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『子どもたちの階級闘争』 著・ブレイディみかこ

 『ヨーロッパ・コーリング』(岩波書店)で新自由主義に対抗する欧州の新しい政治潮流の台頭をルポした著者は、現在イギリスで保育士をしている。本書は保育士として、毎日接する子どもたちやその親たちを通して見た英国社会のルポである。

 

 著者が2008年に働き始めたのは、平均収入・失業率・疾病率が全国最悪水準のブライトン地区にある、ボランティアによって運営される慈善団体の「底辺託児所」である。それは無職者・低所得者支援センターの中にあり、失業者やホームレスの子どもたちを無料で預かる託児所で、地方自治体からの補助金で運営されていた。著者はここで2年あまり働いて民間の保育所に移ったが、その間に保守党政府が緊縮政策に舵を切り、福祉・教育・医療予算を大幅に削った。著者が2015年に底辺託児所に戻ったときには、託児所の運営は週3日の午前中のみとなり、子どもの数も激減。しかも生活保護カットで下層の英国人は消えて移民の子弟ばかり、玩具も絵本も色あせ変形した物ばかりとなっていた。

 

 2013年に発表された調査リポートは、英国で貧困に落ちている子どもが1969年より160万人増えたことを明らかにし、「格差が固定化し、子どもたちはソーシャル・アパルトヘイトのなかで育っている」と指摘した。保守党のサッチャーも労働党のブレアも新自由主義政策を推し進め、犠牲になる人を「敗者」という名の無職者にし、生活保護を与え続けて黙らせた。人間の尊厳を奪われカネだけ与えられると、人は酒やドラッグに溺れたり、家庭内暴力に走ったり、弱い立場にある外国人に八つ当たりするようになる。

 

 そしてその息子、娘は、情緒の発達が大幅に遅れ、凶暴な子や極端に他人を恐れる子になる。富裕層の子どもはそうした子を恐れるため、親はランク上位の公立小学校の近くに家を購入し、そのエリアの住宅価格は必然的に高騰し、庶民には住めない地域になる。こうして富者と貧者の居住地域の分離が進む。貧困層の方は、職安があれこれ難癖をつけて生活保護や失業保険を止める制裁措置をとるため、毎日の食にも事欠いている。「イギリスはヴィクトリア朝の時代に戻った」といわれるゆえんである。

 

 これに低賃金労働力を手に入れるための移民政策が輪をかけている。2011年の国勢調査では、英国で生まれる子どものうち、少なくとも両親の1人が外国人である子どもの割合は3割をこえ、その後も増え続けている。EU圏内は人の移動は自由であり、EU加盟国民と結婚した外国人は英国に住む資格を得るからだ。そして底辺託児所に子どもを預けて、新天地で英語を学び職を探す東欧や中東、アジアやアフリカの移民が増えた。

 

 こうした社会の矛盾は底辺託児所に集中的にあらわれる。著者はその格闘の毎日を生き生きと記している。著者の息子が通う学校は、富裕区と貧民区の合併の形でつくられたカトリック校である。同級生のT君はベトナム人で、父はICTコンサルタント会社の経営者、母は金融街シティの大手会計事務所勤務という成功者家庭である。そのT君がクラスの子全員を招いて誕生パーティーを開いた。全員と思ったが、唯一の黒人R君は招かれなかった。T君に聞くともじもじして「お母さんが決めた」という。「階級を昇って行くことが、上層の人びとの悪弊を模倣することであれば、それは高みではなく、低みに向かって行くことだ」。著者がいう「エリート・ホワイトの輪に入るために、自ら進んで有色人を排他する有色人」とは、日本のエリートも同じではないか。翌朝、とぼとぼ1人で校門をくぐるR君に、日本人と英国人の子が頭突きをくらわせ笑いあう場面。未来をつくるのは子どもたちだ。

 

 ある日、ほぼ全員が外国人という底辺託児所に、久し振りに英国人の幼児がやってきた。2歳児のジャックは金髪の巻き毛をくるくるさせた子だが、その母親は20歳のシングルマザーで、ドラッグ依存症から回復中である。体にピッタリと張りつく服を身につけ、胸元や腕は色とりどりのタトゥーで覆われている。そして移民の母親たちが一番忌み嫌っているのが、「チャヴ」と呼ばれるこうした英国の下層の若者たちだという。母親たちは「うちの子がジャックを怖がって託児所に行きたがらない」といい出した。

 

 でもジャックは暴力を振るわない。ただストレスがたまると奇声を発しながら両手を広げてくるくる旋回する。それも託児所に来てから回数が減った。先日は庭の真ん中でいきなりスピンを始め、いつものように大の字になって寝転がった瞬間、砂場で遊んでいたアフリカ人の女児とポーランド人の女児が駆け寄り、同じように寝転んだ。それを見ていた他の子どもたちもゲラゲラ笑いながら寝転がる。するとジャックは異変に気づいて頭を持ち上げ、いかにもうれしそうに手足をバタバタさせて笑い出した。いつも孤立しているジャックが変化した瞬間だった。

 

 またある日、10年以上ドラッグとアルコールの依存症とたたかっている母親にかわって、女子高生のヴィッキーが4歳の妹・ケリーを連れて託児所にやってきた。真っ黒に染めた髪をポニーテールにまとめて大きな円形のピアスを下げ、お尻が出るほど短い制服のスカートをはいて、いつもガムをくちゃくちゃさせて仏頂面をしている。その彼女が何カ月か通った後、卒業を前に託児所でボランティアをさせてほしいという。喜んで引き受けたものの、彼女のような不良少女ファッションのティーンがボランティアなどといったらえらいことになる…と著者は思った。

 

 ヴィッキーの読み聞かせはとてもうまかった。しかし後方で待機する移民の母親たちは、まず唖然とし、次に眉間に皺を寄せ、じりじりした表情で壁の前に立っている。数日後には集団で直訴にやってきた。「問題のある家庭の子どもたちが増えると、私たちは安心して子どもを預けられない」。これに対して託児所の責任者は「私たち外国人はここでも最初はマイノリティでした。でも私たちは他のスタッフと同じように迎えられました。どこの人間でも、どんな人だろうと、どんな問題を抱えていようと歓迎する。ここはそういう理念のもとにつくられた託児所です」といった。地元の英国人を排除しようとする外国人移民を叱り飛ばしたのは、イラン人のムスリム女性だった。

 

 その日、ヴィッキーは『きょうはみんなでクマがりだ』を読んだ。するとある女の子が「クマはほんとはみんなを食べたいんじゃなくて、一緒に遊びたかったのかもしれない」といった。ヴィッキーは「アタシも子どもの頃、実はそう思ったんだ。だってこのクマの後ろ姿、なんか悲しそうだもんね。クマは見た目は怖いけど、本当は寂しいのかも」といった。母親たちを見ると、微笑する顔や、振り向く娘にちゃんと先生の話を聞きなさいと促す顔があった。

 

 こうした託児所の日日を読むと、「反移民のポピュリズム」という報道が雲の上の屁理屈にすぎないことがよくわかる。「EU離脱で悲嘆に暮れる国民たち」というのはほんの一部にすぎないと著者もいっている。大企業の利益のために人人を分断して支配しようとする新自由主義に対して、それに負けない下層の人人の国境をこえたたたかいがある。子どもたちも負けてはいない。(浩)


 (みすず書房発行、285ページ、2400円+税)

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