作られているという。何日も食べ物も水もないという状態にはならないし、避難所には本格的なキッチンが整備され、プロの料理人が作る料理が提供される。
すべてがモデルになるとは限らないが、避難所に物資が届くまで数週間かかり、首相と知事が13日後に現地視察する日本とは雲泥の差だ。自衛隊の炊き出しも珠洲市では5日後、能登町では27日後だった。雑魚寝や段ボールなどで肩を寄せ合って生活する日本の避難所の環境は、国内外の専門家から「難民キャンプより劣悪」と指摘されるほどで、そのまま国の国民に対する姿勢があらわれている。
C 被災地取材に行くたびに思うことは、「個人財産の復旧は自己責任」として線引きをする国行政の災害対応の冷酷さと、自分のことだけでなく、みんなのため、地域コミュニティの維持再生のため、自分のことを横に置いて汗を流す住民やボランティアたちの姿だ。そこに根本的な違いがある。
高い税金を納めさせておきながら、何カ月も避難所や車中泊、ビニールハウスで生活していても「自己責任」で放置し、それを見かねた人々やボランティアが支援に入る。また被災者自身がボランティアになって炊き出しや避難所のお世話をする。それに国が依存し、あげくは「国が何をしてくれるかを聞くな、一人一人が国のために何ができるかを聞け」(石破茂)などといい始める。要するに役立たずによる開き直りだ。裏金も政党交付金も全部被災地に返上しろという話だ。
A 災害ボランティアたちは「豪雨災害後は国からプッシュ型支援は何もない。仮設住宅まで浸水して復旧までに2、3カ月かかる。また雪が降るまで避難所暮らしになる。だからこそ、これまで以上に業者を連れてくるしかないのに必要な予算を付けていない。台湾では数時間で避難所を設置し、すぐに応急住宅を建てた。日本にできないはずはない」「必要なことは専門技術をもった業者を大量に投入することだ。ボランティア10人が何日もかけてやることでも、予算を組んで業者が重機で片付ければ1日で終わる。能登半島でこんなに悠長にやっていたら、次に大きな災害が起きたら日本は潰れてしまう。なぜそんなことが政治家にわからないのか」と怒りをこめて語っていた。
被災地の生業保護せよ 現行は補助金という名の借金
A 今回の取材では、自分たちのこと以上に町の将来について心配する住民の声が多かった。「国は動いてくれない」「与党が過半数割れになったのに動かない」という失望の声が支配的で、103万円の壁とか不倫問題、裏金問題で加熱する与野党の政局争いにみんな辟易していた。
輪島の宿泊業者の男性は「能登半島のような僻地では、災害時に周りから救援や復旧に入ってもらわなければいけないことは最初からわかっている。また、通常の経済活動が麻痺するなかで、生業と雇用を維持しなければ人口が流出してしまう。これを同時に解決することが必要だ。だから初動の人命救助や捜索は自衛隊や消防に任せて、行政は市内中の広い駐車場や空き地を借り切ってプレハブでいいから作業員の宿泊拠点を作り、そこに休業中の飲食店などに呼びかけて炊き出しをしてもらうなどのスキームをつくるべきだ。地元に残っても仕事がない住民は復興事業に雇用してつなぎ止める。そうすれば復興に向かうまでの過程で一つの産業が生まれ、人手不足と生業・雇用の維持を解決できるはずだ。その初動を間違えている」と指摘していた。
国や県が目玉にする「なりわい再建支援補助金」(地震で破損した建物や設備の原状回復費用4分の3を国と県が補助する)も申請のための書類づくりが煩雑で、現地での再建以外は認められない。しかも「22年縛り」があり、補助金を受けて22年以内に事業をたたんだり、当初計画を変更する場合は返金しなければならないという。だから、町が今後どうなるのかもわからないなかで、事業者は手を出すことができず、輪島市内で申請したのは五軒のみ。そのうち二軒は水害で事業継続が困難になっているという。
「せめてコロナ禍にやっていた休業手当のように、特例として前年の売上の7割、8割でも補填してくれたら、事業者は従業員を解雇したり、廃業しなくても済んだ」といわれていた。「いくら復興を望んでいても人間は食べていくこと、働き口がなければ地元に残れないし、事業を続けることはできない」と。
復旧が進まない一方で、震災前からあった学校統廃合計画(輪島市内の小学校6校を1校にする)や病院統合計画などが震災のどさくさに紛れて進行し、「コスト削減」「将来の人口減少を念頭にした集約型まちづくり」という国の号令に沿った「創造的復興」「コンパクトシティ構想」だけが住民の頭越しに決まっていくことへの危機感も語られていた。
地方に身売り迫る政府 抗う住民の強力な力
A 「そのようにして弱体化した自治体が最後に発想するのが、核廃棄物の処分場や原発、自衛隊基地などの迷惑施設の受け入れだ。かつて珠洲市では原発立地計画が長きにわたって町を二分したが、そういうものが災害で人口が減り、産業を失った過疎地の頬を札束で叩くようにして持ち込まれる。今、北海道の寿都町や長崎の対馬で起きていることも他人事ではない。そうなる前に手を打たないといけない」「コンパクトシティといえば聞こえがいいが、先祖から受け継いだ田畑を捨てて町に出てくる年寄りはいない。このような生業や文化があるからこそ観光業も成り立つのであって、それ以外の復興はない。外部の企業に身売りするような町になる前に真剣に考えるべきだ。これは全国の自治体にとっても教訓になるはずだ」と口々に語られていた。
B 東日本大震災や福島原発事故の被災地で実際に起きていることでもある。「創造的復興」などといって復旧をさせず、沿岸部を人がいない町にして、宮城県のように漁業権を民間企業に開放したり、福島では原発事故で住民がいなくなった広大な土地を廃炉作業で出る核廃棄物の処分場にしてしまった。
能登半島も輪島には航空自衛隊の基地があり、災害を契機に居住区を集約することによって生まれる荒廃地をミサイル基地にする可能性も十分にある。また、使用済み核燃料の処分場に困っている関電は、山口県上関町に中間貯蔵施設を作る計画を持ち込んでいるほどだから、福井近辺の原発銀座から出る放射性廃棄物の処分場として能登半島に白羽の矢を立てる可能性だってあり得る。そんな土地を国はのどから手が出るほどほしがっているのだ。「非効率なところで暮らすための復旧にカネをかけるくらいなら、迷惑施設でも受け入れて国に貢献しろ」などといい出しかねない。
「創造的復興」という名の被災地の切り捨ては、単なるコスト削減のための棄民ではなく、そのように地方を身売りに持ち込むための意図的な政策であり、国策のためのショック・ドクトリン(災害便乗型資本主義)の手法だ。
A だが能登には頑強な抵抗の力があるのも事実だ。珠洲原発計画を30年越しで凍結させただけの住民パワーがある。
よくSNSで「国はよくやってくれている」「見捨てられてはいない」「壊れた家の写真をネットにあげるな」「文句をいうな」等々の意見が散見されるが、現場にそんな空気はみじんもない。あれもフェイクだ。現場にいけばお世辞にもそんな言葉は出てこない。
どこの被災地に行っても「声を上げないところはなにもしてもらえない。当たり前だ」「メディアが何も伝えない。この実情を全国に伝えてくれ!」といわれた。事実、住民がいない地域は、土砂崩れが起きていようと、家が崩れていようと後回しだ。そこに住民が住んでいれば国も行政も動かざるを得ないが、誰もいなくなれば復旧さえしてもらえないと誰もが実感している。
住み慣れない都会暮らしが落ち着かないということもあるだろうが、だからこそ壊れかけた家でも、道路が寸断して交通が不便でも、断水していても地元に戻って生活している。それだけ郷土愛が強い地域だ。
本来、行政はそのような住民の頑強な意志や要求をバックにして国に強く要求できるのだが、現在の石川県政は逆に自民党本部に忖度して、豪雪の季節を前に「ボランティアで対応できるメドがついた」などと知事が議会で発言してしまう。お世辞にも「知事がよくやってくれている」という声は聞かれなかった。プロレスラーから自民党清和会(安倍派)の森喜朗に拾われて国会議員、知事になった男の限界なのだろう。レスラーの先輩にあたる前田日明が「馳は岸田に直談判して、机たたき割ってもいい。あれはレスラーの面汚しだ!」と激怒していたが、さすがに金沢界隈でも「次はない」といわれていた。
災害時に「自民党の太いパイプ」など役に立たず、国と喧嘩してでも住民の側に立つ政治家を選ばなければならないというのは全国の地方自治体にとっても教訓だ。
B 国も「地元から要請がない」では済まされない。被災自治体がパンクするのは目に見えているし、数万人が避難してコミュニティが崩壊し、家が崩壊したり、土砂に埋まり、1年以上も断水している地域があることなど自治体から報告を受けなくてもわかることだ。憲法改正にからめて緊急事態条項を云々するくせに、国民の危機に対して何の関心もないことが暴露されている。
C 能登の現状は日本社会の実像そのものであり、全国の人々にとっても自分たちと重なる。他人事ではない。30年の不況にコロナ、物価高、さらにすべてを失うような災害にあっても国は手も差し伸べないのだ。すでに全国の今年の倒産件数は1万件をこえ、2015年以降最多にのぼる勢いだ。社会保険料を含む「税滞納」による倒産が昨年の2倍、過去10年間で最多にのぼっているが、減税に踏み切る気配もない。能登の人々すら救えない政治に国の安全保障を語る資格はない。
能登の復興に向けて声を上げるとともに、住民本位、国民本位の政治をとり戻すために行動しなければいけない。本紙としても今後も取材を続けていきたい。