れいわ新選組の山本太郎代表は、衆院選後の11月半ばから有権者との対話をメインにしたお話会の全国ツアーを展開している。13日の札幌を皮切りに、仙台、横浜、千葉、さいたま、東京・永田町、名古屋、大阪、明石、京都、広島、23日には下関で実施。24日から福岡市、高松市、金沢市、長野市まで連日おこなった。衆院選の成果を共有するとともに、再来年の統一地方選への挑戦も視野に入れ、来年の参院選に向けて、各地のボランティアと結びつきながら、国政の場でたたかっていく決意をのべた。対話形式でおこなわれた各地のお話会での主な論議(要約)を紹介する。質問者のカッコ内は開催地。
質問(仙台) 東北での衆議院選結果の評価については?
山本太郎 私たちには目に見える組織は何もない。大企業や宗教団体、労働組合などの応援を受けたり、地方議員がいるわけでもない。地方都市に基盤がないという状態のままで2年間、ボランティアのみなさんがそれぞれができることをやってきた。それは、これまでのように限られたメニューの中から強制的に選ばされるような時代から、一緒に作り上げていく、育てていく時代へという新しい営みだ。
基礎票を読めるものでもなく、それらが一切可視化されないというなかで、多くの予想はゼロもしくは1議席がやっとでは? というものだったが、フタを開けてみれば3議席だ。この東北でも前回と比べて得票が増えているにこしたことはないが、基礎組織もなく、しかも事実上、2年間メディアに露出できる場からは干され続けたなかで、前回参院選に比べて5000票程度しか減らなかったという結果は上等だと思う。
他党からすれば信じがたいことだ。それぞれ地方組織というものを維持しながらやっているなかで、一人一人の行動というものが私たちの得票に繋がっている。だから大幅に得票を減らさなかったというのは奇跡に近いし、その奇跡をもたらした力は社会を変えたいと思う一人一人の市民の行動であり、そういう方々に私たちは託されているという思いを強くしている。
野党共闘のあり方とは 山口4区をめぐって
質問(下関) 私は女性が会長になった連合傘下の組合(立憲民主系)がある職場で働いているが、衆議院選では組合としてれいわを応援するとか、選挙があるということも知らされず、れいわ候補者はおろか選挙があることすら知られていなかった。れいわには働く人のための組織になってほしい。連合についてどう見ているか?
山本 私は連合の代表が誰であっても、政治が連合を忖度するというのはおかしいと思う。連合は一部労働者の代表なのだから、そういうグループの方々と何かしらの話し合いがされたり、親交があるということはあっていいと思うが、グループから政治がコントロールされるようなことがあってはならない。そうなれば経団連と自民党の関係と同じだからだ。
資金を提供してくれ、選挙を手伝っているということでコントロールされるのであれば、別に自民党でなくても経団連という党でいい。なにかしらの便宜を図ってもらっているということで、いいなりとまでいかなくても、かなり多くの部分で影響を受けるということ自体が不健全だと思う。
つまり、政党として自分たちの政策があり、何がやりたいのかという自分たちの意志がまず最初に立たなければならないはずだ。それが外部から何かいわれるからといって右に行ったり、左に寄ったり、フラフラするのはよくない。
その連合がれいわ新選組の選挙を手伝うことはおそらく難しいかもしれない。私はかつて口を荒らして「労働者の敵みたいな奴ら」といったことがある。だが、一括りに連合といってもいろんな労働組合の集まりであると考えるならば、そのなかに私たちの考え方に近かったり、力を合わせていける方々もいらっしゃると思うので、今は間違いだったと思っている。
だが、そもそも野党共闘というものに関しては、形だけのものだったというのがほとんどだと思う。候補者の調整というものに一番の重きが置かれ、統一候補が決まれば、候補にならなかった政党の人たちもその統一候補を応援するために何ができるかということを考えるのが本当の野党共闘であると思うが、おそらく山口四区にはなかったんだろう。他の地域でもやはりそこまでなかったかもしれない。
街宣をやるときにマイクを握るとか、自分自身がどのポジションに就きたいというような争いはあったとしても、実際に選挙で地べたを這うように支持を広げていくために、選対のなかでボランティアと繋がり、自分たちの選挙と同じように汗を流してくれたという話はほとんど私の耳には届いていない。連合がというわけではなく、その他の政党も自分のことで精一杯だったのだと思う。
ここ山口四区は、どの政党も初めから候補者を立てる気がないという状態で、竹村かつし(れいわ公認候補)が立つことによって「れいわさんが出してくれて助かる」という意見をかなり前にもらった記憶がある。なので初めから野党統一候補という建て付けで私たちは扱われていない。
それどころか選挙が始まる2週間前、立憲民主党の方から「自分たちもここ(山口四区)に候補者を出したい」という打診があった。だから「れいわは安倍さんのお膝元で野党統一候補として出してもらえているじゃないか」という空気も一瞬あったが、とんでもない。そんな話ではない。
こういう事態に陥るというのは、事前の話し合いが何年にもわたって綿密に組まれたものでなく、選挙開始ギリギリになってドタバタと、なんとなく妥協の産物みたいな形で進んでいったからだ。強いところを勝たせるために、弱いところが泣く泣く候補者を降ろす。私たちも4割の候補者を降ろした。
そんな状態で有権者に野党が塊になってどういう社会を作るのかなどアピールできているはずがない。そう考えるならば、選挙に対して興味が広がることも薄いだろうし、投票率が5、6%程度上がったくらいで社会が大きく変わるようなものでもない。
だから選挙があることすら知らない人たちがいるのも当然だと思う。みんなが期待する選挙というものに到底到達できなかったのが今回の野党共闘ではないかと思う。
質問(下関) ポスターで竹村さんを知っていても、衆院選候補者であることを知らなかったり、広げきれなかった私も悔いが残っている。衆院選に安倍さん以外に出る人がいることすら知らないというのが、この街、私の会社の現状だったこともお伝えしたい。
山本 「誰が選挙に出るのかも知らなかった」というのは、山口四区のみならず全国的にある話だと思う。それくらい政治に対する関心も薄いという部分もあるし、どちらかといえばかかわりたくないとか、諦めたとか、そもそもどうでもいい…という方がまだまだ多いんだろうと思う。まだまだ伸びしろが多いと私たちは捉えている。
もう一つは、安倍さんが出るということで、どうせ選挙に行っても一緒だろうという諦めの部分。ここに関しては一夜にして手にしたものではなく、長年にわたりいろんな地域において仕事やカネをしっかりと繋げてきたという自民党の努力によって今の自民帝国が築かれている。絶対的王者として君臨しているところに、それをひっくり返すことは一度の選挙では難しい。そういう結果だった。そこをどう攻略していくのかと考えると、やはりもっと地べたから戦っていかなければいけない。
維新のように毎日テレビに取り上げられたら楽勝だが、そうではない。私たちに与えられた状況は、水面下でちょっとずつ広げていくということになる。でもこれは決して負けないし、逆に言えば、だからこそ勝てる。私たちの5議席は他党の議席と比べものにならない。流れた汗が違うし、価値が違う。ここから加速させていきたい。
そうなると来年の参議院選だけでなく、再来年の統一地方選で、より地域で支持が広がるような候補者の活動がどれだけできるかということにかかってくるのではないか。私たちはまだスタートして2年だが、ここからが本当の私たちの勝負なんだろうと思っている。
国会内での勢力拡大も 市民がコントロールを
質問(埼玉) 「政治は数」が当たり前になっているなかで、近い将来れいわ新選組の理念に賛同する人たちで新党を旗揚げする可能性はあるか? 積極的に働きかけていく考えはあるか?
山本 「政治は数」というのは本当は乱暴な話だが、「政治は数ではない」といえる社会ではなくなっている。数にものをいわさなければどうにもならない状況になっている。多数派が少数派の意見もくみとって政策に調整を加えたり、少数派に配慮して発言機会を増やしてあげるというようなものはほぼない。
それを考えるならば、市民の力で5議席をとれたことは奇跡に近い話ではあるが、残念ながら700人をこえる国会内では最弱に近い状態だ。その状況を変えるために他の人と手を組めるのなら組んだ方がいいに決まっている。だが、その目的は何かが重要だ。組むことによって何が獲得できるのかを見ながらやっていく必要がある。
例えば国会の活動は、参議院と衆議院ではまったく違う。参議院は上院であり、もとは貴族院なので、職員も議員に丁寧に対応や説明をする。「困りごとはないですか?」というフォローがあるが、衆議院は野放しだ。「聞きたいことがあれば自分で聞きに来てね」という姿勢だ。
例えば、私がもといた参議院では、所属していた内閣委員会、厚生労働委員会、文教科学委員会などのメインの委員会のほかに、重要テーマについてもうけられる特別委員会に少数政党でも滑り込めたが、衆議院では入れてもらえない。
常任委員会でも、委員会開催前に理事会が開かれ、各党の理事によってテーマや日程について打ち合わせがされ、理事会の決定で次の委員会が決まるという建て付けだが、私たちのような小規模グループは理事会にも入れない。
それでも参議院では理事会にオブザーバーで参加でき、議決権は持てないが意見はいえた。ところが衆議院では、オブザーバー参加はできるが発言権も議決権もない。無茶苦茶だ。衆議院で3議席とれたことは非常に大きなことだが、実際には3議席だけで活動するにはかなりの制約もあり、やれないことが多い。
もちろん与えられた力でどこまでできるかを追求するのが当たり前だが、例えば院内での活動の幅を広げたり、発言時間を長くしたりするためには会派を組むことも必要だろうと思う。何かの法案をめぐって、意見は違うが、ちょっとでもマシになるんだったら一緒にやるということも考えられる。
5議席以外の違う人たちが合流して来ることも拒否しなくていいと思う。だがまだ五議席しかないところにわざわざ流れてくる変わり者はほぼいない。やはり二桁台に乗せなければいけない。
議員数が二桁になれば、衆議院の本会議で壇上に上がって発言ができたり、たとえ10人に届かなくても予算委員会のようなテレビ中継が入る場所で発言ができたりする。だからもう一踏ん張りで、来年の参議院選で二桁を目指したい。
れいわ新選組は、屋台村のようにそれぞれの得意分野や意見を尊重しながら運営している。「自分のいいたいこともいえない」と感じている他党からの合流も拒否しないし、そのように自由度が高いところが力を持った方が政治はおもしろくなると考える。
政治家にとって一番のテーマは、そのグループにかかわって選挙に勝てるか否かだ。不自由があっても、大きな政党の方がお金や選挙体制の面でなにかしらの得があると考えるからだ。
でも私はこれは変えられると思う。今回の選挙でも、これまで投票に行くだけだったり、見ているだけだった人が、もう一歩踏み込んで選挙を中心で回していく存在になってくれるというケースが増えた。選挙のたびに一人一人が一歩ずつ踏み込んで、具体的に活動していく人が増えれば、他からの合流を呼び込む力になる。他の党が連合に頭が上がらないのは、選挙の時に組織的に手伝ってくれるからだ。「市民の皆様のおかげで」と口ではいうが、多くの市民は選挙後はどこかに流れて行ってしまうからあてにならないと考えている。だからそのような団体、企業になびき続ける。
でも、れいわ新選組を支える人々には、日常的にも選挙の時にも動ける人たちが揃っているという状態になったとすれば、選挙に対して不安がなくなる。逆にいえば、市民の側に選挙のスキルを持った人が増えなければ、いくら候補者を立てたくても立てられない。市民が政治をコントロールするためにも必要なことだ。
一人でも多くスキルを持った人を増やしながら、前回よりも今回、今回よりも次回と一歩ずつ踏み込んで活動に参加して、選挙に対する知識や経験をみんなで共有していくという力が大きくなっていけば何も怖くない。自分が一票入れるだけではなく、あなたの選挙のために動くかどうかを決めるのは私たちなんだよ、という勢力が一番怖いのだ。
永田町がれいわ新選組の何を恐れているかといえば、完全ボランティアで選挙をやって少しずつではあるが議席を増やし続けている――この得体の知れなさだ。私たちの背景にあるのは、企業や組織ではなく、一人一人の人々の姿しかない。これが一番強いし、一番の脅威だ。だから向こうはこれを壊したいと考えている。でも、その力が増していけば、立ち位置が不鮮明な人たちも安心して合流してこれる。私が「一緒にやりましょう」「一緒に変えていこう」という理由はそこにある。5議席を勝ちとり、そこからさらに広げていくプラットホームだ。
文通費の問題について 真面目にやれば赤字
質問(横浜) 文通費問題をめぐって日本維新の会は、所属議員から党本部が全額徴収したうえでどこかに寄付をするといっているが、れいわの考えは?
山本 国会議員に対して支給される領収書のいらない月100万円の文書通信交通滞在費。いわゆる文通費が、10月31日の選挙で当選した議員にも、在職一日なのに満額支給された。維新が疑問を呈した。公務に関してかかる費用のために支出するそのお金が必要か否かといえば、必要に決まっている。
国会議員が雇う秘書は、公設第一秘書、第二秘書、政策秘書の3人の給与を国から出してもらえるという建て付けだが、これで仕事ができるのか? といえばできない。とても回らない。
例えば米国連邦議会では、下院では議員スタッフ(秘書)は常勤18人まで、非常勤四人まで雇えるし、年間1億円余りの資金が国から支給される。上院では、スタッフに人数上限がなく、年間2億~3億円が一つの議員事務所に対して支給される。日本とは大きな差がある。
政策立案をするにしても政治活動をするにしてもお金は絶対にかかる。地域によってはとてつもなく広い選挙区もあり、いくつも事務所を構えるなら資産がなければ事務所費用すら賄えない。
文通費をめぐる問題点は、何に使ったのか報告義務がないという問題と、たった1日で満額支給という二つがある。それぞれに議論が必要だろうが、そのようなルールでやってきた。私たちはルールにもとづいて使用する。問題があればそれをそれぞれが個別自主的に対処するのではなく、ルールに落とし込む必要があるだろう。
ただ維新の会は、副代表の吉村知事が以前、大阪市長選に出るために議員を辞職したときに在職1日で文通費100万円を受けとったまま辞めている。他人をおかしいという前に、まず自分がおかしいといわなければいけない。
私たちとしては、仕事をすればいいと思う。お金はかかる。確かに国会議員のなかには、これでマンションのローンを払い終わるとか、できるだけ政治活動をせずに貯めて返済に使う人もいるが、真面目に政治活動をやればやるほどお金がかかる。
私が参議院議員時代には3人の公設秘書以外にも2~3人私設秘書を雇って情報収集や質問作りをしていた。政治にお金がかかるのが当然であるなら、せめて使ったお金の使途を透明化していくことが重要だと思う。
質問(埼玉) 議員定数の削減論については?
山本 議員定数が削減されまくった後に何が残るか? 国会議員はより狭き門になり、一般の人はチャレンジできなくなる。資本家の代理人や、2世3世で地盤も看板も引き継いだ人しか議員になれない状況になり、市民側の政治家を誕生させることは困難になる。
逆にお金がかからない政治が担保されるべきだ。議員活動はむちゃくちゃお金がかかるからこそ議員の給料も高くなるし、経費負担をアシストするための文通費などがある。政治にお金がかからない状況が担保されるのならば必要ないが、今それらが削減されたら回らないのが現実だ。
閉ざされた国会、つまり一部の者しか行けない世界になれば、それは金持ちのための政治しかおこなわれないことになる。今でさえそうなっているのに野党側にもそのような考えの持ち主がいることは要注意だ。議員にかかるコストが問題であるならば、政治にお金がかからない体制を作ったうえで、議員数は逆に増やした方がいい。
それぞれの分野の当事者やその代弁者の人たちも国会に行きやすくなり、それぞれの問題について国会内で話し合えるような社会になっていかなければならない。
自民や維新が狙う改憲 殺伐とした社会作り
質問(下関) 選挙が終わったとたんに維新が改憲に前のめりな発言を始め、国民民主党もそれに乗ろうとする動きがある。立憲民主党の中にも、自民党の改憲草案に賛成している人がいるのか? 国民投票についても教えてほしい。
山本 憲法改正の中身についてどれだけの人が説明できるだろうか? 憲法とは、法律の中で最上位にある国の最高法規だ。憲法九九条によれば「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と定められており、権力側にいる人間が守らなければならないことになっている。権力者を縛るルールなのだ。
また憲法98条には「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」とある。要するに、法律をつくるときに憲法とかけ離れたものは絶対に作ってはいけないということだ。作られたとしてもそんなものは効力がないということだ。
ところが、この憲法が今守られているか? コロナが来る前から生活が「苦しい」「やや苦しい」と感じているのは、全世帯の54・4%、母子世帯の86・7%(令和元年度厚労省国民生活基礎調査)。日銀の調べ(平成29年度)では、貯蓄ゼロ世帯の割合が20代で61%、30代で40・4%、40代で45・9%、60代でも37・3%だ。
憲法25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という条文が守られているか? 健康であるだけでなく、文化に触れる生活が保障されているか?
また憲法13条には「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とある。高齢化社会といわれるなかで、高齢の親は家族で看ろと個別家庭の責任にされ、そのために仕事を辞め、親が蓄えたもので食いつないで親を看取った後、自分の人生はほとんど失ってしまっている現状がある。仕事もキャリアも捨てて介護に人生の多くを捧げなければいけないという状態は違憲状態だ。なぜ行政がもっとサービスしないのか。どうみても憲法はないがしろにされている。
なぜ憲法を守っていない連中が憲法を変えようとしているのか? 自民党もだが、一番面の皮が厚いのが維新だ。看板が違うだけで考えていることは同じかそれ以上にひどいものだ。
彼らは憲法をどう変えようとしているのか?
2012年に発表された自民党の改憲草案【表参照】では、現在の憲法21条(表現の自由)では「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」とあるが、自民草案では、その部分を一項とし、二項を新設し「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」としている。一項に現行通りの文言を残しながら、二項でちゃぶ台をひっくり返している。
文面を追えば当然のようにも読めるが、「公益」とか「公の秩序」を害していると誰が決めるのか? それは権力側が決める。権力にとって目障りなものについて「公益を害する」と決めてしまえば、れいわ新選組だって罰則の対象になりかねない。間違った権力の使い方をするような者たちがトップに立っているときに悪用される可能性が出てくる。
他にも、36条「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」とあるが、草案では「絶対に」を削った。つまり絶対ではなくなった。かつて政治的な発言をしたことで引っ張られて拷問され、言論が封じられた時代があったからこそ、その反省として「絶対に」を入れたのに、わざわざそれを削ったというのは、「禁止だけど例外もあるかもね」ということだ。
先ほど介護の話をしたが、生きていくうえでなぜ自助や共助がベースになるのか。政治がやるべきは公助であり、政治の力を使ってみんなを底上げして、いかに安定した暮らしを提供できるかを全力でやるのが国政の仕事であるはずだ。それがなされていたら、これほど介護殺人や老老介護、孤独死に至るまで追い詰められていないはずだ。
また、家庭生活における個人の尊厳を定めている24条では、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」とあるが、自民草案では「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」という新たな条文を加えた。最高法規である憲法は権力を縛る鎖なのに、道徳の教科書みたいなことが書いてある。つまり介護問題についても「自分ら家族で責任とれよ」「家族内で困ったことがあったら家族内で解決しろ、国に頼るな」という話だ。高齢化社会を政治として解決していく気などさらさらない。自民党草案はそんなもののオンパレードだ。
現実味帯びる国民投票 逆算して活動が必要
山本 衆院選で「憲法改正が最大のテーマ」などいっていただろうか?ほとんど争点にもなっていないのに、選挙が終わったとたんに憲法改正という言葉が声高に叫ばれている。数のバランスでいえば国会内では確実に通るからだ。
手続きの流れ【図参照】を見ると、衆参両院で可決した先には国民投票がある。国会と国民投票の二段階だ。国民投票では「賛成投票の数が投票総数の2分の1をこえた(過半数)場合」に憲法改正手続きが始まる。
私たちは憲法を一言一句変えてはいけないとは思っていない。それでは宗教の経典になる。必要があれば議論を重ねたうえで必要な部分の改正をするために議会がある。ただし憲法が守られていない状況で人々の生活が逼迫しているなかで憲法を変えるのは優先順位を間違えている。25年のデフレで貧困が拡大しているなかで、憲法を守る政治をする方が先だ。
国民投票になった場合の問題点としても、広告宣伝(テレビCM等)に関して制限がほぼ何もない。資金力がある陣営は無制限にコマーシャルを打てるし、テレビ番組も作れる。活動に対する寄付金や予算にも縛りがなく、24時間の活動が許されている。最低投票率も定められていない。
改憲賛成の方がお金は集まりやすい。経団連自身が「憲法変えろ」といい続けており、国会発議要件も「3分の2」ではなく、「2分の1」にハードルを下げろといってきた。武器など軍需に関するビジネスの幅を広げるため、集団的自衛権の行使を望んでいるからだ。それが彼らの本丸だ。
これに向かって大企業はお金を出すし、無制限にCMを流し、人気タレントを使った広告展開ができる。テレビを使った刷り込み・洗脳が好き放題にできる。
海外では、国民投票についてはメディア規制がある。過去60回国民投票をしているイタリアでは、テレビのスポットコマーシャルは原則禁止。ローカル局では回数均等の場合のみ許可。賛成派も反対派も同じ回数と定められている。日本の場合は資金力に任せて無制限だが、マスコミもメディアも特需になるので大歓迎している始末だ。
さらに、総理大臣の一存でなんでもできる緊急事態条項についても、「コロナで行動自粛を求めたのに出歩く人がいる」「憲法を変えて皆さんを守る」ともっともらしい理屈で進める可能性がある。現行法でも閣議決定でコロナを災害に指定すればできることなのに、海外のように金も出さずに自粛を無理強いしてきたのはそのためだ。
彼らにとってはこの緊急事態条項が本丸だ。簡単にいえば、総理大臣が「今から緊急事態」といえば、内閣が法律と同等の効力を持つ政令を制定することができ、総理大臣が財政上必要な支出その他の処分、地方自治体の長に必要な指示ができる。三権分立における立法府である国会を無視してルールや使えるお金を決め、地方公共団体も国の下部組織として動かすということだ。一気に独裁体制に持って行くのが緊急事態条項の中身だ。
これらは国会内の数の力だけで押し切れるものではない。国民投票がある。国民投票まで行ったら負けだと思っている時点でもう負けだ。間違いなく国民投票まで持って行かれるという覚悟を持ちながら、これから何をやっていくのかを考えなければこれはひっくり返せない。国民投票で最終的にはひっくり返せるから、それまでに何をやっていくかという逆算をみんなでやっていくことが現実的だと思う。
中小を搾るインボイス 力束ね廃止目指す
質問(千葉) 2023年10月からのインボイス制度導入によって打撃を受けるフリーランスや小規模事業者に対してどのような対策を掲げていくのか?
山本 消費税を廃止すればインボイスもなにもないが、廃止にするまでには時間がかかる。インボイスについて延期や修正などの意見もあるだろうが、あくまで廃止を求めていく。そもそも消費税は、社会保障に使われているのはほんの一部で、73%が大企業減税の穴埋めに使われてきたという不公平な税制だ。
それをさらに改悪して導入されようとしているインボイス(適格請求書)は、年間売上1000万円以下の消費税免税の事業者からも消費税を搾りとるためだ。これにより免税事業者は、免税事業者のままでいるか、課税事業者になるかの選択を迫られる。実質は免税制度廃止を狙ったものだ。
500万ある免税事業者は、請負業者、フリーランスなど弱い立場。個人タクシー、演劇、映画、出版関連、イラストレーター、音楽・英語教室、生命損害保険代理店、農家、建設(一人親方)など多岐にわたる。
売上1000万円以下の事業者に消費税の納税義務がないのは、免税点制度があるからだ。国会の議論では、昭和63年当時から「中小零細事業者への配慮」や「事務負担の軽減への配慮」とされている。
なぜ小規模事業者をそれほど守るのか? 国税庁の資料(令和元年分)を見ると、事業者の平均所得が425万円、給与所得者(サラリーマン)は436・4万円で、約10万円の差がある。さらに社会保障制度で比較すると、サラリーマンは労災や健康保険、育児手当などで会社に守られるが、個人事業主はほとんどなにもなく自己責任だ。
だから免税点制度は、体力の弱い中小零細事業者にとってセーフティネットでもあり、不合理でも不当でもない。
「預かった消費税を払わないのはネコババでは?」というが、それは違うことは裁判の判決でも確定している。東京地裁判決では「消費税分はあくまで商品や役務の提供に対する対価の一部」であり「事業者が過不足なく国庫に納付する義務を消費者との関係で負うものではない」といっている。消費税分は「預かり金」ではなく、対価の一部なのだ。
インボイス制度では、そのまま免税事業者になることも選択できるという建前になっているが、免税事業者と取引した場合は仕入税額控除が受けられず、以前よりも多くの消費税を納めることになるため、免税事業者との取引が敬遠される。
課税事業者にならなければ、自分の取引先が税控除を受けられなくなるが、課税事業者になれば事務作業は増大する。利益が小さいうえにさらなるコストがかかる。彼らの首が絞まることで社会にはもっとお金が回らなくなり、景気は悪くなる。
それで事業を諦めた人が労働市場に放たれ、より安い賃金で働く人たちが増えるから、資本の側はそれでいい。こんな無茶苦茶な資本の論理を前に進めてはいけない。ぜひお知り合いに「インボイスなんとか止めようぜ」という声かけをしていただきたい。500万いる中小零細業者と力を合わせることによってその力は広がって行く。
5割が力持てば変わる 選挙の経験を横に広げ
質問(札幌) 私は選挙にも行かなかった人間だが、れいわ新選組としてたたかってきた人間山本太郎としての思いを聞かせてほしい。
山本 選挙に行ったことがないといわれても私は怒りも軽蔑もしない。自分がそうだったからだ。「選挙行ってなんの意味があるの?」「選挙で変わってるならとっくの昔に変わっているよ」「世の中なんて変わらないんだから、自分が今努力して将来の安定を手に入れるしかないよね」「あなたが大変なのは、もっとやり方があったのでは? ガッツが足りなかったんじゃないの?」という視点だった。20年間ずっと経済的に転けることもなく、困っている人たちの存在さえ知らなかった。
原発事故を入り口にして、苦しみしかないという社会が見えたとき、この地獄を作ったのは自分だと気付いた。だから無関心とか、興味がないという声を聞いても絶望もしないし、むしろチャンスだと感じる。ぜひ一緒にやってほしい。
これは自分の人生を横に置いてやるだけの価値がある活動だ。すごくシンプルなゲームだ。投票を諦めた人たちや、それ以外の人たちが手を繋げば、資本家も大企業も吹き飛ばせる。逆にいえば彼らにもうけさせながらみんなを豊かにすることも可能だ。ゲームチェンジャーはみんなであり、力を合わせてひっくり返してやろう。この国の希望は皆さんでしかない。
これほどドラマチックな話はない。少なくとも私たちは2019年は2ヶ月で2議席、たった2年で五議席になった。大企業や労組、宗教の組織票があるわけでもない。漫画のような話だが現実だ。
でも5議席だからといって満足できない。まだまだ小さいグループだ。これから先を大きくして、他の政党、中途半端な労組、宗教、大企業などにプレッシャーを与えていくためには、一人一人の市民が具体的に選挙にかかわりながらそのノウハウを共有して、選挙を知っていく人が一人でも増えていくことだ。大企業や労働組合や宗教にしか頼る先がない人たちはそれができないから離れられないのだから。
でも、みんなができる範囲のことをステップアップしていくことによって2から5へと確実に議席を増やしたが、これがもっと拡大していけば主流になる。すでに皆さんが変えていっている。一足飛びにはいかなくても2年で5議席というのは普通ではない。維新のようにバックにテレビ局がついているわけでもなく、逆にメディアからは無視され続けた。それで5議席というのはあり得ない。みなさんは凄い力を持っている。その力をもっと拡大していくためには、地方自治体にみんなの議員を作っていくことを、この先やれたらいいと思う。より広げていこう。目にものを見せてやろう。一番権力を持っているのは、この国に生きるみんなであるということを。