(2024年10月30日付)
10月27日に投開票を迎えた総選挙で政権与党を構成する自民党・公明党が大惨敗し、両党合わせても国会で過半数に満たない状況が作り出された。選挙では大幅に議席を減らした自民党に対して、立憲民主党、国民民主党がその批判票によって議席を伸ばす形となった。今回の選挙結果をどう見るのか、記者たちで論議した。
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A 投票率は前回よりもわずかに下回って50%に毛が生えた程度。相変わらず5割もの有権者がそっぽを向いている状態だ。政治に幻滅していたり、期待するものが何もなかったり、思いは人それぞれだろうが、選挙に行く気になれない層が有権者の半数を占め、皮肉にも最大の多数派となっている。日本の政治風景を一変させる鍵を握っているのはこの五割だというのに、この力を揺り動かすまでには至らなかったということがいえると思う。
このことについて「選挙に行かないバカな有権者がけしからん!」「どうしてなんだよ!」と八つ当たりしたり悲憤慷慨する政党関係者がとくに野党系のなかに多いが、そういうオマエたちが選択肢として見なされていないんだよ…というほかない。共感を得て心を動かすまでに至っていないのだから、これはシビアに捉えないといけない。いかなる政治勢力であっても、この5割にリーチしていかなければ今後の展望はないのだから。
B 選挙期間中もメディアは劇場型だった郵政選挙のように煽ったりせず、総選挙関連についての報道を控えていた。露骨な「寝た子を起こすな」戦略が貫かれていた。もっぱら報道していたのはワールドシリーズで大谷がどうしたこうしたばかりだ。「寝た子」すなわち5割を起こしては困るし、残りの選挙に行く5割のなかでそっと済ませたいという政財界の願望がありありだった。
これまでもそうだが、この5割のなかでの2割5分の得票を得た自民・公明で国会の過半数を握り、残りの2割5分が分散してそのほかの飼い慣らされた野党がいくつかの議席を与えられて「政治的安定」なるものが作られてきた。茶番国会のひな形みたく定着している。政治的無関心によって長きにわたる自公政権は担保されてきた関係なのだ。こうした無関心層に目覚められたら困るし、何も考えずにそのまま寝ていてほしいわけだ。でないと、自公はたちまち権力ポストを追われてしまうからだ。
スポーツでもセックスでもスクリーン(映画等の娯楽)でもいい、3S政策といって愚民化は意識的にやられてきた。由らしむべし之を知らしむべからず――物事を深く考えたり探求するのではなく、賢いのは一部の権力層やそれに仕える部分だけでいい、残りは支配に従順に従っていればいいというものだ。ゆとり教育とかさまざまやられてきたが、要はバカ作りというだけだ。社会の矛盾について「おかしい」と考えたりすることもなく、娯楽や享楽に溺れて「寝ていろ」というものだ。そうした政策の影響はおおいに関係していると思う。選挙に行く層と行かない層が真っ二つに分断されているというのが、今の日本の政治状況をあらわしている。
C かくして、今回もこれまで同様に選挙に行く5割のなかで議席争奪がくり広げられた。その結果、自民党が大幅に議席を減らし、棚ぼたで立憲民主や国民民主が議席を増やした。裏金問題や統一教会との関係など、さまざまに政権与党の腐敗ぶりが明るみになるなかで、選挙に行く5割のなかでの基盤変化を反映した。一言でいうと選挙に行く5割のなかでの「自民党離れ」が起きたのだ。さすがにいい加減にしろよ! という判断をした有権者が多かったことを物語っている。
自民党は191議席となり選挙前から56議席減らした一方で、立憲民主が50議席増やして148議席となり、国民民主も7議席だったのから21議席増やして28議席に増えた。議席数だけ見るなら立憲民主や国民民主の「躍進」となるのだろうが、比例票や小選挙区の得票の特徴を見てみると、そうでもないことが見えてくる。
小選挙区では立憲民主は104議席を獲得し、前回比で47議席も増やした。それに対して比例で増えたのは5議席程度だった。比例の得票総数はわずか7万票増やした程度で、たいした増減ではない。ほとんど変化はなかったといっていい。そして小選挙区で47議席増やしたというものの、その総得票数は1574万票であり、実は前回比で147万票も減らしているのが実態だ。なぜ得票数は減らしているのに小選挙区で「躍進」したのか? それは立憲民主よりもさらに減らしたのが自民党で、小選挙区では前回よりも676万票、比例では533万票も減らしている。自民党支持層のなかで自民党離れが起こったことをあらわしている。小選挙区の総得票数はあくまで立候補者の数等によっても変化するが、一定の特徴は反映している。
D 比例の総得票数というのは政党の実力を推し量る指標にもなるが、自民党の崩れ方が凄まじいことになっている。前回比で27%減というのは、いかに自民党支持層が離れていったかを示している。例え方としてどうかとも思うが、そりゃ、体重100㌔の肥満が73㌔まで減らすのは至難の業であるように、体のおよそ3分の1が削られるというのは別人の如く見え方も変わる。それだけの変化があったということだ。
比例の総得票数は、他の政党の傾向も映し出している。公明も115万票減らしており、影響力が後退していることがわかる。共産もそうだが、支持基盤の高齢化が著しいそうだ。維新なんて300万票近く減らして退潮の趨勢だ。国民民主が360万票増やしているのは、自民党離れや維新離れを起こした層をすくいとっていったことをあらわしているのだろう。維新ではなく国民民主が自民党離れ層の受け皿となった。共産党も80万票減と退潮の趨勢。
れいわ新選組は160万票増やしており、着実に影響力を広げていることがわかる。なるほど改選前の3議席から9議席に増やした根拠がわかる。160万票増というのは決して小さな数字ではない。222万票から380万票だから、やはり全国行脚して地道に街頭で人々と向き合ってきたことを見る人は見ているし、届いていたということなのだろう。選挙後に身近な人たちと話していて驚かされるのが、「今回はれいわに入れた」とカミングアウトするのが「前回までは自民党に入れていた」という人が意外に多いことでもある。
B この選挙結果は、立憲民主や国民民主が躍進したというよりは、自民党がボロ負けして、おこぼれで元民主党の2党に議席が転がり込んだ――というものだ。イギリスの労働党が支持率はさほど高くもないのにボロ勝ちしたのと同じで、一方が転けたらそうなる。まったくそっくりだ。そして、自公では過半数に届かず、今後石破自民党は維新なり国民民主をとり込みながらの政権運営をよぎなくされていく。
国民民主も選挙期間中に減税や社会保険料の減免、手取りを増やす等々、選挙前になってなんだかれいわ新選組のパクリかと思うようなことを叫んでいたが、元々が民主党右派というか自民党ににじり寄っていく方向に舵を切っていた集団なわけで、今後は連立を組むなり採決で野合するなり、まさに自民党補完勢力として認知されていくほかない。欺瞞が通用しなくなったときが賞味期限なのだろう。
A 自民党の支持基盤の崩れを維新や国民民主でつなぎとめ、補完していくというのが近年の趨勢だ。そして、闘わない立憲民主党が何議席とろうが国会の大勢は変わらない。野党も茶番国会の加担者であって、永田町で異端なのはれいわ新選組くらいだ。闘っているふりをして比例による議席で安泰をむさぼっているというのは、権力に飼い慣らされているまがい物といわれても仕方がない。そうやって首輪をつながれて、反対のための反対をして飯を食っている者たちというのが野党にもいるのだ。ガス抜き装置として。彼らは見透かされて、必然的に消滅政党の道を進んでいる。野党についても欺瞞装置として長年にわたって機能し、かさぶたのように覆い被さっている状態であり、こんなものは引っぺがす必要がある。
闘わぬ野党を徹底批判 れいわ新選組の存在感
D 選挙結果を見ていて、れいわ新選組の躍進は世論の変化をあらわしていると思う。結党から5年で衆参合わせて14人の所属国会議員を輩出することになった。選挙後も9議席の獲得は躍進ではあるが、まだまだ議席を増やさないといけないのだと山本太郎が引き締めていたのは印象的だった。決して満足などしない。「万歳! 万歳!」と満足して、大喜びではしゃいでいる候補者や陣営は多いが、「まだまだだ!」とみずからに鞭打っていく姿勢は正しいと思う。しかし、鞭打ち過ぎて倒れてしまっては元も子もないから、体調管理だけは周囲の意見も聞いてしっかりやらないといけない。
A それぞれの比例ブロックでの得票数の増え方を見ていると、影響力の弱い地域、強い地域も見えてくるが、まんべんなく前回よりも得票数を伸ばしている。支持率としては6~8%といったところか。今回の選挙で比例では議席の獲得にならなかったブロックもあるが、頑張りようによっては次の選挙で1議席獲得の可能性を感じさせるところもある。積み増しでさらに2議席目を狙っていける選挙区だってある。
課題としては、それがいつのタイミングになるかもあるが、選挙区で当選していくような実力を備えていくことに尽きると思う。そういう意味で、今回の選挙では無所属の須藤元気なんかは元格闘家の知名度があるとはいえ、「やるじゃん」と思った。選挙区で当選するために人々のなかを這いつくばってでも歩いて回り、支持獲得に本気で挑む。それが選挙だ。1割とって比例復活狙いみたいなのは、どれだけ志が低いのかと思う。
C 選挙期間中は闘わない野党のインチキについても徹底的に批判を加えていて、もはや避けがたいテーマなのだと感じさせた。オール沖縄などといって野党が県民世論の上にあぐらをかいている沖縄にも伊勢崎さんといっしょに乗り込んで行ったし、おおいにやりまくったらいいと思った。だいたい、沖縄で野党が議席を獲得してきたのはオール沖縄が強いからではなく、沖縄県民の島ぐるみの力が強いからだ。勘違いしてはならない。そのことで自民党議員はたたき落とされてきた。翁長知事を支えてきた沖縄保守に、それぞれはたいした力もない野党が寄生してきただけといっても過言ではなく、そうした沖縄保守の人々が抜けた今、抜け殻みたいな飾り物になっている。そうしたいわゆる野党が、基地問題は辺野古だけに切り縮め、南西諸島のミサイル配備等々は黙認を貫くとかの姿勢に県民の批判世論は強いし、「沖縄が戦場にされる」という危機意識は鬱積している。
伊勢崎さんの演説は沖縄の人々の意識に届いたと思う。沖縄県はれいわの支持率が他県に比べても群を抜いているのも特徴だ。
B あっちもこっちも欺瞞のかさぶたを引っぺがさないと次に進めないし、腐れ野党とぬるま湯のなかで共存していてもどうにもならないのだ。これらが政治不信のもう一方の元凶でもあるわけで、矛盾はむしろ激化させた方がよい。折衷して馴れ合っても仕方がないのだ。
れいわ新選組が台頭すれば立場を追われるのが立憲民主や共産で、必然的に衝突することになる。防衛反応から感情的にもぶつかる。このなかで唯物弁証法ではないが、「喧嘩はやめて!」ではなく、矛盾というものについて積極的に捉えて、衝突し、分裂し、生成、発展、消滅していく過程は避けがたいものなんだと受け入れ、何が矛盾しているのかあるがままをあからさまにしていく方が正解だ。早道でもある。闘わない野党と共闘もなにもあったものではないのだから。闘っているような仕草だけして欺瞞しているというのはインチキなのだ。
A 伊勢崎さんがまさかれいわ新選組から出馬するなど思ってもいないから、出馬会見を見てぶったまげたんだが、台湾有事とか日本列島が鉄砲玉にされかねない情勢のなかで、すごく重厚な響きを持った訴えだったと思う。きわめて現実的なテーマであり、日本社会の進路を巡ってこの選挙の重要な争点でもあった。沖縄ももちろんだが、東京でも大阪でも連日街頭で演説を繰り広げ、内容としてもタイムリーだったと思う。紙面で紹介した演説内容もすごく読まれていて、反響は大きかった。やっぱり腹を括った人間の凄みというか、気合いが伝わってきて、演説中に「れいわにできるわけないじゃん!」のヤジに対して「やってやるよ!」「黙れ!」と一喝しているのには笑った。選挙演説で有権者を怒鳴りつける候補者など見たことがないが、内容が内容であるし本気であるがゆえの行動だ。比例での当選はならなかったが、出馬の意味は大きかったと思う。
C れいわ新選組はまだまだ発展途上で、それこそ山本太郎も鮮明にしているように「まだまだだ!」とさらなる勢力拡大に向けてやりまくらないといけない。5年で所属国会議員14人というのはホップ・ステップ・ジャンプのうちのステップくらいなのだろうし、次なるジャンプで爆発的に議席を増やすタイミングがかならず到来すると思う。
当初は際物政党みたいな見方も存在していたが、地道に街頭演説をやり、さらにメディアにも出てきて渡り合い、この5年の一貫した姿勢を見て支持が拡大している。もっと増やす、まだまだ増やすという姿勢で挑むなら、さらに支持を広げていけると思う。もともとゼロから出発して伸びしろしかないのだから。どうしようもない世の中を変えるために政権奪取するというなら、それこそ選挙区でも圧勝するような政治勢力へと変貌していかないといけない。
これは「できない」ではなく、できるまで努力し続けないといけないことだ。全国で街宣をくり広げ、スタッフ共々くたくたではあるだろうが、今回の9議席は一つの到達点として自信にし、次につながる一歩として誇っていいと思う。「まだまだだ!」と思いつつ。人々はちゃんと見ている。
「5割」をどう動かすか 爆発的躍進のカギ
A 自民党のなかでは、裏金問題や統一教会問題を通じて、これまで「わが世の春」だった清和会を粛正するという力が働いての選挙だった。非公認の裏金議員が幾人も落選し、安倍晋三の子分たちも複数が落選することになった。行儀の悪いのを一定程度一掃するというのは動いたのだろう。
そして、総裁選が終わって内閣発足の期待感が冷めないうちに選挙を実施してみたが、石破自民党はたちまち過半数割れに追い込まれ、今後の厳しい政権運営をよぎなくされることとなった。自民党離れした層の拾い食いをした国民民主なども含めて、補完勢力なしにはやっていけない状態であり、野党が一層欺瞞的に振る舞っていく場面が増えるのだろう。国会など基本的に与党も野党も財界やアメリカいいなりの飼い犬みたいなもので、対米従属の鎖につながれて飼い慣らされているのが実態だ。民主党が政権与党になろうが自民党がなろうがやることは同じなのはそのためだ。
B 議席が多少変動したところで大勢は変わらないが、しかし変化もあった。こうした選挙の特徴や変化を捉えながら、今後の政局を見ていくことが重要ではないか。
C 5割が選挙に行かないような状況の打破は引き続き課題で、大躍進したい政党はここにリーチする以外にない。「○○離れ」の拾い食いみたいなことでは話にならない。選挙に行かない5割、すなわち2人に1人は何を考え、何を思っているのかを捉えないことには始まらない。この5割が目覚めたら困る2割5分の自公政権がぐらついているもとで、最大の多数派を援軍とした勢力が爆発的に躍進するというのはバカでもわかることだ。
れいわ新選組にはその壁をこえて欲しいというか、開かずの扉なわけではないからこじ開けてほしいと思う。こんなこと言ったら疲労困憊(ぱい)のスタッフの皆さんに怒られるかもしれないが、次の選挙が楽しみで仕方がない。必ず進化してほしい。「やれるわけないじゃん!」じゃない。「黙れ! やってやるよ!」で気合い入れて凄んでいこう。
見て貰うためだけ(購読数狙い)の記事ではなく、現場の生の声という印象を受けました。
メディアの為す役割とは、思考と想像と判断をさせるアイテムと認識しています。
そういう意味で長周新聞の記事は、冷静な見方が出来る内容ではないでしょうか。