はじめに
新型肺炎の世界的蔓延への対処策で、物流(サプライ・チェーン)の寸断や人の移動の停止が行われ、それが食料生産・供給を減少させ、買い急ぎや輸出規制につながり、それらによる一層の価格高騰が起きて食料危機になることが懸念されている。日本の食料自給率は37%、我々の体を動かすエネルギーの63%を海外に依存している。輸入がストップしたら、命の危険にさらされかねない。
輸出規制は簡単に起こりうるということが、今回も明白になった。FAO・WHO・WTOは共同で、輸出規制の抑制を要請した。しかし、輸出規制は国民の命を守る措置であり、抑制は困難である。かつ、3国際機関は、いっそうの食料貿易自由化も求めている。自由化しすぎて輸出規制も起こりやすくなり、自給率が下がって輸出規制に耐えられなくなっているのに、もっと自由化しろ、とは論理破綻も甚だしい。コロナ・ショックに乗じた「火事場泥棒」的ショック・ドクトリン(災禍に便乗した規制緩和の加速)であり、看過できない。
過度の自由化への反省と各国の食料自給率向上こそが解決の処方箋である。
輸出規制の抑制はナンセンス
~自給率向上策とともに国民を守る正当な行為
すでに、小麦の大輸出国ロシア、ウクライナ、コメの大輸出国ベトナム、インドなどが輸出規制に動き出している。輸出規制は簡単に起こりつつある。これを受けて、4月1日、FAO・WHO・WTOの事務局長が連名で共同声明を出し、輸出規制の抑制を求めた。しかし、これは無理だ。
2008年の食料危機に際しても、筆者は指摘した。「輸出規制を規制すればよいだけだ」との能天気な見解もあるが、国際ルールに、かりに何らかの条項ができたとしても、いざというときに自国民の食料をさておいて海外に供給してくれる国があるとは思えない。もしあったとすれば、むしろその方がおかしい。
食料確保は、国家の最も基本的な責務だ。同様に、最低限の食料自給率を維持するための措置も、当然のことであり、他国から非難されるべきものではない。(鈴木宣弘・木下順子『新しい農業政策の方向性~現場が創る農政』全国農業会議所、2010年など参照)
原因は自由化なのに解決策は自由化だと言うのは狂っている
しかも、FAO・WHO・WTOのトップの共同声明では、九州大学の磯田教授が指摘しているとおり、食料貿易を可能な限り自由にすることの重要性も述べている。輸出規制の根本原因は貿易自由化の進展なのに、解決策は自由貿易だというのは狂っている。2008年の食料危機の経験から何も学んでいない、情けない提言である。
2008年の食料危機、輸出規制について、筆者は次のように解説した【図も参照】。
米国は、自国の農業保護(輸出補助金)は温存しつつ、「安く売ってあげるから非効率な農業はやめたほうがよい」といって世界の農産物貿易自由化を進めて、安価な輸出で他国の農業を縮小させてきた。それによって、基礎食料の生産国が減り、米国等の少数国に依存する市場構造になった。そのため、需給にショックが生じると価格が上がりやすく、それを見て高値期待から投機マネーが入りやすく、不安心理から輸出規制が起きやすくなり、価格高騰が増幅されやすくなってきたこと、高くて買えないどころか、お金を出しても買えなくなってしまったことが今回の危機を大きくしたという事実である。つまり、米国の食料貿易自由化戦略の結果として今回の危機は発生し、増幅されたのである。
米国などが主導する貿易自由化の進展が、少数の輸出国への依存を強め、価格高騰を増幅し、食料安全保障に不安を生じさせると考えると、「2008年のような国際的な食料価格高騰が起きるのは、農産物の貿易量が小さいからであり、貿易自由化を徹底して、貿易量を増やすことが食料価格の安定化と食料安全保障につながる」という見解には無理がある。(鈴木宣弘『食の戦争』文春新書、2013年参照)
ハイチ、エルサルバドル、フィリピンで2008年に何が起こったか。コメの在庫は世界的には十分あったが、不安心理で各国がコメを売ってくれなくなったから、お金を出してもコメが買えなくてハイチなどでは死者が出た。米国に強要されてコメの関税を極端に低くしてしまっていたため、輸入すればいいと思っていたら、こういう事態になった。原因は貿易自由化にある。
正しい処方箋は各国の食料自給率向上
コロナ・ショックにおいても、またしても、自由貿易が原因なのに、うまくいかないのは貿易自由化が足りないのだ、というショック・ドクトリン(人々の苦しみにつけ込んで規制緩和を加速して自分たちが儲ける)のような議論になってしまっているのは、まさにショックである。
貿易自由化も含めた徹底した規制緩和を強要して途上国農村の貧困を増幅させて、グローバル企業が儲け、貧困が改善しないのは規制緩和が足りないせいだ、もっと徹底した規制緩和をすべきだ、と主張しているのと同じである。
我々は、このような一部の利益のために農民、市民、国民が犠牲になる経済社会構造から脱却しなくてはならない。食料の自由貿易は見直し、食料自給率低下に本当に歯止めをかけないといけない瀬戸際に来ていることを、もう一度思い知らされているのが今である。
畳みかける貿易自由化と規制緩和にストップを
TPP11、日EU、日米協定と畳みかける貿易自由化が、危機に弱い社会経済構造を作り出した元凶であると反省し、特に、米国からの一層の要求を受け入れていく日米交渉の第2弾はストップすべきである。
食料だけではない。医療も、米国は日本に対して米国型の民間保険の導入、営利病院の進出を追求し続けている。米国では、今回、無保険で病院から拒否された人、高額の治療費が払えず、病院に行けない人が続出した。こんな仕組みを強要されたら大変であることはコロナ危機で実感された。
国内的には、一部の企業的経営、あるいは、オトモダチ企業に農業をやってもらえばいいかのように、既存農家からビジネスを引き剥がすような法律もどんどん成立させてしまった。
「国家私物化特区」でH県Y市の農地を買収したのも、森林の2法で私有林・国有林を盗伐して(植林義務なし)バイオマス発電するのも、漁業法改悪で人の財産権を没収して洋上風力発電に参入するのも、S県H市の水道事業を「食い逃げ」する外国企業グループに入っているのも、MTNコンビ企業である。有能なMTNは農・林・水(水道も含む)すべてを「制覇」しつつある。
一連の種子法廃止→農業競争力強化支援法8条4項→種苗法改定を活用して、公共の種をやめてもらい→それをもらい→その権利を強化してもらうという流れで、種を独占し、それを買わないと生産・消費ができないようにしようとするグローバル種子企業が南米などで展開してきたのと同じ思惑が、企業→米国政権→日本政権への指令の形で「上の声」となっている可能性も指摘されている。
すでに、メガ・ギガファームが生産拡大しても、廃業する農家の生産をカバーしきれず、総生産が減少する局面に突入している。今後、「今だけ、金だけ、自分だけ」のオトモダチ企業が儲かっても、多くの家族農業経営がこれ以上潰れたら、国民に安全・安心な食料を、量的にも質的にも安定的に確保することは到底できない。
種や労働力も考慮した自給率議論の必要性
今回のコロナ・ショックは、自給率向上のための課題の議論にも波紋を投げかけた。日本農業が海外の研修生に支えられている現実、その方々の来日がストップすることが野菜などを中心に農業生産を大きく減少させる危険が今回炙り出された。メキシコ(米国西海岸)、カリブ諸国(米国東海岸)、アフリカ諸国(EU)などからの労働力に大きく依存する欧米ではもっと深刻である。
折しも、新しい基本計画で出された食料国産率(鶏卵の国産率は96%だが飼料自給率を考慮すると自給率は12%)の議論とも絡み、生産要素をどこまで考慮した自給率を考えるかがクローズアップされたところである。例えば、種子の9割が外国の圃場で生産されていることを考慮すると、自給率80%と思っていた野菜も、種まで遡ると自給率は8%(0.8%×0.1)となってしまう。同様に、農業労働力の海外依存度を考慮した自給率も考える必要が出てくる(九州大学・磯田教授)。
海外研修生の件は、その身分や待遇のあり方を含め、多くの課題を投げかけている。一時的な「出稼ぎ」的な受入れでなく、教育・医療・その他の社会福祉を含む待遇を充実させ、家族とともに長期に日本に滞在してもらえるような受入れ体制の検討も必要であろう。また、フランス、ドイツなどEU諸国では、政府がマッチングサイトを運営して、国民への「援農」の呼びかけを強化している(北海道大学・東山教授)。日本でも、こうした対応が国全体としても、各地域でも必要になっている。
和牛商品券の波紋~コロナ・ショックは追い打ち
もう一つ波紋を広げたことがあった。
コロナ・ショックによる外食需要などの激減で和牛やまぐろの在庫が積み上がったので、経済対策の一環として「和牛券」や「お魚券」が提案されたが、それが報道されるやいなや、それだけがクローズアップされ、世論を「炎上」させてしまった。
全国民が大変なときに贅沢品に近い特定の分野だけの消費にしか使えない商品券を出すとは利権で結びついた族議員と業界の横暴だという非難だ。苦しむ農水産業界を何とか救いたい思いが、大きな非難の的にされるという極めて残念なことになってしまった。
長年、日本の農家は農業を生贄にして自動車などの利益を増やそうとする意図的な農業悪玉論に苦しめられ、我々はその誤解を解こうと客観的なデータ発信に尽力してきたが、これでは、やはり農水産業は利権で過保護に守られているのだという誤解を増幅してしまう。努力が水の泡だ。
過保護どころか、農林漁家からビジネスを引き剥がす法律が立て続けに成立し、かたや畳みかける貿易自由化とで、いま日本の農林水産業界は苦しめられている。直近では、日米貿易協定が発効するや、1月だけで米国からの牛肉輸入が1.5倍になるなど、輸入牛肉の想定以上の増加で国産が押しやられている。
コロナ禍の影響の前に、こうした打撃が積み重なり、そこにコロナ禍が上乗せされたことを忘れてはならない。
消費者を支援する形で生産者も支援するのは有効な手段だ。だが、このタイミングで、特定分野が優遇されている誤解を与えたら、国民理解醸成に完全に逆効果である。
米国でも農業予算の64%も食品購入カードの支給で一定所得以下の食費支援に使っている。米国は価格低下時の農家への差額補填システムも充実している。生産・消費の両面から徹底的に農家を支えている。米国は、今回も、追加的に2兆円規模の食肉・乳製品の買い上げ、農家の所得補填などを打ち出した。
日本の牛肉農家の所得の30%程度が補助金なのに対してフランスでは180%前後、赤字(肥料・農薬などの支払いに足りない分)もすべて税金で補填している。農業全体でも、日本の農家の所得の30%程度が補助金なのに対して、英仏が90%以上、スイスではほぼ100%、日本の水産にいたっては所得に占める補助金は2割に満たない。諸外国に比べたら極めて保護されていない【表参照】。
「所得のほとんどが税金でまかなわれているのが産業といえるか」と思われるかもしれないが、命を守り、環境を守り、地域を守り、国土・国境を守っている産業を国民全体で支えるのは欧米では当たり前なのである。それが当たり前でないのが日本である。
世界的にも最も自力で競争しているのが日本の農林漁家。牛肉券の想いはわかるが、過保護と誤解され、国民を敵に回したら元も子もない。何とか、これを農林水産業への正しい国民理解醸成の再構築の機会に反転させなくてはならない。
量だけでない、質の安全保障も
米国産の輸入牛肉からはエストロゲンが600倍も検出されたこともある。エストロゲンは乳がんを増殖する因子として知られる。米国でもホルモン・フリー牛肉が国内需要の主流となり、オーストラリアは日本にはホルモン牛肉、禁止されているEUにはホルモン・フリー牛肉を輸出している。つまり、米国やオーストラリアから危ないホルモン牛肉が輸入規制の緩い日本に選択的に仕向けられている。
農民連の分析センターが調べたら、ほぼすべての食パンから発がん性のある除草剤が検出された。国産、十勝産、有機小麦のパンからは検出されていない。輸入小麦には、日本で禁止されている収穫後農薬の防カビ剤(米国がかけるのは「食品添加物」と日本が分類してあげている)も輸送時に振りかけられている。米国農家は「これは日本人が食べるからいいのだ」と言っていたという。トウモロコシ、大豆の遺伝子組み換えの不安だけではない。日本人は、世界で一番、遺伝子組み換え、除草剤の残留、防カビ剤の残留の不安にさらされている。
米国では乳牛にも成長ホルモンを注射する。米国内では消費者運動が起きて、大手乳業などがホルモン・フリー宣言をした。やはり、危ない乳製品は日本向けになっている。国産シフトを早急に進めないと、自分の命が守れない。さらに、輸入依存を強めて、こんな危機になったら、お金を出しても、その危ない食料さえ、手に入らないかもしれない。
もう一度、確認しよう。成長ホルモン、除草剤、防カビ剤など発がんリスクがある食料が、基準の緩い日本人を標的に入ってきている。国産には、成長ホルモンも、除草剤も、防カビ剤も入っていない。早く国産シフトを進めないと、量的にも、かつ質的にも、食の安全保障が保てない。つまり、「国産は高くて」という人には、安全保障のコストを考えたら「国産こそ安いんだ」ということを認識してもらいたい。
現時点で、小麦、大豆、とうもろこしなどの国際相場に大きな上昇はない。コメはかなり上昇している。コメの輸入依存度が大きい途上国には2008年の危機の再来が頭をよぎる。日本は、今もコメは過剰気味なので、かりに小麦などが今後逼迫しても、当面はコメで凌ぎ、いざとなれば、農水省の不測の事態対応にもあるように、もっとも増産しやすいさつまいもを校庭やゴルフ場にも植えるといった措置が選択肢となる。しかし、これでは「戦時中」になってしまう。
自分たちの命と食を守ろうという機運
現時点で、日本国内で顕在化している影響は「まだら模様」である。業務用野菜の中国からの輸入減少、家庭内食の増加による小売店及び生協経由での野菜需要の増加で、野菜需要は増加し、特に、生協を通じた購入の増加は、有機野菜などの価格の高い野菜への需要の増加となって表れている。
一方、中国からの海外研修生の減少による作付け減少などの要因で生産は伸びず、価格が上昇している。野菜の生産が追いつかなくなっている。農家の人手が足りないから、消費者も近所の農家に出向いて一緒につくるくらいの産消連携が必要になっている。
牛乳、乳製品などは、外食や給食需要の減少で在庫が増え、生乳の廃棄の懸念すら出ており、農水省も先頭に立って、消費を呼びかけている。牛肉は、ここにきて、海外産が敬遠され、国産が伸びているとの情報もある。
ネットなどのコメントでも、これを機に生産者とともに自分たちの食と暮らしを守っていこうという機運が高まってきていることがうかがえる。
それが購買行動にも表れてきているとしたら、明るい兆しである。
「戦後初めてであろうこのような国難の時だからこそ、本当に我が国を支えている第一次産業の重大さや自国で生産したものを食べることができるという有り難さ、そして農家の底力をすごく感じます。私事ですみませんが、父や母が一生懸命汗を流し愛情込めて作ってくれたお米、野菜、肉、卵で育ちました。世界一美味しかったです。亡くなってしまった今になって、もっと食べたかったなと本当に思います。農家の方々、それに携わるすべての方々、コロナウイルスに負けず、体に気をつけて頑張って下さい! よろしくお願いいたします。」
「今の我が国は、エネルギーも食糧も海外頼みでは、首根っこを押さえられているも同然。我が国のように両方海外に多くを依存している先進国はないのでは。このコロナ問題をいい機会にして、エネルギー、食糧、工業部品等の生産のあり方を時間をかけてでも見直す必要が更に深まったと考える。未知のウイルス・細菌は、益々人類の脅威となるのは間違いないし、その感染スピードは更に増して行く。その時にエネルギー、食糧が海外頼みでは、心もとない。」
「農家は日本の宝です。政権は効率や貿易のカードとしてどんどん食料自給率を下げていますが、コロナが長引けば食料の輸入が減って食べ物もなくなるのではと不安です。」
「私達を支えている第一次産業。厳しい今だからこそ基本に立ち返る事を考える良い機会。何不自由なく過ごせているのも農家さんのお陰です。本当にお陰様と有り難う。」
「国内の農家を守ってこそ、日本の家庭は守られます。農民の作った食べ物を食べて人間は生きている。農民が人間を生かしている。農民の生活を保障すると人間の命も保証できる。今は農民の生活が保障されていない。」
厳しいコロナ禍の中で、このような機運が高まっている今こそ、安全・安心な国産の食を支え、国民の命を守る生産から消費までの強固なネットワークを確立する機会にしなくてはならない。
農家は、自分達こそが国民の命を守ってきたし、これからも守るとの自覚と誇りと覚悟を持ち、そのことをもっと明確に伝え、消費者との双方向ネットワークを強化して、安くても不安な食料の侵入を排除し、自身の経営と地域の暮らしと国民の命を守らねばならない。消費者は、それに応えてほしい。それこそが強い農林水産業である。
特に、消費者が単なる消費者でなく、より直接的に生産にも関与するようなネットワークの強化が今こそ求められてきている。世界で最も有機農業が盛んなオーストリアのPenker教授の「生産者と消費者はCSA(産消提携)では同じ意思決定主体ゆえ、分けて考える必要はない」という言葉には重みがある。全国各地域で、行政・協同組合・市民グループ・関連産業などが協力して、住民が一層直接的に地域の食料生産に関与して、生産者と一体的に地域の食を支えるシステムづくりを強化したいところである。
政策的には、慌てて緊急対策ではなく、危機で農家や中小事業者や労働者が大変になったら、最低限の収入が十分に補填される仕組みが機能して確実に発動されるよう、普段からシステムに組み込んでおく。国民の命と暮らしを守れる安全弁=セーフティネットのある、危機に強い社会システムの構築が急がれる。危機になって慌てても危機は乗り切れない。
アジア、世界との共生に向けて
今回のコロナ・ショックは、世界の人種的偏見もクローズアップさせた。アジアの人々が欧米で不当な扱いを受けるケースが増えたことは残念だ。逆に、アジアの人々の間に助け合い、感謝し合う連帯の感情が強まった側面もある。
「山川異域、風月同天」(山河は違えど、天空には同じ風が吹いて同じ月を見て、皆つながっている)
この機会を、日本の盲目的・思考停止的な対米従属姿勢を考え直す機会にし、アジアの人々が、そして、世界の人々が、もっとお互いを尊重し合える関係強化の機会にしたいと思う。対米従属を批判するだけでは先が見えない。それに代わるビジョン、世界の社会経済システムについての将来構想が具体的に示されなくてはならない。
筆者が参加した多くのFTAの事前交渉でも、米国に対しては「スネ夫」の日本がアジア諸国には「ジャイアン」よろしく自動車関税の撤廃を強硬に迫り、産業協力は拒否し、「自己利益と収奪しか頭にない日本はアジアをリードする先進国としての自覚がない」と批判されるのを情けなく見てきた。
まず、日本、中国、韓国などのアジアのすべての国々が一緒になって、アジアの国々の間でTPP型の収奪的協定ではなく、お互いに助け合って共に発展できるような互恵的で柔軟な経済連携ルールをつくる。
農業の面でいえば、アジアの国々には小規模で分散した水田農業が中心であるという共通性がある。そういう共通性の下で、多様な農業がちゃんと生き残って、発展できるようなルールというものを私たちが提案しなくてはいけない。
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すずき・のぶひろ 1958年三重県生まれ。東京大学農学部卒業。農学博士。農林水産省、九州大学教授を経て、2006年より東京大学教授。専門は農業経済学。日韓、日チリ、日モンゴル、日中韓、日コロンビアFTA産官学共同研究会委員などを歴任。『岩盤規制の大義』(農文協)、『悪夢の食卓 TPP批准・農協解体がもたらす未来』(KADOKAWA)、『亡国の漁業権開放 資源・地域・国境の崩壊』(筑波書房ブックレット・暮らしのなかの食と農)など著書多数。
日本ではほとんど報道されていませんが、バッタの被害も深刻です
4000億匹のバッタの大群がインド・パキスタン国境から中国に迫り
1平方キロメートルあたり4,000万匹にまで繁殖し、1日で3万5,000人分の農作物を食い尽くすと
報道されています。
コロナとバッタのダブルパンチで世界の食糧危機は目前ではないでしょうか?
最後は「食べる」事に行き着く
コロナワールドで今や様々なパラダイムシフトの試みが
展開されているところだ
人間集団の本質的意義が問われ
「集う」場の必要性が見直されている
家族、地域、学校、職場、国家などなど
それらが果たすべき機能の根本的問い直しが図られ出した
学校や職場へ抑も足を運ぶ必要があるのかどうか
そうしたこれ迄常識とされて来た我々の認知が
コロナ禍を通して吟味されているのだ
学校や職場は、今後、淘汰されるべき
正しくハードターゲットとなるのかも知れない
だが、インドア化しネットコミュニケーションで済ませていけば
全てが終わりと言う訳ではない
我々は巣籠生活の中でも、食べ続けなければ生存出来ないのだ
従って「食の安全保障」がコロナ戦により
益々重大事となりクローズアップされる
産業構造の高度化により第一次産業が壊滅的状況の我国は
今後、食料メジャーの完全なる支配下に置かれる事を覚悟しつつ
自給不可な現状の中に於いても
可能な出来得る限りの食料確保に向けた手立てを講じなければ
コロナ死以前に餓死する事となろう