安倍政府は昨年4月の参院本会議で「主要農作物種子法(種子法)を廃止する法律案」を可決・成立させ、今年四月から施行している。そのなかで昨年末に発行された本書が話題を呼んでいる。本書は種子法廃止の問題点とともに、これまで一般にはほとんど知られてこなかった稲、麦、大豆の育種や種子生産の実態や意味を、研究者の意見や現場の声から明らかにし、日本農業の未来を考えさせる内容になっている。
種子法は主要穀物である稲、麦、大豆の種子の品質を管理し、農家に優良な種子を安く、安定的に供給することを都道府県に義務づけた法律だ。農業試験場など都道府県の公的研究機関の種子生産に関わる予算は国が責任を持って手当てする根拠法にもなっている。種子法ができたのは1952年5月で、「戦中から戦後にかけて食料難の時代を経験した日本で、“二度と国民を飢えさせない”“国民に食料を供給する責任を負う”という明確な意志のもとに制定された」(龍谷大教授・西川芳昭氏)という。
種子法のもとで、多様な品種が作り出され、地域の豊かな食文化を支えてきた。コメは、戦後の食料難では多収量の品種が必要だったが、1970年代からは良食味の品種(コシヒカリ、あきたこまち、ひとめぼれなど多数)が主流になり、近年では米粉パン・米粉麺に向いた品種、餅米や酒米に向いた品種、飼料用品種などが、日本列島の寒地から暖地までその地に適した品種として作り出されている。
大豆は種類が黄豆、黒豆、赤豆、青豆、白豆、大粒種、中粒種、小粒種とあり、その種類ごとに各地に多数の品種があって、その数200種をこえる。これらがモヤシや枝豆、煮豆、きな粉、醤油、味噌、納豆、豆腐、豆乳、おから、油揚げなどになる。地域特有の品種で作られる食べ物が郷土の味になっている。
農学博士の西尾敏彦氏は、日本農業にとって種子法と品種の意味について次のようにのべている。「中央に脊梁山脈を持ち南北に長いわが国では、それがつくる複雑な地形と気象環境の故に、さまざまな農業生態系を持つ多くの地域が形作られている。私たちの先祖はこの一つ一つの地域に、世代をこえ長い年月をかけて多様な品種を作ってきた。台風常襲地ではそれを回避できる早生種を、寒冷地ではそれに耐える耐冷品種を、温暖多雨地帯には倒伏や病害に強い品種を」。困難な条件に立ち向かい農作業に励んできた農家と農業試験場の努力が、これら多くの個性的品種を育ててきた。
種子法はまた、自然災害の多い日本で、いざというときの対応にも機能してきた。宮城県では1993年、冷夏でコメが大凶作に見舞われ、栽培のほとんどを占めるササニシキが壊滅した。これを救ったのが古川農業試験場が育成した冷害に強いひとめぼれだった。地域適性を持った多様な遺伝子資源を保存、育成してきた農業試験場あってこそのことだった。
多国籍企業の狙いは稲、麦、大豆
その種子法の廃止を持ちだしたのは、政府の規制改革推進会議である。同会議は、TPP日米二国間協議の合意により、外国人投資家の意見・提言を付託する機関として設置された。種子法廃止の背後に多国籍種子企業がいることは明らかである。日本有機農業研究会理事の安田節子氏は、彼らの狙いをこう指摘している。
現在ほとんどの野菜の種子は民間のF1(ハイブリッド)種だ。F1種子は成長がそろうため、均一性が要求されるスーパーの市場支配とあいまって普及した。しかしF1種子は両親の優性な形質が一世代目にしかあらわれず、農家は毎年F1種子を購入しなければならない。種子企業はF1種子の開発で飛躍的に成長した。
多国籍種子企業の目下のターゲットは稲、麦、大豆だ。彼らはそのために特許権を武器に使う。特許種子なら農家の自家採種は特許違反の犯罪となり、毎年種子企業から種を買わざるを得なくなるからだ。現在、米国の大豆のほとんどは、遺伝子組み換え(GM)種の拡大によって特許支配されている。それだけでなく多国籍種子企業は、普通の種子も遺伝子解析して多数の特許を取得するようになった。彼らは公的種子や農家の自家採種をなくし、彼らが開発した種子に置き換えていこうとしている。種子法廃止はその一環なのだ。
農薬・化学企業のモンサントは、米国で生物特許が認められるとGM種子を開発・販売する独占企業となり、次には世界規模で種子企業の買収を進めた。2014年、種子企業は上位7社だけで市場の7割を占有。16年にはモンサントとバイエルが、昨年はデュポンとダウが合併し、この二企業だけで世界市場の5割以上を占めるようになった。
では、種子法廃止でどうなるか? 種子法のもとで低価格だった種子の価格が高騰するのは必至だ。現在、各都道府県の奨励品種の種籾の価格は1㌔当たり400~600円だが、それが5~10倍になると予測されている。
また、公的種子にとって代わる民間種子は、企業利益最大化のために、農薬・肥料とセットの大規模農業向けの単一品種に限定されるようになる。種子企業が関心のない品種特性は軽視・無視され、農家が作りたくても、企業が売りたい品種でなければ販売されず、消えてしまう。種子の保存のためには播いて、育成し、種子を採るというサイクルをくり返さねばならないが、それがなくなるからだ。そして一度失われた遺伝子資源は、二度と同じものを手に入れることはできない。
民間種子が市場を席巻し、限られた品種しか販売されなくなると、農産物の多様性は失われる。品種が単調化すると、害虫やウイルス、気候の変化に対する抵抗力がきわめて弱くなる。そのとき抵抗力のある強い品種を作ろうとしても、もはや遺伝子資源は失われている。つまり種子法廃止とは、国民が飢える日が来るかもしれないという問題である。もうからなくなったとき多国籍企業は撤退するが、国民は「撤退」などできない。
種子独占に反対する世界の闘い
アジア太平洋資料センターの印鑰智哉氏は、多国籍企業の種子の独占に反対するたたかいが世界に広がっていることを報告している。
2012年のメキシコを皮切りに、ラテンアメリカ各国で通称「モンサント法案」が国会にかけられた。法案は農民の自家採種を禁止するという内容で、NAFTAや先進国との自由貿易協定の中にUPOV1991年条約(植物の新品種の開発者の権利を保護する内容。最大の開発者はモンサント)の批准が盛り込まれ、それに対応した国内法として押しつけられたものだ。ラテンアメリカでは自給自足的な伝統的農業をおこなっており、農民は自家採種で種子企業に依存していない。その農民から突然種子をとり上げるのだから、反発して当然である。
コロンビアでは、法の施行の日から怒った農民が全国の幹線道路を封鎖し、学生も呼応してゼネスト状態となり、政府はあわてて法の施行を2年間凍結した。グアテマラでも農民が国会に向けて連日デモ行進をおこなうなか、憲法裁判所が同法を違憲と判断し、国会も撤廃法案を成立させた。チリではモンサント法案はTPPとセットで押しつけられたが、国民の批判が高まるなかで廃案となった。ベネズエラに至っては、モンサント法案を葬るだけでなく、遺伝子組み換え種子禁止法まで制定している。
本書を通じて浮き彫りになるのは、稲、麦、大豆という主要穀物に対する公共政策をみずから投げ捨て、多国籍企業の僕(しもべ)となってすでに世界で大失敗している農業の「民営化」に突き進む、日本政府の度外れた主権放棄である。そして実は当の米国ですら、小麦については3分の2は自家採種、残り3分の1は各州の大学や農業試験場で育成された公的種子で栽培をおこなっているのだ。その他、種子を守るために今からできることについても三氏が提言をおこなっている。
(農文協ブックレット18、B6判・94ページ、定価900円+税)