1941年12月7日の真珠湾攻撃を「恥辱の日」といい、「パールハーバーを忘れるな」といって対日戦争突入を指示した大統領F・ルーズベルトが、その10週間後に大統領令を出して、12万人以上の日系アメリカ人を強制収容所に送り込み、この収容所で育った若い世代を米軍の肉弾として最前線に送っていた。この事実は、その後為政者が隠し、送り込まれた本人も口を閉ざしてきたために長い間闇に葬られてきたが、その全貌が本書で明らかにされている。本書は、トランプ大統領のムスリムやヒスパニックの移民敵視に、ジャーナリストの著者が、「日系人がアメリカ人の仕事を奪っている」とトランプと同じことをいってルーズベルトがやったことを後世に伝え、教訓にしようと、多くの家族の実例を挙げながらまとめたものである。
「テロリスト」と世論を煽り 家財奪い収容所へ
真珠湾攻撃は、日本にハワイを攻撃させて米国民の怒りを煽り、軍事力にものをいわせて反撃に転じ日本を占領するという、アメリカ中枢の長期戦略にもとづいたものだった。本書を読むと、日系人に対する排外主義は、真珠湾攻撃の何年も前から意図的に組織されていたことがわかる。
真珠湾の4カ月前、8月1日付『ワシントン・ポスト』は、日系漁民の9割は海軍士官であり、日系農民は油井の破壊活動を狙っており、日系の料理人や給仕、洗濯屋は主要公共施設や橋、トンネルの破壊活動をおこなうテロリストだと、虚偽の報道をおこなっている。この時期、ロサンゼルスの日本人居住区リトルトーキョーは襲撃され、日系人の子どもは登校時に「ちびジャップ」とののしられていた。
そして日本軍が真珠湾を攻撃すると、ルーズベルトが1942年2月19日に大統領令を出し、これを受けて陸軍長官スティムソンが西海岸一帯を防衛のための軍事地域に指定。そこに住む日系人を強制退去させ、10カ所の強制収容所に送り込み始めた。
本書には、日系人が1、2個のスーツケース以外の家屋や農場や漁船や一切の家財道具をとりあげられ、銀行口座も差し押さえられて、銃剣を突きつけた兵士に監視されつつ呆然とした表情で収容所に送られていった様子を伝えている。米国籍を有しており、何の嫌疑もない日系人から、ある日突然、生涯かけて築き上げた財産を奪い、強制収容所に押し込めることは、明らかに米国憲法で保障された公民権の違反であるが、それが白昼堂堂と実行されたのである。しかし米国のメディアは、この移動がまるで「自主的なもの」で、田舎にピクニックに行くような調子で報道した。
「救う」と称し米軍の肉弾に
こうして12万人の日系アメリカ人が、カリフォルニアからアーカンソーまでの10カ所の強制収容所に抑留された。
本書ではカリフォルニア州マンザナー収容所の様子が記されている。収容所には36区画・504棟に分かれた馬小屋のような宿舎が並び、それを有刺鉄線を張り巡らせたフェンスと、日系人に銃口を向ける機関銃とサーチライトを備えた監視塔が囲んでいた。そのなかで子どもや赤ん坊を含む約1万人の日系人が生活した。各棟に一つしかない水道管は凍り付いており、大人も子どもも藁(わら)の上で洋服のまま眠り、朝目覚めると、ドアの隙間から吹き込む砂埃まみれになってブルブル震えていたという。
またサクラメントの収容所に収容された当時17歳の女性は、トイレの仕切りがなく、トイレといっても地面に1枚の長い板を置き、30㌢おきに穴があいているものだったこと、深夜の暗がりにまぎれてそこで用を足そうとすると、米兵がサーチライトで照らしてさらしものにしたことを告発している。
そのほか北ポートランドの収容所では、牛や豚、羊用にもうけられた小屋のなかで3000人の日系人が暮らしていた。アーカンソー州マッギーの収容所は入り口の階段が淀みに浸かったままで、そこに巣くっている蚊の群れはすさまじく、おまけに管理当局は病人のためのキニーネをいつも切らしていた。日系人は家畜並に扱われる屈辱を強いられたのである。
砂漠の灼熱や厳寒のなかで消耗して自殺する人や、監視役の兵士に面白半分に射殺される人も出た。一方、その扱いに我慢できず、米国人警官を集団で取り囲んで叩きのめしたり暴動を起こした収容所もあったという。
ところが太平洋戦争が激化する1943年1月になると、スティムソンは「国家挙げての戦争時に武器を持つことは、その出自を問わず、全国民に固有の権利である」と新聞発表した。日系移民でも軍隊に入り戦場に行けば、国籍も土地も与えるというのだ。陸軍が主催した「自発的入隊制説明会」で日系人が「戦争後、国籍が剥奪されたり所有地が没収されたりしないか?」と聞くと、陸軍幹部は「それは憲法で保障されている」という。「それなら、そもそも僕たちは収容所に入らなくていいはずだ」と問うと、「だからこうして助けの手をさしのべているのだ」という。実際には1人の人間として認めたわけではなく、命令を受ければどんな危険な地域でも戦闘任務に就くという宣誓書にイエスと答えねばならなかった。
戦後も朝鮮戦争の最前線に
本書を通じて見逃せないのは、アメリカの為政者たちが日本人を黄色人種として蔑視しきっていることだ。ルーズベルト自身が「日本人が狡猾で不誠実なのは、白人よりも2000年遅れた発達段階にある頭蓋骨のせいだ」と公言しているし、当時、オクラホマの州議会議員はすべての日系人に不妊手術を施すことまで提案している。
収容所をつくるために西部10州の知事が集まった場では、「カリフォルニアのゴミ捨て場になることを我慢できない」「私の州に日本人を連れてきたら、全員木からぶら下げてやる」と抗議した知事もおり、「ジャップはネズミみたいに繁殖し、挙動もまるでネズミだ。戦争が終わるまでは強制収容所に入れておかねばならない」といった者もいる。そんな彼らが、同じ時期にユダヤ人を強制収容所に送ったヒトラーを批判していたのだった。
この日系移民は、「公民権と職を与える」といって戦後の朝鮮戦争にも動員され、「グック(土人)」と呼ばれながら最前線に立たされたことも、研究者が明らかにしている。そして日本の植民地状態は今日まで続いており、安保法制によって日本の青年が米軍の身代わりとなって最前線に駆り出されるところまできた。日系人の強制収容所送りは過去の問題ではない。
(白水社発行、B6判・345ページ、定価3500円+税)