福島第一原発(福島県)の敷地内に貯蓄している原発汚染水について東京電力は、漁業者や地元住民からの強い抗議にもかかわらず、岸田政府が海洋放出方針を決定したことを受けて24日から海への放出を開始した。原発事故から10年かけて復興に向けて努力してきた地元や漁業者の意向を無視し、東京電力という一企業を保護するため日本の水産業全体を犠牲にする判断を見せた。政府や東電は、トリチウム等による汚染水を「人体や環境への影響を無視できる程度」にまで薄めるとして安全性を主張しているが、あくまで1㍑当りの濃度であり、放出総量を示していない。検査していないものも含めると今後30年でどれだけの放射性核種が海に垂れ流されるのかは不明で、日本水産物の最大の輸入国である中国や香港などを中心に世界的な警戒感が高まり、日本産の輸入規制が始まっている。
海に生きるすべての人々の生業を度外視
岸田首相は訪米直前の17日、汚染水の海洋放出について「今現在、具体的な時期、プロセスなどについて決まっているものではない」とのべていた。この時点で、すでに主要メディアでは「24日ごろから放出開始」がアナウンスされており、岸田首相は19日の米国での取材で「国として判断すべき最終的な段階」とのべ、国会審議も省略しながら、米国で最終的なすり合わせをおこなっていることを匂わせた。21日の会見でも岸田首相は、放出開始日程の具体的な明言を避けたが、結局「プロセスは決まっていない」という発言から1週間もたたぬうちに放出を開始した。
この方便によるその場しのぎの対応に翻弄されたのは、まず第一に漁業者をはじめ地元福島県民だ。福島大学の研究者有志が立ち上げ、漁業者や農業者も参加する「復興と廃炉の両立とALPS処理水問題を考える福島円卓会議」は21日、「今夏の海洋放出は凍結すべき」「地元の漁業復興のこれ以上の阻害は許容できない」などの緊急アピールを発し、「政府・東電がお墨付きを得たかのように依拠するIAEA(国際原子力機関)の安全性レビュー報告書は、限られた範囲の評価を出るものでなく、これだけを根拠として、影響を受ける人々が参加すべき議論のプロセスを省略して放出を強行することは認められない」と、民主的プロセスの欠如を批判した。
福島県漁連(野崎哲会長)は反対の意志を変えておらず、全漁連(坂本雅信会長)も「漁業者・国民の理解を得られない海洋放出に反対」「科学的な安全と社会的な安心は異なるものであり、科学的に安全だからと言って風評被害がなくなるわけでない。廃炉に向けた取組は数十年の長期に及ぶことから漁業者の将来にわたる不安を拭い去ることはできない」とする会長声明を発している。10年にわたって休漁を強いられ、ようやく本格操業を迎える地元漁業者たちは「われわれは賠償がほしいわけではない。求めているのは震災前にあった生業の復興だ」と痛切に訴えている。
2015年当時、東電の漁業者宛の文書には「関係者の理解なしには、いかなる処分も行わず、多核種除去設備(ALPS)で処理した水は発電所敷地内のタンクに貯留する」とあるが、政府も東電もこの約束を完全に反故にした形だ。2021年4月に菅政府が海洋放出の方針を決めて以降、東電の小早川智明社長に至っては漁業者たちに直接会いにも行かず、22日の記者会見にすら姿をあらわしていない。
「薄めるから安全」の詭弁 除去できぬ核種多数
福島第1原発敷地内には現在、約134万㌧の汚染水が約1000基のタンクに保管されている。放出開始後は、2023年度中に約3万1200㌧(タンク約30基分)の処理水を海へ流す計画だが、放出期間については今後30~40年程度とみられるというだけで明言していない。原発敷地内に流れる地下水などがメルトダウンした原発核燃料(デブリ)に触れることで生まれる汚染水の発生を食い止める抜本策がなく、現在も1日数㌧単位で汚染水が増え続けているため、放出する総量をつかむことができないからだ。
政府や東電はこれを「トリチウム以外は基準値以下になるまで取り除いている」として、「汚染水」ではなく「処理水」と呼んでいるが、核燃料に直接触れた汚染水には当初段階で210種類もの放射性核種が含まれるといわれ、これは通常運転している原発から排出されている水とはまったく異質のものだ。多核種除去装置ALPSで除去できるのはそのうち62種類、さらに海洋放出前に基準値未満であることを確認するのは30種類にすぎない。
2018年には、ALPSで浄化したはずの汚染水約89万㌧のうち、8割超にあたる約75万㌧が基準を上回り、一部のタンクでは、ストロンチウム90などが基準値の約2万倍にあたる1㍑あたり約60万ベクレルの濃度で検出されている。他の百数十種類もの放射性核種については、最初から測定対象にもなっていない。
政府や東電は、IAEAのお墨付きを得たとして、「人体や環境への影響を無視できる程度にまで希釈する」ため安全性の問題はクリアしたとし、「残るのは風評被害のみ」であるかのように振舞っている。だが経産省が安全性評価の根拠とするトリチウム濃度は1㍑当りの数値にすぎない。10分の1に薄めた汚染水を10倍流せば同じであることは小学生でもわかる道理だが、政府は事実上無限に流すことを前提にしているため総量という概念を捨て去っている。どれだけの総量を流すのか「わからない」としながら、「影響は無視できる」という非科学的な説明で、地元や漁業者、世界に対して「納得しろ」という不誠実な態度が批判されている。
上位輸入国が輸入規制 中国・韓国・台湾など
この海洋放出決定に最も強く反発しているのが中国で、中国外交部の報道官は23日、「中国は、日本が誤った(海洋放出の)決定を撤回し、放射能汚染水の海洋放出計画の強行をやめ、周辺隣国と誠実に善意をもって意思疎通を図り、責任ある方法で汚染水を処置し、世界の海洋環境に予測不可能な破壊と危害を与えないよう強く促す。日本が海洋放出計画を強行するならば、中国政府は必要な措置を講じ、海洋環境、食品安全、公衆の健康を断固として守る」とのべた。また「覆水盆に返らず。われわれは2023年8月24日が海洋環境にとっての災いの日になることを望んでいない。日本がひたすら自分の考えで突き進むなら、それによってもたらされる歴史的な責任を負うことになる」と強く非難した。
日本の水産物の輸入国・地域(2021年、水産庁統計)の上位は、香港(22・1%)、中国(19・6%)、米国(14%)で、この3つの国・地域だけで全体(総額約3000億円)の5割以上を占める。国別では、香港を含む中国が最大で、全体の40%以上を占めている。次いで、台湾(8・9%)、タイ(6・8%)、ベトナム(6・1%)、韓国(5・8%)と、アジアが中心だ。
海洋放出決定を受けて、中国は、宮城、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、長野、新潟の10都県を対象にほぼすべての食料品の輸入を停止していたが、放出を開始した24日からは日本産水産物の全面禁輸を表明した。(10都県以外の果実、野菜、茶葉、薬用植物には、産地証明書と検査証明書が必要だが、検査項目が未合意のため実質上の禁輸)
最大輸出先の香港も24日、10都県からの水産物の輸入禁止を発表。6月中旬以降は、日本から輸入された食品に対する放射性物質の検査を強化し、対象を日本のすべての水産物に拡大した。香港政府トップの李家超行政長官は22日、「30年にわたって大量の核廃水を放出するという前例のない決定は、食の安全へのリスク、海洋環境への汚染を考慮しない無責任なものだ。強く反対する」とし、「ただちに輸入規制の措置を発動するよう、関係部署に指示した」とSNSで明かした。
韓国は、青森、岩手、宮城、福島、茨城、栃木、群馬、千葉の8県を対象に水産物の輸入を停止し、その他の地域についても検査証明書の提出を義務づけた。韓国政府は政治的判断で海洋放出には理解を示したものの国内では反発が強く、「すべての国民が安心だと感じるまで(輸入規制は)維持する」と改めて強調している。
その他、ロシア、マカオ、台湾などでも輸入規制(検査証や産地証明の義務付けなど)がおこなわれている。フィリピンや太平洋諸島諸国などでも反対の声は根強い。政府が「科学的に安全性が証明された」「輸入規制は風評被害だ」といえばいうほど、逆に信頼が遠のいているのが現実だ。
太平洋諸国も懸念表明 「海を核のゴミ捨て場にするな」
また、ウッズホール海洋研究所を含む100以上の海洋研究機関で構成する全米海洋研究所協会(NAML)は声明で、「私たちは、各タンクの放射性核種含有量に関する重要なデータがないこと、放射性核種を除去するために使用される高度液体処理システム、そして汚染された廃水の放出にさいして、“希釈が汚染の解決策”という仮定を懸念する。東京電力と日本政府が提供したデータは不十分で、不正確だ」と批判。
また「放射性廃棄物を安全に封じ込め、貯蔵し、処分するという問題に対処するためのあらゆるアプローチが十分に検討されておらず、海洋投棄の代替案は、より詳細かつ広範な科学的厳密性をもって検討されるべきである」とし、「私たちは日本政府に対し、前例のない放射能汚染水の太平洋への放出を中止し、海洋生物、人間の健康、そして生態学的・経済的・文化的に貴重な海洋資源に依存する地域社会を守るための他のアプローチを、より広い科学界と協力して追求するよう強く求める」としている。
また声明のなかでは、「蓄積された冷却水廃棄物に含まれる放射性核種の多くは、半減期が数十年から数百年におよび、その悪影響はDNA損傷や細胞ストレスから、アサリ、カキ、カニ、ロブスター、エビ、魚など影響を受けた海洋生物を食べた人の発がんリスク上昇にまでおよぶとされている。さらに、高度廃液処理システムが、被災した廃液に含まれる60種類以上の放射性核種(その一部は人を含む生物の特定の組織、腺、臓器、代謝経路に親和性を持つ)をほぼ完全に除去できるかどうかについて、重大なデータがない」とものべている。
中国・清華大学の研究チームが発表した長期マクロシミュレーションでは、福島原発から汚染水を海洋放出した場合、汚染水は約240日で中国の沿岸海域に到達し、1200日後には北米沿岸に到達するとともに北太平洋のほぼ全域に広がることが明らかになっている。その結果から、「汚染水放出後の初期には、主としてアジア沿岸への影響を考慮すべきだが、後期には、北米沿岸海域の汚染物質濃度が東アジア沿岸海域の大部分より高い状態が続くため、北米沿岸海域が受ける影響に重点的に注意を払う必要がある」と指摘している【下図参照】。
また、ドイツのキール大学のヘルムホルツ海洋研究センターも福島原発事故後の2012年7月6日、福島第一原発からの放射能汚染水の海洋拡散シミュレーションを発表している。セシウム137のみを対象にした短期(数週間)のシュミレーションだが、放出日から57日以内に放射性物質が太平洋の西側区域に拡散し、2年後には米国の西海岸付近がもっとも汚染され、10年後には全世界の海域に広がると試算している。
太平洋の16カ国及び2地域からなる太平洋諸島フォーラム(PIF)の専門家たちは、東電がごく限られた一部のタンクからサンプル水を測定し、ごくわずかな種類の放射性物質しか測定していないことを批判。「東京電力のソースタームに関する知識、貯蔵タンク中の特定の放射性核種についての情報は、極めて不十分」「東京電力の測定方式は統計上不十分であり偏りのあるもの。統計上信頼できる推定値を提供できるものとして設計されているようにさえ見えない」と痛烈に批判している。
太平洋諸島フォーラムは、日本が海洋放出決定を発表する前から「(福島第一原子力発電所事故による環境への影響について)太平洋へのいかなる潜在的な被害に対処するために必要なあらゆる措置を講じる」よう日本に求めてきた。太平洋諸国は、太平洋における核実験やそのための健康被害を強いられた負の教訓から南太平洋非核地帯条約(ラロトンガ条約)を締結し、「何人によるものであれ、放射性廃棄物その他の放射性物質の投棄を防止」し、「南太平洋非核地帯内のいかなる場所においても、何人によるものであれ、放射性廃棄物その他の放射性物質の海洋での投棄を援助または奨励するいかなる行動も取らない」と法的に定めている。
PIFの専門家や事務局は、原発推進機関であるIAEAがトリチウムの放出規制に消極的であることを批判し、岸田政府に対して「フォーラム議長と首脳に対し、すべての当事者が安全であることを確認し、信頼と友好の精神に基づく関係に合意するまで、日本はALPSの核廃水処理水を排出しないこと」を求めていた。
日本政府は、これらPIF専門家パネルメンバーからの指摘の内容や、政府や東電の回答について公表を避けている。
これら各国の対応は、日本政府が誰もが納得する科学的裏付けもなく、十分な説明もないまま海洋放出に踏み切ったことに対する批判や自己防御策であり、これを日本政府が「風評被害」「嫌がらせ」で片付ける以上、世界からの信頼回復は見込めない。そもそも地震列島に原発を林立させたあげくに大事故を引き起こし、そのゴミまで太平洋に流すことを歓迎している国など皆無なのだ。それにより大打撃を受けるのは福島をはじめとする全国の水産業であり、実害を被るのは日本国民を含む世界の人々にほかならない。
国内外から提案されてきた他の選択肢を省みずに強行した汚染水放出は、事故当事者である東電や一部の利害関係者の利益を守るため以外のなにものでもなく、そのために世界を敵に回し、日本の食の安全と信頼を毀損するという愚かな政治体質を露呈している。汚染水の海洋放出を即座に中止・撤回し、意志決定プロセスに当事者や国民をまじえてゼロベースで論議をやり直すことが早急に求められている。