NHKスペシャル「沖縄と核」(10日夜)は、本土復帰前の沖縄が最高時には1300発もの核ミサイル弾頭を貯蔵し、発射できる世界最大級の核攻撃基地となっていたことを伝えた。近年、アメリカで解禁された在沖縄米軍基地の核兵器の貯蔵、配備に関する「最高機密文書」や当時の元兵士や政府高官など関係者の証言などで構成した、「スクープドキュメンタリー」である。
番組は歴史的な推移を追って、戦後の沖縄基地がアメリカの核兵器の開発と核戦略の展開の重要な位置を占めてきたこと、核兵器の配備が沖縄への基地の集中・増強・拡大を決定づけてきたことを跡付けた。それはまた、米軍基地に囲まれて生活する沖縄県民が、核戦争の危険と抱き合わせの屈辱的な環境に置かれてきたことを暴露するものとなった。
伊江島では1953年、銃剣とブルドーザーで強制的に土地を奪われたが、この時から核基地化と密接にからんでいた。米軍がガソリンで畑を焼き払って建設した爆撃場は、核爆弾を投下するための訓練場であった。そこでは、模擬核爆弾を投下するための巨大な標的を描き、ソ連や中国のレーダーをかいくぐって低空から急上昇して核爆弾を投下する訓練(LABS、低高度爆撃法)をおこなっていた。
この年、アイゼンハワーの新たな核戦略のもとで、地政学的に沖縄がソ連と中国への核攻撃の拠点に定められた。伊江島における強制土地収用と核攻撃訓練はその一環であった。当時、訓練に参加した元兵士(戦闘機パイロット)は、「常に実践を想定した投下訓練だった。4機の戦闘機が常に模擬爆弾を投下するために待機していた」と証言した。
海兵隊の沖縄への移駐も核兵器とともにあった。1955年、日本全土に駐留していた海兵隊は、核ロケット砲オネストジョンを配備する計画を明らかにした。だが、山口県の秋吉台などでの原水爆禁止世論の高まりとたたかいの前にとん挫した。そのため、沖縄にオネストジョンを配備することと合わせて海兵隊の基地を拡充し、核弾頭の使用を想定した発射訓練をくり返すようになった。だが、元琉球政府の要員は当時、「核の話は全然なかった」と、県民にはまったく知らされてなかったことを証言した。
広島型の70倍の核ミサイル 配備の為基地増強
1960年代に入って、アメリカは核ミサイル・メースBの沖縄配備を発表し、基地を増強していった。ここでも、それが射程2400㌔の広島型原爆の70倍もの威力を持つ核弾頭を搭載した核ミサイルであることは隠したままであった。しかし、基地建設場で働く沖縄の労働者から、メースBが核兵器であるという見方が広がり、反対世論が高まった。琉球政府の議員たちが日本政府に配備中止に動くよう要請するまでになった。
番組はこのとき、小坂善太郎外相がアメリカのラスク国務長官との会談で語った内容が記録に残されていることを明らかにした。小坂外相の発言は、事前に配備計画を発表されると国民から「日本政府が責められる」ので事後に発表してほしいというもので、ラスクはそれをはねつけていた。
当時、配備中止を求めていた元琉球政府議員はその文書を見て、「県民をだまして穏やかにやりなさいということだ。バカにしている。怒りがわいてくる。これが唯一の被爆国の外務大臣か」と吐き捨てるような口調で憤慨していた。
報復恐れ迎撃体制張巡らす 核戦争の危機も
1962年、アメリカは沖縄に4つのメースB発射基地の建設を強行し、核出撃態勢を強めた。アジア最大の核攻撃基地となった沖縄がミサイル攻撃の標的となることを恐れたアメリカは、沖縄の核兵器の大半を貯蔵する嘉手納弾薬庫をとり囲むように、迎撃用核ミサイル・ナイキハーキュリーズを本島8カ所に設置するなど、核基地を拡大し、勝手気ままに「核の島」と化していった。
番組は、沖縄ではそのナイキをはじめ、核ミサイルにまつわる重大な事故が発生していたことや、「キューバ危機」では核ミサイル発射寸前に立ちいたっていたこと、そうしたことが県民や本土国民には知らされないままできた事実を明らかにした。それは、今日の日本が置かれた状況と重ねて視聴者の深い怒りをかきたてることになった。
人口集中する那覇で誤射 極秘事項で鉗口令
沖縄のナイキ部隊の日報から、1959年6月19日、配備されたばかりのナイキが、沖縄を壊滅させかねない事故を起こしていたこと、それがずっと隠蔽されてきたことが明らかとなった。この事故は、人口が集中する那覇に隣接する基地(現在・那覇空港)で、1人の兵士が操作を誤りブースターが突然点火したため、水平に発射されて海に突っ込んだ事件である。直接事故を目撃した元兵士は、広島原爆と同じ規模の20㌔㌧核弾頭を搭載していた事実とともに、強固な鉗口令が敷かれていたことを証言した。米軍の内部文書からも、「アメリカの国際的地位を脅かす」として、徹底して極秘事項としていたことが暴露されている。
アメリカの解禁文書には、伊江島で民家のすぐ上を模擬核爆弾投下の訓練に向かう戦闘機がかすめ飛び、模擬爆弾が爆発した破片の側で子どもたちが遊んでいる写真もあった。こうした傍若無人な核訓練のさなか、M6(水爆の模擬爆弾)の爆発に巻き込まれて男性が即死するという事故が起こった。当時、生後九カ月の子どもを抱えた妻が「演習はもうやめてください」と、米軍に切実に訴える手紙も残されていた。だが当時、人人はなんの訓練か知る由もなかった。
1962年のキューバ危機のときメースB発射基地にいた元兵士は、ソ連への攻撃のさいは中国も攻撃できるよう、いつでも発射できる態勢がとられ「別次元の緊張」が走っていたことを語った。また、「報復ミサイルの標的となって、沖縄は終わると思っていた」と真剣な表情で回想していた。沖縄がプルトニウムを韓国の空軍基地や本土に供給し爆撃機に装填するための拠点となっていたことも明らかとなった。
番組は沖縄の特殊性を強調するが、その進展のなかで、核兵器と核戦争をめぐるアメリカの沖縄県民を人間扱いしない横柄な振る舞いが日本国民全体に向けられたものであり、県民の屈辱は国民全体の屈辱であることが、さらに鮮明となった。
60年の「安保条約」締結にあたって、米日政府が核兵器の持ち込みに関する「事前協議」には「沖縄は含まない」と約束していたことも明らかとなった。岸信介(安倍晋三の祖父)は、沖縄の米軍施設への核兵器の持ち込みについては「関与しない」(黙認する)という文書を交わしていた。
1969年のニクソン・佐藤栄作の「沖縄返還」をめぐる会談では、「沖縄からの核兵器の撤去」が喧伝され、その後メースBを撤去する映像を華華しくふりまいた。だが、その裏で「緊急時にはふたたび沖縄に核兵器を持ち込む」という「核密約」を交わしていた。このことは、その後日本政府の必死な隠蔽にも拘わらず、アメリカの側から暴露されてきたことである。
この密約に、「嘉手納、那覇、辺野古の核弾薬庫を使用可能な状況で維持しておく」という項目があったことと合わせて、現在の激動緊張するアジア情勢のもとで、沖縄の核配備の実態と辺野古基地の拡充の狙いを掘り下げて見きわめる必要があることを思わせた。
日本全土を核出撃の基地に 独立・平和の課題
番組は、「今も沖縄では秘密裏に核兵器を保有しているのではないか」という視聴者の追及を意識してか、「嘉手納弾薬庫地区は今、当時と大きく変わらない規模を維持している。抑止力の名のもとに基地は残され、今も重い負担を背負い続ける現実は変わらないままだ」との解説を加えた。そのうえで、アメリカ国防総省(ペンタゴン)がNHKの取材に対して、「沖縄の核の有無については、回答しない」と突っぱねたことを明らかにした。さらに、一方で外務省が「非核三原則を堅持しいかなる場合にも持ち込みを拒否する」と答えたことを強調した。
こうした、欺まんと詭弁で日本国民を愚弄する米日の補完的な構図は、番組で具体的に暴露されたように、戦後一貫したものである。現実には、沖縄はもとより日本全土に迎撃ミサイルを張りめぐらし、極東最大の核出撃基地となった岩国をはじめ、横須賀、佐世保など核ミサイル搭載の戦闘機、潜水艦、艦船が四六時中飛行、徘徊している。林立する原子力発電所も含めて、核の列島と化した日本の独立と平和を求める国民世論束ねるうえで、一考に値する番組であった。 (一)