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腐れ政治家がなぜ無罪放免になるのか 米国や資本に尽くすための頭数 飼い慣らされ腐敗堕落した姿【記者座談会】

セキュリティ・クリアランス制度を含む新経済安保法を可決した参議院本会議(10日)

 自民党安倍派(清和会)を筆頭にした裏金問題が昨年から明るみになり、国会では政治資金規正法の改正を巡って与野党がお茶を濁しつつ、一方では武器輸出拡大やセキュリティ・クリアランス法案、米軍と自衛隊の一体化を進める法案整備など、重要法案が次々と可決成立し、立憲民主党も含めた翼賛体制でみな賛成していく様が露わとなっている。米国に従属して軍事的には粛々と対中包囲網の鉄砲玉となる道を進み、なおかつ独占大企業や資本に奉仕しさえすれば、政治家は多少の裏金を懐に入れようが、腐敗堕落していようが厳密に処罰されることもなく、国会という「立法府」の頭数すなわち賛成マシーンとして飼い慣らされ、支配の道具として機能するという露骨な社会の仕組みを見せつけている。それはある意味、「議会制民主主義」であるとか、「法治国家」等々の高尚な建前をとり払ったような丸裸の姿にも映っている。とりわけ第2次安倍政権以後に強まった政治の低俗化について、記者たちで論議した。

 

前代未聞の裏金作りにもケジメなく

 

  目下、国会では裏金問題を経て、政治資金規正法の改正を巡って与野党が大筋合意であるとかをやっている。本来なら公民権停止にならなければいけない自民党の裏金脱税議員たちがそのまま大量に議員バッジをつけて居座り、政治資金規正法のぬるい改正案を審議しているという、どうしようもない状態だ。それは犯罪者が犯罪の処分のさじ加減について論議しているようなもので、結局のところ政治資金パーティーも企業献金も禁止するわけでもなく、政策活動費も廃止しない。どうにでも抜け道がある。なにもしないと世間の目もあるので、目つぶし程度に「審議してます」といっているに過ぎない。

 

 B 世論調査で政権交代を望む声が多数という数字も出ていたが、政権与党である自民党に世論が冷ややかであることは疑いない。裏金問題で好き放題やっていたのはとくに安倍派で、安倍晋三が長期政権を築いていた過程で調子付いていたことを反映しているが、本人たちは当たり前みたく常習的に裏金をポケットに入れていたのだ。安倍派という最大派閥の権力に投機して、あるいは寄生してパーティー券を売りまくり、それをお上や政治家に睨まれたらたまらないとか、おべんちゃらしてなにがしかを融通してもらおうとかの下心を持った企業関係とかが買いとって、小遣いをつかませていたのだ。相互依存の関係だ。

 

 我こそは安倍派の国会議員だぞ! という形で下っ端に至るまでが裏金作りにいそしんでいたから、あれだけの人数になるし、かなり以前から恒常的にやっていたことを暴露している。彼らにとっては政治資金規正法などあってないようなもので、摘発されることなどないと確信していたことを浮き彫りにしている。霞ヶ関の人事権も握り、警察も検察も押さえ、どうにでもできるという特権意識が一連の好き放題の下地にあったことを物語っている。モリカケ桜の延長だ。

 

安倍晋三と河井克行(2018年9月)

  最近になって『中国新聞』が官房機密費が選挙に注ぎ込まれているという疑惑をとりあげて注目されているが、こうなると選挙についても公平性とか公正性などあってないようなものだ。『中国新聞』が官房長官経験者にインタビューして証言をとり、2013年の参院選でも、当時の首相だった安倍晋三が自民党候補の応援に出向き、陣中見舞いとして官房機密費から100万円を渡した疑いがあるという。さもありなんだ。

 

 広島では河井案里事件(2019年参院選における買収事件)もあって、それこそ自民党本部からは安倍晋三がてこ入れしていた河井陣営には1億5000万円が振り込まれて、広島県内の首長や地元議員に現金を配り回して騒動になった。夫で法相だった河井克行の自宅からは、官房長官だった菅から500万円、安倍晋三から2800万円を受けとったことを示すメモも押収されており、これまた官房機密費だったのではないか?という疑惑にもなっている。どうにでもできるのだ。

 

 A 官房機密費、正式には「内閣官房報償費」というらしいが、これこそ裏金の最たるものだ。首相官邸にある官房長官の自室で管理している金庫があって、そこに毎月1億円が現金の束で入ってきて、領収書なしで好きに使えるというものだ。そのなかから1000万円は首相に渡すのが慣わしとかで、かつて元官房長官だった野中広務が政界引退後に証言したところでは、毎月5000万~7000万円を使っていたという。与野党対策として国対委員長に毎月500万円、首相に1000万円を渡していたほかに、評論家やメディア関係者にも配っていたという。

 

 世論を操作するためにメディア関係者に飯を奢って買収したり、小遣いとしてつかませたり、野党の大物議員に渡したり、政権維持のために自由に使うことができるカネだ。安倍晋三がよくメディア幹部たちと会食をくり返していたのもこのカネだろう。スシローに限らず報道幹部たちが飯や酒を奢ってもらって、なんなら小遣いももらって、安倍政権のおべんちゃらや擁護をくり返していた関係にほかならない。

 

  官房機密費といえば、清和会の五人衆として裏金問題が発覚した松野が官房長官を事実上更迭されるまでの2週間で4660万円を自身に支出していたことも報道されたが、国の裏金を自分自身の懐に入れるという芸当までやってのけるのだから驚かされる。なんでもありではないか。まことに泥棒みたいな話だが、こんなことも何ら刑事処罰されるわけでもなくまかり通っている。ほんとうに「ニッポンすごい!」と思ってしまう。国のカネは僕のもの、僕のカネは僕のもの――みたいな感じなのだろうか。節操などあったものではない。

 

裏金を差配・受領していた清和会の幹部ら(上段左から中段まで時計回りに萩生田光一、世耕弘成、高木毅、松野博一、塩谷立、西村康稔、下段右・下村博文)と二階俊博、岸田文雄

  要は“私物化”なのだ。昔から大差ないのだろうが、建前とかきれい事をとり払ってこうした私物化が露骨にくり広げられ始めたのが安倍政権からで、安倍昭恵が懇意にしていた森友学園に財務省が国有地をただ同然で払い下げたり、安倍晋三の盟友だった加計学園が優遇されたり、桜を見る会では地元支援者を大量にもてなして買収そのものなのにお咎めなしだったり、枚挙にいとまがなかった。これらが何ら政治的にも法的にもケジメがつけられることなく、歴代最長政権なるものが続いた。

 

 昨今の裏金騒動とて、そうした私物化政治の延長にあるもので、安倍晋三の置き土産の壺から腐った膿みたくとろけだしたに過ぎない。腐敗堕落が極まっていることをあらわしている。しかし、裏金脱税議員たちは公民権停止になるどころか、のうのうと国会議員バッジをつけて「立法府」の一員としてのさばっているのだ。何らのケジメをつけるわけでもなく、政治資金収支報告書の「修正申告」とやらで事済ませている。善悪に対してのケジメがないのも特徴ではないか。「議会制民主主義」であるとか「法治国家」であるとかの建前すら投げ捨てて、品位もなにもあったものではない。

 

 統一教会との関係についても一時期より関心が薄まっているかもしれないが、信者から高額なカネを巻き上げていた同団体から、清和会を筆頭にした自民党議員たちはいったいどれだけのカネをもらっていたのかだ。カネに目がない政治家たちであることはパーティー券問題だけでも浮き彫りになっているが、そんな政治家たちが統一教会の韓鶴子(ハン・ハクチャ)に「お母様」などといって群がっていたわけで、カネをもらっていないと思うほうが不自然だ。政界工作に注ぎ込むのはただ働きの秘書軍団だけでなく、高額な買収資金をともなっていたと見なすのが自然なのだ。

 

  今問題になっているのはパーティー券の裏金化であって、パーティーを介さなくても裏金のやりとりは普通にやられているのだろう。甘利明が大臣室で現金授受したことが暴露されたように、菓子折の底に現金を入れて渡すとか、昔ながらのやり方だってないわけではないだろう。発覚していないだけで、口利きのお礼であるとか、足のつかないカネのやりとりが新たに発覚しても何も驚かない。そのようにすべてカネの体質が浮き彫りになっているのだから。カネをくれる者になびき、飼い慣らされて、その下僕として尽くす政治の姿が丸裸になっているだけだ。もはや隠すこともなく、これらが丸裸のまま闊歩しているような光景だ。羞恥心すらないのかもしれない。それで天下国家を語られても興ざめするのは当たり前だ。

 

 「裸の王様」に近いものを見せつけられているような気がしてならない。

 

従属下の戦争体制作り 南西諸島ミサイル配備

 

 B 政治不信がますます深まるなかで、低投票率であるが故に自公政権が安泰を貪り、こうした裏金だろうが統一教会との蜜月関係だろうがやりたい放題をくり広げ、しかしポストは与えられる。支配の道具として使えるなら、少々行儀の悪いことをしてもお咎めなしであり、黙認されるという社会の構図を示している。

 

 対米従属の鎖につながれた植民地である日本は、なにか独立国であるかのようなふりをしながら、実際には誰がどう見てもアメリカの属国であるし、その要求を丸呑みするのが為政者の役割みたくなっている。そのもとで、安倍晋三などは集団的自衛権の行使を可能にする憲法の解釈変更であったり、軍事的には「戦争のできる国」へと誘って米軍の鉄砲玉になるための法整備を次々とやった。あるいは、アベノミクスなどといって異次元の金融緩和をやりまくって金融資本に奉仕したり、それはそれは飼い主を喜ばせた関係にほかならない。

 

  様々な私物化疑惑や問題で世間を煙に巻きながら、安倍晋三から菅、岸田まできてやろうとしていることは戦争体制作りであり、九条をはじめ戦争放棄の国是を投げ捨てて、「戦争できる国」にするという単純な話だ。現憲法すらまともに遵守していない者が改憲を叫んでいて話にならないのだが、軍事力の行使を可能にするために憲法を書き換え、緊急事態条項をはじめ、いざとなったら権力者にとって好き放題ができる体制にするというものだ。自民党の改憲草案がそれを正直に反映している。前回の参院選を経て「黄金の3年間」でリーチするなどといわれていたが、岸田政権はレームダックとなり、しかしそれでも改憲には意欲を見せてこだわっている。

 

アーミテージ・ナイレポート

  改憲にせよ、軍事力強化にせよ、結局のところ米中の覇権争いが激化しているもとでアメリカから要求されていることを忠実にやっているに過ぎない。年次改革要望書になりかわったアーミテージ・レポート等々で事細かに指示され、米軍再編や自衛隊の指揮系統の整備、自衛隊の米軍の二軍化などもやってきたわけだ。第二次大戦後のパクス・アメリカーナ(米国一極支配)が陰りを見せ、イラク、アフガンもあの様で、アメリカが力を失っている。そのなかで軍事的にも日本を駆り出し、米軍産複合体が武器を売りつけながら対中包囲網のなかに組み込んでいる。その戦力としての必要性から改憲なり軍事力強化が動いている。防衛費の増額も桁違いだ。

 

  南西諸島へのミサイル部隊配置など露骨だが、近距離から中国にミサイルを向けるというのだから、それ自体かなり挑発的だ。中国は貿易相手国としても大きな存在で経済的にも日本にとっては友好平和の関係を築くことのほうがメリットも大きいのに、アメリカに踊らされてけんか腰をしている。それがいかに愚かなことか考えないといけないが、もっぱら対中包囲網の先兵として日本が動員されている。

 

 ウクライナを見ても、ロシアはNATO加盟によってミサイル配備などの軍事的脅威にさらされることを懸念して軍事侵攻に踏み切ったが、ミサイルを向けられる相手からするとそのように重大な脅威になる。同時に、南西諸島の住民にとっては、郷土の島々が逆に狙われることを意味し、まさに「捨て石」にされる関係だ。平和な島々が軍隊がいることでたちまち標的にされる。本来、軍事的にもめる必要などない中国と、なぜ日本が軍事的に衝突しないといけないのかだ。

 

  しかし米軍再編と連動して、九州地方や西日本の米軍基地、自衛隊基地は相当に強化されてきた。極東最大の出撃基地となった山口県の米軍岩国基地が最たるものだが、戦後79年もたってさらに最新鋭化した基地に生まれ変わり、いったいこの先何十年居座るつもりなのかだ。基地の建設費はみな日本政府の負担で、防衛省発注の仕事にゼネコンがまぶりつき、基地内の仕事にありついた孫請けやひ孫請けの企業にいわせると、「基地建設のカネは打ち出の小槌みたく大盤振る舞いだ」とバブル状態だった。

 

 また岩国に限らず、九州地方の自衛隊基地なども軒並み軍事的機能を強化してきた。佐世保しかり、佐賀空港のオスプレイ配備もしかり、築城や新田原なども滑走路延長で米軍がいつでも利用できるし、前述の通り南西諸島はレーダー基地やミサイル部隊配備。馬毛島は戦闘機の着艦訓練基地として接収。それらすべては対中国を意識した配置で、東京からは見えないところでそんなことがゴリゴリ進められてきたのだ。

 

  基地問題とは沖縄に限ったものではなく、いまや日本列島そのものが不沈空母化している。米軍の司令部はグアムに引っ込んで、最前線の司令部は横田幕府だ。その米軍の指揮系統に自衛隊が組み込まれて、手となり足となって鉄砲玉として利用される。今国会で可決成立した自衛隊と米軍の指揮系統一体化を容認する法案は立憲民主党も賛成したが、まるで「政権交代の要員として、わたしたちも使える政党ですよ」と飼い主に向かってアピールしているかのような光景ではないか。

 

 客観的に見てみると、やっていることは「日本を守る」ではなく、日本を盾、ミサイルの標的にして米本土を守るための配置が進められている。日本列島が焼け野原になろうが海の向こうの人間には関係のない話なのだ。日本を盾にして、アジア人同士を争わせて、中国との軍事的緊張のクッションにしているのがアメリカだ。それは緩衝国家だったウクライナと同じ境遇であることを教えている。

 

 C とはいえ、現実的に考えて日本列島は戦争ができる国土ではない。原発を五四基も抱えながら敵基地攻撃などといっているのを見ると、バカではあるまいかと思ってしまう。やったらやられるわけで、原発がミサイル攻撃の標的に晒されただけでお終いだ。ライフラインを見ても、鉄道、道路、物流などがやられたらひとたまりもない。電気、ガス、水道がやられるだけでもたちまち暮らしは麻痺してしまう。だいたい食料がない国で、中国にはずいぶん依存しているのに、なにをいっているのだろうかと思う。現実的に考えてもあり得ない。

 

死に体政府がしがみつく対米従属 世界は変化

 

 B 対中包囲網というけれど、そもそもなぜ日本が中国なりロシアと敵対しなければならないのかだ。アメリカが世界覇権の座を巡って中国と対立しているからといって、なぜ日本がアメリカの側に与して、ミサイルを向けあうような物騒なことになっているのか、頭を冷やして考えなければならない。台湾有事なども問題になっているが、それは中国国内の問題であって、日本は部外者以外のなにものでもない。国際的に見てもしゃしゃり出ることの方が異常なのだ。

 

 A 米中対立は今後ますます激化するだろうが、それは資本主義の不均衡発展にともなって必然的にもたらされている。その争いのなかで軍事的な緊張も高まっている。先行して資本主義体制を謳歌していた側が廃れていき、資本主義の次男坊ともいえる旧社会主義国が台頭しており、市場争奪をかけて熾烈な争いをくり広げている。

 

 体制としては共産党一党独裁でありながら経済は資本主義というのだから、欧米の為政者からするとうらやましい限りなのだろうが、世界は1917年のロシア革命から一周まわって、そのような状態に至った。アメリカは国内もボロボロで貧困大国となり、世界を股にかけて軍事力を展開するといってもその力を失いつつある。一方で資本主義のフロンティアはアジアに移り、中国が一帯一路を動かし始めたり、「アジアの世紀」といわれる時代が到来している。遅ればせながらというか、むしろ遅れてきた分、市場として伸びしろのある地域になっているのだ。この市場争奪の激化が米中対立の本質で、覇権を巡る暗闘でもある。

 

 B 日本としては、こうした世界の矛盾のなかでどう立ち振る舞うことが国益にかなうのかだが、なんでもかんでもアメリカに与すれば良いというものではない。おかげで米中対立に巻き込まれて武力衝突するなど最悪の事態で、もっとも回避しなければならないものだ。平和な日本社会であるために、もっとも現実的な選択肢は何かを考えなければならないのだ。

 

 緩衝国家だったウクライナがあのようになっているのも他人事ではないし、ゼレンスキーみたく安倍晋三2世みたいなのがオラついて武力衝突に発展するなど悲劇以外のなにものでもない。しかし、あまり日本の国益とかを深く考えるような人物ではなく、バカでもなんでも後先考えずに突っ込んでいくような者が登用され、そのためなら少々の私物化なんてものも見逃してもらえて、政治権力のポストを与えられる。裏金で90人以上の政治家が問題になっても、頭数として使えるならば無罪放免でそのままにしてもらえる。そんな光景だ。

 

 A 現実的に考えてみて、経済安保をいうなら「アジアの世紀」の一員として加わることの方がはるかに経済的にも有益であろうし、米中の軍事的緊張の片側の一員になるのではなく、東アジアに存在する国として中国とも積極的に関係を切り結び、ロシアとも独自外交を展開しなければどうにもならない。

 

  だいたい米中対立の先兵になるといっても、日本の最大の貿易相手国はダントツで中国なわけで、その規模はアメリカをはるかに凌いでいる。すでに経済的な依存度も半端ではないものになっており、対立よりも友好関係を優先する方がはるかに有益だ。韓国との関係も同じだ。アジアの近隣諸国と健全な関係を切り結ぶ努力をして、アジアのなかで生きていくことが日本にとってもっともベストな道なはずだ。ミサイルを向けあうような物騒な緊張関係ではなく、互いに信頼関係を築けるよう平和外交に努めることが大切だ。

 

「右傾化」の背後の権力 野党も延命に加担

 

 B 軍備強化や軍事的な面において「国防」なるものが論議されているが、経済安保の面から見ると多国籍金融資本の食い物にされてきたのがアベノミクスであり、結局のところトリクルダウンなど起きなかったし、株価が上がって金融資本がうはうはしただけだった。バカみたいに異次元緩和したおかげで「安い日本」「貧しい日本」へと真っ逆さまに転落が始まり、急激な円安に見舞われ、輸入依存がすごいために物価も跳ね上がり、いまや暮らしはたいへんなことになっている。本人は死んでしまったが、いったい誰が責任を負うというのだろうか。

 

 安保について本気で心配するなら食料自給率のひどさも自覚しなければならないし、そのための施策もうたなければならない。しかし、それらはほったらかしにして、軍事力強化こそが安保なのだという。そして対中、対ロ、あるいは北朝鮮の脅威を押し出しつつ、米軍産複合体に国家財政をむしりとられる道を進もうとしている。

 

 A 防衛費の増大とは、とどのつまり米軍産複合体への貢ぎ物にほかならないが、「もっとカネを寄こせ」という力が海の向こうから加わり、米中戦争の鉄砲玉にされるのとセットで巻き上げられる関係だ。米本土防衛の盾として命を差し出してカネまでむしられるというひどい話なのだ。しかし、そうしたことを「やる」という限りは、裏金にはじまり腐敗堕落した政治構造であっても温存される関係を示している。

 

 日本社会が豊かで平和であるためには、軍事的な緊張ではなく、いかなる国とも平等互恵の関係を切り結び、国際社会のなかで平和的に共存していく以外にない。しかし、軍事的緊張を煽って「国防」強化なのだといって戦争に前のめりになっている。安倍政権の登場からとくに顕著で、いわゆる右傾化というものの背後には、そのような力が働いていたことを示している。あえて脅威にさらしてどうするのかと思うが、アジア近隣諸国に対する喧嘩腰外交をやって、アメリカの競争相手である中国との関係に亀裂を作り、実は経済的繁栄を犠牲にしている。

 

  自民党の腐敗堕落がこれでもかと暴露されているが、どうしてこんな腐れ政党が解党すらせずに温存され、いつまでも権力ポストを握っているのかだ。力は失っているが、経団連をはじめとした資本家がバックアップし、選挙になると企業票や宗教票などひっくるめて一定の組織票によって当選し、国会の頭数は過半数をもっていく構造が長年にわたって続いている。それすら危ういとなれば、維新とか国民民主といった「野党」風情の第2、第3自民党までとり込んで、翼賛体制でいこうというのが昨今の動きだ。足下がぐらついてはいるが、さながら腐れ政治の延命策といったところか。

 

 選挙になるとおよそ5割の有権者が棄権しているが、幻滅するくらいなら世の中を変えようじゃないか! という力をどう束ねていくかが大切なのだろう。「腐れ政治がなぜ無罪放免でのさばるのか」について論議してきたが、単純に汚れを正せば良しというものでもなく、こうした連中を飼い慣らして政治を動かし、国を動かし、いいようにしている背後の構造にも目を向けて、日本社会の進むべき方向性と併せて考える必要があるのではないか。

 

(5月15日付)

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この記事へのコメント

  1. ソドミラ says:

     金を渡して、見返りがないなんて社会通念上あり得ない。贈賄、収賄を立件しないと違反にならない。
     どこかおかしいお国ではある。

     納税義務を果たしても、その使い道は百パーセント明らかにされない。
     裏金のために税を納めているのではない。
     ふざけるのも休み休みにしなさい。

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