愛知県のJR駅構内で認知症の男性が列車と衝突して死亡した事故で、JR東海が男性の家族に巨額の損害賠償を求めた事件を記憶している読者も多いだろう。認知症と介護の苦労も知らず、すべてを家族の自己責任に帰そうとする大企業の横暴さを象徴する事件だった。本書はその後の8年間、JR東海とたたかった家族の記録である。
著者の父、高井良雄氏は2000年、84歳で認知症を発症したため、長男である著者の妻が愛知県の父の家の近くに転居して介護に加わり、週末には著者も東京から応援に駆けつけ、ときどき著者の妹も顔を出して、家族総動員で介護に当たっていた。2007年12月7日、91歳になった父はいつも通りデイサービスから自宅に帰り、85歳の母と妻と3人で団らんのひとときを過ごした後、ほんの6、7分の間家族が目を離した隙に外へ出て事故にあった。
話し合いもなく720万円請求
するとその半年後、突然JR東海から「配達記録付封書」が遺族宛に届く。そのなかには「豊橋駅 衝突事故にともなう旅客対応に係る人件費延べ31名、延べ50時間55分 18万321円」など列車事故の損害一覧が記され、合計719万7740円の損害賠償を請求する旨が記されていた。その後、JR東海の担当者とのやりとりのなかで、賠償に応じなければ訴訟を起こすと迫られた。
当初著者は、日頃多くの認知症の人たちと接触しているはずの公共交通機関が、いきなりこのような傲慢で高圧的なことをするのが信じられなかった。大概の市民ならびっくりして、借金してでも請求額を支払ってしまうのではないか。著者が請求に応じられない旨返事すると、今度は名古屋地方裁判所から母名義の不動産の仮差し押さえ通知が届く。著者には「いうことを聞かなければ思い知らせてやる」という恫喝に思えた。そして一度も話し合いの場が持たれないまま、2010年2月、JR東海は名古屋地裁に損害賠償請求訴訟を起こした。
JR東海の請求の趣旨は、①父親には意志能力があり、その不法行為により損害が発生したのだから、法定相続人は損害賠償義務がある、②父親が意志能力を喪失していたとしても、家族には監督義務があるのだから、賠償義務がある、というもので、著者や母親のほか、法定相続人である著者の姉・妹・弟も被告として提訴した。裁判の過程で、JR東海は、障害者の車椅子が誤って線路に転落して事故になった場合も、幼児などの行為に起因して事故になった場合も、理由を問わず一律全額請求する方針であることが明らかになった。
裁判でJR東海は「被告は在宅介護でなく、特別養護老人ホームに入居させるべきだった」「衣服に氏名などを縫い付ける行為は、第三者の好意を期待したただの甘えという他ない」などと主張した。一方、裁判所は著者に和解を強く勧めた。しかし、父親が降りていったであろう線路に通じる階段は無施錠のまま放置されており、裁判所にいわれるまま和解に応じるなら、賠償金減額と引き替えに、JR東海の管理責任を不問にすることになる。著者は拒否した。
全国的世論広がり逆転判決 8年かけようやく
一審判決はJR東海の主張を全面的に認め、著者と母親に全額の支払いを命じた。名古屋高裁での二審は「配偶者は介護し監督する義務を負う」とし、母親に360万円の支払いを命じた。その後、認知症の家族の会や医師、介護士、学者や弁護士などによる全国的な支援の輪が広がるなか、最高裁は2016年3月、家族には賠償義務はないとする逆転判決を下した。それでもJR東海は「株式会社であるから、会社財産を守る観点から今後も損害賠償請求をおこなうのが基本」との姿勢を崩していない。そのJR東海が進めているのが総工費9兆円のリニア中央新幹線だが、はたして乗客や地域の安全は守られるのか。
総人口の4分の1が65歳以上という超高齢化社会の日本で、認知症の人の行方不明者は年間1万5000人をこすという。そのなかで社会的使命を放棄してもうけ第一に突き進む大企業と、それを支える裁判所に対して、「家族に責任を押しつけるのではなく社会的に対策を講じるべきだ」という当たり前のことを認めさせるのにいかに多くの人人の努力が結集されたかを、本書は伝えている。(浩)
(ブックマン社発行、B6判・287ページ、定価1600円+税)