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『労働者階級の反乱 地べたから見た英国EU離脱』著・ブレイディみかこ

 日本のメディアは昨年の英国のEU離脱について「欧州の危険な右傾化」とか「ポピュリズムの台頭」と報道し、英国在住のライターである著者の下にも「緊縮が理由などと書くのは、右傾化した労働者階級を擁護することになり、レイシスト(人種差別主義者)的だ」といった苦情がきたという。労働者を愚弄するインテリにありがちな意見だが、そこで著者はあらためてこの問題に向きあい、英国の労働者階級の多くがなぜEU離脱を選んだのか、そもそも彼らはどういう人なのか、どのような歴史をたどって現在に至っているのかを知らせようと本書を書いた。

 

 著者の配偶者をはじめ周囲にいる人たちの多くが離脱票を投じたことから、まず著者はこの人たちへの詳細なインタビューをおこなっている。

 

 そのなかで印象深いのは、1958年生まれのスティーヴ。工場労働者だったが90年代はじめに工場閉鎖で解雇され、その後職を転転とし、今は大型スーパーで働いている。彼は「若い奴らでゼロ時間雇用契約(雇用主が仕事を必要とするときにだけ働かせる待機労働契約)で働いているやつがいっぱいいるだろう。非人間的ってのはああいうことをいうんだ。これは政府が禁止しないと」「EUは結局ドイツとか、一部の国だけが得をするようにできている。グローバル企業とか銀行のことばかり考えている政治家が多すぎる」といい、右派のUKIP(英国独立党)の主張にも共感している。

 

 「移民がこの国の若い奴らから仕事を奪うような状況はよくない」というが、同時に彼は、公営住宅の中国人労働者たちに嫌がらせをする10代を叱り飛ばし、毎晩見回りをするおっさんたちのリーダーで、「すでに入ってきている人を迫害するのは、英国人として恥ずかしい。バカな子どもを叱るのは、親の世代の俺たちの仕事だ」「職場のスーパーだって、半分以上は移民労働者だ。彼らをバカにしたり、変なことをいう英国人は、俺がいつだって相手になってやる。そういうのは労働者の価値観じゃない。助けあうこと、困っている者や虐げられている者を見て、放っとかないことだ」とのべる。

 

 ゼロ時間雇用契約に反対する労働党のコービンにも共感するが、全部正しいとも思っていない。「ブレクジット(英国のEU離脱)だって、今回の総選挙の番狂わせだって、労働者階級は、間違っていると思ったら“間違っている”という。相手が聞かなかったら、首根っこつかんででも聞かせる。そういう時代になってきたんだよ」と話している。インタビューした彼らに共通するのは、どの既成政党にも幻想がないこと、政府の緊縮政策に激しい怒りをもっていることだ。

 

 実際、ブレクジットの背景には、保守党政府が2010年から推進してきた強硬な緊縮政策への怒りがあったことを見逃すわけにはいかない、と著者は指摘する。元首相キャメロンは「英国はこのままではギリシャの二の舞いになる」と脅し、2014年までに総額810億㍀(約12兆円)の歳出削減をうち出して、数十万人規模の公務員解雇と賃金凍結、公共サービスの縮小、大学授業料の大幅値上げ、福祉削減を実行した。国立病院には閉鎖される病棟が出現し、公立学校の教員は目に見えて減り、福祉を切られたことでホームレスは増え、フードバンク(生活困窮者に食料品を配給する活動)は2013年に前年度比で300%に増えた。この緊縮政策への怒りが爆発したのがEU離脱国民投票であり、それによってキャメロンを辞任に追い込んだのである。

 

前例のない貧富格差の拡大

 

 この問題をより構造的にとらえるために、大学の准教授のジャスティン・ジェスト氏がとりくんだイギリス労働者階級のおかれている状態と意識の調査も紹介している。

 

EU離脱を求めるデモ(昨年6月)

 一つは、歴史上前例を見ないほど富裕層と底辺のギャップが拡大していることである。英国では昔から、学校教育が高額授業料の私立校と授業料無料の公立校に分かれ、貧富の差によって受ける教育が違うという問題があったが、今では無料の公立校の間でもすさまじい格差が広がっている。成績優秀な公立校の地価は高騰し、高級住宅街になっていくため、収入による棲み分けが完成し、労働者の子どもに生まれれば富裕層の子どもとの接点がない、いわゆる「ソーシャル・アパルトヘイト」と呼ばれる事態が進行した。

 

 新自由主義の社会になって、「貧しいのは自己責任」という考え方が広まっている。既成政党は貧しい白人労働者階級の居住区では選挙活動をおこなわず、選挙ポスターも貼らないことが多い。白人労働者階級のほとんどは組合に入らず、それどころか反感を持っている。彼らは「施し」を求めておらず、みずから働くことによって生活をよくしたい、自分で自分の生活を変えたいと思っているが、それを代表する政党や組織がない。

 

 もう一つは、移民労働者の急増と労働者階級全体の地位の低下であり、両者が分断・対立させられていることである。20世紀のはじめと終わりでは、肉体労働者や作業員をさす「マニュアルワーカー」は全勤労者の75%から38%に減り、その仕事は移民労働者にとってかわられた。今では患者の命を預かる医療現場まで「外国人だらけ」「もはや英語が通じない」という現状がある。問題はメディアが政府の緊縮政策にあわせて、失業保険や生活保護の不正受給を連日とりあげて「たかり屋」キャンペーンをセンセーショナルにおこない、「移民や外国人は福祉政策から排除されるべきだ」という「福祉排他主義」を拡大していることだ。

 

労働党が新自由主義の尖兵

 

 さらに本書では、今の事態を歴史的にとらえるために、英国労働者の100年の歴史を振り返っている。なかでも印象深いのは、米ソ二極構造が崩壊し「英国には階級はなくなった」と宣伝された1990年を前後して、保守党だけでなく労働党も新自由主義の尖兵となって国民に苦難を押しつけ、その醜い馬脚があらわになったことだ。

 

 そもそもサッチャーに先行して「小さな政府」の基盤をつくったのは労働党である。労働党政府は1976年に財政破綻を宣言、IMFから救済を受けることに同意して緊縮政策を導入した。それを受けてサッチャーが新自由主義改革を徹底し、サッチャーに「一番できのいい息子」といわれた労働党のブレアがそれを受け継いで深化させた。ブレアは終身雇用や固定給を廃止して給与の出来高払い制に変更し、契約社員を導入した。第2次大戦が終わった1945年、英国国民は「戦争を勝利に導いた」チャーチルの保守党を選挙で大敗させ、できた労働党政府に無料ですべての国民に医療サービスを提供するNHSを実行させたが、ブレアがそれを民営化した。ブレアはブッシュ政府に全面協力してイラク戦争に参戦した挙げ句、国民に総スカンを食らって首相を辞任した。

 

 そして著者は、保守党も労働党も「移民が医療サービスや学校をパンクさせ、労働者の賃金を引き下げる悪の元凶」といって、問題を人種間の対立に意図的にすり替え、人種間の分断と対立を煽り、労働者階級が人種をこえてつながって1%の富裕層に対してたたかうのをそらそうとしてきたのだと指摘している。だが、その結果起こったのがEU離脱であり、それはイギリス労働者階級の反乱だった。「労働者階級がエスタブリッシュメントを本気でビビらせた出来事」の一つだったことは誰にも否定できないとのべている。

 

 本書のなかでは、労働党党首になったコービンが、メディアや知識人、労働党議員団のバッシングを受け続けているにもかかわらず、有権者から強い支持を得ていること、コービンを支持する若者たち(学生や大卒のインテリが多い)が「労働者階級と結びついていないことが最大の弱点だ」といって、中北部の労働者の街に行き、一軒一軒ノックして労働者と語りあっていること、この地に足のついた活動を教えたのがサンダースの大統領選をたたかったスタッフたちで、彼ら4人が米国から英国に渡って一緒に行動していることも紹介している。

 

 英国では100年前、働く者の人間らしい生活を要求する300万人のゼネストがたたかわれたという。そのときとは社会の状況も運動の形態もまったく違うが、労働者階級全体を団結させる新しい試みが確かに始まっていることを伝えている。

 

光文社新書、284ページ、定価820円+税

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