東京オリンピック・パラリンピックの開幕(7月23日)が迫るなか、国内では再びコロナ感染者が増加に転じている。だが菅首相は11日にイギリスで開催されたG7サミットの場で改めて「五輪開催」の意欲を表明し、「世界の首脳から支持を得た」ことを金科玉条のごとく振りかざしてコロナ禍での五輪強行に突き進んでいる。東京都などで発令していた緊急事態宣言を20日に解除し、医療団体や専門家による「無観客」の提案をはねつけ、観客数を上限1万人に設定。飲食店などに自粛を求めていた酒類の会場内販売も容認する動きを見せるなど、国民の多くに活動や営業活動の自粛を強いながら、五輪だけは「マネー・ファースト」でタガが外れた二重基準を見せている。一方、東京都をはじめ国内では新型コロナの変異型であるデルタ株(インド株)が広がり始めており、専門家は7月上旬から「第五波」が到来すると警鐘を乱打している。
インドで最初に確認されたデルタ株の感染力について分析した北海道大学の伊藤公人教授と京都大学の西浦博教授らのグループによると、デルタ株の感染力は従来型のウイルスに比べて1・78倍。このデルタ株が日本国内で新型コロナウイルス全体に占める割合は、7月中旬には半数をこえるとの予測を厚労省専門家会議で示している。23日の専門家会議では、デルタ株の感染力を従来の1・9倍と推計し、五輪開幕日には7割にまで拡大するとの見方を示している。
すでに国内の新型コロナ感染は、従来型よりも1・7倍の感染力を持つアルファ株(英国型)にほぼ置き換わっており、東京都の「専門家ボード」座長の賀来満夫氏(東北医科薬科大学特任教授)は「デルタ株はアルファ株に比べて1・5倍の感染力」とし、今後大半のウイルスがデルタ株に置き換わる可能性が高いことを指摘している。東京都が実施した新規感染者のスクリーニング検査でも、6月6日までの1週間の検体のうちアルファ株が50%、デルタ株が32%にのぼった。
デルタ株による感染再拡大が起きている英国では、ワクチンの一回目接種が成人人口の80%、2回目が58%に達しているが、五月中旬に2000人未満にまで減少していた一日当りの新規感染者が6月17日に再び1万人をこえた。イングランド公衆衛生庁(PHE)の感染症担当スーザン・ホプキンス博士は16日、デルタ株の実効再生産数(1人が感染させる人数)は7に達する恐れがあると警告している。従来株の再生産数は2・5であり、デルタ株はその2・8倍だ。14日に発表されたスコットランドの症例研究では、デルタ株はアルファ株に比べて入院(重症化)リスクが約2倍になることも指摘されている。
変異株に対するワクチン(2回接種後)の発症予防効果は、ファイザー製がアルファ株に93%、デルタ株に88%。アストラゼネカ製はアルファ株に66%、デルタ株には60%(イギリス政府・5月22日発表)の効果が認められているものの、今後の推移を見なければわからない部分もある。しかも多くの国には十分なワクチンが届いているわけではなく、日本での接種率も5%台にとどまっている。
五輪で10万人が入国 世界的蔓延の引き金に
WHOの週間報告書によると、デルタ株はすでに世界80カ国以上で検出されており、WHOは「世界的に主流になりつつある」と警告を発している。
英国では、すでに新規感染者の99%をデルタ株が占めている。6月9日~16日の間でデルタ株の感染は7万5953件にのぼり、前週(4万2323件)の1・5倍となった。感染再拡大を受けて英国政府は、6月21日に予定していたコロナ感染防止策の全解除を4週間後の7月19日に先送りした。
PHEの統計によると、2月1日~6月14日までの間にデルタ株に感染して入院した806人のうち、ワクチンの未接種の人が65%を占め、1回目接種から21日以上経過した人が17%、2回目接種から14日以上経過した人が10%だった。国会統計局(ONS)の統計では、35歳以上の感染率は低く推移している一方、それ以下の若年層や10代後半で上昇している。
デルタ株の蔓延についてPHEは、最大の要因は渡航者によるものであり、ロックダウンなどの規制を緩和した時期と重なって蔓延したとみている。英民間航空局(CAA)によると、4月にはイギリス―インド間を4万2406人が往来している。英国政府の新型ウイルス対策を策定する非常時科学諮問委員会(SAGE)は1月、「感染症例や新しい変異株の流入完全阻止に近づけるためには、あらかじめ国境を完全閉鎖するか、入国者全員に、検査履歴を問わず、到着時に指定施設での隔離を義務付ける以外に方法はない」と提言していた。
東京五輪における海外からの入国者について日本政府は、選手団、審判、報道、スポンサーなど関係者を含め約9万3000人と推計している。選手(約1万5000人)については、IOCは「選手村に入る8割がワクチンを接種する」としており、出国前2回、入国後は原則毎日検査をおこない、バブル方式(外部との接触を遮断する)での生活を義務づけるという。大会関係者(約7万8000人)については、出国前2回、入国後3日間は原則毎日検査、入国後14日間は自主隔離機関をもうけるとしている。だが、あくまでプレイブックに示すだけの「お願い」にすぎず、これら関係者の行動をチェックする機関も罰則規定もない。
そのなかで、19日に来日した東アフリカ・ウガンダの選手団9人のうち1人が、成田空港での抗原検査で判別がつかず、その後のPCR検査によって新型コロナ陽性が判明した。全員が出国前にアストラゼネカ製のワクチンを2回接種し、出国96時間以内に2回のPCR検査を受け、陰性証明書を持っていた。
選手1人が陽性だったことで、抗原検査で陰性だった残りの8人の選手も濃厚接触者となるが、空港ではPCR検査はおこなわれず、そのまま貸し切りバスで合宿先である大阪府泉佐野市に到着していた。これについて内閣官房東京五輪パラ推進本部事務局は「濃厚接触者の判定は、選手を受け入れる自治体の保健所がおこなうことになっている」と国会の合同会議でのべており、検査体制すら自治体丸投げの実態が浮き彫りになっている。案の定、後のPCR検査で濃厚接触者の選手から陽性者が出ている。
専門家からは「約10万人の選手や関係者が日本国内でデルタ株に感染すれば、東京五輪を契機にしたデルタ株の世界的蔓延に繋がりかねない」と指摘されており、日本の感染対策に不安を持つ国の多くが各自治体で受け入れる予定だった事前合宿を辞退している。
インドやその周辺国の選手団には隔離期間を義務づけるなど、「フェアプレー精神」とはほど遠く、国によって選手のコンディションに不公平が生まれることも問題になっている。
「無観客でリスク軽減を」 専門家が提言
政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長ら専門家有志は18日、「東京オリンピック・パラリンピック競技大会開催に伴う新型コロナウイルス感染拡大リスクに関する提言」を政府と大会組織委に提出した。当初は「開催の有無を含めて検討」を求める文言を入れていたが、菅首相のG7での開催表明を受け「意味がなくなった」として削除したという。
提言の作成には、釜萢敏・日本医師会常任理事、中澤よう子・全国衛生部長会会長、中島一敏・大東文化大学スポーツ・健康科学部健康科学科教授、前田秀雄・東京都北区保健所長、脇田隆字・国立感染症研究所所長など26人の感染症専門家が参加した。
提言では、「大会期間中を含め、ワクチンの効果で重症者の抑制が期待できるようになるまでの間、感染拡大及び医療逼迫を招かないようにする必要がある。ワクチン接種が順調に進んだとしても、7月から8月にかけて感染者および重症者の再増加が見られる可能性がある。また、変異株の影響も想定する必要がある」とし、「無観客開催が望ましい」とした。内容は概略以下のようなものだ。
世界的な感染状況を見ても、今も一日当り約40万人の感染者と約1万人の死亡者が報告されている。北半球では、これまで感染者が少なかったアジアでも急増、南半球ではアフリカや南アメリカの多くの国でも感染者が増加傾向にある。ワクチン接種が相当程度進んでいるイギリスや米国でも感染者が増加に転じている。変異株の影響をほとんど受けていないアフリカや大洋州などは医療資源が乏しく、特に留意が必要となる。
国内では、緊急事態宣言中にもかかわらず首都圏の人流増加にともなって感染者が再び増加し、夏季は旅行や帰省などによって長距離移動や人との接触機会が増えるため、感染者が少ない地域でも急拡大する可能性が高まる。首都圏での感染拡大がその後に全国的拡大へとつながることはすでに経験済みだ。デルタ株の影響を考慮すると、新規感染者は7月上旬にはステージ4をこえて第五波に突入し、8月下旬には重症者が増え、医療提供体制への負担が発生するリスクが増す【グラフ参照】。
現在はワクチン接種が医療従事者や自治体の尽力によって高齢者を中心に進められているが、接種していない高齢者、接種に至っていない中壮年層には一定の重症化リスクがある。感染者急増による医療逼迫が起きれば、ワクチン接種体制にも大きな影響を与えかねない。
五輪開催にともなう感染拡大リスクについては、大会責任者が責任をもって制御するリスクと、大会主催者、政府、開催地の自治体が一体となって制御するリスクがあるが、感染拡大と医療逼迫を誘発するリスクは前者よりも後者の方が極めて高い。だが、これについての議論がほとんどされていない。
競技者にはワクチン未接種者もおり、検査の技術上の限界も留意すれば、競技者間でクラスターが発生する可能性がある。選手以外の大会関係者(スポンサー、報道等)については、バブル(隔離範囲)外に感染を広げるリスクが比較的高い。
無観客にすれば感染拡大リスクは最も軽減できるが、観客数が増えれば、必要なスタッフ(ボランティアや警備等)の人数も増え、感染対策の徹底は困難になる。バブル内での感染対策が徹底されなければ、選手や関係者が世界各国に帰国することにより、大会を契機にした諸外国への感染拡大を招くリスクもある。
組織委の資料によれば、1都3県の会場における1日当りの販売済みチケット数は約43万人。1都3県の1日の観客動員数はプロ野球で4・7万人、Jリーグでも0・7万人であり、明らかに規模が違う。観戦のための都道府県をこえた移動が集中して発生し、人流・接触機会や飲食の機会が格段に増加する。恒例行事や休暇等を契機にした人流・接触機会の増加が感染拡大に寄与することは経験済みであり、長期間にわたる非日常イベントの開催によって飲食などの交流機会が増加するのは必至だ。
観客がいる中で深夜に及ぶ試合がおこなわれていれば、営業時間短縮や夜間の外出自粛等を要請されている市民にとって「矛盾したメッセージ」となり、感染対策への協力が得られにくくなるうえに、人々の分断を深めるリスクを内包する。
日本の新型コロナ対策は、市民の自発的な協力に大きく依存している。市民の意識は感染対策の成否に重要な役割を果たしてきた。政府には、本大会期間中を含む今後の対策とその必要性について、人々の納得と共感を得られるような説明が求められている。
そのためにも、ワクチンの効果で重症者数の抑制が期待できるようになるまでの間、感染対策及び経済的支援を継続する。無観客が望ましいが、観客を入れる場合は開催地の人(感染対策ができる人)に限る。感染拡大・医療逼迫の予兆が探知される場合には、時機を逸しないで無観客とする。各地の行政機関と連携し、パブリックビューイングを含め不特定多数が集まる応援イベントの中止、街角の大型ビジョン等での中継放映の中止、応援を主目的とした飲食店等での観戦の自粛要請を大会関係者と検討する。
危惧される医療の逼迫 上限別枠でVIPが1万人
この政府が諮問した専門家(有志)による提言について、発表前から「自主的な研究の成果発表だ」(田村厚労相)と牽制していた菅政府は、提言に逆行してIOC、東京都、組織委などの五者協議で観客の上限を1万人(収容定員の50%以内)とすることで合意。これにはVIP待遇の各国首脳やオリンピックファミリー(IOC貴族、約3000人)、各国際競技連盟(IF)会長、スポンサー企業の招待客は含まれず、これらのVIPは「別枠」で1万人が招待される予定だという。制限対象はあくまでも一般観客であり、この五輪が誰のための祭典かを露骨に物語っている。
また、学校行事として児童や生徒を観戦させるために59万枚が販売されている「学校連携観戦チケット」も観客上限と「別枠」としていたが、学校現場や自治体からは「子どもの安全が確保でいない」としてキャンセルがあいついでいる。
さらには会場内での酒類の提供を認める方向で検討しており、これには「アサヒビール」などスポンサー企業が会場内での酒類を独占販売できる契約になっているうえ、VIPの観戦には飲食をともなうことが慣例となっていることが背景にある。だがこれもアサヒビールなどに批判が殺到し、会場内での酒類の提供は中止となった(VIPラウンジでの提供は未定)。
一方、政府は五輪パラ開催期間中、東京都に「まん延防止等重点措置」を適用する可能性が高く、実施されれば、飲食店には酒類提供の制限や時短営業を求め、従わない場合には過料を科すことになる。さらに政府は五輪開催中の49日間、期間中の人と人との接触機会抑制と、交通混雑の緩和を目指して、集中的なテレワークを実施する「テレワーク・デイズ」を各企業等に要請。「感染対策」として一般市民には外出や飲食の自粛を要請しながら、五輪だけは特別待遇で規制が緩和されるという二重基準に怒りが噴出している。
なかでも最も深刻なリスクは、五輪優先による医療の逼迫だ。東京都医師会は18日、五輪パラの開催に関する意見書を政府に提出。「東京の医療を担っている現場の立場から、地区医師会・大学医師会と連携した意見」としたうえで、大会開催の必須条件を「大会の開催を契機に感染が拡大しないこと」「大会を開催することによって通常医療が圧迫されないこと」とした。「有観客とした場合でも感染状況によって必須条件を維持できない場合には、都民・国民の安全・安心を守るために、無観客または中止とすることも考慮していただきたい」と要請した。
同時に公表した都内60地区医師会(地区医師会長、大学医師会長、都立病院医師会長)へのアンケート調査結果では、「開催を中止すべき」が30%(18地区)、「無観客での開催」が38%(23地区)にのぼった。
同医師会の尾崎治夫会長は、医療界や専門家の意見を無視する形で観客上限1万人としたことについて「観客を入れて大会をやろうというのは今のわれわれの危惧に対して逆行している。安全な大会を目指すということであれば、オリンピック期間中にリバウンドがくる可能性も高いわけで、無観客を考えてもらいたい」と苦言を呈した。
また22日にも緊急記者会見を開き、安全上の理由から自治体のキャンセルがあいついでいる「学校連携観戦プログラム」についても、「変異株による感染リスクや夏場で熱中症の危険もある時にあり、お子さんをある程度の集団で移動させることは危険。やめた方がいい」とのべた。
また、酒類の提供についても「お酒の提供はまだ各地で制限された状態が続いて、これまで飲食店を含めて多くの方々にご苦労をお願いして“予防、予防”といっておきながら、観客を入れ、開会式は2万人規模、酒類提供となると国民、都民の感情は“どうして?”という思いが強くなる。国民行事というのは国民の応援したいという状態でやるべきものだ。アスリートファーストに徹するというが、アルコールの提供が競技実施となんの関係があるのか。見直すべきだ」と提言した。
組織委員会は、大会運営に必要な医療従事者を7000人としており、都内10カ所、都外20カ所の医療機関を「五輪指定病院」として確保する方針だが、対象となる公的医療機関の多くはコロナ感染者で病床の多くが埋まっている。さらにワクチン接種体制における医療従事者が足りず、歯科医や薬剤師、救急救命士にも接種を依頼している自治体もあり、五輪優先は必然的に医療制限に繋がる。医療現場からは「市民の受けるべき医療に制限をかけるといっているに等しい」と反発の声が上がっている。
菅政府は3月末、「宣言の効果が薄まっている」「打つ手がない」として緊急事態宣言を解除した。しかし、現実には検査数も増やさず、医療体制も拡充されず、何も手を打たぬまま「第四波」の直撃を受け、わずか1カ月後の4月25日に東京や大阪などで緊急事態宣言を再発令するに至った。今回も同じく「打つ手なし」のお手上げ状態で、五輪開催のスケジュールにあわせた宣言解除以外の何ものでもない。
「第五波」への対策を求める専門家の警告にも耳を貸さず、検査や医療、水際対策についての体制も整わぬまま、「バンザイ突撃」の状態でコロナ禍の五輪に突入することになる。それはまるで市中で災が燃えさかっている最中、IOCやスポンサーなど一部の特権層のための宴を準備するようなもので、緊急事態を引き起こした場合の責任の所在すらわからない「後は野となれ」的な末期的姿を見せつけている。
「アスリートファースト」「平和の祭典」を謳いながら、国民の生命を犠牲に強行する五輪が何をもたらすのか――その内容によっては、五輪史上類を見ない「狂気の祭典」として歴史に刻まれることになるだろう。