いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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野党共闘に未来はあるか? 安倍政府は政党政治崩壊の産物 政治不信の打開が課題

消滅政党乗り越える力こそ

 

 衆参同時解散を自民党がちらつかせたり、慌てたように野党が合従連衡をくり広げたり、永田町界隈がにわかにざわついている。春の統一地方選を経て7月には参院選が控えるなかで、弱体化が著しい野党に助けられる形で自公政府は胡座をかき、一方の「多弱」の側も支持率ゼロコンマ数パーセント同士が存在感をアピールするために合併してみたり、何ともしれない様相を呈している。「安倍一強」などといわれてきた国会の体たらくについて、巷で批判世論は鬱積している。しかし、いざ選挙になると受け皿になり得る政党が見当たらない--。この選択肢の乏しさが強烈な政治不信とも相まって低投票率となり、もっけの幸いで自公が勝ち抜けるパターンが常態化している。政党政治が窒息しているといっても過言でない状況について、記者座談会で分析した。

 

  目下、衆参同時解散を自民党が臭わせ、それに対して野党側がドタバタしている印象だ。国民民主党と小沢一郎率いる自由党が合併の動きを見せ、そこに維新の代表だった橋下徹を担ぎ上げる可能性が取り沙汰されたり、はたまた立憲民主党の枝野と小沢(自由党)の確執で野党共闘も一枚岩でないとか、共産を排除するかしないか等等、生き残り戦略を巡って各党ともに必死な様子が伝わってくる。

 

 この野党共闘こそが安倍政治を覆す唯一無二の方法なのだという調子で、とくに野党の支持者界隈では口にする人も多いわけだが、本当にそうだろうか? もともと支持基盤がスカスカの消滅政党が安倍批判でダンゴになったところで、果たしてどれだけ有権者を組織する実力をもっているのか甚だ疑問だ。政治が全般として劣化しているもとで、手の問題として目先のみを考えるのではなく、もっと根本的な問題を真面目に考えないといけない。

 

  NHKが出した直近の政党支持率調査を見てみると、自民党37・1%、立憲民主党5・7%、公明党3・3%、共産党3・1%、維新1・2%、国民民主党0・6%、社民党0・4%、自由党0・2%、特になし41・5%なのだそうだ。このなかで国民民主と自由党が合併しても、その支持率の合計はわずか0・8%に過ぎない。いわゆる野党をすべて合計しても自公には及ばないことになる。

 

 政党支持率と議席数は直結したものではないが、まともな対抗勢力として見なされ、有権者から支持を得ている政党がいない現実を認識しなければ始まらない。安倍晋三をはじめとした大臣たちの国会答弁であるとか、モリカケ騒動、統計偽装にいたるまで、いまやデタラメきわまりない政治が跋扈(ばっこ)している。一方でこのような低俗な政治状況を打開していくような気迫を持った、そして実力を備えた政党が存在しないから延延と続いている関係でもある。それほどまでに野党の解体が進んでいる。

 

  野党側の弱さについて指摘すると、特に革新系といわれる陣営のなかから「安倍自民党を利するのか」などといって大きな声を出して怒る人もいるが、そんな短絡的な話ではない。この国のなかで自民党を凌駕(りょうが)する政党がいないから安倍政府のようなものがのさばっているというのは、誰の目にも明らかな事実だからだ。野党についても「どうしようもない連中だな…」と思っている有権者が多いから支持が集まらないのだ。消滅政党と化していることにはそれなりの理由があるのに、「支持してくれない有権者がけしからん!」「投票に行かない意識の低い有権者のせいだ!」などといっているようでは救いようがない。

 

 D いざ選挙となれば自民党の実際の支持率、すなわち全有権者のなかで占める得票率は比例で17%、選挙区でも公明の支援を受けてせいぜい25%程度だ。しかし、小選挙区のテクニックで「一強」となって国会を独占する仕組みになっている。選挙に行かない人人が46%と最大勢力を占め、残りの54%のなかで17%なり25%、すなわち一等賞を獲ったら「一強」ができあがる。まず第一に46%が排除されることによって成り立っているし、政治不信に味をしめた構造といってもいい。

 

 この46%、政治不信で遠のいている有権者や国民に働きかけ、心を動かすような政党が出てこない限り、自公政府を吹き飛ばすことはできない。選挙に行く54%の枠組みのなかだけで足し算引き算をしているようなことで、なにが政治かという話だ。政治不信の根源に迫り、この解決も含めて政治運動の未来をこじ開けていかないことには展望にならない。すぐにどうこうなる代物ではないにしても、世界的には下から人と人をつないで、既存の政治構造を揺るがすような動きが顕在化している。日本社会といっても、共通の土壌があるように思えてならない。噴き上がっていないだけだ。

 

警官が厳重に警戒したもとで安倍晋三の街頭演説はおこなわれた(秋葉原、2017年10月)

民主党解党が意味すること  誰がやっても米国や大企業の番頭役

 

  前回の衆院選は非常に謀略じみたものだった。モリカケ騒動でボロボロだった安倍自民党は支持基盤としても随分崩れた結果になった。しかし、民主党が自爆的な分裂劇をくり広げたのに助けられて議席だけは独占した。あの選挙でやられたのは、野党殲滅作戦だった。にわか仕立ての劇場型で小池百合子率いる希望の党がつくられ、まるで反自民のような装いをしながら民主党の右派がそこに合流し、代表の前原誠司みずからが民主党をぶっ壊す挙に及んだ。地方の民主党陣営などは、希望の党の公認をもらうか立憲民主に行くかで最後まで踏み絵を迫られたり大混乱だった。自民党にとっては「敵なし」の選挙戦みたいなものだ。

 

  民主党といっても自民党と同じように対米従属構造のもとで米日独占資本に飼い慣らされた政党だったが、野田佳彦がみずから自民党に大政奉還したり、もともとが第二次安倍政府誕生の生みの親だ。前原や細野による民主党解体もその性根が暴露された過程にすぎない。一方で、切り捨てられそうになった民主党の残党が、世論に突き上げられる形で立憲民主党を結成し、反自民の受け皿として首の皮をつないだ。希望の党の性質はすぐに見透かされて、最近では都民ファーストとか小池百合子など存在感すらないが、あのようにメディアを動員してショック・ドクトリンのような形で扇動していく。自民と希望による保守二大政党で政治的安定をつくり出そうとしたが、不完全燃焼に終わって今に至っている。古くはみんなの党とかもあったが、改革派を売りにした希望や維新のように、反自民もどきのにわか政党を立ち上げて、何が何だかわからないような状況をつくって目先をフェイクしていくのが近年の特徴だ。自民党が崩れそうになると、その受け皿を用意するかのように自称「改革派」政党が出てくる。自民党への批判の強さを支配の側もわかっているのだ。

 

  その後の元民主党の国会議員たちの漂流っぷりがすごい。国民民主党と自由党といっても、元をたどればみんな民主党所属だった面面の合従連衡であり、今さら何をしているのだろうかと思わせるものがある。民主党(民進党)を解体して希望の党と合流した勢力が国民民主党に名前を変え、一方で枝野らが立憲民主党を立ち上げた。民主、民進、希望、国民民主、立憲民主と名称がグチャグチャに入り乱れ、誰がどっちに行ったのか有権者にとってはわかりにくい。そのなかで、どちらの党にも居場所がなくなった元党首の岡田克也、総理経験者である野田佳彦、維新から合流した江田憲司、安住淳といった面面は無所属の会を宿り木にして、最近になって立憲民主党会派に合流するなどといっている。そして、民主党幹事長だった細野豪志にいたっては、自民党・二階派の特別会員に入会するのだという。呆れるような話だが、政治的理念とか矜持など二の次で、恥ずかし気もなく自民党の軍門に降っていくのだ。

 

  裏切り者たちの哀れな末路だ。こうした民主党の残党たちに今さら熱烈な支持や期待が集まるかというと、既に終わった政治家として烙印を押された印象の方が強い。反自民の票によって与党ポストを得ながら、結局のところやることはまったく同じで、消費税増税やTPP、原発再稼働、米軍再編など経団連やアメリカの要求を丸呑みばかりして有権者の期待を裏切った。そして、自民党を喜ばせる形で大政奉還し、みずから党を解党していったのだ。反自民世論があまりにも強いから、財界も容認する形でワンポイント・リリーフの任を引き継いだというだけだった。

 

  鳩山の頃は東アジア共同体構想を打ち出したり、辺野古新基地建設でも県外移設を唱えたりしたが、アメリカからの圧力で叩きつぶされた。陸山会事件で小沢も追い出され、菅直人や野田佳彦の番になるとアメリカや財界の番頭役そのものだった。どの政党が政権を握ろうと、首相官邸や官僚機構は対米従属の鎖につながれてアメリカのいいなりであるし、財界に奉仕する道具と化すことを見せつけた。福島事故後の「直ちに影響はありません」(枝野)とか、原発ゼロをアメリカに叱られて反故にしたり、一連の過程で誰を守り誰のために機能している政府なのか性根が暴露された。かつて社会党が村山内閣誕生で自民党にとり込まれて壊滅していったが、似たようなものだ。

 

 正面の自民党が腐敗堕落して力を失っているのと同時に、いわゆる野党といっても同じように信頼を失い、現在のような政治不信をつくり出していることについてメスを入れないわけにはいかない。相互依存、相互浸透によってともに劣化している。そして安倍晋三みたいなものが大きな顔をして、議会制民主主義とか三権分立などそっちのけでも為政者としての地位に居座り続ける。終いには官僚が公文書改ざんや統計偽装まで手を染める始末だ。いまや建前の世界すら投げ捨てて、統治機構全体が腐敗堕落の道を転落しているかのようだ。

 

  55年体制では社会党が最大野党として存在感を持っていたが、そのDNAを引き継いだ社民党はいまや国政政党としても消滅の危機に瀕している。連合などを母体とした民主党も社会党の残党たちをとり込む形で構成されたが、これまた解党だ。連合といっても、もともと総評解体のためにつくられた組織で、資本に飼い慣らされた労働貴族どもが労働運動を完全にぶっ潰してしまった。いまや企業組合もいいところだ。この「労働者の組合」を標榜する汚れ勢力が労働運動を抑える桎梏(しっこく)となり、支配の一翼を担っていることについても今日的な特徴がある。労働者階級vs資本家階級などといっていたが、いまや大企業の代弁者に成り下がってしまい、一定の発言権やポジションだけは与えられて飼い慣らされている関係だ。そして、民主党で与党利権にありついて有頂天になっていたのだ。55年体制はいわば右と左の二刀流支配だった。その変質型で、自民vs民主みたいに扱ってきたが、基本的に自民党も民主党も支配の代理人争いをしていただけだ。だから対米従属には抗わず、大企業天国を保障するという点で自民党と政策上も同じものになるのだ。

 

剥がれ落ちた支配の欺瞞

 

  選挙は近いのかもしれない。他に対抗軸がない状況のなかで、野党共闘に命運を託すかのような空気もある。それは反自民で安倍晋三の暴走政治をどうにかしたいという思いの受け皿にはなるかも知れないが、それ以上の力にはなり得ないのも現実だ。消滅政党の寄せ集めに未来はあるのか? どれだけの有権者が期待を抱くのか? だ。既存の政党政治が劣化衰退し、自民党も野党も力を失っているなかで、その限定された選択肢のなかから誰を支持しますか? と問われても半数の有権者がしらけてそっぽを向く。この状態に終止符を打たなければどうしようもない。

 

  最近おこなわれた下関市議選が象徴的だったが、41陣営もいながら6割の有権者に無視され、しかし組織票依存なものだから低投票率(当選ラインが下がる)に大喜びして下位当選していく者が後を絶たなかった。国政そっくりではないかというのが実感だ。低投票率依存体質が染みついて、みんなして堕落しているような選挙模様だった。そして議会そのものの質が低下したもとで、現職は軒並み得票を減らして青ざめている。有権者は相当に意識が鋭いし、「投票に行かない有権者は意識が低い」などという代物ではない。むしろ逆で、政党なり候補者の質低下が著しいだけであって、大半の有権者がこうした現状に怒っているのが現実だ。

 

  投票率が70~80%台のような選挙であれば、自民党と公明党の25%など楽勝でたたきのめす選挙になるのに、これらが寝た子を起こさない低投票率選挙の上にあだ花を咲かせている。そして、幻滅している有権者の心を獲得するような力量もなく、そのような政策を打ち出すわけでもない者が、合従連衡に汲汲としている。何と志の低いことかと思う。政党政治の崩壊状況をあらわしている。対米従属のもとで戦後74年が経ったが、主権を投げ出して何事もアメリカに追随してきた政治の末路にも見える。重要な特徴は、右・左を使った支配の欺瞞が剥がれ落ちていることだ。

 

  歴代の総理大臣といっても、宗主国であるアメリカに認められなければ続けることができない関係は大方のものが薄薄感じているわけで、現状では何も考えずに暴走する反知性主義者が使いやすいというだけに過ぎない。ポツダム宣言を読んだことがないとか、総理大臣が自分のことを立法府の長と思い込んでいるとか、そんなことは関係ないのだ。そして、自衛隊が米軍の下請として地球の裏側までかり出されたり、東アジアにおいてイスラエルみたいに狂犬的な振る舞いをして隣国と喧嘩腰外交をくり広げたり、アベノミクスによって打ち出の小槌のようにカネをばらまいて多国籍資本を喜ばせたり、ろくでもない状況が続いている。少子化がひどく外国人労働者がいなければ社会が成り立たないというが、国の未来を本気で心配していないから、なるべくしてこのような衰退社会になっているのだ。

 

  前回衆院選では謀略じみた選挙構造のなかで、そうはいっても主権者たる国民が自民&希望による国会独占を許さず、さしあたり立憲民主を担ぎ上げて意志を突きつけたような結果だった。枝野とか立憲の善し悪しなど抜きにして、別に打ち合わせした訳でもないのに下から勝手にうねりをつくっていった。政治不信がすさまじいなかで、はけ口を求めているからだ。

 

毎回多くの聴衆がとりまいた立憲民主党の街頭演説(新宿駅前、2017年10月)

 既存の政党が力を失い、欺瞞力も失って消滅の過程にあるが、このさい消滅する者は勝手に消滅していけば良い。自民党が安倍晋三のもとで自壊するのも時間の問題だ。それら桎梏となってきた存在が淘汰されたもとで、国民的な力によって本物の政党をつくっていくような努力、全国津津浦浦の力をつないでいくような運動が必要だ。人と人をつないで、政治を動かしていく勢力が登場していく情勢だと思う。

 

  スペインやイタリア、フランス、アメリカをはじめとした先進国で、新しい政治運動が台頭しているが、どこでも下から地域コミュニティーの力をつないで、大衆そのものが動き出しているのが特徴だ。日本国内に情報がほとんど伝わってこず、なかなかその変化について捉える機会が乏しいが、それらが国境をこえて影響しあいながら力を増している。米ソ二極構造が崩壊し、むき出しの新自由主義政策がくり広げられるなかで、このもとでは生きていけないという極限の矛盾を反映して大衆闘争が広がっている。既存の政治勢力の枠外から台頭しているもので、新しい質を備えたものだ。多国籍資本による横暴なる支配に対抗して、まともに人間が人間として生きていける世の中にせよ、という要求だ。与えられた選択肢に絶望して、幻滅するというのではなく、ならばみんなでつくっていこうという力が強まっている。旧態依然とした支配の枠組みがぐらついているということだ。日本の窒息した政治状況と重ねても、なにか示唆しているものがある。

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