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人を死に追いやる緊縮政策 れいわ新選組・長谷川ういこ氏が提唱する積極財政とは 下関市でのお話会より

 れいわ新選組の次期参議院選候補予定者である長谷川ういこ氏(比例全国区)が5 月29日、下関市生涯学習プラザでお話会をおこなった。長谷川氏は2020年に「グリーン・ニューディール政策研究会」を設立し、脱原発のとりくみや気候、環境経済の研究にとりくみ、これまでもれいわ新選組の政策立案に関わってきた。お話会では、れいわ新選組が掲げる積極財政の重要性と、日本政府が続けてきた緊縮政策がもたらす社会への悪影響について、自身の研究や過去の歴史などを示しながら参加者に訴えた。そして政策実現のための運動拡大のモデルとして、アメリカの若者を中心に拡大し、運動の代表者を議会に送り込んだ「サンライズ・ムーブメント」のとりくみについても紹介した。以下、長谷川氏の講演内容の要旨を紹介する。

 

◇               ◇

 

長谷川ういこ氏

 1997年、私が16歳の頃に京都で「国連気候変動枠組条約締約国会議」(COP)がおこなわれた。私はそこに高校生ボランティアとして参加したことがきっかけで環境の研究を始めた。大学・大学院では環境経済の研究をしてきた。その頃にチェルノブイリ原発事故が起きたが、当時環境研究の業界では原発問題に触れることはタブーであるかのような風潮があった。だが2011年の福島原発事故が起き「やはり反対の声をあげないといけない」と痛感し、原発反対の運動やデモをとりくんできた。また同年、エネルギー・環境の研究を目的としたNGOを設立した。

 

 2011年7月には、「脱原発と再生可能エネルギー」というイベントを京都の龍谷大学で開催した。そのとき、400人の参加者に紛れて当時俳優だった山本太郎代表も参加しており、そこで初めて知り合った。2012年には、福井県の大飯原発で再稼働反対のために現地で座り込みもやった。このような活動をとりくむなかで「政治を変えないと原発も止められない」という思いが強くなっていった。

 

 その頃ドイツでは緑の党が躍進し、日本でも緑の党が結成されるということで私も参加し、共同代表に選ばれた。2013年には初めて参議院選挙にチャレンジしたが、残念ながら議席は得られなかった。

 

 なぜ、私たちは負けたのか。なぜ、あれだけ原発を推進していた自民党が圧勝したのか。私たちには何が足りなかったのか。その当時、世界に目を向けてみると各国で「反緊縮」=「積極財政」を求める運動が巻き起こっていた。だが日本ではほとんど知られていなかった。私は「これだ」と思った。

 

 原発反対のためには経済政策も同時に訴えていかなければ私たちは勝つことができないと考えた。やはり原発も立地自治体のなかで一番貧しい地域に押しつけられる。格差や経済の問題があり、大飯原発も昔は船でしか行けなかったような場所に建てられている。

 

 反緊縮を学ぶために立命館大学の経済学者・松尾匡教授などと一緒に研究をしようと思っていた矢先に、山本代表も「自分も積極財政が必要だと思う」ということで同じ勉強会に参加して、一緒に4回の講座を開催して学んできた。このとりくみが今のれいわ新選組のスタートになっている。

 

新自由主義の体現者 医療ひっ迫招来した維新

 

 れいわ新選組の政策の根底には積極財政がある。だが、この主張は世間ではどちらかといえばマイナーだ。一方で、世間で主流となっているのは「国の借金が膨大で財政破綻する」「これ以上国はお金なんて出せないから財政削減する」だから「消費税を増税せよ」という主張だ。

 

 しかし、財務省はホームページのなかで「日米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルト(財政破綻の一種)は考えられない」とはっきりのべている。また、「国債を発行し過ぎだ」といわれる一方で、財務省は個人向け国債の宣伝ポスターまで製作して今なお売り込もうとしている。財政破綻などしないことを知っているのに「財政破綻する」といってどんどん緊縮財政を進めようとしているのだ。

 

 こうした「財政問題」をめぐる矛盾の根底には新自由主義の考え方がある。新自由主義とは英サッチャー首相や米レーガン大統領が1980年代から進め、世界的に主流になった。新自由主義の特徴は大きく3つある。

 

 1、緊縮財政によって財政削減を進める。
 2、民営化によって民間任せにして政府を劣化させる。
 3、労働者を弱体化させる。

 

 このような新自由主義の特徴をまさに体現しているのが、日本維新の会だ。「身を切る改革」をやった結果大阪がどうなっているだろうか? コロナの死者は全国ワースト。持続化給付金の配布などが全国でも一番遅かった。コロナによる医療ひっ迫時には深刻な看護師不足が起きた。これは、橋下徹氏が「公立病院の看護師の給料が高すぎる」といって担い手不足に拍車をかけたからだ。「緊縮」とは、結果的に人を死に追いやる。

 

 かつて「ギリシャは対岸の火事ではない」といって政府は消費税を増税した。だがこの論理は大間違いだった。2008年にリーマン・ショックが起きた。このとき世界金融危機が起き、ギリシャは危機に陥った。ギリシャはEUの共通通貨である「ユーロ」を導入しており、自国通貨がないため日本でいえば地方自治体と同じような立場だった。日本でも、地方自治体は自分でお金を刷れないため、財政がひっ迫すれば破綻することもありえる。これと同じように、ギリシャでは当時、金融政策が封じられてしまい、危機に陥っても自分たちではどうすることもできなかった。

 

 困ったギリシャはEUやIMF(国際通貨基金)や、ECB(欧州中央銀行)などで構成される「トロイカ」に助けを求めた。トロイカは新自由主義的な考えが主流であり、基本的に緊縮の立場だ。そのためトロイカはギリシャに対する支援と引き替えに、歳出削減、国営企業売却、消費税引き上げ、公務員の解雇・賃下げ、国民年金カット、医療費カットなどあらゆる緊縮策を押しつけた。

 

 当時のギリシャ首相は「国民は大きな犠牲を強いられることになる」といいつつ、これらのひどい緊縮策を受け入れた。その結果、国民の所得は4分の1も減少し、失業率は27%超、ホームレスが増加、自殺が増加、さらに公衆衛生が悪化してマラリアまで流行した。こうして多くの国民が追い詰められ、「緊縮財政をやめろ!」と大規模なデモが起きた。

 

 その結果当時の政府は退陣し、かわりに40歳前後だった急進左派連合のチプラス氏が首相となった。そしてチプラス首相が財務大臣に招聘したのが世界的経済学者ヤニス・バルファキス氏だった。バルファキス氏はギリシャに押しつけられた緊縮策をうち破るためにEU中を飛び回って交渉した。しかし最終的にチプラス首相がEU側の圧力に屈し、緊縮策を受け入れたため、バルファキス氏は辞任をよぎなくされた。彼は著書のなかで「不況のときに緊縮をすると、いかに多くの人たちが苦しみ、尊厳をなくし、死に追いやられるか。ギリシャを見れば明らかだ」と記している。

 

 同じ世界金融危機下で、ギリシャと同じようにアイスランドも金融危機に陥った。アイスランドは人口30万人ほどの小さな島国だが、「金融立国」と呼ばれるほど金融に力を入れていたため、リーマン・ショックで大打撃を受け、一気に危機に陥った。

 

 当時の首相もギリシャと同じようにIMFなどに支援を求め、民間銀行の借金返済に公的資金を使う法案を通そうとしたが、これに国民が大反発した。国民投票の結果93%が反対し、銀行への公的資金投入を拒否した。さらに借金返済を延期(拒否)し、金融崩壊の責任者を処罰した。そして危機下でありながら、医療・社会保障支出を増額した。その結果、ギリシャとアイスランドでは明暗がはっきりと分かれた。アイスランドでは自殺者の数は変わらず、幸福度指数は世界最高水準という状態が続いた。

 

 明暗を分けたものはなにか。ギリシャもアイスランドも外国から借金はしていたものの、アイスランドには自国通貨(クローナ)があったこと。そしてもっとも重要だったのは、トロイカや外国からの緊縮策を国民投票によって撥ねつけたことだ。「ギリシャは対岸の火事ではない」というが、ギリシャの事例から本当に学ぶべきことは、不況のときに緊縮をやっていては人は死んでしまうということだ。消費税は増税どころか減税しなければならない。私たちは歴史から学ぶ必要がある。れいわ新選組は「異端」などといわれることもあるが、むしろ私たちこそが世界の主流であり、正しい経済政策の王道だと思っている。

 

 「財政」への間違ったイメージを払拭していきたい。昭和恐慌のとき、当時の首相兼大蔵大臣であった高橋是清が今のれいわが主張しているような経済政策をやった。高橋は恐慌時に国債を日銀に引き受けさせて積極財政をおこない、世界で一番早く日本を恐慌から脱出させた。アメリカのケインズよりも早く金融政策をやったともいわれている。

 

 ここで、誤解されているのが、積極財政によって歯止めがきかなくなりどんどん軍事費が増えて暴走したといわれることだ。だが高橋はデフレを脱却した後、国家財政に占める軍事費が60%ほどまで上がっていたため、削減する方向へと舵を切ろうとしていた。だが軍部との対立もあり、二・二六事件が起きて高橋は暗殺される。その直後の内閣で大蔵大臣となった馬場鍈一の下で軍事費は80%にまで上がっていった。この時のイメージが強いためか、「国債発行は戦争への道」だといわれることもある。それはとくに戦争に反対し、平和を願う人たち、「左派・リベラル」と呼ばれる人たちのなかにとくに強い。だがその考えは間違いだ。

 

脱原発・脱炭素 企業の巨大事業に反対

 

 私が主にかかわっている問題は「脱原発」と「グリーン・ニューディール」だ。

 

 「脱炭素」は技術的には可能だ。太陽から降り注いでいるエネルギーは、私たち人類全員が1年間に消費するエネルギーの9000倍にも及ぶ。このようなエネルギーを利用するのが再生可能エネルギーだ。

 

 ただ、再生可能エネルギーを進めるにあたって、現時点では法律に不備がある。デンマークでは地元の人が出資して発電所経営に関わらなければ再エネを導入することはできないという法律がある。地元住民や地域の利益になるものとして再エネを導入するというしくみが必ず必要だ。外部から大企業がやってきて巨大な事業を持ち込むのでは、地元にとってはむしろ害になる。それについては私も大反対で、地元が納得して進めることが大前提だ。

 

 デンマークには1985年時点では国内に大規模な石炭火力しかなかったが、今ではエネルギーの小規模・分散化が進み、各地に小規模発電所が増えた。小規模・分散型の方が雇用も増え、災害時に強い。

 

 エネルギーの消費を減らすという政策も必要だ。電気需要がひっ迫する時間帯だけ、工場にお金を払って作業を止めてもらったり、あるいはピーク時に電気の使用を抑える契約を交わして夜間に使用してもらうなどの仕組みも必要だ。日本のエネルギー庁は福島原発直後、日本の電気をすべてLEDに変えると、原発13基分の電気を節約することができるという試算を出していた。電気の節約については、政策さえしっかりしていれば簡単に実現できる。だが、政府はやっていない。

 

 脱炭素を進めるために再エネを増やすということは非常に重要な意味を持つ。最近物価上昇が問題になっているが、これはエネルギー価格の高騰が原因だ。エネルギー価格が高騰する原因は、海外から燃料を輸入しているからだ。エネルギー価格が物価に反映されている。これを解決するには国内でエネルギーを生産し、海外の状況に影響を受けない条件を整備する必要がある。エネルギーの国産化は、経済安全保障においてもっとも重要だ。日本政府は原発事故後、エネルギー研究予算の8割を原発につぎ込んでおり、そこには政治的な問題がある。

 

グリーン・ニューディールの実現を求める若者たちの「サンライズ・ムーブメント」

 この政治的問題を打ち破るためのヒントとして、アメリカでグリーンニューディールを勝ちとるために若者たちがとりくんだ活動「サンライズ・ムーブメント」について紹介する。

 

 「ニューディール」とは、世界恐慌のときに米ルーズベルト大統領が復興のためにうち出した政策だ。大規模な公共事業によって公共投資をおこない、そこで失業者を雇用する。これだけでなく何千何百という公共政策を組み合わせ10年以上にわたっておこなった政策だ。「グリーン・ニューディール」も、総合的な公共政策を組み合わせており、中心となる3つの理念がある。

 

 1、大規模な投資による公共政策。
 2、新しい経済と政治を作っていく。
 3、あらゆる不平等と分断に立ち向かう。

 

 「サンライズ・ムーブメント」は、アメリカの10代、20代の若者たちが中心となって立ち上がり、「グリーン・ニューディールのためにたたかおう」と始めた運動だ。この運動を25歳で立ち上げたのがヴァルシニ・プラカシュという女性だ。彼女は世界でもっとも影響のある100人にも選ばれている。

 

 この運動のスタイルは、まず自分たちで作ったロゴやプラカードなどを使ってデモや抗議運動をする。それをビデオで撮ってツイッターやフェイスブックなどで発信する。それに反応してきた若者がいたら、全員に「ネット上でいいねやリツイートするだけではなく、あなたの地域で仲間を見つけて一緒に運動してください」と呼びかけ、運動のためのノウハウはすべて提供した。

 

 この呼びかけに応えて運動を広げる若者が少しずつ増え、次第に全米へと広がっていった。

 

 大きな力を得て組織化されたサンライズ・ムーブメントは、これだけで終わらなかった。彼らは「運動に共感してくれる政治家ではなく、草の根運動の一員のように登場し、議会で運動の唱道者となる議員を当選させる」という方針をうち出した。

 

 アメリカには共和党と民主党の2大政党があるが、共和党は温暖化懐疑論、新自由主義であるため最初から相手にしなかった。そして民主党議員に対しても、各議員がしっかりとした気候政策を持っているか、しっかりとした「グリーンジョブ」(環境への影響に配慮し経済的に存立可能な雇用)を生み出すのかを問い、さらに政界に多額のオイルマネーをばらまいている石油王たちからの献金を断るよう迫り、制約へのサインを求めた。そしてサインを断った議員に対しては、民主党内の予備選挙に対抗馬を立て、自分たちの候補を勝たせていった。

 

 その後、若者たちは真剣に選挙にとりくんだ。アメリカでは戸別訪問が許されているため、徹底的に戸別訪問をおこない、SNSでの発信も続けた。その結果さまざまな労働組合や市民運動と繋がり、自分たちの仲間を議会に送り込むことに成功した。その代表が「スクワッド」と呼ばれる若くマイノリティ(社会的少数者)である4人の女性たちだ。彼女たちはさまざまな記録を塗り替えた。スクワッドの一人、オカシオ・コルテス氏は最年少議員で、他の2人は初のムスリム系議員となり、もう一人はマサチューセッツ州で初めての黒人女性議員になった。

 

2018年、最年少で下院議員に当選したオカシオ・コルテス(中央)、史上初のイスラム教徒の下院議員となったイルハン・オマル(右)、ラシダ・タリーブ(左)

 オカシオ・コルテスは当選から数カ月後、議会にグリーン・ニューディール法案を提出した。結果的に否決されたが、アメリカ国内では「グリーン・ニューディールとは何なのか」「良いものなのか」と話題を呼んだ。そして民主党の大統領予備選挙では、バーニー・サンダースなどの有力候補がグリーン・ニューディールを公約に掲げるようになった。最終的にサンダース氏はバイデン現大統領に敗れたのだが、バイデン氏もサンダース氏側の支持を得るために、グリーン・ニューディールの名前以外、政策の中身はほぼすべて受け入れた。

 

 最終的にバイデン氏が大統領となったが、サンライズ・ムーブメントが大統領選挙に影響を与えたことは全米で知られることとなった。そしてバイデン氏は大統領就任後「子育て、教育、気候変動防止」に10年間で385兆円投資することも決めている。

 

世界で広がる反緊縮 共感を運動・組織化へ

 

 世界では新しい経済理論が広がっている。そのうちの一つが「ニュー・コンセンサス」(新しい合意)と呼ばれるもので、代表者はマリアナ・マッツカートという経済学者だ。彼女は新自由主義を打ち破った人として世界で知られている。これまでは「民間がイノベーションを起こし、政府が開発をおこなうのは非効率だ」といわれてきたが、それは違うということを研究によって明らかにした。

 

 例えば、アップル社のiPhoneも、もともと政府が投資して開発された技術を使ってアップル社が開発したものだ。彼女は「外注と民営化がすべてをだめにした。外注と民営化で公共サービスが劣化したり、政府の力が弱まった結果としてコロナなどに対応できない体制になってしまった」と指摘している。いまや彼女は世界中の政府のブレーンとして引っ張りだこだ。その彼女が、「グリーン・ニューディールは、ケネディ大統領が月面着陸のために政府、民間の力を総動員させて成功させた“アポロ計画”のようにとりくむべきだ」といっている。

 

 反緊縮経済理論にはさまざまな派閥があるが、そうした業界の中心となる経済学者の多くが「グリーン・ニューディールこそが政府のミッションだ」と訴えている。今後世界各国で公共政策の柱となっていくだろう。

 

 ただ、グリーン・ニューディールにも悪い面はある。大規模な産業構造の転換を急速におこなえば、必ず痛みをともなうことになる。例えば石炭から石油へとエネルギーが変わったさいには多くの地域で炭鉱が閉鎖され、失業者が出て地域も衰退した。これを放置していてはいけない。だからこそ「あらゆる不平等と分断に立ち向かう」という理念を持っていなければならない。原発で働いている人が路頭に迷わないように新しい職を用意したり、新しい職を手にするための訓練を用意したり、再就職までの給付を担保するなどの政策がなければ「公正な移行」は実現できない。誰一人とり残さないというのが基本的な考え方だ。

 

 こうしたなかで、「労働の価値を見直す」ということを進めていかなければならない。エッセンシャルワーカーの賃金は安いうえに重労働だ。適正な賃金を担保し、雇用の受け皿にしていくことを目指している。だからこそれいわ新選組は介護師・保育士の給料10万円アップを訴えている。女性がとても多い分野でもあるため、男女の経済格差是正にも同時にとりくむことができる。

 

 サンライズ・ムーブメントは、共感を現場の運動に繋げ、その運動を組織へと昇華させてその組織を使って選挙戦をたたかい、自分たちの仲間を当選させることに成功した。その結果、大統領に影響を与えるほどの力を持った運動になった。その背景には「グリーン・ニューディールで、気候危機と格差・貧困・差別に立ち向かう」という明確な目標があった。それを実現させ新自由主義をうち破るために、反緊縮経済理論を使って自分たちの経済政策をうち出し、自分たちのグリーン・ニューディールを作り上げた。

 

 10代、20代の若者たちにできたのなら、私たちにも実現可能だ。れいわ新選組の活動も似た部分があるし、共感を運動に繋げ、組織にしていく活動をやっていかないといけない。

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