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『日航123便墜落の新事実-目撃証言から真相に迫る』 著・青山透子

 32年前の1985年8月12日、乗客乗員524人を乗せた日航ジャンボ機123便(ボーイング747、登録機体番号JA8119)が、東京羽田空港を離陸して大阪伊丹空港へ向かう途中、群馬県上野村の御巣鷹に墜落し、生存者4名をのぞく520人が犠牲となった。国内の航空機事故で最多の犠牲者を生み、世界的にみても単独機の事故としては今なお最多である。当時日本航空の客室乗務員であり、先輩たちを失った著者は、真実を明らかにするために調査してきた。

 

 事故原因は「後部圧力隔壁の修理ミス」であるとして調査は打ち切られ、90年にはボーイング社や日航関係者らは不起訴処分となった。だが、つじつまの合わない点が多数あること、墜落現場の特定と人命救助が遅れた経緯など不審な点が多く、いまだに遺族や関係者のなかに事故原因に納得していない人がいること、パイロットたちによる日本乗員組合連絡会議も事故調査報告書と説明書の多くの矛盾点を指摘し、政治的決着を優先することに対して意見していることを明らかにしている。

 

 その不可解さから陰謀論も多く出回るなかで、著者はそれらとは一線を画し、現場を知る人人へのインタビューや新聞等の資料、目撃情報等を集め、「事実を一つずつ積み重ねていけば、新たな真実が見えてくるのではないだろうか」との思いから、長い年月をかけて真相究明にとりくんできた。著者を動かしたのは当時を知る客室乗務員として、単独機として世界最大の航空機事故を起こした日本航空の関係者として不明な点を明らかにしなければならないという責任感であり、またそのことが犠牲となった人人への「真の供養」であるとの思いである。

 

 事故から25年後の2010年4月、乗客を励ましながら最後までプロとして行動した先輩たちへの思いや、事故原因への疑問をまとめた『天空の星たちへ   日航一二三便 あの日の記憶』の出版を機に新たな目撃情報や証言が寄せられた。

 

 本書ではそれらとともに、墜落現場である群馬県上野村立上野小学校148人の児童による文集『小さな目は見た』(85年9月30日発行)、同中学校87人による日航123便上野村墜落事故特集『かんな川5』(同10月1日発行)などの目撃証言の記録、資料や新聞記事等を追うなかで、123便の飛行ルートや事故状況、日航や政府・中曽根首相の対応、米軍の動きについて公式発表と事実との矛盾を検証している。

 

 2015年に出版社に訪ねてきた女性は、機体左下の腹あたりに円筒形で真っ赤な楕円のようなオレンジ色の物体が貼り付いていたのを見ていた。また直後に公式発表にはない2機のファントムを見たと話した。

 

 ファントム機の証言は、群馬県警が発行した『上毛警友』(昭和60年10月号)に自衛隊員が寄せた手記にも登場しており、著者は「まだ明るい墜落前に航空自衛隊では日航機を追尾して飛行状況を確認した。さらに墜落するその時までしっかり見ていた」事実を確認し、「墜落場所が一晩中特定できなかったという言い訳は通用しない」とのべている。この墜落前に追尾していたファントム2機の存在を隠し続けていることが、「この事故を事件ではないかと感じた理由だ」とのべている。

 

 上野村の小・中学生の作文にも、大きい飛行機を小さいジェット機2機が追尾していたこと、真っ赤な飛行機が飛んでいたことが記されている。また住民らが墜落場所を特定し報告したにもかかわらずテレビやラジオでは場所不明または別の地名を放送し続けていたことへの疑問、「場所不明」であった夜中にも自衛隊機や機動隊などが多数行き来し、墜落現場をサーチライトで照らしながら何かをしていたことを浮き彫りにしている。

 

 米軍横田基地に取材した記者のノートやその後出てきた証言などから、米軍も直後に墜落場所を特定しており、自衛隊第一空挺団も救助に向かうため待機していたにもかかわらず翌朝まで見送られたことなど、人命救助を意図的に遅らせた可能性を指摘する。

 

 さらに著者は、翌朝漂っていたガソリンとタールの臭い、通常の家屋火災の焼死体をもう一度焼損したと思われるほど完全炭化した遺体の状態に注目し、司法解剖を担当した医師の証言や元自衛隊員、軍事評論家などに質問を投げかけた結果から、第二次大戦中に米軍が使用し、現在も自衛隊普通科に配備されている火炎放射器が使用された可能性を提示している。

 

 事実検証を重ねた著者は、乗客が撮影した写真にも写るオレンジ色の物体が、当時開発途上であった誘導弾ではなかったかとのべ、その赤色の物体を消すことを最優先にして人命救助は後回しにし、その際現場を破壊して何らかの証拠を消すためにゲル状燃料の武器を使用したのではないかとの疑問を提起している。「事故原因を究明したら戦争になる」と囁かれていたこと、当時運輸大臣であった山下徳夫氏が著者に対し、「日本は何でもアメリカの言いなりだからね」とのべたことなどとともに。

 

 事故原因はいまだ明らかにされていない。調査を進め重要なことが判明しても再調査はなされず、隠蔽される。調査委員会は99年、日航機事故関連のおよそ1㌧もの重要書類を断裁して破棄、焼却した。その後、米国政府が事故原因について意図的に米国有力紙に漏らしていたとNTSB元幹部が証言するなど、米国が後部圧力隔壁説へと誘導していたことにもふれている。「国家としての主権も政治家のプライドもない」戦後日本の姿を問題視する著者の指摘が、現在の多くの人人の問題意識と重なることが、本書が注目を集めている要因ともなっているだろう。

 

 著者は、最後まで諦めなかったパイロットや客室乗務員、救助に向かおうと待機していた自衛隊員や消防隊員、いち早く現場を特定した上野村の人人など、「彼らの思いを一切無視し、無にしたものは誰か」と問うている。

 

 福島第一原発事故や昨今の自衛隊をめぐる動きともかかわって、「自衛隊は誰のために何を防衛するのか、公務員は誰のためにいるのか、政治は何を目的としているのかを考えなければならない」「自分の置かれた立場の都合で嘘を語ることは当たり前だ、と勘違いしていないだろうか」、真相究明を通じてそのような問いかけを発し、生きている関係者が「真実を語ること」を提起している。


 (河出書房新社発行、205ページ、1600円+税

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