近年、 中国侵略戦争における南京虐殺をめぐって、 近年「大量殺りくはなかった」「自衛のための発砲であり虐殺ではなかった」などの言説が書籍やネットで、 まことしやかにふりまかれるようになった。 日本テレビ系のNNNドキュメント 南京事件Ⅱ--歴史修正を検証せよ (13日深夜放映) は、 天皇制軍国主義が犯した 南京事件 (中国人捕虜の大量殺戮) の真実を、 当時の日本軍兵士の30冊以上の陣中日記や200人におよぶ肉声の証言を通して、 赤裸裸に暴露するものであった。
冒頭、 敗戦が決まるや連合国軍の占領に間に合わせるように、 参謀本部の建物の裏手から軍の公式記録を焼却する煙が、 3日間にわたって立ち上ったことが明らかにされた。 その50年後の1996年、 防衛庁の敷地内から大量の灰や焦げた紙の束が発見され、 市ヶ谷台史料 として保管されてきた。 番組は、 そのなかに南京攻略戦に関する1枚の記録が焼け残っていたことから、 南京戦に関わる史料はほとんどが処分されてしまったことが明らかになった と解説した。
前線の状況を記録した公文書で、 アメリカの庇 (ひ) 護のもとで天皇制 (国体) を維持するうえで都合の悪いものは、 すべて焼却し、 なかったことにしてしまうという算段であった。 だが、 いくら文書を焼いたり、 廃棄したところで、 事実そのものを消し去ることはできない。 無残な惨禍を強いられた中国の兵士や民衆はもとより、 直接手を下した日本の兵隊のなまなましい体験はさまざまな形で記録され、 今なお語り継がれているのである。
たとえば、 日本軍のある上等兵が南京の戦場で綴った革張りの日記帳には、昭和12 (1937) 年12月16日付で、 捕虜を郊外に5000人連れ出して「1人残らず銃殺した」「年寄りも子どもも殺した」「首を切った」という記録がある。 また、「捕虜を海軍倉庫まで連行する途中、逃げようとした捕虜を後ろから射殺した」という肉声の証言もある。
番組の編集のもとになった日本軍兵士の膨大な数の日記やビデオを含む証言は、 福島県出身の小野賢二氏が集めたものである。 番組は、 これら兵士たちの日記や証言について4年間にわたる国内外での取材、 追跡調査の様子も映した。 そして稲田朋美らの名前をあげて、 現職の国会議員にも「南京事件はなかった」とする主張もあるが、 確かな記録と証言に裏付けられた事実として、「1937年12月16・17日の捕虜殺害の詳細がわかった」と、その全貌を浮き彫りにした。
なまなましい証言 捕虜を集め一斉乱射で殺戮
当時、 南京では捕虜が約1万5000人いた。 夕方暗くなるのを待って揚子江の河川敷に大量の捕虜を集め川の方向を向いて座らせ、 その背後の倉庫の壁に穴を開け外から見えないように機関銃の銃身を据えていた。 そして、 将校が笛を吹くのを合図に一斉射撃を開始、 1分間に600発の乱射が15分から20分も続いた。 幾人もの証言から、 銃撃が終わると銃剣や刀を持って「死体も生き残ったものも区別なく突いて歩いた」ことも浮かび上がった。「遺体は揚子江に放り投げたが、そのうち詰まってしまった」。2日目も海軍倉庫とともに下流の河川敷でも捕虜銃殺がおこなわれていた。
こうしたできごとをなまなましく証言する元将校や機関銃中隊や通信中隊の下士官、 上等兵は口口に「そのときは人間的な判断はできず、 狂気であった」と慚愧 (ざんき) の思いをにじませていた。 日本の兵隊自身が食料にありつけず、 飢えで苦しみ、「自分の小便を飲んでいた」という極限状況のもとで、「足手まといになった捕虜を始末する」という感覚であったという。 そして、 戦争は民衆をこうした地獄のような世界に追いやるものであり、「絶対に戦争をしてはならない」と込み上げてくる感情を押しとどめることができない様子であった。
番組でも明らかにされたが、 戦時中はマスコミも「大本営発表」のもとで、 中国人の捕虜を後ろ手に縛って連行したり、 銃剣で突き刺す場面をとらえた写真は公表は「不許可」とされ、それらの写真やニュース映画の多くが焼却処分された。
当初は「邦人保護」を目的に掲げた中国での戦争で、 また「聖戦」「東洋平和」を唱える戦争に動員された夫や兄弟たちが、 中国兵や無辜の民衆に対する非人間的な殺りく行為や暴行を競いあうよう追い込められていることを、 なによりも国民に知られることを恐れたのである。
そうして、 国の公式記録を廃棄することで戦後も、 国民に戦争の真実を覆い隠してきたことは、 従軍慰安婦問題でも暴露されている。 また、 それがそのまま自衛隊の国連PKOやイラク派兵に関する記録資料の隠蔽やモリカケ文書など一連の公文書の改ざんにつながっている。
番組で明らかとなったのは、「南京大虐殺」の一端にすぎない。 しかし、その全貌に迫るとともに、 中国やアジアにおいて民衆同士を殺し合わせた戦争の真実を明らかにするうえで、 貴重な示唆を得ることができる。 真実はなによりも民衆の体験に深く刻まれている。 浮ついたウソや詭弁は、 民衆の体験に根ざした事実でもって一蹴することができるし、 そのような努力とたたかいこそ気高いものであることを教えている。