いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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政党政治の壊死(えし)状態を露呈 統一地方選が炙りだしたこと

山口県議選の結果から全国的普遍性を考える

 

 統一地方選は全国各地で投票率が過去最低を更新したり50%を下回り、無投票のまま議員が決まる選挙区も続出するなど、これまでになく低調で現在の日本の沈滞した政治状況を物語るものとなった。そのなかで「寝た子を起こさない」選挙によって組織力を有する自民党や公明党が無風状態をすり抜け、野党を標榜する既存の政治勢力が隅っこに幾つかの議席を与えられる形骸化したパターンのくり返しとなった。こうした政治が窒息した状況を打開する術はどこにあるのか、山口県議選の結果を分析し、全国的普遍性とつなげて考えてみた。

 

    

  山口県議選は全15選挙区のうち、周防大島町(定数1)、宇部市(同5)、下松市(同2)、長門市(同1)、光市(同2)の5つの選挙区が無投票になった。選挙区としては3分の1、県議会の定数47のうち、およそ4分の1にあたる11人が有権者の審判を仰ぐことなく議員になった。これほど無投票の選挙区が続出したのは異例だ。

 

  政治的なぶつかりや地域における意思表示の意欲が喪失し、活性化していない状況をあらわしている。これは安定をあらわしているのではなく、沈滞、停滞をあらわしている。そして候補者や陣営が無投票を大喜びしている。きわめて情けない光景だ。議員たるものが選挙を恐れ、あわよくば無投票で4年間税金に寄生してやろうという魂胆なのだ。

 

 無投票になったのは、一元的な自民党支配の構造が敷かれ、それに対して有権者や組織を束ねて対抗していくような野党勢力がいない地域でとくに顕著だ。保守系に投機していく者のなかでもさまざまな矛盾を反映して、以前ならば市議会議員が県議会議員に挑戦するとか、もっと野心的で積極的な動きもあったが、安定を求めて枠内に収まっているのが増えている。そして、一方の野党陣営にも議席を奪取するほどの意欲も能力もなく、当該地域に足場がないケースがほとんどだ。55年体制が崩壊して、とりわけ野党陣営が存在感を失ったもとで、政治を動かしていくパワーが形となってあらわれにくい状況がある。牽引していく政党も政治勢力もいない。いるのは自民党だけといった感じで、個個バラバラな状態に置かれている。そして、田舎ほど有権者は無投票によって、選挙で意思表示する選択肢すら奪われる。

 

  全国的にも無投票の選挙区が続出して問題になっている。政治と有権者の距離が離れているのがまず第一の特徴だ。41道府県議選でおよそ4割の選挙区が無投票になった。岐阜県や香川県では県議会の定数の半分近くが無投票で議員になり、山口県よりもひどい状況だ。議会制民主主義が機能不全に陥っている。

 

  山口県議選の投票率を見てみると、下関選挙区は38・89%と山口県下でも抜きん出て低かった。定数9に対して12人が立候補したが、選択肢の乏しさを反映した。他の選挙区を見てみると、50%をこえたのは柳井市、上関町・平生町・田布施町、萩・阿武町の3選挙区くらいで、あとはほとんど40%台前半。県下全体の投票率としては44・03%で過去最低を更新した。5~6割の有権者から相手にされない選挙だったということだ。

 

 B イージス・アショアの配備問題を抱える萩・阿武町は、58・24%ともっとも投票率が高かった。なかでも、阿武町の68・32%は県下の市町別に見ても最高の投票率となった。河村建夫の実弟である田中文夫が阿武町での得票を大きく減らしたが、焦眉の課題が問われたところでは、住民の県政に対する意思表示が目に見える形で動いた。萩・阿武選挙区ではイージス・アショア反対を叫んだ女性候補が落選こそしたが、それをもって一概に「イージス・アショアに反対している票はその程度」という関係にはならない。田中や新谷の支持者もアショアには反対という人は多いが、いざ選挙でその女性に入れようとはならなかったというだけだ。やはり選挙は甘くない。スローガンだけを叫んでも厳しく、日頃からの組織力や努力の積み重ねがなければ当選などおぼつかないことを教えている。

 

下関選挙区 最下位当選は初の5000票台

 

 C 先ほど、下関の投票率が山口県下で飛び抜けて低かったことが出されたが、今回の地方選、山口県議選の特徴をもっとも端的にあらわしているのではないか。泡沫が出てきて無投票にはならないが、実質的には無投票みたいなものだ。そして低投票率によって現職が低レベル化しつつ、ぬくぬくとしている。選挙期間中も候補者や陣営を見ていて、「相手にできない…」という幻滅感が方方で語られていた。選挙カーが名前の連呼ばかりして走り去っていくが、沿道はそっけないし、まるで宙に浮いたような雰囲気が最後まで漂っていた。ある陣営の関係者に「街頭演説くらいしたらどうか」と話したら、「あいつに演説なんてできる訳ないじゃないか。バカなのがばれる」などという。まったくひどい話だ。それで名前だけを延々と叫び続けている。選挙の体を為していない。

 

 行政や議会関係者、選挙好きのなかでは、もっぱら「落選するのは吉村、佐々木ともう1人は誰か」を当てるクイズばかりが流行して、「酒本か? 有福か?」などといわれていた。有福が1カ月前に出馬表明するなど出遅れたのもあって、「連合が弱体化しているとはいえ、さすがに酒本が落選することはないだろう」と大方が見なしていた。しかし、そんな酒本も市議選では2000票そこらの最下位で当選し、一期で転身したことから「有福か? 酒本か?」が最後まで話題になっていた。そんなこんなも含めて、何の面白みも新鮮さもない選挙だったということだ。そして、しらけて6割が投票所に行かなかった。それだけの有権者が何の期待も抱いていないというのはきつい話だ。しかし、おかげで当選ラインが下がって議員どもは恩恵を被っているのだ。

 

  有福は元職で地盤は豊北町。旧四町出身のハンディキャップは大きく、当初は出馬しないと見られていた。現職や各陣営は本音では無投票に淡い期待を抱き、泡沫以外には有福の動向を探っていた。しかし、身も蓋もないのだが菊川町出身の現職・林哲也(林事務所の元秘書)が「出馬しないでね」とお願いに行ったとかで、それを機に逆に出馬する意欲をみなぎらせたのだといわれている。ポッと出て3000票が集まるのだから、これまた今回の県議選の空気を象徴している。

 

 林哲也は前回県議選で豊浦町出身の高瀬が新人として出馬し、それまで親戚関係もあって票を回してもらっていた稲村(元豊浦町長)が離反して高瀬についたことから票数を大幅に減らしていた。林派企業のサンデンがついているとはいえ、現職のなかでは強い危機感を抱いていた口だろう。結果的には、前回選挙よりもさらに900票近く減らしてかつがつ当選した。もう1人の林派県議である塩満には合同ガスが全面的についていたほか、長府の安岡(市議)の地盤なども力を入れて歩き回ったようだ。

 

  安倍派は友田、西本、高瀬、平岡の4人がなんとか当選した。安倍晋三ともっとも親しい友田は県議会議長を狙っているとかでトップ当選を目指していたようだが、票数は芳しくなかった。むしろ1万票にも届かず前回より減らした。安倍派の4人はそれぞれ地域や業界の組織票をまとめて当選はしたが、なかでも江島寄りの高瀬(豊浦町)が6300票台と、前回選挙よりも1000票以上減らしたのが特徴だった。今回の県議選は低投票率の低レベル選挙だったことを反映して、1万票に乗せたのはわずか2人のみ。そして当選ラインは恐ろしく下がり、連合が担いだ酒本も5600票台で最下位当選した。これまでならあり得なかったことだ。前回選挙を見てみると、最下位の得票は7004票だった。そこからさらに5600票台まで当選ラインが引き下げられたわけだ。立候補者が減り、投票率が下がることによってこうした芸当が可能になる。「下関で県議になるには1万票」が基準とされてきたが、そのように低レベル化している。バカみたいに名前だけを連呼して、街頭演説で真面目に政策を訴えようとする者が1人もいない。仮に前回並の争いだったら、高瀬、林哲也、酒本は落選しておかしくなかったということだ。「寝た子を起こさない選挙」様様だ。これは市議選とも似ている。

 

  とはいえ、無投票ではない選挙だけに陣営の組織力や実力が可視化される。山口県内全体を見ても労働組合の連合が解体に向かっているが、下関でもその傾向が著しい。連合の県議会議員として下関では加藤寿彦が長年顔になっていたが、前回選挙では6500票台とそれまでよりいっきに3000票近く減らして落選した。今回は娘婿の兄弟である酒本哲也(国民民主党山口県連幹事・無所属で出馬)にバトンタッチしたが、前述したように5600票そこら。加藤よりも900票近く減らしている。しかし当選できたのだ。

 

  公明党の先城もトップ当選したとはいえ、創価学会の弱体化が進んでいることを露呈した。前回選挙では現職2人あわせた得票は1万7000票をこえていたが、今回は曽田を山口市選挙区で擁立し、下関選挙区では先城の1人に搾って挑んだ。得票は1万4000票だった。市議選でも3000票台に5人をきっちり乗せてくるのが学会だったが、この2月の市議選では衰えを露呈した。候補者を2人から1人に絞るという決断は、組織の衰弱を認識しているが故だろう。結果的には2人擁立しても余裕で当選できる得票ではあるが、安全策をとった。そして、公明党が連合に1議席をプレゼントした格好になった。かつてはF(フレンド)票もあわせて1万8000票などといわれていたが、信者の高齢化や減少、若手が選挙に行かないなどの要因もあって組織力が細っているようだ。「日共」ほどではないが、同じようにじり貧の傾向があらわれている。新たに組織し、浸透していく力が弱まっているのに特徴がある。

 

  こうして、定数9のうち安倍派4、林派2、公明1、連合1、「日共」1で棲み分けができ、県議のイスがほぼ固定化されて硬直している。そして、日頃から何をしているのかわからないが、当選すると威張っている。この弛緩した政治状況をぶち破るために元気のいい若手や新人が登場して欲しいという要求は有権者のなかでも強いが、かといって素人が挑戦しようとしても「1万票の壁」なり「5000票の壁」は高く、人と人をつなぐ組織力やパワー、存在感がなければ無理な話だ。政治勢力として台頭しなければ不可能なのだ。これは市議選でも同じで、選挙をたたかうといった場合、地縁血縁頼みの田舎選挙とは訳が違う。無投票が多く、若手や新人が出ないというが、それを支える政治勢力がいないし、物理的な難しさをともなっているのが現実だ。

 

 実際に一般人が地方議員になろうと思ったとして、「この指止まれ」で出馬表明したところで、たくさんの有権者に支持してもらわなければ当選できない。自己評価が高くても、認めてもらえなければ始まらない。選挙の前から後援会を立ち上げ、会員を募って拡げていくと同時に、有権者のもとを丹念に歩いて顔と名前を知ってもらい、自分は何がしたいのか政策を訴え、「それなら応援してやろう」と背中を押してくれる支援者を増やしていく努力がいる。この組織力がまず第一に必要となる。

 

 さらに何千人と集まる後援会員に対して、「ご入会ありがとうございます」の電話をかけるのも1人では手が回らない。選挙が始まれば陣営スタッフが揃っていなければ身動きがつかない。選挙カーに同乗したり、伴走してくれる人員、事務所に待機して支援者や有権者に対応する人員、選挙期間中に何千人という後援会員に電話作戦を展開する人員、押しの一手といわれる手紙の宛名書き、選挙後も「おかげさまで当選することができました。期待に添えるよう頑張ってまいります」「落選してしまいましたが、皆様の御支援に感謝しております」等等の電話をする人員など、たいへんな人材と労力を必要とする。

 

 選挙カーの作成や看板の作成、リーフの作成、供託金などカネもかかる。ポスター貼りも業者に頼めば20~30万円は吹っ飛んでいくが、手伝ってくれる支援者がいれば、1000カ所近くを割り振って、全箇所を押さえなければならない。それらの手配も本人がやっていたのでは選挙の追い込みに力が注げない。候補者本人はみずからを客観視できないので、時にはしかり飛ばしたり、まとわりついてくる選挙ブローカーを撃退したり、切り崩しに対応したり、あるいは演説内容をもっとこうせよと指摘したり、陣営の指揮をとる参謀も必ず必要になる。後援会員をまとめうる後援会長も必要だ。組織票や組織力を持たない人間が挑むなど、ほんとうに至難の業なのだ。

 

 政党政治が壊死したような状態に成り下がり、さらにこうした組織力のあるコミュニティーやつながりが乏しくなっている状況が、無投票にも少なからず影響している。政党政治が劣化して誰も選挙に行かないようなろくでもない状況が深刻になっているが、一方でそれをぶち破るにはパワーが必要なのだ。簡単な話ではない。それでも下関では、次の県議選は少少考えて、街のみんなの力で仕掛けなければならないように思う。国政と同じように一強他弱で政治構造がウンともスンとも動かないのであれば、みんなの力をつないで沈滞状況に風穴を開けることが必要だ。そのために重要なのは、選挙に行かない幻滅している6割とつながっていくことだ。既存の選挙に行く4割の枠内で物事を考えているようなスケールの小さなことでは話にならない。

 

  山口県内のその他の選挙区でも似たり寄ったりだ。そして、議席数からすると自民党と野党の獲得議席はほぼ変わりがない。基地問題を抱える岩国では、井原が相変わらず上位当選した。「日共」は岩国で1議席を獲得して県議会4議席を目指したが落選し、山口市の河合も落選し、下関の木佐木と宇部の藤本の2人。宇部が無投票だったおかげで、2議席を死守した関係だ。宇部では佐々木明美が引退して、県議会の社民党は消滅するかと思われたが、これまた無投票のおかげで後継者の新人が「当選」して1議席を死守。自治労関係者としては山口市の小田村、山陽小野田の中嶋などが当選した。

 

 周南では国民民主党の戸倉多香子が9000票台で当選した。周南市で連合票は6000票といわれているが、他に選択肢がないなかでアンチ自民の力が働いたと見られている。県議会で自民党議員たちからいじめられていたが、あの議会構造のなかでいじめられるのはむしろ良いことだ。そんな経過を知っている者もいて、ならばもっと背中を押してやる! という動きもあった。井原、戸倉に関してはよくとったと評価される数字だ。自民党ではない女性候補たちは得票数としても有権者に認められたといえると思う。

 

  周南では高村正彦の力が落ちているようだ。高村の秘書だった友広、新造、有田の3人が立候補し、高村事務所としてはトップ当選だった友広と距離が開き始めていたなかで新造と有田を通したかったようだが、有田まで手が回らず4000しかなかったことで落選した。黒神―徳機の岡田幹矢―高村ラインの影響力が弱まっていると見られている。あと、山口県は衆院選の選挙区再編も動いていて、現在の1~4区から1~3区になると見られている。そうなると、高村正彦の息子ははじき出されてもおかしくない。それなら選挙区合併を察知して岸信夫に投機しようとかの動きも顕在化しているようだ。ちなみに有田の弟が山口市選挙区で立候補したが、こちらも落選した。

 

 原発計画を抱える上関町・平生町・田布施町では吹田愰の秘書をしていた国本が当選し、反原発を標榜した小中が落選した。とはいえ、小中本人の実力には見合わないほど票数としては出ている。柳井市では星出(山口銀行出身の若手自民党県議だった)がメンタルまで含めてボロボロに「上」からやられたとかで2期で引退に追い込まれ、かわりに山本繁太郎(前知事)の親戚にあたる有近と平井龍(元知事)の親戚である平井が保守分裂選挙を展開し、有近が勝った。

 

転換期の沈滞か 皆の力繋ぎ覆す動きを

 

 A 前段で論議したように、無投票の選挙区が続出し、全国的に政治が沈滞している。これは国政とも重なるものがある。議会制民主主義が形骸化してしまい、民主主義を発露する場がない。目の前に投げ与えられる選択肢が自民党かその他の野党かという極めて魅力の乏しいものに限定され、「オマエたちではない」と思っている有権者が半分以上も選挙を棄権する。そして低投票率に依存して、一強体制なるものが思い上がっている。

 

 地域やコミュニティーのなかから政治を動かし、下からボトムアップで政党政治が実現されるという代物ではなく、上から投げ与えられた選択肢に辟易して、有権者が拒否しているような光景だ。「選挙に行かない有権者が悪い」とよく野党支持者が口にするのを耳にするが、そんなに単純なものではないし、負け惜しみをいったところでどうにもならない。目先のことだけでなく、本質的な問題をえぐらなければならないのではないか。なぜ、有権者の5割に相手にされないのか真面目に考えないといけない。訴える政策の内容もさることながら、まず第一に国民や有権者を代表していないから、自分たちの代表を議会に押し上げたいと思えないのだ。誰がどう見ても選択肢として認められていない結果が5割の棄権になっている。

 

  55年体制の頃はまだ社会党が自民党に対抗する勢力のように見なされ、それなりに存在感も持って受け皿になっていたが、自民党以上に急速に力を失い姿を消していった。その母体となっていた労働運動なども壊滅的な状態で、足腰の強い対抗勢力がなくなった。それらの解体後にあらわれた民主党といっても御用組合の連合や一部財界のテコ入れでこしらえた二大政党制の片側というだけで、その代理人にほかならなかった。案の定、大裏切りをやって有権者から見透かされた。その遺物たちが「反自民」を叫んだところで、圧倒的な有権者の心をつかむような力を持ち得ていないのが現状だ。そして上から人為的に作られた政党の性質として仕方ないのかもしれないが、地方議会などではまるで足場がなく、風任せで党の存亡が揺らぐのだ。根無し草ではなく、どっしりと支持基盤を全国津津浦浦に張り巡らせて立ち上がった政党であれば、そうはならないはずだ。

 

  自民党が強いわけでもないのに、それ以上に野党の側が壊滅状況にある。そして、与党にせよ野党にせよ、双方が国民から遊離して政治が漂流している。こうした状況は下関選挙区も同じだが、地域のなかから人と人の力をつなげて、下から覆す動きを強め、横につながっていくことでしか打開できないのではないか。なにがしかの国政政党の組織があってみんなが結集するといっても、その国政政党そのものが死に体となって持って行き場のない力が鬱積している。安倍政府のような代物が続くのも、そうした政治の壊死状態が深く関わっている。

 

  海外でも街頭からつながって大衆的な新政党がいっきに台頭したりしているが、日本でもその土壌は同じで、新しい動きが求められていると思う。幻滅している分、期待が集まれば急速に広がっていく可能性も秘めているのではないか。それこそ、劇場型で上から投げ与えられる維新であるとか、みんなの党、希望の党とかの俗物にフェイクされるのではなく、国民世論を結集しながら、足腰を鍛えて下から政党を作っていくような動きが切望されている。壊死した細胞や政党は消滅し、有権者によって切り捨てられればよいのだ。民主主義の発露を阻害し、かさぶたになっている存在は剥ぎとらなければ、次の細胞なり政治の展望につながらない。簡単な話ではないが、長い目でみるとその転換期の沈滞・低迷であるように思えてならない。いつまでも同じ状況が続くわけではないし、受け身ではなく打開しなければならないのだ。

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