辺野古新基地問題を最大の争点にした沖縄県知事選(11日投開票)は終盤戦を迎えた。辺野古新基地反対を掲げるオール沖縄が推す現職の玉城デニー、辺野古推進の自民・公明が推す佐喜真淳(前宜野湾市長)、「辺野古埋め立て中止」「普天間の馬毛島移設」を唱える元衆議院議員の下地幹郎の三つどもえの選挙戦は、各社世論調査では「玉城リード」とされ、表向き現職優勢ムードで進行している。だが「自公の選挙はラスト3日が勝負」といわれ、いまだ予断を許さない。また、同日選挙となる県議補選(那覇市・南部離島部)、宜野湾市、本部町などの4首長選、24市町村の議員選も一斉に告示され、知事選を天王山に、沖縄県内は3種類の選挙が入り混じる騒乱となっている。選挙戦の様相とともに今回の選挙を沖縄県民はどう捉えているのか、現地を取材した。
長期化するコロナ禍、台風停滞、統一地方選という未曾有の条件下ではあるものの、今回の知事選は前回と比べて表面上静かな雰囲気が漂う。
翁長雄志前知事の急逝にともないおこなわれた2018年9月の前回知事選は、翁長前知事の遺志を継ぐ候補として急きょ玉城デニーが選出され、自民党が擁立した佐喜真淳と激しいデッドヒートをくり広げ、約1カ月の短期決戦で玉城デニーが史上最多の39万6632票を獲得、8万票差を付けて圧勝した。
それは辺野古に土砂が投入され、「オール沖縄」が名護市長選で敗北するという劣勢ムードが漂うなかで、アメとムチで県民を翻弄し、沖縄に新たな米軍基地建設を強行する日米政府に対する県民の島ぐるみの怒りが爆発したからにほかならない。その後の県民投票(反対72%)でも示された県民の頑強な力は、国と対峙する玉城県政の1期4年を支えてきた。
下地幹郎が加わったものの、実質前回とまったく同じ顔ぶれ、構図となった今回の知事選においても、その力関係は変わっていない。「玉城優勢」の背景には、覆すことのできない不動の県民世論がある。
さらに自民・公明が推す佐喜真淳は、辺野古問題に触れず「普天間の危険性除去」「県民の暮らし最優先」と主張した前回と違い、「辺野古埋め立て容認」を明言して正面突破を挑んでいる。
つまり「反対しても基地建設は進むのだから、国と協調して見返りをもらうべきだ」というもので、コロナで苦境にある地場経済の足元につけこみ、基地反対の民意や地方自治の原則を放棄させることを意味している。
西銘前沖縄担当相 予算削減して県政批判
だが使い古されたアメとムチになびく空気は乏しく、逆に反発を招いている。
佐喜真陣営の総決起集会で応援演説に立った西銘恒三郎前沖縄・北方担当相(沖縄4区)は「沖縄担当大臣として在職中、(玉城)知事さんは予算の要求にきた。コロナ禍が3年続いて観光関連業者の皆さん、あるいはさまざまな仕事をしている人がたいへん苦しんでいる。さらにロシアのウクライナ侵略で物価高騰に先行きが見えない。本当に苦しんでいるなかで、知事さんは148万県民の暮らしが県知事の肩に乗っかっているという重責を感じておられるのか。残念ながら迫力も気迫も感じられない!」と玉城県政を批判。
だが実際は、西銘代議士が沖縄担当相だった昨年12月、沖縄県が従来通り3000億円規模で要求していた沖縄振興予算を、逆に前年度から330億円削って2684億円とし、10年ぶりに3000億円を割った。さらに知事選を目前に控えた今年8月、岸田内閣は、来年度の沖縄振興予算(概算請求)を、前年度(同)から200億円少ない2798億円に削減。ここでも西銘代議士が「前年より100億円ほど引いたらどうか」と閣僚職退任まぎわに官邸に進言していた。「佐喜真が勝ったら年末の予算編成で増やせばいい」とあからさまに語っていたことが暴露されている。
県民の苦しみを知りながら振興費を削り、基地建設推進のための脅しの具にすることに県民の怒りは強く、「沖縄選出の国会議員がやることか!」と激しく語られている。いくら「県民の苦しみは知事の無策無能によるもの」「国とのパイプで危機突破!」といっても、その内実が見透かされ、求心力は乏しい。
逆に「コロナがこれほど長引いているのは、県政以前に国政の無策無能によるものだ。これほどの物価高騰への対策もない。それなのに国葬に数十億円もつぎ込み、その話題一色になっていることが信じられない」(那覇市、自営業者)、「沖縄に対して強硬だった安倍首相が死去してから、フタをしていた統一教会問題やオリンピック汚職も摘発され始め、強権を振るってきた側が追い詰められている。これこそ天罰だ」(浦添市、女性)とも語られ、国策に翻弄されてきた県民の反撃機運は勢いづいている。
また佐喜真本人を含む自民党と統一教会との黒い癒着が話題となり、以前と比べて党本部からの応援が少ないことなども「壺関係者ばかりで逆効果になるからでは?」と語られている。
宜野湾市 基準値30倍の土壌汚染
知事選ではどの候補者も「普天間基地の危険性除去と早期閉鎖返還」を第一に唱えている。基地問題は中心争点であり、佐喜真陣営はそれを理由に「辺野古(移設)推進」を唱え、玉城陣営は「国が(返還の)約束を守るべき」とし、下地陣営は「馬毛島(鹿児島県)に移転させる」と唱えている。
ちなみに下地陣営は参政党の一部から支援を受け、同じオレンジ色をイメージカラーに「国に頼らない沖縄」「沖縄ファーストの新プラン」など保守層の反自民票や無党派層をとり込む自己アピールに熱を上げている。本人曰く「自分の夢」のためにやっているらしいが、誰もついて行っていないのが現状だ。
普天間基地を抱える宜野湾市内を回って意見を聞いても、辺野古新基地ができれば普天間が返還されると考える市民は乏しく、同じ沖縄県民に新たな苦しみを与える辺野古新基地建設にもろ手を挙げて賛成する市民もいない。むしろヘリの墜落や学校への部品落下に加え、米軍基地から半世紀にわたり垂れ流されている有害の有機フッ素化合物PFAS(ピーファス)・PFOS(ピーフォス)による深刻な土壌や地下水汚染が解決策なく放置されている現状に強い怒りが語られている。
普天間基地に隣接する店の女性店主は、「沖縄国際大学にヘリが墜落したのが2004年だが、普天間ではその後も部品落下事故があいついでいる。基地撤去が私たちの願い。それを一歩でも前に進める政治をしてほしい。子どもたちが野球をしていてボールが基地フェンスをこえてしまったとき、米兵は子どもに向けて銃を構えていた。近所のアパートに米兵たちが住んでいたときは、夜も危なくて歩けなかったし、あるときは買い物もしないのに3、4人の米兵たちが店に入ってきて、一人が入り口で周囲を見張っている様子だったので、恐ろしくなって携帯で大きな声で電話をしている素振りをしたら慌てて出て行ったこともあった。あれからは防犯ベルを店に付け、いつでも家族が駆けつけられるようにしている。私が小学生のときは、戦地に行きたくない米兵が子どもを誘拐したこともある。基地がある限りそんな危険と常に隣り合わせだ」と訴えた。
また「普天間の早期返還といわれるが、最近は夜10時、11時になってもヘリは低空飛行をして、騒音も逆に以前よりもひどくなった。子どもが普天間第二小学校に通っているときは、運動会の最中に米軍機が頭上を通過して、その影で運動場が真っ暗になったのを覚えている。最近は小学校の土壌でPFOSが基準値の30倍の濃度で検出され、水道水の汚染も懸念されている。市内の子どもたちは毎日ペットボトルのミネラルウォーターを持参して登校しているほどだ。でも公的な検査や健康診断などはされていないし、米軍に有害物質の使用を禁止させるような国の動きもない。そして、一番心配なのは、また戦争が起こるのではないかという不安と、そのとき沖縄が真っ先に狙われるのではないかということだ。どうすれば沖縄を戦場にさせないかを考えるのが日本政府の役割であるはずなのに、今の政府は沖縄を戦争の防波堤にすることしか考えていない。だから沖縄県民はみんな怒っている」と思いをのべた。
同じく普天間基地付近で商店を営む男性は、「普天間返還は橋本政府時代からいわれ続けてもう30年近くなるが、普天間基地が縮小や閉鎖される気配はない。アメリカにいわせれば力ずくに奪った占領地も同然で、まるで日本が中国や朝鮮でやった植民地統治をいまも続けているような状態だ」と語った。
「復帰当時、私は20代だったが、この辺りは識字率も低く、みんな貧乏で“日本に復帰したら裸足の生活に戻る”とさえいわれていた。50年で確かに生活は豊かになったが、今もいつヘリが住宅に突っ込んでくるかもわからないのが普天間だ。最近では普天間第二小学校に米軍ヘリの窓枠が落ち、保育園の庭にも部品が落下した。オスプレイが構造的な不具合によって米本国で飛行停止になっても、沖縄では関係なく飛んでいる。宜野湾では自民党が強く、商売人としては口外しにくいが、辺野古に基地ができても普天間を返還させるような力は今の政府にはない。この占領状態を変えない限り、問題解決はない」と苦々しく胸中を語った。
また宜野湾市民からは「普天間を返還させるというが、返還予定地には新しく米軍の軍病院が完成した。辺野古推進の枕詞にしているだけだ」(男性)、「宜野湾市内の水が米軍基地によって汚染されていることがわかっても調査も市民への説明もない。役所に聞いても回答がない。私たちはその水を飲み、商売にも使っている。宜野湾市の名産ターム(田芋)も普天間基地に隣接する畑で栽培されていて、土壌汚染は長年安全性にこだわってきた農家の努力をも踏みにじる事態だ。上に立つ人は形だけの抗議ではなく、米軍に対して強くあたってほしい。うやむやにできることではないし、弱腰では話にならない」(年配女性)など、横暴を極める米軍に対する怒りとともに国政への要望が口々に語られる。
宜野湾市では市長選が告示されたが、自民・公明の推薦を受けて再選を目指す現職の松川正則市長(佐喜真市長時代の副市長)が米軍関連の被害についてまったく動かないことへの批判が強く、「水や土壌汚染の解決策すら交渉できないのに、普天間の返還交渉ができるのか」と不信を集めている。
先月、子どもの健康に不安を持つ親たちなど市民グループがおこなった調査では、普天間第二小学校内の土壌から、米国環境保護庁が定める土壌から地下水への汚染を防止するスクリーニングレベル(38㌨㌘)の29倍にあたる1㌔㌘当り1100㌨㌘のPFOSが検出された。市担当課は「土壌基準が定まっていないので(市として)判断できない」と回答しており、松川市長は調査もしないうちから「(子どもたちのへの)影響は小さい」とのべた。
玉城県政は、土壌の汚染源特定と汚染拡大防止の措置をとるために米軍に立ち入り検査を求めているが、国や米軍の反応は鈍い。県に対しても、国の出方待ちではなく、早急に具体的対策を求める声が強い。
宜野湾市長選では、前回5000票差で落選したオール沖縄擁立の仲西春雅(元県高校PTA連合会会長)が「デニー県政とともに汚染問題を解決する」「安全な空と水を取り戻す」と訴え、世論調査で「接戦」といわれるまで現職を追い上げている。「(現職は)外に向かって普天間の危険をアピールするが、実際の危機には何も動いていないからだ」といわれる。
犠牲者の遺志継いで 思い強い戦争体験世代
戦争体験世代の知事選への思いはとりわけ強い。
女学生として沖縄戦の戦禍をくぐり抜けた那覇市の女性は、「いくら経済といっても命あってこそのものだ。私たちは飲まず食わずのなかで岩の水を吸いながら壕の中で沖縄戦を生き延びた。何よりも戦争を起こさないことを望む。親兄弟を振り切って従軍看護要員に志願し、軍の命令を信じていたが、最後は死地に追いやられてみんな惨たらしく死んでいった。自分の命を自分では守れなくなるのが戦争だ。戦後はおびただしい遺骨拾いと埋葬から始まった。今辺野古の埋立てに使っている土砂には犠牲者の骨や血が混じっている。一人の首相のために国葬までやるが、20万沖縄戦犠牲者の遺志は踏みにじられている」と語った。
「日本が戦争をして得るものなど何もないが、アメリカは遠くから新しい武器やミサイルを送って戦争をけしかける。ウクライナのようにならないためにも話し合いで解決する力を持つべきだ。岸田首相に本当に聞く力があるのなら、沖縄県民の声を真剣に聞きとるべきだ。そのためにも玉城知事に勝ってもらわなければ」と語気強く語った。
台湾で終戦を迎え、戦没学徒の慰霊を続けてきた男性は「辺野古新基地は70年使用、耐用年数200年だという。77年も占領されてきた沖縄に絶対に造らせてはならない。アメとムチなどに負けてはいけない。ウチナンチュの意地がかかっている」と激しくのべ、県内全域の知人に投票を呼び掛けていると話した。
また「日本のような島国は友好親善こそが基本。アメリカだけに頼って近隣国に敵対的な姿勢ばかりとっていれば一発でやられる。戦争状態になれば食料も途絶え、医療や介護どころではない。戦争を防ぐ調和を図るのが政治の役割だ。改憲だの、軍備5兆円だのという自民党は狂っている。砲弾の中を生き延び、やっと終戦を迎えた時の思いを忘れるわけにはいかない」と話した。
また、県内自民党の内情を知る宜野湾市の男性は「近年の沖縄での選挙には自民党本部が介入しすぎて、候補者も弁護士や歯科医などカネを持っている人間を優先的に擁立するようになった。異議を唱えた地元議員が“ならお前は2億出せるのか?”といい返されて腹を立てていた。知事選でも県内では“佐喜真では勝てない”といわれ、他の候補者を推す声があったが、最後は“党本部に最も忠実”が決め手だったという。要するに地元を踏み台にするのが今の自民党だ」と指摘した。
そして「玉城知事にしても沖縄の本気度が試される場面だ。日米安保容認という立場にとらわれ、既存の基地返還をいわないようでは足元をすくわれる。問題は辺野古だけではない。米中対立で沖縄を戦場にさせないためには中国に出向き、緊張の原因を引き出し、基地増強や南西諸島のミサイル配備についても根拠をもって反対するくらいの覚悟と行動が求められる。そのために保革を超えて県民の力を結集してこそオール沖縄ではないか」と語っていた。
■「沖縄県民の勝利を勝ち取る」 玉城デニー候補の演説
沖縄県知事選は投開票日(11日)までラスト3日の攻防に突入し、辺野古新基地反対を訴える玉城デニー陣営は7日、那覇市の県庁前広場で最終の街頭演説集会を開催した。集会では、知事再選を目指す玉城デニーをはじめ、オール沖縄が擁立する首長選や県議補選の候補者が登壇し、新基地建設阻止を中心に掲げ、今回の選挙を平和な沖縄を将来に残すための正念場と位置づけて有権者と決意を共有した。以下、集会での玉城デニー候補の演説を紹介する。
◇ ◇
誰一人取り残さない、沖縄らしいチムグクル(真心)のある世の中を、沖縄の未来を創っていきたい。
今日はあえて政策の話はしない。大勢集まる集会はこれが最後であり、明日から熾烈な三日攻防に入る。県知事選、県議会補欠選、そして11日に投開票がおこなわれるすべての市町村議会議員選挙で、われわれの仲間全員の当選をしっかりと勝ちとりたい。
2009年に沖縄県第3区から初当選させていただき、4期9年衆議院議員として仕事をさせていただいた。国会に行けば、選挙のたびに国会議員たちは「デニーさん、選挙にお強い」という。とくに政権与党の方々は「なぜそれほど選挙に強いのか?」といわれる。選挙に強いということは国会議員にとっては勲章以上の力を示すことになるからだ。
沖縄県知事選において政府を相手に選挙に勝つという意味を、皆さんしっかり噛みしめてほしい。だから私は、今回も選挙に勝ちたい。勝って、これが沖縄県民の力であり、民意であるということを堂々と政府に申し上げたい。今回の県知事選挙が持つ意味はそこにある。
ただ勝つということだけではない。もう一度、デニーが勝つ。デニーを勝たせる。勝たせるのは誰か? 皆さんであり、県民お一人お一人だ。そのことをもう一度噛みしめてほしい。
私は、政策ではなく、皆さんのこの気持ちが、この選挙の結果をつくるということをもう一度確認したい。玉城デニーがどんなに地域で訴えても、訴える力には限界がある。どんなにグータッチをしても、その人数には限りがある。しかし、お一人お一人が、今度の県知事選は絶対に勝たねばならない、県議補選も絶対に勝たねばならないという気持ちを噛みしめて、勝つための行動、電話をかける、声をかける、この一人一人にしかできない行動をしっかり繋げていくことによって、皆さんの勝ちたいという気持ちが9月11日に形となる。そして、沖縄県民の民意は1㍉たりともぶれていないということを示していこう。
私は約束する。私の勝利は、玉城デニーの勝利ではない。皆さんお一人お一人の自分の名前に置き換え、“私が勝った”ということを信じてもらうことだ。あなたが勝つ、みんなが勝つ。一人一人が勝てば、全員が勝ちとることができ、玉城デニーという人間に託して、沖縄県政の未来のための4年間、政府に対して辺野古新基地建設反対の民意を突きつける四年間とする。絶対に諦めない。諦めないことこそが勝つことだ。勝つのは皆さんだ。県知事選、県議補選、そして今僅差で相手候補の肩に手が届いている宜野湾市長選挙を含めてみんなで勝ちに行こう。
今回投票してくれる18歳の初めての一票も、歳を重ねた皆さんの何度も投票してくださる一票も、私は絶対に大切にしたい。大切にする皆さんの、その勝利に、全身全霊で報いていきたい。みんなでその気持ちを確かめる集会にしよう。ぜひ一緒に、一緒に勝ちましょう!