日本壊滅の危機をもたらしている福島第一原発事故は、これまで隠されていた原子力発電の正体とともに、戦後政治の破綻をも暴露するものとなった。全国で「すべての原発を即刻廃止せよ」との世論が強まるなか、菅政府は、まだ福島原発事故の収束のめどもつかぬさなかにありながら、世界最大の原発大国であるアメリカ、フランス政府に泣きついて「CO2を出さない原発は必要不可欠なエネルギーであり、全廃論よりも安全性を高める論議が必要だ」などと火消しに躍起である。この顛末にもっとも怒っているのは、世界で唯一、原爆をまともに投げつけられた広島、長崎の市民である。2発の原爆を投下され、数十万人もの市民がむごたらしく殺された被爆国としての責任を放棄し、その被害を隠して日本中に原発を林立させ、それが破綻に至っても「原発推進」を叫ぶその醜悪な姿は、「国民をだまし続けて第二次大戦へと導き、国を破滅させた戦争政治の延長」だととらえられている。広島と並ぶ被爆地・長崎市民のなかでは、今こそ被爆の実相を全国に知らせるとともに、国を壊滅させ戦争へ導く政治を変える全国的な世論を喚起する必要性が語られている。
放射能で次々に死んだ肉親
日本は、人類史上唯一の原爆を頭上に投げつけられた被爆国である。原発の原料であるウラン、プルトニウム、そして放射能がもたらす脅威については、チェルノブイリやスリーマイルを引き合いに出すまでもなく広島、長崎市民が嫌というほど経験している。
原子力発電は、第二次大戦中、原爆を開発するアメリカがプルトニウムを精製する過程で出る膨大な熱量を発電に応用したものであり、軍事技術の応用にほかならない。世界で唯一、それをまともに投げつけられたのが日本人であり、広島、長崎であった。ところが福島原発事故後、世界は被爆国でこのような事故が起きたことを衝撃的に受け止めているが、日本政府もマスコミも、学者たちも、広島・長崎の経験にはまるで箝(かん)口令を敷いたように一切触れない奇妙さを見せている。それは、被爆という日本民族の歴史的な経験を封殺し、切り離すことで日本中に原発を林立させてきた政官財・メディアがつくりだしたタブーであるからだ。
「起こるべくして起こった事故。原爆の恐ろしさを知っていれば、日本中に原発を建てることがいかに気違い沙汰であるか誰でもわかる。アメリカに媚びて原爆の経験をひた隠して、“原発は安全”だとだましてきたツケが今になって噴き出している」。14歳のとき、長崎市内で被爆した婦人(83歳)は冷静にそう語る。
「放射能で苦しんだこともない政治家、学者、アナウンサーたちが、自分は安全なところにいて“まだ安全”だの“人体に影響はない”だのと好き勝手なことをいっている。この国を指導する人たちは金で飼い慣らされて平和ボケして、本当のことがなんなのかもわからず、国民を守る意識すらもなくなっている。原発事故よりもそっちの方がよっぽど怖い」と語気を強めた。
「今回の地震や津波の被害はひどいものだが、それでも生き残った人たちさえいれば復興はできる。だが、放射能は、生き残った人間の体を生涯にわたってむしばんでいく。それは原爆を経験した私たちがよく知っている。被爆国でありながらそれを隠してきた国の責任は大きい」と話した。
66年前の8月9日、長崎市上空に投下されたプルトニウム型原爆は、TNT火薬2万1000㌧の巨大なエネルギーを放ち、爆発の瞬間最大30万度ともいわれる巨大な火球を出現させ、瞬時に全市が「熱炉」と化した。市内の3分の1が全焼し、14万人の市民が瞬時に焼き殺され、あるいは重傷を負って死んでいった。
「みんな人間の死に方ではない。津波どころではない生き地獄だ。男、女、子ども、年寄りも区別がつかない黒焦げの死体が散乱し、息のあるものも水を求めて川へ飛び込んで死んでいった。その後も、無傷の人たちが白血病や原因不明の奇病でバタバタと死んでいく。医者も原因がわからず、薬も食べ物もない。7人兄弟のうち、長姉は臓器に次次とガンを患い、2年前に両乳房のガンで苦しみながら他界した。妹は、40代で白血病を発症して幼い娘や息子を残して亡くなり、弟も60代で肝臓ガンで亡くなった。“戦争が終わって平和になった”といわれるが、私たちには苦しみのはじまりでしかなかった。それが原爆であり、放射能だ。それを知りながら我欲に駆られて原発をつくってきた政府や電力会社こそ痛みを味わうべきだ」と話した。
今も続く民族絶滅作戦 原発大災害重ね
被爆後の市内に家族を捜しに入った婦人は、「母に連れられて市内に入ると、ぞろぞろと人間に見えないほど焼けただれた人たちが幽霊のように歩いて行く。首がない赤ん坊を背負って必死で逃げていく母親もいたが、だれも教えてあげる余裕もない。私たちも死体をまたぎながら市内へ入った。原爆がなにか、放射能がなんなのかもわからないまま数日を過ごし、その後、数週間、家族全員が下痢が続き、脱毛がはじまった。母はそれからずっと病床に伏すようになり、最後は白血病と肝臓ガンを併発して9年後に亡くなった」という。
放射能障害は、急性の障害以外に、被曝線量が比較的少量で急性の症状がまったく出ないか、あるいはそれがまったく消滅したあとにでも白血病のようなガンが発生すること(晩発性障害)、また突然変異が子孫にあらわれること(遺伝障害)が明らかになっている。放射能影響研究所の調査でも、被爆から2~10年の間に白血病が急増(非被曝者の1・8倍)。10年後からは、膀胱、乳房、肺、卵巣、甲状腺、大腸、食道、胃、肝臓、皮膚などの固形ガンが年年増加する傾向にあり、現在もまだ増え続けている。
「白血病は、はじめに寒気がして咳が出るなど風邪と同じ症状になり、免疫力がないのでそのまま弱って死んでいく。なんの情報もなく、だれも放射能の影響とは思わないので当時は“肺炎”と診断されていた。私の同級生も次次に死んでいって“明日は我が身”の心境だった。主人も50年もたって体中に紫の斑点が出て、白血球が減り、最後は動脈瘤で亡くなった。兄弟5人のうち3人がガン、2人が白血病で死んだ。まともな死に方をした人は1人もいない」と語った。
「テレビは毎日、被災地で“悲しい”“どうしようもない”と同情を誘う報道ばかりするが、貧乏な国民から義援金をとるだけとって国は何をしているのか。そもそも原発は人災であり、国策で推進してきた国の罪は重い。長崎でも松浦(県北部)に九電が原発をつくろうとしたことがあるが、みんな原爆を知っているから大反対して中止させた。原発が安全だとか、クリーンだとか信じるものは長崎にはいない。これからまだ原発を運転するというのなら、許可を出す総理大臣や官僚が真っ先に放射能をあびて消火作業をしてこい」と怒りをぶつけた。
被爆二世の婦人は自らも乳ガンの治療中であることを明かし、「母は10年前に大腸ガンで、父は43年前に胃ガンで、胎内被曝の姉は、45歳で胃ガンと悪性リンパ腫でみんな死んでいった。戦後の日本は、アメリカの奴隷になって、一部の人間がもうけるだけで、あとは知ったことではないという政治が続いてきた。今回の原発事故でも、東大の学者も国会議員も自分たちがやってきた政治の結末をその目で直視してくるべきだ。国民には義援金だの手弁当でボランティアしろというが、自分たちの責任だけは棚上げ。戦争中の“大本営発表”と何一つ変わっていない」と語気を強めた。
爆心地から1㌔以内の長崎商業で被爆した婦人は、母親が全身ヤケドで苦しみながら亡くなり、自分も脱毛、歯茎からの出血が続き、甲状腺や心臓を患ってきたことを語り、「私たちは原爆の廃虚に残されたが、多くの犠牲のうえに生かされたことへの感謝、なにもなくても身代わりに死んでいった母や兄弟のことを思いながら、焼け跡の泥水を飲み、雑草を食べてでも生き続けた。“子や孫には二度と自分たちのような経験をさせぬ”という戦後出発は、日本全国同じだったはずだ」と語った。
「でも、日本政府はアメリカのいいなりになって戦争責任を放棄してきた。戦争中は、国民には“ほしがりません勝つまでは”といわせ、“一億総玉砕”といって殺しておきながら、自分たちはアメリカに従って国を食いつぶしてきた。アメリカも日本人を人間扱いせず、被爆者はモルモット同然の扱いだった。今回は、地震と津波による被害だったが、この政治を変えなければ日本人は原爆以上の惨憺(たん)たる地獄を見るようになると思う。アメリカは日本を植民地としか思っていない。この災害を機に日本人が目を覚まして、アメリカ式の利己主義を捨てて、国を立て直すために力をあわせなければいけない」と語った。
別の婦人被爆者は、「被爆後の長崎は、原子野と呼ばれるほど壊滅的な状況だったが、その焼け跡のなかで芋やカボチャを育てたり、豊富な海の幸があったからこそ立て直してこれた。電気や金がいくらあっても、食料がなければ人は死に絶える。国は、“食料は輸入すればよい”といってきたが、日本の戦後復興の経験を今生かさなければいけないはずだ」と強調した。
多くの被爆市民が思い起こしているのは、瞬時に十数万の命を奪った被爆の経験であり、国民を殺すに任せた日本の戦争政治、虫けらと見なして日本人皆殺し作戦を敢行したアメリカの占領政策が今も継続されていることへの怒りである。
原発災害が日本全国を壊滅させる事態に直面している今、320万人の犠牲を出した戦争、被爆の経験、そして戦後復興の苦労を伝え、これからの日本社会を根本的に立て直す論議を全国的に巻き起こすことが求められている。