戦後70年目にして、日本社会が重大な分かれ道にさしかかっている。集団的自衛権の行使を可能にする安保法制が国会審議にかけられ、安倍政府が武力参戦の道に踏み込もうとするのに対して、国会前をはじめ全国津々浦々で戦争阻止の課題を掲げた抗議行動が空前の盛り上がりを見せている。どうすれば戦争を阻止することができるのか、運動の展望はどこにあるのか、記者座談会をもって論議した。
邦人の生命危険にさらす安倍政府 国是覆す武力参戦の道
A 今国会の目玉として安保法制が審議されている。まず局面がどうなっているのか見てみたい。
B 安倍政府は7月中に衆院で強行採決して参院に送り、60日ルールを適用して再び衆院で再議決して強行突破しようとしている。当初は7月15日に衆院で採決しようとしていたが、維新がここにきて対案を出したことで、十分に対案が審議できていないといって採決の日程を数日ずらすようだ。自民党の別働隊みたいな動きをしているのが維新の党で、採決に参加することで安倍政府を援護射撃する役割を果たしている。野党がみな欠席したら格好がつかないのが安倍政府で、対案であれ反対であれ、採決の場に参加してもらえるだけで万々歳といった調子だ。戦後最長の95日間にわたる会期延長となったが、60日の時間を持て余した後に強行採決しようとしている。
C 安倍晋三が訪米して、「夏までにやります!」と約束してきたのが安保法制だ。まずアメリカと約束して、それから国内の法整備にとりかかっている。いったいどこの国の首相なのかと思わせた。国会審議も「審議時間が80時間を越えた」からOKなどといっている。まともに審議したかどうかや、国民の賛同を得たか否かは関係なく、「アメリカで僕が約束したからやるんだ」という調子だ。主権在民ではなく、主権はみな「僕」すなわち安倍晋三にあるのだといわんばかりだ。国会審議を80時間やろうが100時間やろうが空っぽで、詭弁で煙に巻いている。野党がだらしがないのにもみなが頭にきている。
D 国会包囲を含めて抗議行動がすごいことになっている。大手メディアがあまり報道しないが、連日行動が熱を帯びている。憲法学者が憲法審査会で「違憲だ!」と指摘したのを契機にして、まず第一に知識人の行動に火がついた。憲法学者が腹をくくって動いていることへの支持や共感もすごい。安保関連法案に反対する学者の会の署名は学者だけで9000人近くに達し、アピールに賛同する一般市民の署名数も1万5000人を越えた。若者が動き始めているのも特徴だ。北海道で19歳の女の子が呼びかけて700人デモになったことがニュースになったが、東京でも渋谷で3500人がデモをくり広げたり、渋谷駅前を埋め尽くすほど人人が抗議行動に集結したり、問題意識を持った若者たちが無数に行動している。
E この間、長崎や沖縄など各地で峠三吉の詩パネルをもとにした『原爆と戦争展』が開催されてきた。昨年とまるで様相が違う。参観者の数が多いし、寄せられる支持や期待がカンパ額にもあらわれている。高校生や大学生が積極的に会場に訪れて被爆体験や戦争体験を学んでいく。70年前の大戦がいかなるものだったのか、爺ちゃんや婆ちゃんの体験に耳を傾けるなかで、現代を生きる10代、20代、さらに上の30~40代まで含めた世代が、安保法制とも重ねて考えていく。広島平和公園でも週末に学生たちが街頭原爆展を開催しているが、全国、世界から例年になく訪れる人が増えている。戦争阻止が切迫した課題で、「どうすれば戦争を阻止できるのか」と論議になっている。
C 沖縄では辺野古基地建設を巡って県民の斗争が盛り上がってきた。安倍自民党が経済制裁を加えたり強面でゴリ押ししてきたが、県民世論を逆なでするばかりで収拾がつかないほど基地撤去世論が盛り上がっている。慰霊式典で安倍晋三が「帰れ!」と怒声を浴びたが、沖縄戦体験者であろう高齢者たちが無数に叫んでいたのが実態だ。前から後ろから声がするものだから、警察の方がキョロキョロして慌てていた。百田尚樹が「沖縄二紙はつぶさなければならない」「普天間はもともと田んぼで人は住んでいなかった」といったのも逆効果で、余計にでも沖縄県民の怒りに火をつける効果となっている。
F オスプレイ配備が動いている佐賀でも、軍事基地化反対を掲げて川副町の自治会や住民が行動を始めている。沖縄にせよ、佐賀にせよ、国会前にせよみなが総合的に動いている。切り離れていない。全国が連動して国会前行動につながっている。
C インテリでも憲法学者だけでなく自然科学や人文系に至るまで多方面にわたって行動している。反対する学者の会の発起人でもある益川敏英(ノーベル賞)が「国民よ安保法案に怒れ!」と積極的に発言している。物理学は湯川秀樹とか武谷三男とか歴史的に京大物理学を中心に戦争反対が鮮明だ。その伝統を汲まなければならないと益川も発言している。科学者の使命感で戦後もたたかってきた歴史がある。大学人のなかでも伝統が蘇っている。
A 知識人が先頭を切っていくのは、五〇年代のサンフランシスコ片面講話に対する斗争がそうだった。共産党が分裂している最中に、知識人が斗争を牽引していった。それに学生が合流した。
E あのときも東大などの学長クラスが学生に呼びかけていた。今も教授たちが学生に呼びかけ、知識人と学生が行動の先頭に立っている。似た雰囲気を感じる。学者の会と学生たちは7月31日にも国会前を包囲する集会を予定している。
知識人や学生が先陣 各界各層の総合的運動
A 知識人の場合、大学の独法化で学問が散々に崩壊させられてきた経験と安保法制のデタラメな姿が重なっている。民主主義が破壊され、真理真実などどうでもよく、もっぱら独占資本の利害追及の道具として大学や学問が利用される。これが軍国主義であるし戦争だ。ここは真実を語って大学を守ろうという課題とも合わさっている。滝川事件など戦前の痛恨の経験から見ても学問研究の自由の破壊は戦争に結びつく。大学改革でもたらされた大学崩壊も共通したもので、例えば人文系廃止などの斗争とも結びついている。単純な安保法制反対ではない。みなが自分の基礎の上に動いている。そして若者からすると、鉄砲玉にされる。戦場に立たされるという切迫感がある。
B 若者が行動に立ち上がっている状況は60年安保斗争や70年安保斗争を彷彿とさせる。今時の若者は大人しい…といわれてきたが、結構パワフルにデモをくり広げている。集団的自衛権の行使は要するにアメリカの身代わりになって自衛隊が戦場に出かけ、若者を戦死させるという話だ。戦場に追い立てられる当事者として、これは頭にくる。「そんなに戦争したいなら、安倍晋三が鉄砲担いで行ってこい!」とみんなが思っている。10代、20代の若者にとって将来を考えたとき、非正規雇用ばかりで将来展望が描けない社会になってきた。大企業は国内を切り捨ててみな海外に生産拠点を移し、肉体労働者にせよサラリーマンにせよ行き場がない。これで景気が上向くわけがない。アメリカでは貧乏人の子弟を軍がリクルートしていくが、自衛隊も似たようなもので給料をたくさんやるから戦争に行けとなる。第二次大戦でも農家の次男、三男が軍隊に多く駆り出されたが、失業と貧困、戦争はセットだ。国内を貧乏にした結果、海外に覇権を求めて侵略していく。
A 各界各層の総合的な運動になっている。世論が様変わりになっている。それで安倍政府が慌てふためいている。全国的に統一戦線の団結が一気に進んでいるからだ。これが強まれば麻痺する。この間、百田発言なども取り沙汰されたが、結局、「メディアを懲らしめろ」といった安倍ブレーンの三バカ議員も袋叩きにあった。あれは安倍晋三の意向を代弁しただけだった。安倍がこれまで発言してきたことを忠実に吠えて、安倍の応援をしようとしたのに情勢は変わっていた。安保法制にみなが激怒している最中に、世の中の変化が計算に入らず突っ込むからバカなのだ。本人たちの意図に反して、安倍政府を攻撃する効果となった。強面が通用する局面ではなく、潮目は変わっていたのだ。
B 百田尚樹とか幕僚長の田母神俊雄とか、極端に脳味噌が右に偏っている友だちを取り立てたり、NHK会長に籾井を登用したり、一番報道統制してきたのは安倍晋三だ。総選挙で各社に「公正公平に報道するように」と文書を送りつけたり、テレビ朝日や朝日新聞がやり玉にあげられて叩かれたり、安倍政府になってから熱心に言論統制をやってきた。三バカは忠実に真似しただけだ。しかし潮目は変わっているものだから袋叩きにされた。あれほど空気を読めない政治家というのも珍しい。逆上して開き直るものだから再び炎上して、自民党本体からも処罰された。メディアを懲らしめる前に、自分たちが懲らしめられた。
A 自民党の内部も割れている。山崎拓とか古手が意見をいっている。石破も明らかに違う位置に自分を置いたりした。百田勉強会に限らず清和会・安倍のいいなりばかりしていたらみっともないし、自民党がつぶれると危機感を抱くのが普通だ。安倍晋三と一緒に自民党まで心中しなければならないし、そうなると次はない。結局は国民世論が勝負なのだ。政治は国会議員の頭数だけで動いていない。国民との力関係で動いている。
詭弁弄ぶ国会論議 言葉と行動が大矛盾
C 審議時間が80時間を越えたというが、国会の論戦がまるで成り立っていない。まともに答弁していないし、質問も空っぽ。空中戦をしている。肝心なことがわからないようにして進めようとしているのに特徴がある。相当に世論を恐れていることを証明している。はっきりということができない。アメリカで何を約束してきたのか、中東歴訪で何を約束したのか、堂々といわず調子の良い詭弁で押し通そうとして右往左往している。このインチキ論法にみなが腹を立てている。「福島は完全にコントロールされている」ではないが、口を開けば嘘をいうという評価も定着している。
B 安保法制の論議を見て、アメリカの御用学者として知られているジェラルド・カーチス(コロンビア大学教授)が「安倍首相は米国では“米国を守ります”といっておきながら、日本国内では“危険なことはしません”などと全く正反対のことをいっている。こんなバカなことはない」と憤慨して訪米の内幕を暴露している。国内でいうことと外国でいうことが違う。
A 国民を欺きながらズルズルと武力参戦したい願望がある。しかしホルムズ海峡といってもあそこを封鎖すると石油資源で外貨を獲得しているイランにとっても自爆行為で、想定自体があり得ない。封鎖しなくてもオマーンを百数十㌔にも及ぶパイプラインが走っていて、ホルムズ海峡の外につながっている。紅海に出ているパイプラインもある。石油を海上輸送しようと思えば手段はいくらでもある。だから機雷封鎖は現実的でない。架空の設定だ。
「後方支援」についても大インチキで、戦争に前も後ろもない。食料だけでなく弾薬なども補給しようとしている。「これで殺してくれ」といって一生懸命に兵站任務をしていたら敵と見なされるのは当たり前だ。まずは兵站を狙うのが常識で、第二次大戦でもアメリカはそれをやった。日本軍が上陸した南方戦線でも食料や弾薬が届かず、現地調達が命令されていた。ニューギニアみたいな所で水もまともにない場所へ餓死しに行ったようなものだった。米軍の潜水艦が待ち構えていて、みな魚雷を撃って輸送船を沈めていった。
C 安倍晋三の論理はいっていることとやっていることの大矛盾がある。国民の生命を守るために集団的自衛権なのだという。何が守るためかだ。イスラム国人質事件がいい例だ。人質になった二人の邦人の命を守る気などなかった。何の交渉もしようとしなかった。問題は安倍が中東に行って、「イスラム国(IS)に敵対する勢力にお金をあげる」と発言したことだった。だからISが腹を立てて人質二人に矛先を向けた。しかし日本政府は何もせず見殺しにした。邦人の生命を危うくしたのは誰の目から見ても安倍晋三で、いたらないことを口にしなければ殺されることなどなかった。犠牲になった二人だけでは済まず、「十字軍にみずから協力した」として邦人は狙われる対象になり、中東に足を運べないようになった。これがエスカレートすると国内がテロの標的にされかねない。
A 存立事態を脅かしているのは安倍晋三だ。原発再稼働にしても同じで、これほど火山活動が活発化している折に、一方で武力参戦を進めながら五四基の原発を動かそうとする。気狂い沙汰だ。集団的自衛権についても、米軍の身代わりになって攻撃するなら報復攻撃を覚悟しなければならない。日本列島が狙われることも十分に想定される。これほど存立事態を脅かす行為はない。存立事態を脅かしてはならないというなら、大騒ぎしないでも安倍晋三が自分を退治すれば存立事態は脅かされないし、邦人の生命は守られる。
E 思考方法として動機と効果の関係がひっくり返っている。効果は危険にさらしている。しかし動機は「そんなことない」というインチキだ。相手がどう思うかは関係なしに突っ走る。しかし国際関係でそんなものは通用しない。国内だけならメディアも応援してくれるし誤魔化しが効くが、外国との関係では通用しない。
F 日米関係ではガイドライン改定で突っ込んだ約束を交わしている。新ガイドラインは米軍の指揮下で自衛隊を戦地に駆り出すことを最大の眼目にしている。「周辺事態」などの文言を取り除き、日本が直接攻撃を受けていなくても集団的自衛権を行使して米軍と共同作戦に乗り出すこと、その活動範囲は極東地域に限らず地球的規模に広げるとした。これまでは日本が攻撃された場合や朝鮮半島有事を対象として防衛協力を定めてきたが、「存立危機事態」すなわち時の政府が「日本国民の生命・権利を根底から覆す明白な危険がある」と思ったなら武力行使が可能というものだ。中東海域における機雷掃海や米軍を狙った弾道ミサイルの迎撃、米艦の保護、不審船の臨検、弾薬の提供、戦闘機への給油などが具体的に想定されている。
日米軍事同盟の強化 日本列島盾に米国守る
E 安倍政府は再登板して以来、特定秘密保護法の制定や日本版NSCの設置、集団的自衛権の行使容認を巡る憲法解釈の変更など日米軍事同盟の強化に力を入れてきた。昨年4月には武器輸出三原則も改定した。三菱のような軍需依存の独占企業が米国軍需産業のおこぼれを期待して大喜びしている。外務省はODA(政府開発援助)の軍事転用も可能にするといって法改定を準備し、防衛省は「文民統制」規定を廃止する方向に舵を切るなど、一気に事態は動いてきた。マイナンバー法の整備など国家統制の動きも強まった。安保法制が可決されてから事が動き始めるのではなく、日米軍事同盟の強化、作戦指揮の一体化などを前から進めている。
A 70年代半ばのベトナム戦争に敗北する過程でニクソン・ドクトリンでアジア人同士を戦わせる戦略にアメリカは転換していった。それで出てきたのがガイドラインだ。日本を動員することに眼目があった。九七年に有事法制など朝鮮の緊張を通じて、アメリカのグローバル戦略に照応したものを出してきた。しかし当時、アメリカが望むほどの動員はできなかった。そして今回の安保法制では本腰を入れて日本を動員しようとしている。日本の若者がアメリカのために死ななければならない。戦死者をつくるものだ。日本人や日本列島を盾にしてアメリカを守ろうとしている。
中東は親日的なことで知られている。日本に恨みのないところへ行って人殺しするなら自爆行為だ。戦後築き上げてきた信頼を一気に失うことになる。アラブの人人のなかで日本といえば、原爆であれだけアメリカからやられながら、戦後復興を遂げていったことへの敬意がある。明治維新についても尊敬の念を抱かれていると研究者や企業人たちは指摘してきた。19世紀の欧米列強の侵略をはねのけて統一国家をつくり、独立を守った権威は大きい。日本民族のなかにあるそのような力、辛抱強さや、困難ななかでも他者を思いやれる強さ、侵略に屈服せずに独立を守り抜こうとする強さというのは、観光でやってきた外国人が一目置いている資質でもある。東北の震災でも暴動にならずに整然と対応していることに海外は驚いていた。為政者が売国奴でアメリカの奴隷に成り下がっている姿とは対照的なものだ。
対米従属構造が根 戦争などできぬ国情
B 自民党が暴走したり強面(こわもて)というが実態がない。動員力などなく、根がなく浮き上がっているのがもう一面だ。総選挙でも比例の得票率は全有権者のうち17%で、公明党と併せても25%そこら。砂上の楼閣で弱体化しているくせに暴走している。国民世論を扇動して盛り上げたりして、国民をその気にさせないと戦争にはならない。
新幹線での焼身自殺があったが、戦争になったら火災どころでない。一発で交通の動脈も麻痺する。自爆テロで爆破でもされれば、時速350㌔で走っていた全車両がやられて1000人以上の死者になる。
F 戦争できる国情ではない。想定もしていないのに、いったい何が戦争かだ。原発もそうだが、石油タンクとかガスタンクとか、LPGでも爆発すれば周囲は壊滅状態に追い込まれる。全国各地にそのような危険施設がある。空爆せずとも都市が丸ごと焼き尽くされる。福島第一原発の事故では、最悪の場合周囲250㌔圏内の5000万人が避難しなければならない事態が想定されていた。戦争でこれらが狙われたら逃げ場などない。ミサイル攻撃の標的になるだけでなく、箱根など火山が噴火したらミサイルに加えて火砕流や噴煙も降り注いでくる。バカげている。
A 支配階級そのものが平和ボケできている。安倍晋三も含めて戦争を知らない子どもたちだ。真面目に想定すらしていない。関門海峡一つ見ても爆破されればたちまち麻痺する。第二関門橋ではなくトンネルを掘るといっているが、今時は地中貫徹型ミサイルなどあるし、一発でつぶされる。食料自給率は30%台でエネルギーもない。どうやって戦争をするのかだ。アメリカにいわれたからやるのだというが、アメリカは日本の面倒など見ない。何か事があればアメリカは一目散に逃げていく。福島事故の際も空母は一目散に太平洋沖に逃げていた。9・11テロ事件の後は、岩国や沖縄の米軍は本国帰還訓練ばかりやっていた。「日本を守るため」に米軍基地を置いているのではない。
C 国民の生命や安全を守る政治ではない。東北の被災地を見ても四年経ちながら放置されている。福島も帰還させて補助金を打ち切りたいだけだ。震災後は国が規制ばかりかけて復興を足止めしてきたが、ショックドクトリンで住民を追い出すことだけに目的があった。全般的に政治を見ていて、国民を守る意志も能力もないことをみなが痛感している。一握りの大企業がもうけるに任せ、国民の金融資産にしてもアメリカがみなかっさらっていく。TPP政治とも重なる。全国的に斗争を盛り上げて安倍政府を叩きつぶさなければならない。できないことではない。
E そのうえでも第二次大戦のなまなましい記憶を呼び覚ますことが重要だ。あと、戦後アメリカは一度でも日本を守ったことがあるのかだ。太平洋戦争であれだけ残酷に皆殺し作戦をやって奪ったのが日本だった。原爆投下だけでなく沖縄戦や全国空襲でも連日のようにやった。B29が100~200機編隊で、それはもう毎日のように全国の都市を爆撃して一般人を殺戮していった。
A それで戦後は、サンフランシスコ講和の時点で国際法的には占領軍は撤退しなければならなかった。占領は終わるはずだった。ところが安保を潜り込ませ、サンフランシスコ郊外にある陸軍の小屋で吉田茂に強制的に判を押させ、永久的に支配下に置く法整備をして今日に至っている。第二次大戦もあれだけの犠牲を払ったが、アメリカは「戦争を早く終わらせるため」とか「日本を守るため」ではなく初めから占領目的だった。日本の支配階級は自分の地位を守るためと革命を回避するためにアメリカに投降する道を選んだ。だから敗北がわかりきっていた戦争を引き延ばし、あれだけの犠牲者を出した。
戦後は、その支配階級がみなアメリカの手下になっていった。官僚機構は丸ごと引き継がれた。マスコミもそうだ。大本営に関わっていた読売新聞の正力松太郎とか朝日新聞の緒方竹虎もCIAのエージェントになったり、アメリカにとり立てられていった。A級戦犯だった岸信介自身がCIAのエージェントだったことが暴露されているし、満州で暗躍した児玉某のような右翼に至るまでアメリカに力を与えられて戦後立ち回った。御用学者やその他の支配勢力も軒並みGHQの手下になっていった。その支配階級を使ってアメリカの対日支配を確立していった。戦後改革でも農地改革、財閥解体を形の上で実行したものの、結局は民主化でも何でもなかった。みなアメリカの利益のためだった。農地改革をした結果、70年経って農業はぶっつぶれてしまった。収奪するだけ収奪して今のザマだ。地主の搾取から大企業による直接の搾取になり、アメリカ農業資本の収奪へとつながっている。
C 戦後のアメリカ支配を支えたイデオロギーは、「アメリカは自由と民主主義の勢力だ」というものだ。そのように描いていった。これはいわゆる革新陣営にも濃厚に影響してきた。アメリカは自由と民主主義を守る、日本を守るというものだ。しかしまったく違う。アメリカのどこが民主主義かだ。近年の動きを見ていても、独裁反対で民主化を唱えて世界侵略に訴えるのが手口だ。社会主義転覆がまさにそうだったし、現在の中東対応でも独裁反対を掲げて空爆をやりまくる。そしてアメリカの覇権を貫く。しかしあるときには独裁政権を裏から支えたりもする。ダブルスタンダードだ。
A ただ、70年代以後のグローバル化戦略にもやや変化が起きている。アメリカ自身が行き詰まってきた。軍事的に世界を支配しようとしたが、その力も失ってきた。だからこその集団的自衛権だ。安倍が大威張りで突っ走ったのも、アメリカがバックアップして「やれ!」というから安心しきってやってきたに過ぎない。ところが大衆世論に包囲されてうまくいかず、ペテンも暴露されてヘロヘロになっている。安倍晋三が独裁者というが、アメリカと独占資本の代理人であり、ただの使用人だ。背後勢力のバックアップがあれば何でもできると思って思い上がっている。しかしつぶれるのも早い。背後勢力は安倍がつぶれても、次なる人間にとって替えて操縦していく。安倍晋三憎しだけでは的外れで、安倍を使っている本丸、背後勢力の米日独占資本、とりわけアメリカの存在を鮮明にしないといけない。
F 憲法を守るか守らないかに問題を矮小化してはならない。憲法があったから戦争しなかったという代物ではない。国民世論との力関係でできなかったのだ。アジアで日本が再び侵略をやるとなったら、恨みを買っているから少少ではない。中国や韓国だけでなく、日本の軍事行動に対する目は厳しい。昔、田中角栄が東南アジアにカネをばらまこうとして外遊した際、「イエローヤンキー帰れ!」といわれたことがあった。そのように見られている。アジアで好きに振る舞えると思ったら大間違いだ。だからアメリカの陰に隠れて進出してきたのだ。
しかしアメリカも余裕はなくなって、いまや日本を盾にしなければ保たない。それで前面に立てて中国や韓国と衝突させている。尖閣問題にしても仕掛けたのは石原慎太郎だった。アメリカのネオコン系列のシンクタンクに行って火をつけた。民主党の野田が一緒になって国有化したものだから、長年棚上げしていた領土問題で緊張が生み出された。自民党政府になっても引き続き緊張関係を続けている。武力ではなく話しあいで解決をはかるというのが戦後の国是で、国民的世論を背景にして縛り付けられてきた関係だ。手出しできなかったのだ。それをやろうというのだから大変なことだし、みなが腹を立てる。
A 多くの国民が「戦争まではしないだろう」と思っていた。ところが本気で戦争をしかねないから世論が変化している。「このバカ、本気で戦争を仕掛けようとしているじゃないか」「それだったら話は別だ」とかなりの層までが危機感を抱いている。これまで戦争はしないという戦後の信頼があった。自民党でもそのような勢力が主流で、野中広務とか古賀誠とか、亀井静香とかの古手が安保法制を批判していたが、戦争はいけないというのが前提にあった。そういうものを包括して自民党はやってきた。これが小泉から安倍に至る過程で崩壊した。
全国的統一戦線を 労働運動の転換が要
B 戦争を阻止するために、全国的な統一戦線の力を強めることが待ったなしだ。広島、長崎、沖縄はもちろん、安保法制反対と結びつけた基地撤去、独立の課題を鮮明にしなければならない。教育も軍事とセットだ。戦前の教育政策がどうだったのかを現代の教師が学び、教え子を戦場に送らない! のスローガンを今こそ掲げないといけない。かつてそれで痛ましい経験をした。これをくり返してはならないというのが教師の戦後出発だった。今まさに教え子が戦場に連れて行かれるという時に、教師はどうするのか、日本中の教師たちが問われている。子どもたちを不幸に追いやってはならないし、身体を張ってたたかうかどうかだ。教師は各階級をつなぐ統一戦線の鎖の環だ。
E 知識人の運動が学生の運動に火をつけているが、これは労働者の運動に必ず広がっていく。東京の行動でもサラリーマンや労働者の参加が目立っている。近年はグローバル企業になっているから、大企業の社員といっても、中東に行ってこいとか、危険地帯に足を運ばないといけない。金融関係でもそうだ。アジア圏に出かけるのも切実になってくる。海外ではブラック企業は日本国内どころでない悪さをしている。中国でも何かと日本企業がターゲットになっているが、反日の理念的なものだけではない。現実的な搾取に反発が向いている。
A 進出先では相当に反発がある。だからこそ軍事力がいる。アメリカの核の傘だけでは対応できない。日本の独占資本の要求からすると、海外権益を守るために軍事力を必要としている。アメリカも「それくらい自分でやれ」となっている。邦人保護というより「法人保護」だ。この10年だけ見ても生産拠点の海外移転がすごい勢いで進んできた。海外で搾取するということは国内以上に残酷なことをやるに違いない。
労働者が大きな国際的な共通利益、全国的、全人民的利益の側にみずからを位置付けて労働運動を強めなければ展望はない。狭い視野の自分だけが良ければ他はどうなっても構わないという組合主義、経済主義が労働運動をつぶし、悲惨な状況に追い込んできた。これを転換しないといけない。戦後の労働運動がダメになったのもそこだ。アメリカとたたかう。そして平和を守る。反帝平和を鮮明にして、労働者の使命感に立って行動することが求められている。労働者、教師、各界各層が持ち場を基礎に行動し、全国民的な統一戦線の力を強めるなら戦争を阻止することはできる。